可燃物な日々

過去の日記


5月31日

 金正日が鉄道で中国訪問?あいかわらず、やってくれるなあ。目が離せません。
 日本もそろそろ選挙モードに入るみたいだけど、私を含めて大勢の人が考えるのは「あーあ、またうるさくなるよ」だと思う。

 そういえば、最近職場の近くによく「横浜ベイスターズ広報車」がやってきて、試合のお知らせとともに応援歌を流していくので、そのうちカラオケで唄えるようになってしまうのではないかと密かに心配しているのだが、先日は別の団体が音楽流してやってきた。それを聴いて隣に座っているパートの女性(すごい美人で品がよい。年齢40歳くらいらしい)が「あら、今日も野球の宣伝?」って、ちがーう!あれは右翼なんですー!おっとりした美人の天然ボケにはいつも苦笑してしまうのだが、右翼とベイスターズ混同するか?
 
 明日から6月かあ。あっという間に梅雨になるな。毎日多摩川を越えているので、増水するのを楽しみにしていよう。たまには気概をみせてほしいぞ多摩川。
 このページはじめてもう3ヶ月になるんだ。勢いで始めてしまっただけに、だんだん何のためにやっているのだかわからなくなる。とりあえず、自己表現でも自己実現でも自己探求でもなくて、単なる暇つぶしです。

 なんだかんだいっても、こんな「暇つぶし」ができる自分は、ずいぶんと「ゆとりのある生活」を送っているのだと思う。世田谷区で一人暮らしして、スポーツクラブに通って、たまには夜遊びなんかしちゃってと、はたから見るとかなりチャラチャラした生活ですね。(少なくとも親はそういってなじる)自分では堅実を絵に描いたような暮らしだと思っているのだが・・・
 まあいいや、楽しい夏が来るように、日本国の神様にお祈りしようっと。



5月30日

 サンプラスが全仏オープン初戦敗退してしまったのね。でも、それよりなにより、どうしてWOWWOWでしかやんないの?観れないじゃん。W杯もペイTVが獲得するって話だし、貧乏人は麦を食えなのね。いまどきケーブルTVなんて常識なのか?でも、テレビに金払う習慣がないし、金払ってまで観たいものもないのであるよ。

 図書館から何の音沙汰もないと悲しんでいたら、先週は曝書(え?こんな字?バクショって・・・)で休刊だったのだ。今日から開いているはずなので、留守電入っているかなあと帰ってすぐ電話機みたら、やっぱり点滅している。よーし、いいぞと再生したら・・・
「ヤ○セの○○です。先日はどうもありがとうございました。また今週も試乗会がありますので、ぜひいらしてください」
 あのー、私は車買う金もないし、それ以前に免許も持ってないんですけどお。だれかの嫌がらせ?単なる番号違い?

 そうか山形浩生先生は横浜美術館なぞでお話していたのね。花束もって駆けつけられなくてすいませんねえ。全然知りませんでしたよーん。
なるほど次回は6月17日ですかい。前日は夜遊びの予定が・・・目の下にクマを作った顔でサインねだるのもなんだなあだけど、むこうはそんなもん気にしないって。でも、一人で行くのいやだなあ。なんかいかにもっつうかんじで。友人をだまして連れて行く計画立てよう。男連れのほうが手堅いかな・・・これを読んでいる友人諸君、面白いものが観られるかもしれないよ。目がうつろでおろおろしているミヤノさん。レア物だ!(3年前にDAVID.Jと遭遇したときにMZちゃんは目の当たりにしたよね。かなり心配されたが、さすがMZちゃんは「最初はなにウロウロしてるんだろうと思ったけど、そのうち、そうかあの人が移動するとそれにつられて動いているんだとわかりました」ときっぱり言ってくれたのを私ははっきり記憶している。そのとーり)

 SMAPが小学生になっているCM面白い。ゴローちゃんが一番おもしろい。そのまんま。
 キムタクの富士通のCMはよくわからない。

 夜中の小人さんを募集中。アイロンがけとスカートの裾のほつれを直してくれて、できれば食器も洗ってくれて、できれば掃除もしてくれると尚可。当方、日中不在なので好きに使っていいです。報酬はマリービスケットを1日1枚でどお?牛乳つけてもいいい。朝起こしてくれるなら、キムチもつけるよ。

 なんかテンション上がってるな。やっぱ宝くじ買おうかな。3億円ゲットしたら、エル・トゥーラで「白トリュフ」食べたい。

 というわけで、なんだかしらんが5月も末にやっと更新。なんで今更「車内マナー」?違うこと書くつもりだったんですけど、書いていたらこれになってしまったんです。ハルメンズの名曲を知っている人はCちゃんくらいかなあ・・・「電車でGO!」 



