さらば Moto Guzzi


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アクセルをひねれば進み、寝かせば曲がる、二輪の乗り物。
それだけの物。
実用性も安全性も、特に見るべきもない。
こんな物が、生き残っているのは何故だろうか。

 


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 我々は、二輪の事業を存続させるかの岐路にいました。
 その判断を行うための調査として、それまでに我々が成しえたことの再確認を
 試みたのです。その過程で、
  『もうそうは乗らないけれど、納屋にしまってあって、たまに出して乗るんだ』
 そんなユーザーに、たくさん会いました。
 我々は、自分たちの製品の持つ価値を再認識しました。
 そして、継続を決定したのです。

ずいぶん昔、BMWの経営が傾いたとき、バイクをやめてクルマに専念するか迷ったことがあった。その時の様子を語る、当時の二輪事業の幹部の言である。(かなり前の記事でうろ憶えなので、ちょいと美化されているかもしれない。)

これを読んだ時、私は感心すると同時に、二つの点で驚いた。

まず、「納屋バイク」。
当時のヨーロッパ各国の車検実情まではフォローできていないのだが、少なくとも、車検制度が比較的厳密に運用されている極東の島国では、これは不可能だ。(納屋原付なら、たくさんあるかも。)

もう一つ。
BMWがバイクを事業として評価・判断した基準が、絶対性能(技術)や収益性(おカネ)ではなくて、継続性、普遍性だった。その姿勢である。

 Riders Club誌 表紙より


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その後、私が実際にMOTO GUZZI に触れるようになって、いろいろ驚くことがあったのだが、その中でも特に、実情と情報の違いに驚いた。

私が感じていた「実像」は、ヨーロッパ辺りの雑誌の記事を見ると、そのまま書いてある。

・ 多少の慣れが要るものの、慣れてしまえばあらゆる場面でリーズナブルで扱い易い。
・ 安全に楽しく乗れて、値段の割に長寿命だ。

ちなみに、イタリアの雑誌ではないので、「身内びいき」ではない。
つまり、私が感じていたことは間違っていないし、MOTO GUZZI は少なくとも、あちら側では「まっとうに」評価されているのである。

「バイクに乗る」
これだけのリスク、金額、手間・時間を食う趣味である。一過性で済ませてしまうには非効率だし、それどころか、死んでしまうようなリスクまで負う。継続性、安定性は絶対に必要だし、そのための適切な判断材料が提供されていなければ成り立たない。

にもかかわらず、そのために我々が知識・情報として与えられ、持っているものは、随分と偏っているのではないか。

また、そのための方法論として、ヨーロッパが備えているものは、依然として我々の先を行っているのではないか。

私が、それまで読んだり経験したりしたものから得た、正直な「感想」だ。
それは「仮説」となって、今でも持ち続いている。

 


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商品というのは、「これがユーザーのためになる」そういう価値を形にできていなければ、意味がない。

ところがこの乗り物は、誰もが楽しめる訳ではない。まっとうに動かし、乗りこなすには、腕(練習の成果)が要るし、そもそも止まってしまえば、足を出して支えてやる必要すらある。

単機能なので、自動化などで安楽化もしにくいし、乗り手は雨風に当たるのも了解済みで、ホスピタリティで差別化するのも難しい。その「価値」はユーザー側の感覚(感触)的な意味合いが強くて、メーカーの一方的な押しつけや、突飛な創造では成り立ち難い。

バイクが止まって、人間が足を着いて支える。メーカーは、この「足」を意識せずにはおれないのだ。この「二人三脚」が成り立って初めて、バイクは商品として成立する。

しかも耐久消費財である。ユーザーに渡った商品が、使われ、摩耗し、時を経て、どうなって行くか、しっかり見据える必要があるし、そのためには、過去から続く継続の上に立って、先を見越す姿勢が要る。それを保つメーカーと、評価する市場の両方が、あるに違いない。そうでないと、こんなものが生き残っているはずがない。

