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総合的検討と結論
- 三つの仮説に分けて検証した結果を総合的に検討する。
- 第一仮説の検証により、いわゆる舶載の三角縁神獣鏡の中に踏み返し鏡が多く含まれることが明らかになった。これらは4世紀から5世紀にかけて築造された前方後円墳に埋納するために繰り返し鋳造されたものと判断される。このような事情から考えるに、実は三角縁神獣鏡の大部分は踏み返し鏡である可能性が高い。
- 踏み返しの元になった原鏡が輸入された可能性は残る。しかしそれが魏鏡でないことは第二仮説の検証から明らかである。デザインの傾向と銅原料生産地の分析から見て、それは呉鏡か東晋鏡かと思われる。呉の時代はほぼ卑弥呼の時代であり、この時代に製作された国産の青銅器には華北の銅原料が使用されている。卑弥呼が魏との国交を開いた結果であると考えられる。銅原料は華北から輸入し、銅鏡だけは江南から輸入するとは考え難い。従って踏み返しの元になった原鏡が輸入されたとすればそれは銅原料を江南から輸入するようになった、卑弥呼に続く台与の時代よりさらに後の時代、すなわち東晋時代の東晋鏡であろう。
- 踏み返しの元になった原鏡が輸入されたものか、あるいは国産のものかという点に関して言えば、黄河流域はもちろん揚子江流域からも三角縁神獣鏡と同じ形状のものは一点も発見されていないことから考えてやはり国産であると判断される。
- 総合的結論
- 三角縁神獣鏡は魏志倭人伝に記されている卑弥呼に贈られた鏡ではない。
- 三角縁神獣鏡は東晋の銅原料により、呉鏡・東晋鏡のデザインを手本として、古墳時代に国内で作成された鏡である。