小説家、後藤明生が哲学者、斎藤忍随と語る。
後藤明生はたびたび、プラトンの「饗宴」を語っている。そこで語っている問題とは何か。後藤の言を冒頭から引用する。
つまり、そこでソクラテスが語る悲劇と喜劇の問題ですが、わたしがあっとおどろいたのは、 そこに出て来る「術」という言葉です。
そのあと後藤は散文の定義について斎藤に確認したあと、次のように表明する。
ところが、『饗宴』のラストシーンで、いわゆる劇というものは単なる素材に支配されるんではない、 「術」によって同じ素材を書き分けることで、悲劇にもなり、喜劇にもなる、 というソクラテスの言葉をきいて、ショックを受けたわけです。
これに斎藤がどう答えているかは同書を参照されたい。私などは、後藤の鋭いツッコミに、 斎藤が内心うろたえながらも表向きは大人の対応でしかも真摯に答えている、というように感じたが、 本当のところはどうなのだろうか。
後藤の「饗宴」びいきは相当なものだ。「饗宴」という作品もあり、またその後日談のような 「『饗宴』問答」もある。 また同書で後藤は、 ギリシャ悲劇として有名なソフォクレスの「オイディプス王」を題材にしても、 書き方によっては喜劇として書けるかもしれない、と発言している。なんとまあ大胆な発言だろう。
あとがきにあたる「講義を受けて」というページで、後藤は最後にこう述べる:
同時わたしは、斎藤先生が酒豪であられたことに対して感謝したいと思う。実際、 斎藤先生はわたしとの対話中、ほとんどソクラテスのようにビールを飲み続けられた。 お蔭でわたしも酒神ディオニュソスの力を借りて、勝手な質問を発する勇気を得たからである。
今でも、本に掲載されるような対談で、ビールを飲みながらの対談というものはあるのだろうか。
書 名 | 「対話」はいつ,どこででも |
著 者 | 斎藤 忍随+後藤 明生 |
発行日 | 1984 年 12 月 25 日 第一刷発行 |
発行元 | 朝日出版社 |
定 価 | 960 円(本体) |
ISBN | |
その他 | 草加市立図書館から借りて読む |
まりんきょ学問所 > 読んだ本の記録> 斎藤 忍随+後藤 明生:「対話」はいつ,どこででも