アメリカのある田舎町で、少年ステットはすさんだ日々を送っていた。母親の死をきっかけに全寮制の音楽学校に入る。 歌の才能は抜群だったステットだったが、素行は悪かった。そこに、名教師カーヴェルが指導をすることになる。
公式ホームページがある。
ボーイソプラノといえば、 私にとってはまずはフォーレのレクイエムに出てくる 「ピエ・イェズ」のソプラノ独唱である。 ミシェル・コルボの演奏を聴いてから、ここは女声の大人のソプラノよりボーイソプラノがよいと思い込むようになってしまった。 ありがたいことに、この映画ではきちんとこの曲が、主人公が歌う場面として入っている。 そのあたりは、「映画のなかのフォーレ」で記した。
こんな場面がある。ステットが音楽学校の見習いのときのことだ。メンデルスゾーンの『エリア』が授業で取り上げられた。 最初のフレーズを先生が弾く。間をおいて第二のフレーズを先生が弾く。さてどこが違うか、と先生が生徒たちに問いかけた。 ある生徒は「最初は長調だが、次は短調だ」と答える。先生は「正解だ」といい、「他に気付いたところは?」と生徒たちに再度問いかけた。 誰もが沈黙するなかで、ステットが「第2の方では6の音が抜けていました」と発言した。 先生は生徒たちの多数決をとる。6の音が抜けていたと主張するのはステットのみであった。正解はステットの通りだった。
ここまで書いてきて、この場面は話ができすぎているような気がする。気がする、としか書けないのは、 私がエリアを聴いたことがないからだ。三枝成彰によれば、メンデルスゾーンからこの1曲をとるとすれば『エリア』なのいう。 三枝の言が本当かどうかはわからないが、 一生に一度は聞いておくべき曲なのだろう。
この曲は初めて聴いた。ソロから始まり次第にさざなみのように音が広がるようすを聴いて、 私は震えた。昔の楽しみのほうがかえってぜいたくではなかったか、そんなことさえ思ったのだった。
思えば、私がタリスの名前を知ったのは 20 年前だった。 所属する混声合唱団で団内でのコンサートをすることになった。 そこで男性が披露する曲として選んだのがタリスの「エレミアの哀歌」だった。 流れる音のなかに投げ込まれたわずかな不協和音が、いまだに残っている。
この曲も初めて聴いた。ミラシドのユニゾンから始まり、その後のカノンで広がる世界は合唱のだいご味だ。 Youtube で何種類かの合唱を聞いたが、最初がフォルテであるにも関わらず、変ホ短調の最初のミ(楽譜上は B) がはっきり聞こえないものが多い。 残念である。
映画としての出来不出来は、私にはわからない。そんなものは、音楽の前ではどうでもいいことだ(言い過ぎだなあ)。
2016 年 5 月 28日、14:00 より南越谷サンシティ小ホールで鑑賞した。
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