ハルプライヒ論文-ピアノ四重奏曲第2番ト短調 Op.45

作成日 : 2011-05-03
最終更新日 :

前の曲から6年後に作られたこの四重奏曲の成立に関しては, ほとんど知られていない。曲は1866年に完成しているが, あきらかにその前年から構想されていたにちがいない。 曲はハンス・フォン・ビューローに献呈されている。(印刷された楽譜には,この献辞は見あたらないのだが)。 1887年1月22日,国民音楽協会で初演された。1879年以後も, フォーレの芸術は,その力と独創性を増しつづけていた。 作品15の曲とくらべてみると,この曲の進歩はきわめて大きい。 成熟期に達したばかりの時期の作品である作品45の曲は, フォーレの芸術の展開のなかで, <ラズモフスキー四重奏曲>がベートーヴェンにおいて占めていた位置を占めている。 解説者たちは,この曲をフォーレの「最初の創作方法」の終りとして位置づけるべきか, 「第二の創作方法」の初めとして位置づけるべきかを決定するために論争を行って来た。 フォーレのように,統一的で持続的な展開を行っている芸術家にとって, このような区分はあまりにも図式的で恣意的なものであることは強調されるべきだが, あえていえば,第二の考えを採りたい。<四重奏曲第1番>以降, フォーレの作品月録には30あまりの曲がつけ加えられた。 <第2歌曲集>の大部分,〈バラッド〉、 そしてマリ・フレミエとの結婚の年である。1883年以降は, ピアノ曲の豊かな開花が始まる。 1884年はフォーレが唯一の交響曲を試みた年であるが, 作品は初演のあとで撤回された(たぶん破棄された。) フォーレはそのいくつかの要素を<ペーネロペイア>と, 作品108と109のソナタでふたたび用いたと考えられる。 この四重奏曲に, 直接つづく作品はフォーレの父親の死(1886年7月の末)によるショックによって構想された <レクイエム>である。

1886年という年は,フランス音楽にとってもっとも幸せな年のひとつである。 なぜなら, この年にフランクのソナタ, サンーサーンスのオルガンを伴った交響曲, ダンディの<セヴェンヌ交響曲>, そしてエドゥアール・ラロのト短調の交響曲が作られているからである。 <五重奏曲第2番>と並んで, 作品45の四重奏曲はフォーレの室内楽のなかで, その規模の点でもっとも大きな, どうどうたる作品である。 ことに最初のアレグロと緩徐楽章は, 作品15のそれに相当する楽章をはるかに追い抜いている。 この曲は, またこの作曲者のもっともロマンティックな作品であり, 香水の匂を漂わした, ささやきかける気取屋などという通説をふきとばしてしまう強い力をもっている。

〔第1楽章〕 アレグロ・モルト・モデラート(4分の4拍子,ト短調)

熱烈で誇らかな.どうどうたる旋律が, ピアノの32分音符のさかまく波(これは怒り狂ったような急激な運動をみせながらしばしば現れる)のうえに, 低音弦のユニゾンで奏される。このどうどうたる規模の主題は, 叙事的な生気をもち, ほかの楽想がそのまえですべて光を失うほどに, この楽章全体を支配している(譜例17)。ピアノによって再現されたこの主題は, すでにオデュッセウス的な素晴らしい大きさをもつ弦との対位法的な対話を交しながら拡大される。表情に富んだ, より豊かな第2楽想(譜例18)が変ロ長調で姿を現す。成熟期のフォーレにきわめて特徴的なあの讃嘆すべき確かさをもった低音部が, すでにこの音楽のいたるところで認められる。そしてこれはニデルメイエール学校における教育の結実なのである。マルグリート・ロンが述べているように, 彼は演奏に際して低音部を最も重視していた。「われらに低音を」という有名な言葉はこうして生れたのである。第1主題が束の間の嵐のように再現されたあとで, 変ホ長調の静けさが呈示部の終りを告げる。展開部はハ短調(導音が下げられている)で控えめに始まる。そしておだやかな性質をもった新しい要素を彫琢して行くが, それはやがて主要主題と交替し, あるいは縮小された形(4分音符のかわりに8分音符)でそれと結びつけられる。この展開部の大きさと完全に交響的な発想は, その対位法の素晴らしい技量とともに比類ないものである。こうして緊張がつみ重ねられて行ったあげくに, 再現部が, まるで荒れ狂う海のように, フォルティッシモで激発する。末尾の展開部で最初の楽想が最後に力強く再現され, やがてピアニッシモで消えていく。