5月28日

 昨日大量に摂取した食物を少しでも燃やそうと、昼過ぎからスポーツクラブに行って、ステップ・マスター40分・エアロ・バイク40分・スタジオで筋力トレーニング・プールでちょっと泳いだ。
 ところがプールで怖いものを見てしまった。
 帰り際にサウナ(というか、プールの脇にある採暖室)に入ったが、混んでいたので一番下の段に腰を降ろしたら、後ろから男性の声
「ちょっと体が触れたくらいのことがそんなに嫌なら、こんなところに来るな!ばかやろう!」
 朝の満員電車なんかではよくあるシーンかもしれない。「お前のことなんて触わらないよ、このブス!」みたいな感じ。
 たしかに水着の男女が入り混じっているし、混んでいるときはかなり接触するのではあるが、それで揉めているのも今まで見たことがなかったので、驚いて振り向く。どうも常連のオジサンらしい。たしかに、横山ノックをもっとだらしなくしたようなルックスではあるが・・・いったいどうしたんだろう、いつもけっこう機嫌よさそうなオヤジなのに・・・
 なんかサウナ内がシーンとなったが、どうも相手の女性もいつも見かける女の人らしい。多分私と同じ年くらいのわりと品のいいおとなしそうな感じの人だ。
「いったいなにがいいたいんですか」
彼女が押さえた口調でそういうと、オジサンが急に立ち上がり、持っていたペットボトルの水を彼女にバシャバシャかけて、出ていってしまった。こええー、キレる中年。女性も唖然としていたが、
「あの人の名前をご存知の方はいらっしゃいませんか」
と、キャリアウーマンらしい冷静な口調で周囲に訴えかけるが、そのときは彼女の知人はいなくて、そのオジサンの知人ばっかりだったのか、みなシーンとしている。私みたいにどのグループにも所属していない人間はただ呆然とするのみ。
「そうですね、ご存知でも教えてくださらないんでしょうね」
と、彼女も出ていった。
 うわあ、気まずい雰囲気。でも彼女に加勢する人はまったくいないのが気の毒。たとえ彼女の態度がよくなかったとしても、あんなところで水をかけるなんて、絶対にやってはいけない行為だ。オジサンの味方もそのへんはちゃんとあやまらせる行動に出た方がいいと思うのだが、その後外でオジサングループの女性二人はオジサンと知らん顔して喋っていた。よーわからん。
 なんかサウナの常連(主にそのオジサングループ)は、マナーが悪いだの、それを店員が注意しないだの、ちゃんと掃除していないだの、文句ばっかり言っていて、聞いていてとても不愉快なのだが(そんなに嫌なら、来なきゃいいじゃん。直してほしいんならちゃんと言えばいいじゃん)マナー違反としてはもうこれ以上はないでしょう。
 もうなんか、常連の「他人には厳しいが自分には甘い」態度にはほとほと呆れる。
 あそこに通いはじめてから1年以上経つが、私は誰とも特に仲良くならないようにしていて(挨拶したりするのめんどくさいから)、それもちょっと寂しいのかなと思っていたが、今日の顛末で今後も一匹狼を貫こうと思った。

 それにしても、ほんとにみんな幼稚だし、派閥組みたがるしで、「最近の若者は」なんて言ってる場合じゃないでしょ。



5月27日

 久々にレストランでたらふく美味いものを食べる。
 
 グァバ・ジュースとスパークリングワインの食前酒
 
 前菜
 貝をつめた揚げラビオリ・・・でかいギョーザのようなパン生地の中に牡蠣が入ってた
 帆立貝のサラダ、赤ピーマンソース
 クスクスを詰めたムール貝の冷製

 シッタカの白ワイン蒸・・・シッタカって知らなかった。なんでそんな名前なんだ。

 貝類の白ポレンタ添え・・・添えじゃなくて、ポレンタの中にぼろぼろ貝が入ってた
 パスタと貝のグラタン・・・でかい貝型パスタ(直径5センチくらい。あんなの初めて見た)にグラタンが詰めてあった

 スパゲッティ・ボンゴレロッソ

 貝類のニョッキ・・・ニョッキと貝類が混ざってた

 ムール貝のリゾット

 デザート・・・ミントとチョコのジェラードとチェリータルト

 コーヒー・・・エスプレッソ

 食後酒として、グラッパ・・・琥珀色の甘みの強いお店のオリジナル

 こんだけ食べて、かんりお代わりもして、ワインもフリーなのでがばがば飲んで、締めて一人4200円!ありがとう!

 今回、Mちゃんは急にオージーに旅立ってしまったので不参加だったので、あとで羨ましがらせよう。
 土曜日も日曜日も出社の「ゆとりがほしい」サラリーマンS君もきっとゆとりを感じたであろう。S君とIちゃんは初顔合わせだったが、自然に会話が進んだのでよかった。

 やっぱりたまには美味しいもの食べないと心が荒むわ!
 お店の人に「毎回のことですが、ミヤノさんが一番たくさん召し上がってますよ。」と言われ、「今後もさらなる大食を目指して精進します!」と誓う。
 なんか血糖値上がりすぎて、頭がぼんやりしている。お腹いっぱいすぎて眠れないかも。
 でも、こういうのって単純な幸せでいいよね。
 
 そういえば、前にその店に連れていったT君がその後もちょくちょく利用してくれているみたいで、この前来た時は他の席が空いてなかったので(店側の予約の手違い)なんとその店で一番よい席(俗称:マライア席。マライア来たときにはそこに案内されたらしい)に座ったらしい。知合いの店員曰く「けっこういいワイン2本空けられていました」とのこと。(そんなの私に報告してくれなくてもいいんだが。あたしは貧乏なんで、企画パーティーのときにしか行かないのだが、Tくんは普段でも行ってくれているようで、そのせいで私のポイントも上がっているようなので助かっているし、Tくんもお店の人にはミヤノさんの知人ということでわりとよい待遇をうけているようなので、なんだかしらんが、双方にとってよい状態を築いている)Tくんも仕事いそがしそうだし、ストレス溜まってんだろうなあきっと。またゆっくり食事できるといいね。



5月26日

 Mちゃん今度はオーストラリアに旅立ってしまった。コアラを抱くべきか悩んでいた。「赤道が赤いかどうかよく観ておいてね」とはなむけの言葉を贈る。「南十字星はぜったいに観る」と張り切ってた。ふー、いいなあ。あと、水の渦が反対巻きなのも確認してくるそうだ。

 電車の中に及川光博を10歳老けさせたような兄さんがいた。スリムパンツにゆったりしたシャツ。シャツのボタンがちゃんと閉められてなくて、なまっちろい胸が垣間見える。セクシーさを狙っているのか単に暑いのかよくわからないが、なんとなくしっくりこない気持ち悪さがにわか及川ファンとしてはきになっていたのだが、私が下車するときその兄さんを見下ろせる位置に立ったら、兄さんおもむろにカバンからタブロイド紙を取り出す。ちらりとみたら「日歯連盟新聞」みたいなタイトルだった。「日歯?」見慣れない言葉だ。歯科関係なのかと思ったけど、あまりにらしくないのでそれは否定して、じゃあなんだ?そうか、きっと日米とか日露みたいな国の名前なんだろう。でも「歯」って国あったけ?家に帰ってから辞書で調べるが、ブラジルでもないし、ペルーでもないし、ううーん、あと日系人多い国ってどこだろう・・・そうか、こういうときネットが役に立つんだわとサーチしてみたら・・・・こんなのひっかかってきた。やっぱり「日本歯科医師連盟」だったみったい。つうことは、あの胸みせびらかしていた兄さん歯医者さんだったの?いやべつに医者だろうが弁護士だろうがいいんですけどね。なんかラテンの国育ちって感じだったんで、てっきり・・・見かけで判断しちゃあいけませんよね。

