世界文学全集 III-04 石牟礼 道子 苦海浄土

作成日:2019-11-26
最終更新日:

内容

苦海浄土といえば、通常は(少なくとも私は)講談社文庫になった小説を思い出す。 この文学全集で収められているのは、苦海浄土三部作、すなわち(狭義の)苦海浄土(これが第一部)、 神々の村(第二部)、天の魚(第三部)の三部作すべてを収める。

久しぶりに読もうと思ったのは、まず少し時間ができたこと、そして、週刊金曜日の過去の号を見直して、 そういえば石牟礼さんが亡くなったのだった、昔読んだ苦海浄土のことをさっぱり忘れているから、 ここらでもう一つ読まないと、と思っていたのだった。

それと関係があるのかないのかわからないけれど、文学が好きな人の間で、 池澤夏樹が個人で編集した文学全集でただ一つ、日本の作品が選ばれたのがこの「苦海浄土」ということを知った。 ちなみに、私が最近読んだ、クンデラの「存在の耐えられない軽さ」も、 モラヴィアの「侮蔑(軽蔑)」も、この池澤夏樹編集の文学全集にに入っていたのだった(私が読んだのは別の全集だったが)。 そんなことで、石牟礼道子の三部作を読む気になったのだった。

第一部 苦海浄土

わたしはろくな読み手ではないから、拾い読みした結果だけ記す。

まず、水俣である。拾い読みとしては、公害が起こった場所としての水俣というより、 九州の一地方としての水俣が気になった。九州といえば、最近かためて読んでいる後藤明生が「失われた故郷」として、 朝倉のことを挙げていた。そして、公害という範疇ではないのかもしれないが、蜂の巣城で知られる室原知幸をもまた、 思い出した。

まず、どこかわからないけれど、聞き書きに出てくる「……げな」という語尾が出てくる。 これは誰かからきいたことばを受けるとき、いわゆるまた聞きのときに使う。「……という話だが」とでもいうのだろうか。 これが現代の後藤明生にかかれば、「ゲナゲナ話」として小説の題材に転化されてしまう(たとえば《『饗宴』問答》)。 そんなことを思い出した。

p.138 には、組織の話が出てくる。そして、聞き書きにこのような箇所が出てくる。 水俣病患者互助会をつくった初代の互助会会長の話である。

水俣病患者互助会は、(中略)自分たちだけのチエと力でつくらにゃなりませっせんでした。 三十四年の補償交渉のときはそれで、自分の仇を自分でとりにゆく勢いでしかかりました。 仇をとるどころかあのようなことになりました。 蜂の巣城のたたかいや三池炭鉱のことや、アンポのありよりましたけん、水俣病のことは、肩身の狭うございます(後略)

蜂の巣城のたたかいは、同時代だったのだ。久しぶりに松下竜一の「砦に拠る」を読もう。

p.140 では、作者、石牟礼が安保のデモ隊に参加していた時、たまたま漁民のデモ隊が現れ、両者は合流した。 石牟礼はこう記している:

なぜそのとき、漁民たちが、そのようなあらわれ方をしたのか、いまもって、わたくしにはわからない。
 しかし、このとき、わが安保デモの指揮者は勢いづいたままの声でいった。
――皆さん、漁民のデモ隊が安保のデモに合流されます。このことは、盛り上がってきたわれわれの、統一行動の運動の成果であります。 拍手をもって、皆さん拍手をもっておむかえしましょう。

この安保デモの発言を石牟礼はこう振り返っている:

あのとき、安保デモは、
「皆さん、漁民デモ隊に安保デモも合流しましょう!」
 といわなかった。

このときの感情を、石牟礼はさまざまなことばで自分に問いかけている。

p.153 下段で、ある水俣病患者の精神症状の知能障害が高度知能障害であるとして、次の所見を挙げている :

開口反射、指示反射、部分的抵抗症などの原始反射と姿態の変形(第1図―略)も目立つ、 失外套症状群に近似の状態である。

「失外套症状群」とはなんだろうか。後藤明生の小説ばかり読んできたためか、外套、ということばを見ただけでそわそわしてしまう。 調べてみても、 失外套症状群は無動性無言症と同じであるなどの記載は多く、また具体的な病像の記載もあるものの、 なぜそれが失外套なのか、というところがよくわからない。いろいろな WEB のページを見てみて、 一番合点がいったのはこういう説明があったところだった。なお、 「症状群」は「症候群」としてあるページがほとんどである。下記の《》の説明は、 失外套症候群に関しての下記の記載を私なりに解釈した結果である:
認知症のいろは~認知症はなおる~(memory-clinic.jp)

《人は胎児のときは丸まっているが、生まれて外に出るとだんだんまっすぐになり成長していく。 しかし高齢になると体が丸まっていき、あたかも胎児のときに戻るかのようにみえる。 特に、精神的にも(意識がなくなるということか)、 運動的にも(まっすぐにする力が失われるということか)、機能が失われ、 手足が曲がって体全体が丸まってしまった状態になることがある。これを失外套症候群という。》

つまり、寒い外気に当たって外套を失ってしまった人ならば、 体温の損失をできる限り減らそうとし、その結果体を丸くするだろう。そこで、失外套症候群と名付けたのだろうか。 ゴーゴリの「外套」に出てくるアカーキー・アカーキエヴィッチは、こんな丸まり方はしなかったと思うが。

p.188 下段で、チッソの組合の声明が、胸にこたえた。ここでは敢えて引用しない。

p.191 上段で、日照雨、ということばが出てきている。これは「そばえ」と読む。今、 こんな日本語が使える人がいるだろうか。(2019-12-12)

書誌情報

書 名世界文学全集 III-04 石牟礼 道子 苦海浄土
著 者
発行日
発行元筑摩書房
定 価
サイズ
その他草加市立図書館で借りて読む
ISBN

まりんきょ学問所読んだ本の記録 > 世界文学全集 III-04 石牟礼 道子 苦海浄土


MARUYAMA Satosi