たくさん触れてみた欧州車は、適当な雑誌の記事のように「変わってて面白いよね」で済むような、単純な代物では全くなかった。

知覚体系、考え方から、全然違った。

 


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何が、その違いをもたらしたのか。
真っ当な情報がないので、仕方なく自分で調べる。

近頃は恵まれていて、資料は記録や写真(本)だけではなく、映像も手に入るようになっているが。それでもやはり、当時の風景を肌に感じるのは難しい。

大戦前後のヨーロッパ。
当たり前だが、ヨーロッパのメーカーがひしめいている。
車体構成はバラエティに富んでいて、それぞれが何らかの思惑を感じさせている。
レースなんかでは、今見るとそら恐ろしい環境だが、みんな頑張って無茶をやってた。
誰が何に乗って何位、そんなのを繰り返す。その流れには繋がりがあった。
技術的な云々も面白いのだが、何と言うか、人々が醸し出すものが、決定的に違う。
みんな、笑顔が実に楽しそうだ。
勝っても負けても。
辛いことを頑張ってブチかます、それを単純に、楽しんでいるように見える。
全力でやる。
何を?。

例えばだ。
誰が打ってもホールインワンのゴルフクラブ。
絶対にアウトにならないテニスラケット。
技術が進歩して、コンピュータ制御かなんかで、もしそんなのが可能になったとしても、意味なんてないだろう。

人間の要求と能力を生かす、「道具」としての素養。その深化と熟成は、いわゆる「性能」とは別の次元にあったように見える。多分、彼らが求めていたのは、そちらの方だったのだろう。

その姿勢は一貫していたし、モデルヒストリーも、その意味で明確に繋がっていた。だからこそ、いい道具が、それを使える人間に扱われた時の相乗効果は文句無く凄かったし、その光景は、まぎれも無い「スポーツ」だった。選手、チーム、観客が一体となった歓声は、今とは違うダイレクト感があるように思う。

もしバイクがスポーツなら、目的は「走ること」だ。走るための道具として優れた一台があれば、そうは替える必要は無い。逆に、永く乗ってもらえるということは、道具として評価されている証しでもあったのだ。

だからこそ、BMWは「納屋バイク」に自社の価値を再発見したのだし、自社ブランドが事業として継続可能と判断したのだろう。

そういった文化や歴史の象徴が「納屋バイク」だった。
毎年、型遅れがゴミ値になる「ブーム」の当時、たぶん私はそれに、おののいたのだと思う。

 

しかしその後、ヨーロッパでも、商品の価値観は変化して行く。
「納屋バイク」が成り立ちうるのは、時代的にも、この辺りが最後だったように思う。
例えば、今の最新型のBMWが、数十年後に、納屋バイクとして残る姿を想像できるだろうか。

今、振り返ると、豊かだったその情景は、ずいぶん遠くにゆらぐようで、もう目を凝らさないと、よく見えない。


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翻って、日本車はどうだったろうか。
我が国のバイクの歴史を垣間見てみよう。

例として、浅間火山を挙げよう。
当時、誰が出て、何が勝って、というような「記録」や、凄かったエラかった、のような「自画自賛」なら、探せば散見されるものの。

・ どうして浅間だったのか
・ それに出た人は、物は、どんなだったのか
・ その後どうなって、今、どう見えるのか

つまり、

・ それがどんな意味を持っていたのか

の「解釈」は、ほとんど見当たらない。

記録(データ)は、それだけでは意味をなさない。それが何を示しているのか、読み解いてやらねばならない。その努力は継続的に必要だ。多元的に繰り返し、塗り替え、塗り重ねを続けることで、歴史として、厚みを帯びて来る。

しかし、情報が無いんだから仕方ない。私が自力で俯瞰してみよう。

場所が浅間だった理由は、多分、当局のお目こぼしをもらえる場所として、一番手っ取り早かったからだ。公道をバイクでカッ飛ぶなんて行為は、もう初めっから当局に疎まれ、睨まれていたのだ。(今もだけど。)

