※「モテない問題を考える会通信」は、2000年2月創刊。隔月刊で発行していましたが、現在不定期発行です。
通常価格は200円(6、10、13号は250円)です。
全目次 | | | 01 | | | 02 | | | 03 | | | 04 | | | 05 | | | 06 | | | 07 | | | 08 | | | 09 | | | 10 | | | 11 | | | 12 | | | 13 | | | 14 |
![]() |
|
「おっぱい」コンプレックスと私 のばら![]() とかく胸の大きい女性ばかりがもてはやされる昨今、ペチャパイの女は生きづらい世の中である。巷には貧弱な胸を否定する言説ばかりが充ち満ちている。例えばロンドンブーツ1号2号が出ているカップ麺のコマーシャル。「中身が1.5倍」という触れ込みで、胸の大きい女性とそうでない女性をわざと隣り合わせ、視聴者に比較させる演出だ。見るたびに「グサッ」と傷付く。どうしてあんな悪意に満ちた表現が野放しにされているんだろう。またある日。本屋で「愛の風俗街道」(花村萬月著)という本をパラパラめくっていたら、「本当は胸がないのに補正下着で(胸が)あるようにみせかけるのは詐欺だ」とか「豊胸手術したおっぱいは、触ると変な感触がしてすぐに分かる、がっかりする」とかいう文章が書いてあり、とたんに気分がブルーになった。体を締め付ける補正下着なんて本当は着たくないし、お金のかかる豊胸手術だってしないで済むに越した事はない。でもそうせざるをえないのは、小さな乳房に価値を認めない男たちを慮って仕方なく、ではないか。花村萬月、あんたのことを見損なったよ! ケッ! 別のある日。室井祐月のエッセイを読んでいたら、彼女が「私の胸には100ccほどの生理食塩水が入っている」と告白している箇所にぶつかり、「もし彼女が豊胸手術をしていなかったら高橋源一郎はどうしてただろうな」と瞬間考えてしまった。たとえ彼女のおっぱいが小さいままであっても、変わらず愛してほしかったと個人的には思うが(って、大きなお世話か)。 思春期以降、「おっぱい」への劣等感と共に生きてきた私は、そのせいで男性ともうまく付き合えず25歳をすぎても男性経験がないままだった。そのせいで「処女」コンプレックスにも悩まされるようになり、「この胸さえもうちょっと大きければ」と思いつめて豊胸手術を真剣に考えた時もあった。勇気とお金がなかったため実現にはいたらなかったが、あの時早まらなくてよかったなと、今は思える。胸が小さい女性にこそ性的魅力を感じる男性というのも、この世にちゃんと存在することを知ったからだ。そういう相手に運良く巡り逢って付き合いだしてから、ようやく今までがんじがらめになっていたコンプレックスの呪縛から私は解き放たれ、生きるのがとっても楽になった。月日が流れ、愛する人との間に子どもが産まれた時、私の小さな胸からも赤ちゃんはちゃんとお乳を吸ってくれた。これまで大嫌いだった自分のおっぱいだけど、今は少し好きになれたと思う。きっと世の中には胸が小さくて悩んでいる女性がすごくたくさんいると思う。そういう女性たちの悩みを「手術」で解決するのでなく、もっと別の方法で癒せないだろうか。彼女たちに「小さいおっぱいでも大丈夫だよ、心配しないで」というメッセージを、いつかどうにかして伝えたいと思っている。 ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
編集後記(8号) ▼春から夏にかけて、薄着になっていく季節。街歩いてるだけで、何か楽しい気分になるね。ふふふ…。 先々月だったか、友人との話の流れで「名木太さんって偏執的だよねぇ」と言われてビックリして、なおかつひどくショックで口ごもってしまった。ところが、最近になって、割とその「偏執的」っつーのが妙に自分の中で自己認識としてハマってきてしまった。友人の弁によると、だから細かいことにこだわったりして付き合いづらいのだが、普通の人が思いつかないようなことを思いついたりもするということらしい(と受け取った)。前に「ガープの世界」という映画を見て、わーこういう変な人(主人公の母親)がラジカルなことを言うのだなぁ、鋭いけどまんま真に受けたらいかんのだなぁと思ったが、それって俺のことかいっ!? まぁいいや。そう、昔から1を聞いて10を知る男、名木太で通ってるぜ。まぁ、その内半分は妄想だがな…。 投稿してみて、ふっきれて解放されたと執筆者の方より。「語る」ってそーゆー効果がありますよね。スッキリするっつーか、癒されるっつーか。僕自身も「ストーカー列伝」に書いたことって、実はそれまでは心の隅の方にずっと引っかかってたんだけど、書いてさ、みんなが読んでくれて、んで、何だかどうでも良くなってきて、今ではすっかり忘れてしまってます。知らぬ間に忘れてんだよね。不思議だなと思う。そういう意味では、「聞き手」である読者ってカウンセラーでもあるんだよなー。ま、書く時期っつーのもあると思うけど、みなさんも「その時」には是非書いてくれ! 