日記(1990年9月)

作成日: 2009-09-22
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便宜上表題を入れた日がある。[]は後で挿入した箇所である。

90.9.1. (土)晴れ

久しぶりの八重洲アンサンブルである.例によって海賊で飲む. (注:「海賊」とは、当時の練習場所の近くにあった居酒屋)

90.9.2. (日)晴れ

Yさんから電話があり,午後1時に会うことにする. 「パガニーニの主題によるフラメンコとタンゴ」なる曲を仕上げたのち, 渋谷でラーメンを食う.そのあとジャズ喫茶「メリージェーン」へ行く. YさんはMさんのお宅へ電話をかけたが,断られたようだ.

注:Yさんは私のジャズの師匠。MさんはYさんの同級生。

90.9.4. (火) 晴れ

この日はK2さんとカザルスホールで室内楽を聞きに行く.

注:K2さんは会社の同僚。

90.9.6. (木) 晴れ

飯は寮で食う.これからは寮で食うことにしよう. 体重は**.4kg.シベリウスの「セレナーデ」をやっとこさの思いで仕上げる.

注:「セレナーデ」はおそらく誤りで、「ロマンス」が正しいと思われる。 仕上げる、というのは楽譜ソフトによる清書のことであろう。9/8 の日記参照。

90.9.7. (金) 晴れ

今日見た夢. フォーレがなんとかという言葉をかんとか言う意味で最初に使いだした人だという記事を見た. 別の夢.D大学のIさんと同じ部屋に住んでいる. Kさんから電話があり,あした午後2時半に三越の前で待つ,とのこと. 翌日になってIさんに集合場所は三越でしたか,と尋ねると, たしかいいはずだと言う. 続けて言うには,俺は参加しない.色々聞いてみたら,ただ歩き回ってお茶をのむだけだからつまらない.

注:D大学のIさん、Kさんともに友人。M はドイツ料理屋。N は日本酒の店。

90.9.8. (土) 晴れ

午前中はシベリウスのロマンスを仕上げようとするが,なかなか終わらない. 結局八重洲は1時間遅れになった.例によって海賊でのむ.

90.9.9. (日) 晴れ

どこにも出かけなかった.夜はOさんの部屋に行き,次の週に出かける広島の旅の計画を練る. 体重**.4kg.また太りだしてきたかな.

90.9.10. (月) 晴れ

今朝見た夢.なぜかイギリスを歩いている.町並みは日本と変わりない. 変な道に入ってしまったりする.やっとのことで抜け出せたと思うと, 坂道ばかりで脇の塀などに捕まらないと昇れない. 傾斜はそんなに急ではないように見えるのに. すると顔なじみの誰かがやってきて,男なんだからしっかりしなさいよ,という. 言われた途端に塀に捕まらずに昇ることができるようになる. 次に,今夜泊まるところを探すにはどうすればよいかな, と考えていると,また知り合いに会って,心配はいらないよ,とのこと.これらの知り合いと一緒にパブにはいる.

90.9.11. (火) 晴れ

体重**.6kg.

あしたはプールに行こう. 部屋でごきぶりを見たので,思わずビールを買ってきて一本飲んだ. Oさんが俺の部屋に来て,どうも大久野島の国民宿舎の夕食は高すぎるのではないかという. 私も賛成する.これでまた一本飲んだ.

90.9.12. (水) 晴れ

体重**.0kg.結局プールには行けなかった.缶ビールを一本買ってきて飲む.そのた,情報処理試験,数学セミナーを買う.風が強い夜であった.

90.9.14. (金) 雨

寮の飯を食う.あしたの旅行の仕度.


広島への旅(1):宮島と広島市内観光

90.9.15. (土) 雨

Oさんと広島に行く.朝4時に目が覚める.京葉線の始発で東京に向かう. 東京駅では6:00ちょうどの博多行きは満員だったので,6:06の広島行きにする. 途中米原付近で豪雨のため1時間20分以上遅れる.

広島についたのち,宮島に向かう.日本三景の一つというが,たいしたことはないようである. 紅葉饅頭はうまかった.あなご飯もうまかったが,1440円はちょっと高かった.広島には5時過ぎに戻る. 宿の予約をしていた法華クラブで一端荷物を置き,そのあと,とりなんとかという魚の店に出かける. 4千円少し.そのあと法華クラブのなかのなんとか言う店でカクテルを頼む.これも3千円以上かかった.