スタートラインに並んだ機体は、金持ちの見せびらかしに、テスト機が混じっていた。
それらに跨がる仕事着の中には、勇猛果敢や無鉄砲が混じっていた。

それが何をもたらしたか。
詳細は面倒なので、いきなり箇条書きにまとめてしまうと、

その後の日本のレース界の流れを見ても、どうも、日本ならではの「何か」がここから始まった、という訳では、やはりないように思う。つまり、浅間には、大した意味はなかった。(異論のある方、是非ご投稿下さい。)

たぶん日本車は、「意味」を自前で編み出すつもりもなかったし、その必要もなかったのだと思う。

 遠くに見えるマン島がGPが凄いらしい。それを制覇しに行こう。
 その次は、世界GPだってよ。

既存の価値観に乗っかり乗っ取り延長し、先鋭化させること。
日本車のこの姿勢だけは、この後も一貫して続いている。

目標が定まり、束になった時の日本人は強かった。
世界を相手に「延長戦」を強いた日本勢ではあったが、他人が作ったレースの枠組みを、テストベンチ代わりに使いまくり結果を出す一方、技術力と販売シェアで、市場の方も席巻するに至る。

レースでの高性能をもたらした技術は、それまでのヨーロッパ勢の、単純な延長線上には無かった。日本車が勢いを得た前後で、技術トレンドは明確に屈曲を持つ。(2st の台頭とか。)その技術の特徴は、何と言うか、人に優しくない感じ、とでも言えると思う。性能は高いが、どうにも使い難いその道具を、何とかこなしたヤツだけがエライ、とかそんな感じだ。そのためか、世界のレース界の雰囲気は、日本車が進出してからは、次第に刹那的な様相を深めて行ったようにも見える。

例えば、今の世界GPあたりを見ていても、小排気量のクラスなら、まだ少しは「らしい」所が残っているようにも見えるが(日本車が居ないからかな)、最高峰クラスは、何と言うか・・、どうにも、切ない。(笑)


無理を承知のライダー「どんなに苦しくても歯を見せて笑うぜ」 (男気だねえ・・)
二位以下では笑わないクルー「何でできないんだろう・・」 (二位だって凄いのにね)


今、モトジロ辺りを見てみると、それがもうレースではなくラリーであることを鑑みても、そこを走るバイク達の動きは、何かまるで違うもののように見えてしまう。「屈曲」以前の「素」が見えるからだろう。

さて、市販車の方だが。
メーカーは、「RCとCBは、相は似つつも素は別にて候」といったような、つまらない「文化」は野太く継承しつつ、今もレース活動を様々に利用し続けている。

市販バイクの場合、外車なら、大概はメーカーとして、ツーリング、スポーツ、といったように使用目的を明確に打ち出す場合が多い。それが、道具の作り手としての信頼感を演出していたのは前述の通りだが、日本車の場合は、メーカーとしてのカテゴライズには消極的で、要するに「何でもあり」が特徴だ。レースの結果は、レプリカモデルのように直接的な使われ方もする一方、総合技術力のアピールといったように、間接的にも使われている。そのやり方は、日本車が「目的」(どう乗るための道具か)ではなく、制覇や量といったパワーそのものを「目標」に進歩して来た方法論と、非常に良く合致していた。

別に使い道などユーザーが決めればいいし、馬力にしろモデル数にしろ、使える量を安く提供してもらえれば、ユーザーとしては文句は無い。ある意味、それは市場の意向を最も素直に体現したやり方だったし、だからこそ、ここまで伸して来られた。

既存の「納屋バイク」コンセプトの方は、日本にも一応あって(赤トンボからCB、WやZまでいろいろ)、実際に愛好家も居るのだが、メーカーが提供するのは「ご愛顧ありがとう」のリップサービス程度で、パーツの供給などの実務になると、お話は完全に別のようだ。法的に必要な程度はサポートするが、永く使ってなんか欲しくない、というのが本音だろう。