 でも、それはそれで楽しそうだな。いそうだよね、茶髪の医者とか。まあ客商売だし、けっこうその客は深刻なわけだから「ふざけた格好」はあまりしない職種なんだろうけど、医者とか普通のサラリーマンに比べると物凄いストレスにさらされているわけだから、服装で発散しても文句いえないよなあ。刺青だらけのブランキー・ジェット・シティみたいな外科医に執刀してもらうのは、別の意味で信頼が置けそうだ。ガングロでラメ化粧の看護婦とかも病室に「ハレ」なかんじを振りまいていいかもしれない。

 私は物心ついてから入院したことはないのだが(何せ超健康体が唯一の自慢)、じいさんが手術したときに見舞いにいたら担当の看護婦が「○○さあーん、検温ですよおー、ああら、お孫さんがお見舞いなのお?よかったわねえ」と、甲高く間延びした口調で「あーよちよち」すれすれの非日常的な喋り方で「うわあ、鳥肌たちそう」とびびったのだが、そういう「子供か小動物」な扱いを受けてじいさんはうれしそうで、「看護婦っていうのはいっつも明るくていいよなあ。大変な仕事だと思う」と評価していたのだが、テレビで同じような喋り方のマリアンなんか観たら、ぜったいデヴィ夫人まっさおなくらい罵倒しそうなじいさんなはずなので(じっさいにブリッコアイドルの悪口を言っていたのを記憶している)、健康な人には過剰でも、病気で身も心も弱った人にはあれくらいでちょうどいいんだなあと納得した。

 結局、一週間悩んでも「ゴダールの映画史」のレポートは書けなかった。あの面白さを言葉にするのは難しい。もうこれはそういうことにしておこう。人間あきらめが肝心だし、締め切りに追われているわけでもないので、また何かフックを見つけたら書けるかもしれない。たとえそれが10年後でもいいわけだし。

 日曜日は天候が荒れる予報なので、今日はたくさん洗濯をした。10年着ているカーディガンはさすがに袖が擦り減ってきたようだ。個人的にはそういう服の方が体に馴染んでいて好きなのだが、会社に着ていくのはどんなもんかなあ。シーツも古いのが大好きで、穴あく寸前のものが素肌に馴染んで気持ちがいいのだが、愛情を感じた瞬間に穴が空いてボロボロになってしまうのが悲しい。長年愛情を感じなかったダンナのことをやっと「やっぱり愛しているのだわ」と気がついたら心臓発作で死んじゃったっていうシナリオのシュミレーションのようだ。
 身の回りの物にやたらと執着というか一種の「フェチ」状態になるのは妹にも共通していて、気に入るとボロボロになるまで使う。親が世代的にそういう気質なんで、後天的なものかとも思うが、弟はどうなんだろうか?あいつはそもそも「なんでもいい」ようなので、もらい物のカバンとかを後生大事に使っていたりするので、また違う傾向なのかもしれない。そういえば、私がテレビ番組制作会社に勤めていたころに貰ってきたスタッフ・ジャンパーとかもずっと着ていた。(あんまりカッコイイものでもなかったのだが、あるものは着るという姿勢だった)使っていたものが使用不能になってはじめて次のものを買うというのが我が家の文化なのか遺伝子なのかしらないけど、世の中そんな人ばかりになったら環境問題にはいいけど、経済的にはどん底になるのは必須なので淘汰されてしまうのかもしれない。じーさん・ばーさん健在だけれどもそのあと増える予定ないんだもんなあ・・・ただでさえ少ない親族がどんどん減っていきそうだ。



5月24日

 1ヶ月ぶりにヒップ・ホップのクラスに出た。毎月振り付けが変わるので、月末にいきなり行くとついていけないので空しく手足をばたつかせる。またまめに行くようにしないと。けっこう参加者増えていて、茶髪の若者がやっぱり下手くそなのを観て「がんばれー」と心の中で応援する。

 図書館から全然電話がない。さすがに、トマス・ハリス、貴志祐介、池澤夏樹というメジャーどころばかりじゃあ仕方がない。でもあんまり欲張ってリクエストかけると、一度にどっと来て2週間じゃとても読み切れなかったりもするので難しいのだ。Mちゃんは「予約待ち人数を端末に入れて欲しい」と言っていたけど、本当にそう思う。
 かといって本を買うにしても、お金の問題もあるが、場所の問題も大きい。CDに比べると場所をとるし、大きさもまちまちだし。もっと稼ぎがよかったころは、職場の近くに青山ブックセンターがあったので、ボーナス出た日なんかは会社抜け出して本を買って抱えて帰ってきたりしたけれど、その後そういう本の処分に困り、同じく大量にあった漫画は失業中にがんがん売っていたが、本はほとんど人にあげたり捨てたりしてしまった。だから最近はほとんどハードカバーも買わないし、どうせ読まないし捨てちゃうから雑誌すら買わなくなった。
 でも日本の住宅事情だと本棚に納まりきらない人は多いんじゃないかな。前に自宅で暮らしている(最近わたしらはそういう「いい年してまだ自宅暮らし」をパラサイターと読んでいる)友人宅に遊びに行って、「部屋みせてよー」と言ったらかなり嫌がっていたが、無理矢理拝見させてもらったら、8畳はありそうなけっこう広い和室の真ん中に「万年床」がデーンとあって、寝床を守る要塞のように本がうずたかく積まれていて微笑ましかった。

 ここんとこ、また「衝撃的な事件」が多くて、「どこそこの殺人事件の容疑者逮捕」とか報道されても、事件の概要を説明してくれないと「どの事件のだ?」になってしまう。リンチ殺人だの焼いたの保険金だのひき逃げだの現金輸送車の運転手が銃で撃たれただの北海道のOL殺人はいったい何件あるんだー!この前観たのは「部屋の布団の中で殺されていた」けど、昨日容疑者逮捕されたのは道端で焼いちゃったらしいし、「少年は徐々に心を開いている」ってどの少年?で、公判中なのはどの事件?ワイドショーの司会者も当然混乱していて、地名だのを間違ってよく謝っているが、わかるよなあ。
 それにしても、被害者の両親がテレビで切々と訴えている例のリンチ殺人事件は不思議。桶川のストーカー事件の警察の対応はなんとなく構造が理解できるが、あっちのほうは「本当にそんなになんにもやってくれないの?」と驚く。まあ、それが東京だったら19歳の息子が帰ってこなくても「そんなのどうせプチ家出でしょう」とか言われそうだし、そんなんで警察駆け込んでくる親の訴えいちいち真に受けているととんでもないことになりそうなので、ある程度仕方のないことなのかもしれないけど、都会じゃないところでもそんななのか?たとえ犯人グループの少年の親が有力者でも、だからこそ介入して重犯罪になるのを押さえてあげたほうが、結果的には示談金提示するようなどーしようもない親でも「殺人犯の親」になるのが避けられたほうがいいんじゃなかったのかと思うんだけど、なんだか詳しいことがよくわからないせいかもしれないが、本当に日本の話なのかと疑いたくなる。政治も経済も破綻したアフリカの国ならわかるけど。
 かといっても、「こんな国もういやだから、他の国に行きたい」といっても、フィジーではクーデター起きてるし、どこにも楽園はないようだ。私を月に連れていって。



5月23日

 あーあ、すっかり電話魔と化している。昨日も今週末の食事メンツを集めるために2名に電話して計6時間。
 それにしても、「私って本当はフランス人」な妄想は実生活でとても効率がいいことに気がつく。なんだか周囲とかみあわなくても、なんか浮いていても、怖がられていてももう大丈夫。だってあたしはフランス人だから「なんだかようわからん人」と言われても、そんなの気にしないし、逆にエスプリのわからないやつらがダサいんだけど、いいのそんな周りの人なんて、ぜーんぜん目にはいんないしー。と、ちょっと間違っているとは思うが、心の奥深くで密かに遊ぶこの「フランス人ごっこ」は最近のヒット作だ。他人には勧めないが・・・うつ病気味の人には伝授したいところだが、まあそんなんで気が晴れるような単純な人はそもそもうつ病になんてかからないよね。

 ところで、昨晩も友人に「ゴダールの映画史」について盛んに語ったのだが、なかなか上手くまとまらないものだ。もっとも、そんなことがすんなりできるんなら、東大の学長でも目指したほうがいいとは思うが、そういう路線は教養のある方々にお任せして、もっとどうでもいい方向にまとめたいのだが、それをやると「わかってないやつ」になりそうなので、それはそれで正しいのかもしれないけど、でもやっぱり「多少わかっているふり」はしたいわけで、なんだかぐちゃぐちゃになってしまう。

 それにしても、またしても電話で「朝鮮半島の未来」を深夜に語る独身OLというおしゃれな展開になってしまったが、先の「神の国」発言に対する韓国の大統領だかのコメントが「南北が連帯感を持つのは日本の植民地支配に対する憎しみの感情なのですから、いいのです」みたいな、かなり私好みの発言で、そんな意外なことにお役に立てるなら、今度の選挙ではぜひ自民党に投票して、圧勝してもらい、いい気になった森首相に「朝鮮半島は日本固有の領土」くらいいってもらえれば、南北国交正常化もマッハの速さで進むであろう。などと話してバカウケしていたら、友人が「でも、今度本当に南北首脳が会見するっていうんだから、いっそのこと初回であっさり南北統一とかいのはどうだろう!前置きなし!会見一発!」「ああ、いいねえそれ、そんで金正日がいきなり世界に向けて、南北統一を宣言!」「そうそう、テレビもぜんぶいきなり緊急生中継でしょう」「映画俳優にはなれなくても世界を釘付けできるよ」「この日のために今まで周到に計画していて、だから今まで公の場では喋らなかった!」「ミレニアムは過ぎちゃったけど、まだ21世紀の幕開けには間に合うから、今度の年末カウントダウンにあわせて国境を開放!もう世界中が朝鮮半島に釘付け状態な21世紀!」となんだか二人で異様に盛り上がる。
 やはり暗い未来よりも明るい未来を語っていたほうが楽しいに決まってるし、引退した金正日の引退後のゴージャスな「世界的名士」としての生活や必ずベストセラーになる自伝のタイトルなどを考えてあげようっと。やはりハリウッド進出かな。SF大作の悪役なんかにひっぱりだこだよきっと。そんでもって美人女優引き連れて、カンヌの赤絨毯歩くのも楽しそう。キム君そうしよう!君も私もきっと楽しい。



5月21日

 いやはや、またもやMちゃんと長電話してしまった。飲みながら話していたので、後半なにがなんだかよくわからず。ロンドンの話から、日曜日にカラオケ行こうといってたのに、「ゴダールの映画史」観に行くからゴメンのついでに、今日図書館で予習のため「フランス人 この奇妙な人たち」という本借りてきたんだが、フランス人面白いよという話を私が振った。私はけっこう自分がフランスな魂を持っていたらしいと発見して、けっこうその「妙」さかげんも理解できるのだが、どうもMちゃんはあんまり好きではないらしいし、わりとMちゃんはアメリカとか北欧とかの考え方が肌に合うようなので、いつも私たちが仲良く会話しながらも、なかなかお互いが納得させられずに議論になってしまうのはなるほどそういう「フランス対アメリカ」な理由であったのかと納得。なんかそんな比較文化論ともちょっとちがう「それは許せる。それ好き。それ嫌い」な単なる嗜好を語り合っていたらいつのまにか「キムチ」の話になり、(私は韓国が日本がキムチブームでいいかげんなキムチが売られているのにクレームつけて、ちゃんと醗酵させていない偽キムチをキムチと呼んではいけないと規格整備しようとしているのが気に入らないのである。キムチに誇りを持っているのなら、そんなニセモノなんてほっとけ。という話をしたら、Mちゃんは、じゃあアメリカでとんでもない寿司が流行ったらどう思う?と言ってきたが、寿司職人はそんなの気にしないと思う。でも、韓国人にとってはやはりキムチは重要なんだよ。と言われても、そりゃわかるし私はキムチ大好きなんで、キムチブームはうれしいし、そういうブームってどうしてもニセモノも横行してしまうけど、本物がちゃんと優れているのなら堂々とそれを告知すれば、本物志向に弱い日本人はぜったいに飛びつくと思うので、ニセモノはそういうふうに実力で排除してもらいたいと思うし、そっちのほうがカッコイイと思うのですが、どうしても韓国は日本に対していろいろ根深い感情があって、でもそういうの私の世代ではあまり実感湧かないので、逆に日本に対してそういう要求をしてくるのを報道などで知ってしまうと、若い世代は単純に「アカスリエステやりたーい」とかのそれこそ「プラダのバッグ」と同じように単なるファッションでとらえているのだから、逆にその「過去の歴史の知らなさ加減」を利用して日本からどんどん儲けてくれればいいのにと思うのだが、Mちゃんはそういう戦争責任を不明確にしておくのを嫌う立場だ。まあそのへんは難しいところだが、私個人としては韓国に謝罪するのはいいとしても、それが国家的にやると表面的なものでしかないし、私が何か荷担したわけでもないから、そんな意味のない謝罪よりも、むしろ若い子たちが韓国に対する過去を知らずにいても、韓国人にとっては面白くないのはよくわかるが、逆にその差別意識のなさも評価してくんないかなあと思うのですが・・・とにかくアカスリにしてもキムチにしても韓国の過敏な反応がネガティブに作用するような気がして、こんな日本にマジになるよりも上手に利用して世界にはばたいてほしいと思うのです。)と、なぜかキムチから日本の戦争責任に話がとんでしまったが、私のこんな考え方はやっぱ「フランス」だとMちゃんに言われた。そういわれると、「物事の真理よりも、どっちが面白いか」のほうに重点を置く考え方が基本的にあるみたい。キムチにしても、規格で決めるのではなく「本物を判断するのは私」というかなり自分主義でそう言い切れるだけの自信をもっているあたりかなりフランス度高い。

 そんなこんなで、朝にコードレス電話の電池が切れるまで話しこんでしまい、しかもベロンベロンだし、午前中KMくんから「昨日電話したんですが話し中で」と今日の待ち合わせの電話。すんまそん。

 なんかまた二日酔いなんで、「こんなんでゴダールの映画なんか観たら寝ちゃうよー」な状況であったが、これがまあなんとも面白い映画でした。KM君はゼミのレポートを提出するそうだが、いいなあレポート。あたしも書いて教授に読んでもらいたいわ。いいなあ学生さんは楽しそう。そういえば、今日も学生証出したKM君のあとにチケット買ったせいもあるけど「学生ですか?」って聴かれちゃった。うほほーい。
 まあ「ゴダールの映画史」に関してはちゃんとまとめよう。でも、予習していたのでいろいろフランス人についての考察がめぐってしまい、特に外国人がとまどうフランスの時間感覚というものが、この映画では顕著にでている。時間軸がないのね。そもそも「歴史」という言葉の定義が違うような気がするが、そのあたりゴダール氏が変なのかどうかフランス人に聴いてみたいな。でも、壮大な言葉遊びが展開されていて、そういうのにとても憧れる私としてはやはり生まれる国を間違ってしまったのではないかと悔やまれる。とにかく結論よりも過程が重要という感覚はすごくよくわかる。そして、延々と語ることが好きなのだ。話題は時間軸にとらわれず、ぽんぽん飛ぶが、いいんです結論はどうでも。その間、楽しい時間が過ごせれば。会話を楽しむための会話なのです。なんか急にフランス心が芽生えてきたな。長期滞在して自分のフランス度を確認してみたいのであった。



5月19日

 はあ、やっと金曜日。帰りのエレベータに乗り合わせた新入社員くんたちは、「これから飲みに行くんです」だって。同じ階で働いているが、ほとんど交流ないけど、なんか最近ときどき喋るようになった派遣の子と顔を見合わせる。最近その部署も派遣が増えていろいろあるみたいで、残業手当ての付きかたなぞについて話しながら駅に向かう。そういう話をする相手が、1年も働いていながら一人もいなかったのでちょっと嬉しい。利用する電車が違うので別れたが、あとでお茶にでも誘えばよかったと後悔した。次回チャンスがあったら声かけてみよう。彼女もきっと話しをしたいのだと思う。
 電車の中で隣の人が広げていた新聞が目に入った。派遣社員の意識調査の結果、派遣を選んだ理由が「正社員のくちがないから」が急増。将来的にも正社員を希望する人が急増というやっぱりな数字。
 私の身分は「派遣会社を通さない派遣社員」というかんじであり、会社は派遣会社に払う手数料を得していることになる。経理のおねーさんなので、派遣会社に支払う金額を目にしてしまうので「だったら私にこれだけくれよ」と思ってもしかたあるまい。かといって、そう胸を張るほどの仕事もしていないのではあるが、会社としては私には全く教育費かかってないのだから、もうちょっと考えてほしいなあと思うのだが、やっぱりちゃんとこちらから言わないとだめなのかなあ。でも、苦手なんだよなあ、自己アピール。
 前に長く働いていた会社では、私に辞められては自分が困ると判断した上司がけっこう私の待遇を上げてくれたので、私はそれに応えてちゃんと仕事していればよかった。「あんまりやりたくない仕事だけど、それなりに金くれるんだったら相応に働きますよーん」という私の性格を見抜いていたようである。
 まあ一応自分ではそこそこ仕事はできると思っている。なるべく自分で考えるし、ちゃんと勝手に工夫するし、とにかく手がかからないので、部下にしておいて損はない。ただ愛想がないのと、かわいげがないのと、勝手になんでもやっちゃうので、人によっては上手くいかない。
 先日もある仕事のことで、社員のひとたち3名と別々に話したのだが、私はその件では単に得意先に請求を起こすだけなのだが、その3人のうちで「いったい金額の判断はどなたがなさっているのか」とうとうわからず。どーすりゃいいんだよ。まあ、どこの会社もいいかげんだから、そういうことはよくあるんだけど、普通の会社だとアシスタント業務をやっているOLの横の繋がりで情報交換してうまくやるのだが、今いる会社はわりとそういうアシスタントレベルの仕事を「部長」がそのままやっているので、非常にやりづらい。どうも会社の規模が小さかったころの名残らしいのだが、各部署に「影の管理人」たる有能なOLがいないので、書類の回り方も変。
 とにかくなんか謎の会社だけど、そんなに仕事は忙しくないというか暇なときが多いし(着々と仕事は増やしているが・・・)あんまり疲れないし、面白くはないけど、まあなんとか生活できる程度のお金は得られるので、また地獄の就職活動で苦労することを考えると辞める気はないのだが、そんなわけで別にすごく認められたいわけではないけど、全く評価されないのもなんだかやる気でないし、いろいろ考えてしまうのであった。職種に関しては不満はないのであるが、やっぱ資格があったほうがいいのかなあ。でもそのために勉強するのめんどくさいし、それに実務をおぼえちゃうと資格試験の役に立たなさがわかってしまいアホらしくなってしまう。今更、試算表の虫食いの穴埋めなんて馬鹿らしくてやってらんないよ。会計ソフトでポンと試算表なんてできちゃうのに。
 友人が「中小企業経営診断士」とかいうのとろうと頑張っているが、そんなもん決算書みればだいたいわかるし、そこで診断できても、じゃあどういうふうに改善していくかということが重要なわけで、たかだか数十億の売上で数字いじくってみたところでなんの足しにもならんよ。どうでもいい会議で無駄な時間を使うのを助けるだけだ。

 なーんて愚痴をこぼせる相手がいないので悲しいのであった。
 でも自分や友人が派遣先の大企業で見たものも全くたいしたもんではなかったし、プライドが高いだけにさらに始末におえなかったりしたのでどこに行ってもこんなもんなんだろう。
 かねてから痛感しているのだが、「就職」と「結婚」て「永久就職」なんて言葉ができるくらいに似ている。
 「結婚してみたら、思ってたのと違った」「就職してみたらこんなもんかと思った」
 「だんなには不満があるけど、離婚するほどのもんでもない」「会社には不満があるけど、辞めるほどでもない」
 「独身になったら心細いだろうし・・・」「辞めたら金ないし・・・」
 「他の人と結婚してもこんなもんだろう」「他の会社にいってもこんなもんだろう」
で、どーしても嫌だったら離婚するなり退職するなりできるけど、再婚するなり再就職してもやっぱり何かしら文句は出るだろう。

 というわけで、結婚に夢が持てないのであるが、一つだけ夢はある。それは「電撃結婚」だ。通り掛かりの人か、夜中に友人を叩き起こして無理矢理「保証人」になってもらうのだ。もしくはそういうのに巻き込まれて「保証人」になってみたいなあ。「すいません、僕たちこれから婚姻届出すんですが、保証人になっていただけませんか」って言われてみたい。どっちかというと保証人になるほうに憧れるなあ。だれか私の夢をかなえてくれないかなあ。
 ところで、婚姻届には保証人2名が必要らしいが、離婚届には保証人いらないだろうか・・・・
 友人と「結婚式はやりたくないが、離婚式はやってみたい」と話して盛り上がったことがあった。離婚式のBGMはORANGE JUICEの名曲「FALLING AND LAUGHING」(フリッパーズ・ギターの功績として日本版CDにもなったネオ・アコのバイブル・アルバム「YOU CAN'T HIDE YOUR LOVE FOREVER」収録)だってこの曲のサビって「バイバイバイ フォーリン アンド ラフィング フォリン ラッフィング」なんだもん。
 バイバイバイと手を振りながら元新郎新婦退場。まさに「笑いながら落ちていく」バイバイバイ。ううーん、やってみたい、そのためなら結婚してみてもよいと、酔っ払ったわたしらはそんなささやかな夢(?)をつまみにさらに杯を重ねたのであった。あほらし。でも、離婚式のBGM考えると結構楽しい。あと何が挙がったんだっけなあ。ラブ&ロケッツの「君への愛は一日じゃ終わらない。でも君への愛は二日で終わる。それは太陽の輝きのせい」とかいう歌詞もなかなか深い。フリッパーズ・ギターにも「すべての言葉はさようなら」(あ、このCD貸したままだ。題名が本当にこれだったのか確認できず。)という極上の別れの歌があったし、そんなマイナーどころばかり責めなくても、寺尾聡の「ルビーの指輪」でお互いの結婚指輪を外して景気よく放り投げて、だれも拾わない指輪が床に転がるというのもいいだろう。誰かやらないかなあ。

 なんで仕事の愚痴が愉快な離婚になったんだろう・・・とりあえず愉快な気分にはなったが・・・・



5月18日

 Mちゃんより留守電が・・・「急にロンドンに行くことになりました。土曜日に帰ってくるので日曜日に会おう」
 ロンドンかあ、いいなあ。

 そういえば、最近よくオンエアされている某美容外科の変なCM(外人のねーちゃんが、彼氏と待ち合わせしているところに、変なラテン男がケンカ売ってんだか、ナンパを意味しているのかよくわからないけど、とにかくなんかシャドーボクシングでからんできて、ねーちゃん無表情のまま美しい脇をみせながらクネクネ踊っていて、やっと彼氏が到着したら、ねーちゃんがショーウィンドウの中で脇みせたままマネキンになってるというなんかよくわからんCM)の、拳ふりまわすラテン男が鬼塚だと知り、そんなの人に教えられなければ一生気が付かなかったぞ。(教えてくれた人も、テレビブロスを読まなければ気が付かなかったと言っていた)

 ライフ・フォースはまた6月にやるとのこと、今度こそ行こう。でも、この名称ってなんか怪しげな宗教団体みたいだ。まあ怪しいといえば怪しいのだが・・・6月はブケムも来るし、グローバル・コミュニケーション(この名前も今だとなんだかなあ)も来るみたいなんで、クラブ活動復活か?
 友人の結婚式もあったはずだし(ジューン・ブライド)、6月は落ち込んでいる暇ないみたいだ。そうこうしているうちに夏になることであろう。どんなに蒸し暑くても、やっぱり夏が好きなのであった。

 今日も泳いだのだが、帰りにドライヤーをかけていたら沢山白髪を発見してしまい、鏡を見ながら必死で抜く。白髪増えたなあ。自分がもう若くないことを思い知る。ばあさんになったらシャネラーになるのが夢だったのだが(理想のばあさん故ジェシカ・タンディ)このままいくと、シャネル・スーツに身を固める老後はあまり望めそうにもないのがちょっと悲しい。やはり家事の腕を磨いて住み込みの家政婦目指すかな。

 KMくんから電話あり。「ゴダールの映画史」は日曜日に見にいくとこにした。



5月17日

 昨日日記を書いてからアップしようとしていたら電話あり。Mちゃんだった。こちらからも電話しようと思っていたので、うれしくなって話しだしたら結局10時くらいから朝の4時までかかった。前もたしかそんなかんじだったような・・・あたしらひょっとしたら何か問題があるのかもしれない・・・それにしても、6時間のあっという間なことよ。
 内容をふりかえる。GWお互い暇だったらしい。スマスマにおすぎとピーコが出演したのを彼女は見逃したそうなので、どんなかんじだったか説明。読んだ本の話。これから読もうとしている本の話。(お互い「ハンニバル」にはリクエストかけている)恐るべき17歳の話。(名古屋の17歳の部屋から貴志祐介の本が発見されてようで、また世間に騒がれたら嫌だなと思っていたが、あまり触れられなかったし、すぐにバスジャックが起こったのでそれどころじゃなくなったようで安心したらしい)「神の国」発言から教育の話。ベルディに広永が戻ってきてしまい、「練習場には行かないことに決めた。それをやるとまた歯止めがきかなくなる」そうで、その気持ちはよーくわかる。中田と森首相が会食したというのは本当か?
「でもさあ、なんか家庭が悪いなんていうけど、いろいろ昔の話とか聞いても、家庭なんて大昔からいいことなかったじゃない」
たしかに、小説や自伝なんかでは想像を絶するような家庭環境はいくらでも出てくる。貧困もそうだし、裕福な農家では「おしん」みたいな目にあったり、現代人が思い描くような「理想の家庭像」なんて昔にもなかったはず。
「なのに、こんなに子供が荒んでなかったのはなぜなんだろうと考えたら、要するに食べ物がなかったからだと気が付いた」
ほほう。Mちゃんにしてはかなり「平凡」な結論であるが、たしかに生きるか死ぬかの環境ではその他諸々は優先順位が低くなる。冗談半分で「そう思ったら、ファイト・クラブ見たらおもしろいよ」と私が言うと、「でもあれって、見た後胸くそ悪くならない?」と言うので「いや、多分、笑えると思う」とアドバイスしておいた。

 というわけで、また寝不足のまま仕事。
 なんとかやりすごして、家路につく。電車の中で「アフリカを食べる」という朝日新聞記者(松本仁一)によるコラムを集めた本を読む。前からMちゃんが勧めてくれていた本だった。昨日の小泉武夫にくらべると、こちらはなんとなく上品な語り口だけど、やはりこの方も相当の健啖家のようで「生肉」「生魚」に果敢にチャレンジしているし、現地人の差し出す怪しげな食べ物にも気後れなく立ち向かっている。
 読みやすいし、アフリカの抱える様々な問題もさりげなく散りばめてあるので、「アフリカ初心者」にはたしかにお勧め。
 ところが、私は寝不足のためちょっと神経が鋭くなっているらしく、そういうときに「難民キャンプの子供たち」とか「農業技術者の日本人が志し半ばで病で逝った」話なんか読んだら、すっかりうるうるしてしまい、いくらなんでも「アフリカを食べる」で泣いていたら、周りの乗客も不審がるだろうと必死でこらえる。
 他の人はどうだかしらんが、どうも寝不足だと涙もろくなって扱いにくい。たぶん、普段だったらどうでもないことでものすごく泣けてしまうのだ。赤ん坊がむずがることから進歩していない。
 本の中に「野生のチンパンジーを観察している長谷川青年」というのが写真付きで登場していて、メスのチンパンジーに「マリコ」という妻の名前をつけていて、「今は長谷川青年は東大で先生などをやっている」との1行がぽつねんと添えられていたが、欄外に本が出版されたときに付け加えられた文章があって、「長谷川青年」とは長谷川寿ー、「マリコ」さんは長谷川眞理子さんでした。著作を読もうと思っていた矢先にこんなところでお会いするとは・・・いや、さすがにこんなことじゃ泣きませんけどね。

 Cちゃんからメールあり。仕事で鳥肌実と会ったらしい。うらやましいぞ。詳細は電話で聞こう!



5月16日

 ドトールで本読んでいたら、おじちゃん3人組みが賑やかに入ってきた。どうも、その近所にある「生カラオケの店」がまだ開店していなかったので、時間潰しらしい。まだ酒飲んでいるわけでもないのに妙にテンション上がっている。
「えー?誰だあ?」
「だから草笛光子みたいな感じだけど、もうちょっと若くて・・・」
「おれは、最近は松嶋奈菜子だね」
「それ、だれだ?知らないぞ」
「おれは、やっぱノリカだな」
「ノリカはぶさいくじゃん」
「背が高すぎるよ」
「背なんてどうでもいいんだよ」
 何がきっかけなのか、「好みの女性タレント」の話になる。たしかに背なんてどうでもいいだろう。きみらのとなりに座ってくれるわけでもない。
しかし、背広姿のリーマンおじさんたちが夢中になって話しているのはなかなか見苦しくてよい。
「ほんとはさあ、鈴木京香がいいんんだよね」
「あれ?このあいだ結婚しなかったか?」
「まだ結婚してねーよ」
「じゃあ、石橋貴明とできちゃったのは?」
 それは、鈴木保奈美でございます。微妙なはずし方がなかなか・・・・
「でも、もう男がいるんだよ。結婚してねえけど、同棲してるんだよ」
 なんでそんなに詳しいのだろうか・・・
「あの役者、ぜってー一生うだつあがんなよ、あんなやつ」
 言葉使いが高校生のようだ。「ぜってー」とか。でも、ご指摘の堤真一はすでに役者としては、そこそこの評価がされているので、充分「うだつ」はあがっていると思うが・・・
 おじさんの一人が「タバコ買うついでに、まだ開いてないか見てくるわ」と席を外すが、しばらく戻ってこないので
「あの人、タバコ買うついでに、ナンパしてんじゃねーの?」
「なんか・・・・さんの趣味、おばさんみたいだからやだなあ。さっきも草笛光子とかいってたじゃん。」
「おばさん引っかけてきたらやだぞ」
「ほんと、おばさんなんてごめんだよ」
 おじさんがたは「おばさん」嫌いらしい。