今年は「バレンタイン報告」はやらなかったけど、私的には現在無職だし、関心が薄れてる。最近の学校、職場の状況はどうなんだろう。みんなは関心あるのか? 以下、つぶやき。何つーかさ、人の言葉の重みってあるよね。例えばよ、「結局人の気持ちなんて、本人にしか分からないんだから」と言われたとしようや。いや、その通りと思うよ。厳密に言って「分かった」なんて確かめようがないしさ。あぁ、あいつはこう思ってんだろーなと、想像するしかないっつーか、想像の域は出ないからね、結局は。だから、そうかなと思っちゃうけどさ。でもさ、そう言ってる人によって、意味が違うっつーかさ、この人、こう言ってるけど、実際に人の気持ちを分かろうとしたことがあんのかよ?と思うこともあるよ。ま、どんな言葉でもいんだけどさ。「そんなこと気にしなければいい」とかさ、「差別はなくならない」とかさ、色々あるさ。でも、人の考え方って試行錯誤の中で定まっていくわけじゃん。確かめもしてない人が答えらしきこと言ってもな。昔「オレは中庸だ」とかってエラソーなこと言う男がいたよ。何もしてないだけじゃん? 座ってるだけじゃん? でも、世の中にはギリギリの言葉もある。人の言葉の重みってあるよな。 何かさ、みんな喧嘩しないよね、東京の人って。首都圏の人って(偏見)。ていうか、最近みんな喧嘩しなくなってきてるのか? そーゆー文化か? 喧嘩しないと相手の本心って分かんないよね。って僕も最近喧嘩しなくなってきたな。それって大人になったということか? そうか? まー喧嘩すりゃいいってわけでもないけどさ、喧嘩しないっつーより、喧嘩できないっつー人もいてるよな。何か、最近はディベートとかさ、動機のないオタクちっくな「喧嘩」っつーかゲーム?はあってもさ、本心からのっつーか、「おい、ちょっと待てよ、お前!」って感じの喧嘩が足りないっつーか、もうちょっと、そこここで見られてもいいんじゃないかとか思うわけさ。どうよ? ぶっちゃけた喧嘩してみないことには仲良くもなれないし、差別もなくならないよな? 喧嘩してもなくならないのか? 何か、喧嘩っつーのがコミュニケーションとしてじゃなくて、「もう二度と会いたくありません」っていうお別れ宣言としてしか機能してなかったりしないか? ってまー、ディベート好きなオヤジは放っておいていいとは思うけどさ。疲れるからな。あと、「あいつを言い負かした」とか自慢するやつ? まー、キレる前に喧嘩しよう! いや、喧嘩せずともいい関係作れる人もいるんだと思う。ステキな人だと思う。本気で。でも、僕みたいに溜めちゃうタイプはな…。って、僕も最近喧嘩する元気なくなってきてるな。体力使うもんな。大人になったということか? そうか? 最近思ったぶっちゃけた話。何かさ、他人に構ったりとかするさ。自分がキツかったこととか、キツイとかいうのもあるからさ。何か出来ることあったらしてやりたいな、とか思うって。でもさ、構うのがキツイ時もあるよな、相手によっては。礼がないというか? いや、それはいい。逆に失礼なことされるとさ、不愉快だよな。でもさ、自分を振り返ってさ、自分も神経症だしさ、何だかんだ言って構ってもらってんだよな、周りの人たちに。でも、構ってもらってると思うのって嫌だよな(笑)。対等じゃないから。ていうか、ツボが外れた構われ方してる時に、「そうじゃなくて」とはなかなか言えないっつーか、親切にしてくれてる人にそうは言えないもどかしさってあるよな。いや、一方的なのが嫌なんだよな。「俺は与えられるだけの存在なのか?」っていう不満? 俺が与えられるものはないのかっつー(笑)。わがままか? つーか、最近思うのは、弱い者同士が助け合えるのか? 弱い者っつーか「健全じゃない」(?)人ってさ、ただでさえ自分のことで手一杯なわけじゃない? それで他人のこと考えるのは無理かもしれない。ただ、まぁ、お互い抱えるテーマが同じなら、一緒に走るなり歩くなり出来ると思う。でもさ、それぞれ似てるようで違うんだよな、これが。あ、神経症なんかさ、同じテーマ抱えててもさ、一緒にいるとかえってキツかったりするしな。「もらっちゃう」っていうか、自分が割と調子良いときでも、相手の調子悪さが分かってシンクロしちゃうっていうかさ。どーすりゃいい? お互い調子の良いときに会えばいいのか? まぁ、頑張ろう。 ところで、パチスロ(日本のパチンコ屋のスロット・マシン)にはいろんな機種がある。人それぞれ好き嫌いがあんだけど、実際のところその評価っつーのは、台の機能やデザインによるというよりも、その台を打った勝敗の記憶によるところが大きい(ほぼ全てと言ってもいい)。つまり、大勝ちしたことのある人はその台が大好き、大負けした人にとっては大嫌いな性悪機種なんだ。デザインなんかに対する評価は坊主憎けりゃで、ほぼ後付け。だから、「勝たなければ良さは分からない」とも言えるし、「そもそも勝ち目はない」とも言える。マーフィー的に言えば、その両方が同時かもしれない。 