日本車のブランドイメージは、「今、ひたすら強く」。
それでいい。
いや、よかった。
これまでは。

Guzzi ergo sum, ISBN 88-85386-52-0

もともと、模倣で始まり、延長で伸びて来た。
続けるには、「もっと延長」するしかない。
常にバージョンアップを続ける。
コンスタントに買ってもらう。
別に、使いこなせなくても、乗ってもらわなくたっていい。
性能があれば、それでいいのだ。
使わない性能。持つことが目的の製品。
「床の間バイク」
または使い捨て。

最先端のブランドイメージなどと言った所で、売る商品はバイクである。お気に入りのブランドならとりあえず買う、なんてのはCDや洋服がせいぜいだろう。行き詰まるのは目に見えていたし、その兆候もずいぶん前からあった。

それでも、例年通り、型替わりはする。
しかし実際、こないだ見たのとほとんど同じだし、どうせまた、すぐに変わる。

ヨーロッパの納屋バイクも、最新の日本車も、かげろう化しているのは同じという訳だ。
しかしその責任を、一概に日本のメーカーに帰せられるわけでもない。


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 ヤツら、今日の食いぶちさえ持ってっちまう。
 勝負(競争)せざるを得ない。


数を売る。メシのために売る。
その辺の事情は、みんな同じ。お互い様だ。

商売として考えれば、作るのに金をかけ過ぎてはいけないし、過剰な品質もよろしくない。コストダウンや省寿命化は、逆らえない趨勢だ。

ユーザーにしてみれば、ちゃんとした物、しっかりした物は多少高くても「在り」だし、何が「ちゃんとしてる」のか緒論もあれど、大量生産ですからさ、その辺の事情は、当座は無視される。

まっとうなモノ造りと、上手な商売は、原理的に相反する。
しかし現実は、売るための訴求と、ユーザーの価値が錯覚され(させ)、バランスは前者に傾き続けている。
商品はきらびやかになる一方で、ユーザーへの誠意は減って行くので、イメージと現実の乖離は深まって行く。
マーケティングと法規制の狭間に在って、手段の方も限られている。とは言えそれを逆手に取って、燃費や排ガスなどの「規制」や、安全といった「トレンド」に適応しつつ、逆にアピールの手段として活用する傍ら、ユーザーには安直に扱い易く、かつメーカーには安く簡単に作れる構造やセッティングを、商売の落とし所として狙い続けて来た。

狭い所を一斉に狙えば、どれも似て来るのは当たり前だ。
全世界的に、同種の「儲かる形」に収斂して来る。
昨今は、国産車に限らず外車でさえも、実際に乗ったときの違いが、意外と少ない場合が多い。アイデンティティを標榜できるのは、エンジン形式やスタイリングといった、ごく一部の特徴だけになって来ているように感じられる。

私がMOTO GUZZI を見つめ、それを透かして見て来たのは、ビジネス日本語で言うと、「単純成長モデルに依らない、小規模でも独自性をもって持続性を維持するビジネスモデル」だった。
それはごく最近まで、機能していた。
ことバイクに関しては、ユーザーとメーカーが「二人三脚だ」と上に書いた。
ユーザーとメーカーが、利益を深く分かち合わなければ、関係が成り立たないのだ。
不要不急、高価で危険な、耐久嗜好品である。市場規模はそんなに大きくはなりえない。
小さなメーカーだからこそ、できることもあったのだ。

昔に見た、バイクのレースの歴史、のようなビデオで、 スタンレーウッズが、自分がGUZZI に乗った当時を回顧してコメントしていた。

「GUZZI なんてのは、ビジネスとは言える代物じゃあまるでなかった。二人のBoy(CarloとGiorgio)が始めた遊びのようなもんだった。だから片方(Carlo)がダメになったら、会社もダメになった。」(爺ちゃんがモゴモゴ喋るので定かではないが、だいたいそんなことだったかと。)