譜例 17


譜例 18 は省略。

形式的シェマ=呈示部,1-60, 展開部,61-132.再現部,133-176.コーダ(末尾の展開部),177-220.コーダがここで真の第1展開部としての重要性を獲得していることが確認されるだろう。

〔第2楽章〕スケルツォ=アレグロ・モルト(8分の6拍子,ハ短調)

このスケルツォは作品15のそれよりずっと短く,伝統的に一種の気晴らしと考えられているスケルツォにわずかな場しか与えられていないために,この四重奏曲の重々しい雰囲気はさらに強調されている。 というよりはこの陰うつなバディヌリを気晴しということがはたして出来るだろうか。 それはブラームスのもっとも北方的なスケルツォのように暗く,そのホフマン的な幻想は, シューマンの<ピアノ四重奏曲>作品47のスケルツォを思わせはしないだろうか。 この楽章のもつ緊張感は,8分の6拍子とも4分の3拍子ともつかぬ(意図的に作られた)拍子の性質から生れている。 弦がピアノで奏された唯一の主題(譜例19)を二倍の音価で再現する。 トリオは中音域に集約された,非常に大胆な(エンハーモニックの戯れ)暗い半透明の和音を作り出す弦のために, 神秘的なエピソードといった様相を呈している。 その主題は第1楽章の主題(譜例17)の変形にすぎず,フォーレにおける循環形式のまれな例となっている。 スケルツォの繰返しにおいては,楽器の役割が逆転する。 ヴィオラが8分音符で主題を提示し (イ短調),ピアノが4分音符でそれにつづく(変ハ長調)。

譜例 19


 形式的シェマ=スケルツオ.1-133.トリオ,134-197,スケルツォ,198-296.

〔第3楽章〕 アダージョ・ノン・トロッポ(8分の9拍子,のちに8分の12拍子。変ホ長調)。

この作品の頂点をなす楽章。 えもいわれぬ詩情が喚起される, あらゆる音楽のなかでももっとも美しい「風景」のひとつであるこの曲は,フォーレ自身が理解の鍵を与えているまれなもののひとつである。 1906年9月11日ストレーザで書かれた妻あての手紙 (だから20年後の手紙ということになるが)のなかで彼は次のように述べている, 「モンゴージにいたとき-だからずいぶん昔のことだということがわかるだろう一西風が吹く夕べにカディラックという村から聞こえていたあの鐘の音のはるかな想い出を,私は《四重奏曲第2番》のなかで,ほとんど無意識に表現したように覚えている。 あの響きから,ほのかな夢想が-ほのかな夢想がすべてそうであるように,文字通り言葉ではいい現わせない夢想が生れるのだ。 外的な出来事が,定かならぬ一種の想念―それは本当は想念とはいえぬほどのものだろうが,喜びを見出しうるようななにかであることは確かだ―のなかで私たちを麻痺させるということは,そうしばしばあることではないだろう。 存在しないものへの憧れ,たぶんそうだろう。 そしてそれはまさに音楽の領域なのだ。」彼が幼年期を過したアリエージュの土地への音楽による感勅的な讃辞はほとんど筆舌に尽しがたい。 この曲から立ち昇る魅惑的なノスタルジーは,それほどに繊細なものなのである。 ピアノによる静かな鐘の音(弔鐘とまではいわない)が, リズム(シンコペーションが8分の9拍子のなかで4分の4拍子の幻想を作り出す)と調性的・旋法的な面(変ホ長調かト短調か)の二面にわたる二重の両義的性質によって,わずかの間に詩的な雰囲気を作り上げる。 やがてヴィオラの声部が,古い伝説的なバラッドのような趣きで始まる(譜例20)。 シャルル・ケクランは,「この美しいヴィオラの歌,かりにヴィオラが存在していなかったとすれば,そのためにこの高貴な楽器を作り出さなければならなかっただろう。 この歌の響きと楽器の間には,それほどに完全な一致がたしかに存在しているのだ」と感動的な言葉で語っている。 この二つの楽想の静かな交替は,丘の中腹にある墓地の一隅の暮れなずむころのやや寂莫とした孤独にも似た雰囲気に私たちを誘う。 第2主題(譜例21)も同じような雰囲気をもち,対照の効果はまったく意図されていない。 そしてフォーレ特有のドミナントの連続によって転調を行う展開部自体も, 鐘の音を弦に,旋律をピアノに与えることによって,楽器の役割を取りかえるだけに終っている (弓で奏されるヴァイオリンとピッツィカートのヴィオラ,チェロのユニゾンは,まったく天才的な発見である)。 変形され圧縮された繰返しのあとで,弱音器をつけた弦が,転調的な,素晴らしい非現実的な晴朗さをもったコーダをやわらかに奏する。

譜例 20、譜例 21 ともに省略

 形式的シェマ=呈示部,1-39.展開部,40-73.再現部,74-100.コーダ,101-115.

〔第4楽章〕フィナーレ=アレグロ・モルト(4分の3拍子,ト短調)

このフィナーレはしばしば批判の対象となり,評価を保留されることが多い。 素晴らしいアダージョの次に置かれていることが災いしているのだろう。 三拍子の速い動きから生ずるリズムをもつ強烈で急激な動きによって,前の四重奏曲のフィナーレにかなり似通っているが, あの若さの自発性は,ここにはおそらくまったくみられない。 主題の数は多くなっているが,特徴は少なくなっている。 しかしながら,たしかに期持どおりにこの作品の最後を飾ってはいないにしても,なおそれは素晴らしい曲である。 動揺し荒れ狂う第1主題(譜例22a)は,すぐにピアノで呈示される旋律的でもっと穏やかな対主題に席を譲る(譜例22b)。 ハ長調の,かなりブラームス的な強く重々しい重音からなる主題(譜例23)が,第2主題群への経過部的な役割を演じる。 そしてこの主題群は, ふたたび二つの相補い合う主題を提示する-カントゥス・フィルムス風の狭い音域の,きびしく暗い問いかけ(譜例24a)と, シューマン的な7度が特徴的な,純粋さと光明に向う輝かしい飛翔ともいうべき,応答。 この二つの楽想が交替し,重なり合い,そして呈示部は変ホ長調のデクレッシェンドで 終わる。 短い展開部は,第1主題の二つの要素による複雑で緊密な対位法からなる。 激しいクレッシェンドが,規則通りの再現部を導くが,その終りで〔譜例24b〕がト長調に向う明るい突破口を切り開く。 ト長調は,第1主題にもとづいた,強烈でしかも輝かしい,コーダ=ストレッタの調性である。 ブラームス的な主題(譜例23)が誇らかなフォルティッシモでそれにつけ加わり,曲を終える(ピゥ・モッソ)。

譜例 22a


譜例 22b と譜例 23、譜例 24a,b は省略

形式的シェマ=呈示部,1-188.展開部,189-282.再現部, 283-521.コーダ。522-562.

 この四重奏曲は,少なくとも第1番と同じくらいは知られてもいいはずだが, それよりもずっと演奏されることが少ない。 しかしながら, フォーレの室内楽の次の傑作<五重奏曲第1番>が悲劇的なまでに忘れられているのにくらべれば, この曲はきわめて恵まれた運命を与えられているというべきだろう。

まりんきょ学問所フォーレの部屋 > ハルプライヒ論文-


MARUYAMA Satosi