資本主義から始まって、世の中にはいろんな制度や構造があるけど、多分その機能や目的というよりは、その制度の中で大勝ちしたか大負けしたかという記憶、はたまたそこそこ勝てるんじゃないかという気分や希望、なんかによって人の評価っつーのは決まってくるんだろうなと思った。 僕の場合、家族問題については中学卒業と同時に喧嘩ばかりしてた両親が離婚して、家ん中が緊迫してるよりゃマシなのかと複雑な気持ちだったけど、「今度こそ勝つぞ!」(しかも大勝ち)と燃えていた時期もあったし、その頃ほどではないにしろ、今んとこ「何とかいけんじゃないか、なおかついきたい」なんて考えている(笑)。古いのか? さて、創刊前からずっとなんだけど、「モテ問」やっててさ、こんなことやって意味あんのかな、バカげてるんじゃないかなとふと思う瞬間がある。今まで「モテ問」読んだ人から「切実さが感じられないんだよねぇ〜」とか「一体何が問題なわけ?」と言われたこともある。僕はその度に、「そう思うんだったら、これはあなたのために書かれたものじゃない」と答えてきた。それは今でも間違っていないと思う。バカげてると思いつつも切実なんだって。もちろん楽しくやりたいというのもありつつ。軽口に真剣に対応しなければならない瞬間っていうのは、本当にキツイことなんだ。悔しいさ。でも、人生それでいい。 多くの「普通」の人が「モテ問通信」を見て思うのは、恐らく「考え過ぎ」だと思う。僕は実際には、「考え過ぎ」は、ある意味「答え」ではあると思う。何故なら、僕自身、たまの調子のいい日には考え過ぎたりはしないから。だけど、「考え過ぎだよ」で済むなら精神科はいらない(笑)。っていうか、「上手く」いっていない時に、人は考え過ぎるんであって、それは、決して逆ではない。考え過ぎるから上手くいかないんじゃなくて、上手くいっていないから考え過ぎるんだ。「何のために人は生きているんだろう」「何のために人は恋愛するんだろう」「何故人を殺してはいけないんだろう」という「質問」への答えには、文法的に誤った答え方が必要になる。つまり、「何故」に答えてはいけない。「何かツライことでもあったんか?」というのが正解だ。 まー、だから、モテない問題がどうでもよくなったらいいことだと思うんだ。モテ問はプラットホームだ。ぷらっと気軽に寄ってくれ。僕もどうでもよくなったら「モテ問通信」は終刊になるでしょう。つーことで、いつ終わるか知れない「モテ問通信」、書きたいことがあるなら今のうちだよ。まー僕も書いた後に、フェミニストに噛んでどーするよ?なんて反省したりすることもあるけどな。でも、間違ってはいても、その時思ったってこと自体は「真実」なんだから、いんだよ。自分フォローしてっけど。モテ問やってどーなる? モテ問の意味って?って考えたりするけどさ、モテ問やったってこと自体、もう既に「意味」だもんな。思い出すことがあるならば。いつか死ぬけどさ、死ぬ前に書いとけ! 新シリーズで、「コミュニケーション不全、大いに語る」というのを思い付いた。誰か書きませんか? コミュニケーション不全って、「モテない問題」の中で占める割合大きいんじゃないかなと思って。話すのより書く方が楽という人もいるんじゃないかということで、何故か「大いに語る」(笑)。僕はオタクでもないし、引きこもりでもないし、個人主義者でもないんだけど、「コミュニケーション不全」っつーか波乗り下手で、調子悪い時はかなりツライんですが、それぞれの悩みや、こうして乗り切ってるとか、こういうことで上手くいくようになったとか、体験的なことを持ち寄りませんか? あとさ、「モテ問リンク集」。モテない問題周辺で、神経症とか、会話下手とか、引きこもりとか、ACとか個別のテーマがあると思うんだ。んで、それ関連の医者とか団体とか行ってみてどうだったっていう見聞録。みんなに当てはまるわけじゃないから、自分としては良かったとか、あまり役には立たなかったとかとか。これも募集してみます。 ということで長々と書いてしまいました。すまん。「モテ問1周年・編集長まとめ」を書くつもりだったんだけどまとまらずで、編集後記でページを合わせてしまいました。ま、言いたかったことは、発行が遅れてすみませんでしたということだ。今号は4月に発行するハズだった号です。みなさんからの原稿はちゃんと揃っていたんですが、私が4月は最高に調子悪くてどうしても出来上がりませんでした。春はこころ系の人は不安定になると聞いたことがあるけど、そのせいもあったのか、単にスロットで負けすぎというのがきてるのか? 執筆者の方には申し訳ありませんでした。 あ、表紙裏に書いてる通り、アンケートの方もよろしくお願いします。たけだぺてろさんの発案です。回答が集まってみないと分からないけど、面白くなりそうな予感がしてます。アンケート結果は別冊で報告できればと思っています。 今回都合により、黒保と金、鷹野原さんは編集部お休みです。 スペシャル・サンクス、キグっちゃん! 生き様をありがとう。(名木太) ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |