概要
風光明媚な景観や世界遺産、中国エリアを牽引する産業と進取の気性で育んだ文化…。広島県の地形・地質、歴史、産業・文化など多彩な特徴と魅力を地図で紹介。 知られているようで知られていない広島県の意外な素顔に迫る。
本書刊行後「広島市のトリセツ」も刊行されたようだ。こちらは未見である。
感想
広島の川
pp.40-41 では、太田川放水路の歴史がある。それで思い出したのが、中山千夏が歌う「広島の川」だった。この歌では広島の川が6本、名前とともに紹介されている。 ただ気になったのは、昔は広島の川は7本ではなかったか、という思いだった。確かに過去は7本だったが、そのうちの山手川と福島川を一緒にして、太田川放水路を作ったことで6本になった。 この事実を本書で知った。
可部線の復活劇
pp.56-57 では、「廃線となった可部線の復活劇!全国初のその経緯とは?」という表題である。本文の説明も詳しい。
私は可部線の可部駅からあき亀山駅まで復活したあと、最初に行ったのは 2026-06-22 のことだった。広島駅まで新幹線で行き、在来線で山陽本線の上り方面の電車を探してホームに降りると、 隣のホームの電車の行先は3本先まで「あき亀山」行きだった。なんだろう、このあき亀山とは?あき竹城ならわかるが、亀山といえば三重県や千葉県のはずだが、とずっと疑問が消えなかった。 広島から戻ってよくよく考えてみると、可部線の終点が「あき亀山」だったのだった。これにはまったく気がつかなかった。
本書では、JR 可部線の可部駅~三段峡駅の廃止は 2003 (平成15)年 11 月 30 日とある。まさにこの年の 2003 年、8月に三段峡まで乗っていき、三段峡を観光したのだった。 日記(2003年8月)参照。
尾道のお寺
pp.72-73 では、「港町・尾道にお寺がたくさんあるのはなぜ」という表題のもと、その理由について述べられている。その昔、私が最初の会社に入ったころを思い出した。
その最初の会社では技術系の大卒・高専の同期の新入社員が 80 人ぐらいいた。数年たって、東京にある大学の修士号をもつ、そのうちの一人が、故郷の尾道に帰って坊さんになると聞いて驚いた。 技師が坊さんになるのか、と混乱した私が別の同期に話すと「あいつは生臭坊主になるんじゃないか」と笑っていた。その未来の坊さんの故郷が本当に尾道だったのかは、もう調べるすべがない。
俺は尾道に一度だけ行ったことがある。1991 年 4 月の日記参照。
吉川氏
pp.74-77 では、広島の中世時代が「国人領主だった毛利元就が中国10カ国を平定」という表題で解説されている。p.76 では毛利元就について次のように記述されている。
(前略)将棋の駒のように使われる国人領主の悲哀を噛み締めた元就は、毛利家中の地盤拡大を図る。 大内氏の口添えもあって三男・
隆景 を竹原小早川家に、和睦縁組みのため次男・元春 を吉川家に養子として送り込む。 これにより、毛利本家を血縁関係のある分家筋が支える「両川 体制」が確立した。(後略)
この部分を「次男もとはるをよしかわけに養子として送り込む」と家で音読していたら、広島市出身のつれあいが「きっかわけ、でしょ」と突っ込んできた。調べてみたら確かにきっかわけだ。 肝心な部分にフリガナを振ってくれないのは悲しい。それとも、広島で「吉川」を「きっかわ」と読むのは、吉川晃司が知られていることもあって当然、と本書の制作者は思っているのだろうか。 それにしても、私は広島を知らないことがよくわかった。
ちあみに「三矢の訓(おし)え」については本書では触れられていない。史実ではないからだろう。
大久野島
pp.96-97 は大久野島についての案内がある。私は昔、この島に友人と一緒に行った。日記(1990年 9 月)参照。
書誌情報
| 書名 | 広島のトリセツ |
| 編集 | 昭文社企画編集室、ガリバープロダクツ(大森富士子) |
| 執筆 | ガリバープロダクツ(中西真理、山中陽子) |
| 発行日 | 2020 年 10 月 1 日 1版1刷 |
| 発行元 | 昭文社 |
| 定価 | 1400 円(本体) |
| サイズ | |
| ISBN | 978-4-398-14808-7 |
| 備考 | 草加市立図書館で借りて読む |