広島への旅(2):大久野島へ行く

90.9.16. (日) 雨

朝9時半に目が覚める.10時にチェックアウトのあと,平和記念公園に向かう.資料館は改装中であり, 記念館の3階で資料を展示していた.やはりだいぶここで時間を取ることになった. そのあと飯を食い,もう一度記念館に戻り,映画を見る. さいごにひろしま美術館に行き,古今の名画を見る.ここは駆け足であった. あとは広電に乗り広島駅に急ぐ. 三原経由でなんとか忠海(ただのうみ)駅につき,それからフェリーで大久野島につく. 食事は豪勢であった.温泉に入ってOさんと将棋二局と囲碁一局をやりすべて負ける.


広島への旅(3):毒ガス資料館を見る

90.9.17. (月) 曇り

この日は毒ガス資料館を見る.部屋は思ったより狭かったが,結構見ごたえがあった. もうすこし説明文をワープロで打つなりして読みやすくしてくれると有り難い. 帰りは三原まで出たあと福山まで鈍行で行き,そのあと新幹線に乗る. 京葉線で千葉港駅で下りたのは, Bでカレーを食いたかったからなのだが,あいにくと休みのため,となりの中華料理屋で飯を食う.

注:Bはインド料理屋

90.9.18. (火) 晴れ

体重**.1kg.プールに久しぶりに行ったこともあり,ほぼもとの体重に戻った.それでももうすこし運動しないといけない. 缶ビールを1本のむ.

90.9.19 (水)晴れ

台風19号が強いとのこと.夜も窓硝子の音でうるさく,眠れなかった.

90.9.21 (金)

あわてて技術討論会の資料を作る. 私のあとで発表するAさんとMさんは,10ページぐらいの紙を用意するが,どう見ても無駄使いである. わたしは表裏1枚を守る. 俺はハフ変換などを応用した画像処理について報告したが, 技術討論会であるのに誰も技術そのものを質問しないことに失望した.5時で帰る.

河合さんのリゲティをバリオホールで聴く.さすがに衰えていない.一方自分はどうだろう. ほかにU1,H,U2,Aのなつかしい面面が来ていた.U2は用があり先に帰る. 河合さんは一緒に飯を食いませんかと俺達を誘ったが,ここでは遠慮して,自分たちだけで食うことにした. 場所は本郷三丁目駅前の「麦」であった.スパゲティのみ.600円.Kは会社の金でアメリカに留学するそうである.

注:技術討論会は、勤務先での行事。Aさん、Mさんはともに課長。 河合さんは、現代音楽を得意とするピアニスト。学生時代は同じサークルにいた。 リゲティは現代音楽の作曲家。河合さんはリゲティの練習曲集から何曲かを披露したはず。 U1, H, U2, A, K らも同じサークル。

90.9.22 (土)

午前中にシベリウスのロマンスをしゃかりきになって仕上げようとするが, プリンターの遅さゆえ, 八重洲に1時間あまり遅刻する. もっとも,俺の前に来ていたのは,I1,I2,S,N,Kのバイオリン族だけであり, 俺の後には誰も来なかった.練習後は久しぶりに酒のない集まり. 新御茶ノ水駅地下のコージーコーナーでケーキセットを食う. あしたは秋分の日なので,家に帰ることにした.

注:家とは実家のこと。

90.9.23 (日)

おやじが2階のベランダの屋根を変えるので,午前中その手伝いをさせられる. 午後は町田へ出かけてbitを買おうと思ったが, 久美堂にも,有隣堂にもない.なんというところだ.帰ってきて居間で昼寝をする.

90.9.24 (月)

10時ごろ家を出る. いつもは妹に相模大野までおくってもらうのだが, 今日は車を使わせたくなかったので(いつもそうなのだが)黙って家を出た. それにしても今日のチェロは格別重かった. 千葉には1時過ぎについたが,疲れたのと頭が痛いのとで4時半まで寝ていた. それにしても昼寝は気持ちがいい.

風呂に入って体重を計ると**.4kgだった.少し太ったが, そのあと糞が出たので**kgと少しぐらいだろう. 今夜はお茶ばかり飲んでアルコールを久しぶりに控えた.3週間ぶり位であろう.

90.9.27 (木)

今朝見た夢.

1. 銀行にいる.客が大勢いる.受付には総務のNさんがいる.俺がコンピュータを2つ買おうとしているが, 1つは期限が迫っている.どうすればよいかを聞く.受付は,その買おうとしているメーカーに電話であらかじめ相談すれば大丈夫です, と答える.そして付け加えることには,そのメーカーに払う金は私の懐から出しています,とも.