この英国の老紳士が言う「ビジネス」が、現在、我々が想起するのと同じ意味なのかどうかは、定かでない。しかし現実を振り返れば、離合集散の末に「ビジネス的」に破綻したのは、英国のバイク業界の方が遥かに早かったのは、示唆的だ。

少なくとも日本では、MOTO GUZZI にはブランドイメージが無かった。だから、その本質を見抜き、価値を見出した「本来の」ユーザーだけが残る、という妙な逆説が成り立っていた。グッチに乗るのに、BMWのような「信条」や、ハーレーのような「帰依」は要らなかったのだ。だからだろう、GUZZI 乗りは、冷静で確信犯的な、いい男が多かった。(お世辞ですよ。笑)

そんな価値観が生きていたからこそ、MOTO GUZZI は生き残って来れたのだと思うが、それが廃れる事情は、多分、ヨーロッパも同じだ。
競争しないと生き残れないが、生き残った「優れた製品」は「いい製品」とはちと違う。
ユーザーも、もう現役はほとんどが「日本車が当たり前」の世代だろうし、欧州車も、その尺度で測られてしまう。ハイパフォーマンス路線の台頭と、安楽化、省寿命化は、既に趨勢として一般化している。(だから、やっぱり似てしまう。)

そこへ来て、昨今の世界不況である。
これは、いい悪いは別にして、今の行き方に、大きなくさびを打ち込んだと思う。

資本の論理の先鋭化。儲けるための商売。見せかけのイメージを膨ませるだけならば、バブルと変わらない。急激にしぼむこともある。

ユーザーに寄り添った小規模な事業モデルは、大量生産を前提とした、コストダウンと市場制覇の相乗モデルに駆逐されてしまう。しかし、市場の拡大は永続しない。いずれ後者も行き詰まる。どちらも、持続可能かどうかは、風まかせだ。

たぶん、メーカーはさらに余裕を無くして行くだろう。サポートは減らし、新規販売のサイクルを上げる傾向を、今後も強めざるを得ないだろう。

納屋バイクは時を経て腐って行くし、床の間バイクも立ち行かない。

それでも、バイクに乗りたい。
いいバイクに!。
さあて、どうしますかね。

 


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足場の方も、あまり良くない。

日本では、バイク業界はもともと、お役所・護送船団には乗れていなかったし、これまではたまにあった、お目こぼしや見逃しによるおこぼれも、今後は回って来るかわからない。馬力規制の撤廃と引き換えに、排ガス規制を強化した。もしそれがエコのためだと言うなら、バイクはクルマに比べてもともとエコなのだ。利用法も在るはずだが、そっちの方は、駐車場問題に見られる通り、さっぱりだ。大体、高速料金を下げて渋滞を作らねば景気が悪くて死んじゃうってんなら、エコなんてもともと有名無実だ。

「全くやる気はございません。」

結局はこれまで通り、お役所理論のポーズ、または気分的なイジメ、といった意味合いに留まり、バイク業界は今後も、無意味な足かせに翻弄され続けるだろう。

メーカーも頭が痛いだろう。
大型クラスは頭打ちだ。ガソリンを憂さ晴らしで燃やしていい時代は終わりに近づいている。国内では既に、昨今の規制でモデル数が激減しているが、不合理な規制に泣いている、というより、もともとイヤで止めたかったので「渡りに舟」、に見えなくもない。かといって、電化などの大転換が眼前に迫るのはわかりつつ、その具体を図れるほどは、開発に力が入っているようにも見えない。

他方、まだボチボチ続いているアジア向けモペットの市場も、基盤の緩さでは変わらない。いい例が、既に回生装置を携えて立ち上がりつつある「電動アシスト自転車」だ。国内では、微妙な法規制でナンバー付きとの棲み分けが成されているが、そんなのは世界には通用しない。中国あたりで当局が動いて、こいつの性能強化をしつつ巨大市場をブチ上げて、コストダウンまで一挙に持って行かれたら、スーパーカブの市場なんて瞬殺じゃなかろうか。

