マニュアルの功罪 |
作成日:2003-12-17 最終更新日: |
毎日新聞の2003年12月15日朝刊の記事に、こんなのがあった。
三菱重工業は、マニュアルを半減すると共に責任者らに現場に出るよう求める制度改革を発表した。
三菱重工業では昨年、長崎の客船火災を始めとする不祥事が続発した。 そのため、現場管理の改善策を検討していた。 この記事では、大量のマニュアルがあるばかりに、管理職が報告書を作成するための事務作業が増え、 結果的に現場への監督がおろそかになった、という結論を出している。
改革としては、重複しているマニュアルを削減して簡素化したという。 また、責任者は時間を決めて現場に張り付くよう、定めている。
不祥事が続発していたのはマニュアルのため、という結論になっている。 本当にそうなのだろうか。
記事を読む限り、ここでいうマニュアルとは、報告書作成など、 事務作業を義務付けたマニュアルと見られる。ということは、 何か作業をすれば、必ず報告書が出てくる。ここで注意したいのは、 報告書はマニュアルではなく、従ってマニュアルを作るということではないことである。 推定だが、作成された報告書は再度目を通されることは皆無に近いのではないか。 もしそのような報告書が本当に必要で、後の役に立つものであれば、 不祥事はめったに起こらないはずだ。
そして、マニュアルの簡素化とは、 似た作業を行なわせているマニュアルを一本化したということだろう。 重要な作業を規定したマニュアルまで削減したということではない。 ということは、マニュアルのメンテナンスを今までは行なってこなかった、といえる。 かくも、マニュアルは増え続けるものである。 これからは、マニュアルを減らすことも改善のうちである、ということを認識しなければならない。 (実は前に環境の変化という題でこのようなことを書いている)。
私には、マニュアルそのものが悪である、という印象は持てない。問題があるとすれば、 マニュアル以前に確保する時間がないことに求められるだろう。
もう一つ、マニュアル削減と対で発表された改革は、責任者はX時間現場に出ること、 作業長に人事考課権利を持たせることである。 責任者が現場に出れば、それだけ製造現場の急な変化に対応できるだけの力が付けられる、 という読みを、三菱重工業ではしている。
私が過去にいた職場で、現場に密着した開発や保全をしていた技師は、けっこう現場に出ていた。 なかには、前日の二日酔いでアルコールが抜け切らない体を暑い現場に出すことで、 体から汗を出させようという不届きな考えで現場に向う技師もいたという。 もっとも、このような行ないは複数の会社や工場で、行なわれていたようだ。
アルコールを抜く目的はおかしいが、 現場に出て五感を使うことは、文字ばかりのマニュアルの世界より十分魅力的である。 その意味でも、三菱重工業の改革は歓迎すべきだと思う。
問題は、現場の技師が本当に製造現場の急な変化に対応できるだけの実力を備えているか、 養えるかどうか、という点にある。そして、そのような実力が、 後継者にうまく伝えることができるか、という不安もある。 しかし、昔のものづくりは、口伝でけっこういいことをやってきた。 熱のこもった現場と冷静なマニュアルとを組み合わせて、いい結果が出てくれることを祈る。
私の仕事もスタッフ部門である。いわゆる現場ではない。そこで、 現場に出るというわけにはいかない。しかし、現場の雰囲気を肌で知る必要があるのではと思った。 そこで、実際に開発や運用を行なっている場所に毎日行くことにした。 なるべく用を作るようにしていくが、用がなくても行くように決めた。 今日やってみると、たまたま会った方に、仕事の引き継ぎを依頼された。 私が足を運んでいなかったら、将来困ったかもしれないことである。 やはり、行ってみるものだなあ。
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