レースの将来


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> 草レースの方を盛り上げる事の方が面白いと思うのだが。
> 誰でも参加出来る様な。
> 船橋サーキット、とか所沢サーキットを潰した事のツケは大きい。
> お台場や、みなとみらいに全長5000m位のコースを設定すれば良いのに。
> 一般車両の通行禁止エリア。
> セイフティゾーンの大きく確保している公道で充分なのだ。
> 特殊舗装等、要らない。
> 必要なのは、ガソリンスタンドに食事をする場所。そしてピット。
> 駐車場に鬱蒼とした森に芝生。
> 各店のブースに使う場所。
> 基本は公道走行可能な機体を対象とする。
> ムカついている人クラスとか、そうなると格闘技に近いか。
> なので、アジアンテイスト溢れる方々はコース外周を走って貰う。
> それも時間制限有りの競技。
> 審査員は過去に暴れまくった人達で構成する。
> 哀しいかな、近い年齢だ。
> ここで冷静に。
> 銃器と同じで、威力や命中率の高い武器を持つと試したくなるのが
> 人間だから、その場所の有無は
> 重要なことなのだが。
> 業界全体で、この国の中での市場を維持するべく、超法規的に
> 管理する行動をするべきだと思う。
> 関連する異業種の集合体で構成する。勿論、地方自治体の僅かな
> 収入の一部にもなる。

 


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昨今のスポーツバイクの行き方は、公道でのあり方から乖離し続けており、よろしくない、という、私のかねてからの主張は変わらない。
しかし、もし、その「物としての方向性」が変わらないのであれば、答えは、「逆」にしか無い。
場の方を、そのものを生かす方向に変えること。
言い換えると、その物を生かす場を、確保することだ。
冒頭の一節は、とある友人の、ぶっきらぼうな主張である。
実際、東京の湾岸辺りは、まだ随分、地面が空いてる。
物理的には不可能ではないはずだが、まあ、土地の使用となると、途端にセコくなるこの国のことだ。実現性は無いのだろう。
しかし、「誰もが望む未来」は実は、「失われた過去」なのかもしれない。
そう思うと、少し辛い。

 


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私自身、バイクのレースは好きで、よく見る方だと思う。
しかし、ことロードレースに関しては、ずっと抱き続けた違和感がある。
「突っ込みでインを取った方が勝ち」という方法論である。
速く走るために、闘っている。
誰が一番速いかを、競っている。
それなのに、前を塞いで邪魔したヤツが勝つ。
その証拠に、競り合うと、タイムが落ちる。(遅くなる。)
レースなんてのは所詮、ただの「足の引っ張り合い」なのか?。

 


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NASCARなどのような「オーバル方式」や、WRCなどのラリー「SS形式」も、解決法とは言えなくもないが。
私が注目しているのは「予選」である。
最近、MOTO GPの予選を放映してくれる局があり、よくよく見てみて思ったのだが。
これって結構、面白い。
時間は限られている。一時間。
資材も限られている。例えばタイヤは、予選用スペシャルが数組。
リセッティングを繰り返し、何度もピットとトラックを往復する。
走りの組み立ても様々だ。
いきなり好タイムを出して、初めから引き離しにかかるヤツ。
手の内は最後の最後まで取っておくヤツ。
地道にセッティングを繰り返すヤツ。
全く逆の、一発屋。
順序は刻々と変わって行く。
伸びるヤツ、悩むヤツ・・。
ストーナーが引き離した。
ペドロサは辛そうだ。
残り時間が少なくなると、人数も多くて、クリアラップが取れない。
しかし逆に、ライダーの意識が集中して行くのがわかる。
ロッシはもがいている。
あと10分。もう一度出れるか。
あと5分。ストーナーがとどめを出した。
あと3分、ロッシの最後のアタック。
あと2分、1分・・。
・・・!!。
とまあ、こんな感じだ。 結構、緊迫感があって、引き込まれる。

要するに、
「(例えば)一時間という時間枠を決めて、その中で、一番速いラップタイムを出したヤツが勝ち」という「競技」は成り立たないものだろうか?、ということだ。
だって、スピードレースなのだから、一番速いヤツが勝ち、でいいじゃん。
非常にシンプルでわかり易いと思うのだが。

利点は多い。
かかるカネは減らせるだろう。一発勝負で行けるので、開発期間の圧縮や、事前テストの短縮が望める。
クラス分けさえ出来ていれば、誰でも楽しめる。カブだってスクーターだってできるだろう。
しかし、結果は数字でキッチリ出るので曖昧さは無い。それに、「モトGPの凄さ」といった「差別化」も保持できる。
思考を「プラス化」できるのも利点だろう。現状、レースではワンミスが命取りだし、転倒してしまえば大体はリタイアだ。要するに、減点ゲームなのである。転んでもミスしてもやり直せるような仕組みにできれば、プラス思考の組み立てにできる。スポーツとしては、その方が余程面白いと思うのだが。
そして何より、燃料の消費を減らせる。走るのは、今のように「競技枠の時間をずっと」ではなくて、「タイムアタックの数周だけ」だからだ。環境への配慮。今後、これって結構、効くんじゃなかろうか?。
そして、私が最も注目するのは、「本気で走る時間を短くできる」ことの副次効果だ。
それは、「レースに対する敷居を下げること」を意味できる。