まあ、それでもいいのかもしれない。もともと、イヤで止めようとしていたならね。

納屋バイクも厳しい。
微妙に残っていた貴重な機体は、じいちゃんが死んだ後に成長した孫のオモチャにでもなった後、市場で回されるのがオチだろう。貴重な文化を伝える遺産だ。触れてみたい向きは多かろうが、実物は大概、もう「しゃぶりカス」で、大枚はたいて直した所で、「戻った」のか「しのいだ」だけか、わかるのは多分、死んだじいちゃんだけだ。

しかし、ユーザーとしてはちと哀しい。
だからこそ少しでも声を上げよう、というのもこのサイトの多少の意図でもある訳だが。
いや、我ながら小さい声だこと。(笑)

本来なら、ジャーナリズムにもう少し頑張って頂きたい所だが、この国では、雑誌は記事も含めて、ただの宣伝媒体ですからさ。もうフ抜けちゃって久しい。

いい例として、たまの「グッチ特集」を挙げさせてもらおう。
ここの「小さい声」を聞いていただいているのか、便利に使われているだけかわからないが、さすがに「グッチのエンジンは耕運機の流用」というのは、あまり見かけなくなって来た。どころか、まるでこのサイトの記事をコピペして、平気な記事も見られるようだ。

確かに、引用はご自由に、というポリシーにはしている。しかし、素人が趣味で調べた内容だ。それを書き写して知らん顔では、プロの仕事とは言えないだろう。逆に、雑誌に書いてあることなぞ、マメな素人が調べた内容にも劣る、と証明しているようなものだ。

まあそれでも、柔軟性という意味で、まだ書き写してくれるだけ、いいのかも知れない。
かたくなに「流用だ」を繰り返すだけ、というのも、まだ居るからだ。
妥当性の検証も、更新もなし、と。
その程度の仕事。
何かを期待する方が酷なのだろう。
(コンスタントに何か書くプレッシャーには同情する。自分でやってみて実感した。)

きっとこれからも、ただの例年の型替わりを「正常進化だ」なんか、書き続けるだけなのだろう。(私には、「通常退化」にしか見えないのだが。)

情報としての価値は下がる一方だ。こちらはもう、売れなくなっても仕方ないね。


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私は、MOTO GUZZI が体現してくれていた「価値」が好きだったし、それに触れられたことを大変に嬉しく思っている。
それは、バイクという極限のリスクを背景にした趣味だからこそ、明確に存続し得たように思うが、「思想」として、もっと一般化できるものだったようにも思う。
それをクリアにするために、いろいろ調査・研究して来た訳ではあったのだが、その結果わかったのは、それは既に衰退局面にあって、情勢的に、もう挽回は難しそうだ、という事実だった。

既に、経済的、法的な事由で、新車のGUZZIは買えなくなりつつあるのは象徴的だ。
まあ、もし買えたとしても、「これがキミの言うMOTO GUZZI か?」と問われれば、きっぱり是とは答え難い。

そういった事情は、実はMOTO GUZZI だけでなく、それと同じ価値観を持つバイク達、いや「製品」と呼ばれるものの全てに当てはまっている。(『売らんかな』など、とっくに凌駕していたはずの量産品たち。)

先が無い。良くなる気配もない。
もし、それでも「選ぶ」としたら、選択肢は、あまりない。
たぶん、今の手持ちが一番いいし、もしそれが無いならば、目を凝らし、待って探した一台が、当りくじであることを祈るしかない。


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内燃機関で遊べた、幸運な時代。
無駄も多かったが、幸もあった。
きっとこのニュアンスは、次の世代には伝わらないだろう。

ありがとう、私が好きな MOTO GUZZI 。
全力で祝福しよう。

 



ombra May. 2009

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