俺は受話器の前に向かおうとするが,5,6台ある電話にはすべて10人程の列ができてしまっている.比較的すいている電話機の前に並び, 「株式会社三山」の名前が入った手帳に書いてあるメーカーを探し,電話をかけようとする. ところが電話機をみると,ダイヤルが0と1と2しかない.これではかけられない. 相変らずほかの電話には人が並んでいる.外の電話機ならばすいているだろうと思い,外に出る.

自転車で都心から郊外に向かって走っている.電話機を探すことはとっくにやめている.道はすいている.途中で同じように自転車にのっている (学生時代のサークルの)K君とすれちがう.確かめてみようと思い,幾らか行き過ぎた後で逆方向に向かい,K君の後をつける. K君はだんだんスピードを落としてやっと止まる.私が追い付くと,やはり丸山さんでしたか, と言い残して猛スピードで私の視界から消えていく.俺はあわてて自転車を走らせる.下り坂が続き, ブレーキを絶えずかけていないと怖いくらいだが,幸い交通量は少ない.

だんだん日が暮れてくる.完全に暗くなったとき,三叉路にぶつかった. 左に行くと目黒,右に行くと渋谷(新宿?)である.方向がおかしいと思いつつ, 左を選ぶと,新しい営団地下鉄の建設を行なっていることからどこもかしこも工事中である. そのせいで自転車が通ることができない.

仕方がないので渋谷に行く道を選ぼうとして, 抜け道を探そうとすると,行くてに取り壊し中のモルタルのグレーの冴えないアパートが一部分残ったまま立っていて気味が悪い. ただし残ったままの箇所も,取り壊し用の鉄の玉に殴られた後があちこちにある. 恐ろしくなって速く通り抜けようとするが,道が溶けてしまい,自転車が前に進まない. 通勤帰りとおぼしき人がやはり自転車にのって渋谷方面の道に向かっていく.俺もその後をついていく.

2. 海水浴に出かける.乗っているのは高尾山口行きの京王電車である.ほかの客も皆海水浴姿である.終点高尾山口につく. 俺はふるちんであることに気がつき,手のひらで局部を隠しながら,大勢の客が向かう方向とは反対の方向に進む. そこには改札もなく,駅を抜けると小高い土手のようになっていて,草むらに色々な人が隠したタオルや海水パンツがある. 俺はその土手を行けるところまで行くことにする.山があって行き止まりになるところまで来て腰を下ろした. 山に遮られた視界を右に移すと,かなたで海が見え,海水浴をしている人も見える.

俺のそばに「口移しによる伝染病防止キャンペーン」をしている人が現われ, 今海の方でこのキャンペーンによるゲームを行なっているので,どうか見てください,と俺に向かって頼み込み,同時にビラを渡す. 俺はビラを受け取り,海を見る.すると黒人と日本人がなんだか海のなかで競争をしているのがわかる. この競争は日本人が勝ったようだ.黒人は不服そうである.俺は草むらから風船になりそうな小さなゴムを見つけ, さっきキャンペーンのビラを配ったあんちゃんに渡す.そしてさっきのビラを読んでみる.

内容は,口移しでも伝染病がうつる,ということであり,他人の膨らませた風船を自分でも膨らませたために病気に罹った母親, という例が出ていた.その例は父親は交通事故で早く死に,残された子供が大変である,という所まで載っていた. このどぎつさにはあきれてしまう.さきのあんちゃんが戻ってきて,これならば膨らませても大丈夫ですよ,という. みると,風船の口先にコンドームのようなサックが被せてある.安心してこの風船を膨らませると, 先がウルトラマン(ウルトラセブン)の頭部になった.口先を結ぼうとすると,その口先も膨らみ,怪獣のようになった.

3. 俺はいなかの高校一年生である.初めての授業を待っている.8時40分ごろトイレに行こうと思い, 勉強道具をもって教室から出ると,担任教師のような若い先生にあったので,あわてて教室へ引き返す. 先生が挨拶を済ませると,さっそく茶茶をいれた生徒がいて,みんな笑う.俺も第二弾で冗談をいうがこれは失敗する. そして生徒の自己紹介になる.なかには社会で稼いでいる豪のものもいて,社会人を冷静に分析している. ところがそいつはずっと落第しているようなのである.

クラス集合写真を見る.皆私服である. 良く見ると,おなじクラスであるのに,一年生と書いた札,二年生と書いた札,三年生と書いた札があって, それぞれの隣に生徒が立っている.三年生と書いた札の生徒のなかには,ネクタイをしているのもある. さっそくこのような話をKさんにする.飲み屋はKである.

90.9.30 (日)雨

この日は台風20号が来たこともあり,外出しなかった.酒は麦酒を1リットル飲んだ.久しぶりに風呂にはいる.

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MARUYAMA Satosi