 


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スポーツバイクのイメージは、レースから来ている。
レースのような走りが、「正しい頂点」だ。(という雰囲気?。笑)
しかし、実際にそこに向かおうとしてみれば、「教習所」と「サーキット」の間の、巨大なギャップに慄然とするだろう。
素晴らしいスポーツバイクを手に入れたとして、それをまっとうに使えるようになるまでの「間」。「基本的な操作」と「高速スポーツ走行」までの大きな「間」を、我々は、規制と危険だらけの公道で、費用もリスクも全て自腹で、埋めることを要求される。
しかしまあ、かなり頑張るとしても、サーキットというのは数が少なくて大概は遠いし、実際に行ってみても、制度的・時間的な制限も多くて、そう自由に走れるわけでもない。よしんば、「何とかスクール」や「店主催の走行会」あたりに潜り込んでピヨピヨ数周回ってみた所で、100psを使いこなすスポーツ走行のイメージにはほど遠いだろう。
結局、近くの峠で「ロッシごっこ」がせいぜいだし、それが当たり前の「スポーツ走行のイメージ」になってしまっている。
ユーザーも、メーカーも。

 


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もし、バイクがスポーツだ、というなら、練習と上達のスパイラルは欠かせない。
頂上を目指して切磋琢磨する。そういう階層構造は、スポーツが「競うこと」を本質とする以上、必要なことだろう。
しかし、ほんの一握りしか残れないという意味で、「必要悪」とも言える。
そういった構造が成り立って行くためには、幅広いすそ野が要るのだ。
事業としての「バイク」は、それが「量産」を前提に成り立つ以上、「頂点」ではなく「すそ野」の方を目的とする。
だから、我々ユーザーのほとんどは、「すそ野」で遊んでいる。
バイクを趣味、遊びとして成り立たせているのは、その辺りの「バランス」なのである。
しかし現状のユーザ環境は、上述の「教習所とサーキットのギャップ」を考えるまでもなく、随分といい加減だ。
それへの「解」のイメージとして、「公道クオリファイ」は使えないだろうか?。

 


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> 一般車両の通行禁止エリア。
> セイフティゾーンの大きく確保している公道で充分なのだ。
> 特殊舗装等、要らない。
> 必要なのは、ガソリンスタンドに食事をする場所。そしてピット。
> 駐車場に鬱蒼とした森に芝生。
> 各店のブースに使う場所。

気が向いた時にブラッと寄って、何周かカッ飛んで気分転換。
そんな場が身近に整備されてたら、どんなにいいだろう、と誰もが思うだろう。
今日びバイクで一日遊べば、何だかんだで4〜5千円はかかるだろう。
その程度の維持費で、こんな場は実現できないだろうか。
(国全体の経済活性化のため高速道を原則無料化して、道路公団の残骸は完全に解体・スリム化して有志だけこっちに回ってもらい、施設から維持管理まで任せる、なんてのはどうだ?。)

そして私は、それが逆に、「公道」をクリアに意識するきっかけになるかもしれない、と思っている。

ぶっ飛ばす「コース」。
それに相対する「公道」。

そこは、「ぶっ飛ばせる隙間を求めて徘徊する原野」ではなく、「不特定多数が共有するが故の”優しさ”を要求される空間」として、意識されはしまいか。

その文脈は、狭義の「交通安全」、広義の「交通文化の向上」、果ては「バイク趣味の向上、延命化」の役に立たないだろうか。

 


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四輪なら、「これから」の話は難しくない。
低燃費、安全、快適、といったキーワードを追えばいい。
何故なら、ユーザーが四輪に求めているのは、既に「性能」ではなく「機能」だからだ。
「機能」の充実。方法論はパソコン辺りと同じである。
私が「自動操縦にした方が近道だ」なんか言うのはそのためだ。
しかし、バイクは違う。
個体では自立すら出来ない「道具」。それを稼働するには、どうしても人間の「能力」が居る。
「能力」を生かすのは、「機能」ではない。
「性能」だ。
本質的に、そういう乗り物なのだ。
これが、スポーツとしてのバイクの「本質」だし、それは、これからも変わらないだろう。
それを生かし、営み続けるには、この道具はもう、「公道でおイタ」では済まされない所まで来ている。
解は二つしかない。

法的に禁止、道義的に反則、物理的に不可能なのにもかかわらず、「夢」で偽装した「まがい物」を売るために、「お手本」を見せてマネさせる。

この乗り物が世に出でてから、もう100年以上も経つ。

世界で一番、この乗り物を作り、売る能力を持つ国に住んでいる。

もう少し、「進歩」できてもいいんじゃなかろうか。

   


### 追記

「公道クオリファイ」って、まだ電池が未熟で走行距離が短い電動バイクでも、スポーツバイクを作って競うような枠組みに使えないだろうか?。

電池やモーターなど、基幹部品を規格化して、参入障壁を下げておいて、巷によくあるロボットコンテストみたいに、自分でバイクを作って競えたら、健全な青少年諸君も、またバイクに興味を持ってくれるかもしれない。(笑)

まあ、そんな粋な計らいを実現できるような企業は、もう日本には無いかな。
(また大陸に先を越されるか・・。)



ombra 2008年 9月 (2009年 5月 加筆修正)(2011年 3月 再加筆)


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