 そんな素敵なオジサマたちの限りなくオバサンに近い会話をBGMに「世界を食べまくる愉快なおじさん」小泉武夫氏の「地球を快食する」を読んでいた。ああ、やっぱり一度開けてみたい、スウェーデンの地獄の缶詰「シュール・ストレンミング」



5月15日

 昨夜超久しぶりにMZちゃんから電話があり、私が腰痛のため欠席した金曜日のLFの話を報告される。ニックも来ていたみたいで残念。またやるという噂もあるようなので、期待しておこう。ついでに、なんでそんな話になったのか、「そういえば、どんとが亡くなったんですよね」と言うので、そりゃまた随分前の話だけど、あのころ確かMZちゃんも渡米前だったしなかなか会う機会がなかったので今ごろそんな話をするとは・・・ゼルダとかローザ大好きだったもんね。
 などと、古い訃報を話題にしていたら、今朝テレビ付けたらオブチさんお亡くなりになっていたのですね。娘さんが立候補するとかワイドショーでは騒がれていましたが、ほんとかよ。
 なんとなく気分が浮上してきたので、帰りに本屋に寄ってぼんやりと棚を眺めていたら、おお!池澤夏樹の新刊が出ている!もうこの人小説書かないのではと勝手に思っていたのだが、書き下ろしらしい。また図書館に速効リクエストかけに行かなくてはと思っていたら、SWITCHは池澤先生特集だ!写真は久々に見るが、あんまり老けた様子もなくあいかわらず斜視というかロンパリな眼差しがいいかんじである。よっぽど買おうかなと思ったが、なんか南の島の写真にやられそうなので止めておく。さらにぶらぶらしていたら、NHK専門雑誌(タイトル忘れた)の表紙はミッチーだ!「晴れ着・・・なんとか(やはりどうしても憶えられない)」というひそかに楽しみにしていた金曜日のドラマは、ここ2週間ほど観ていなかったのだが、まだ続いているらしい。今週こそ観るぞ。
 と、本屋でちょっぴり元気がよくなり、1円も金遣わずに出てきた。現在、CDプレーヤーが瀕死の状態というか、ときどき意識不明になるので、そのために貯蓄中なのである。ついでにビデオも2年前にお亡くなりになっているのだが、遺体は放置されたままだし、洗濯機もちょっとご老体なのだが、もうちょっとふんばってもらいたいところだ。CDプレーヤーの調子が悪いから、ここしばらく全くCD買っていない。でも、おととい近所のTSUTAYAで視聴した、アート・リンゼイのセレクトしたブラジリアン・ファンクのコンピレーションはなかなかよかったので欲しいと思った。昔デヴィッド・バーンも似たような企画盤出したけど、あれはあんまり好きじゃなかったのだが、さすがリンゼイ氏はつぼを心得ていますな。
 数年前NYに行ったときに、アート・リンゼイがライブをやっているのを知り、行こうと思ったが同行した友人が夜になったら疲れてしまいいかないというので、仕方なく一人で夜の10時にタクシーでクラブに向かい、ライブが終了したのが2時。どうしようかなあと不安になったが、ホテルに帰るしかなかったので、店の前で待ち構えていたタクシーに飛び乗ったが、なんかやっぱり女の子1人でこんな夜中に、しかも行き先はいかにも団体客が泊まっていそうなホテルだし、ぼられたり遠回りされたりするのもいやだったので、こうなったらタクシーの運転手が「とっとと降ろしたくなるような客」になってやろうと思い、いきなり戸川純の歌を歌い出したが、さすがNY、運ちゃんビビった様子も見せなかったが、行きとほとんど同じ料金で帰れたのはそのせいかどうかもわからなかった。ブラジル育ちのニューヨーカー、アート・リンゼイの想い出は、そんな情けない冒険談にかき消されている・・・



5月14日

 なーんか、なんにもやる気でなくて、もしかして5月病?
 でも、昨日は久しぶりに泳いで、帰りにちゃんとハーブティも買って、多少片付けた部屋で優雅に飲みながら、優雅に「証拠死体」なぞを読んでいたら、すっかりはまってしまい、読み終わったら午前2時。
 でもって、今日は新宿に前にやった日雇いバイトの給料を取りに行った。昨日、調子良く泳げたので気をよくして新宿まで歩いた。1万円を受け取り、欲しかったパウダー(ファンデーションは何を使っても肌に合わないので、所謂おしろいを使用している)を買おうとミロードであれやこれや悩む。ついでに小金が入ったのをいいことに、やはりかねてから欲しかった「薄紫のアイシャドー」もあれこれ試すが、最近の化粧品はラメ入り(とは言わないのか?)が多くて、どちらかというとマットな感じが好みなのだが、なかなかこれといったものがなく、あれこれ試すうちになにがなんだかわかならくなり、最後はもうどうでもいい予算内ならとずさんな選択になるが、同時に「塗るものいっくら選んだところで土台は同じだし」というあきらめの心境になり、塗り甲斐のない我が顔にため息がもれた。
 帰りについでだからと今日が最終日だった「宮島達男展」にまた寄ってしまった。なんだかロビーに人だかりがしていて混んでいる様子だったが、入り口でチケットを購入しようとしたら、受付のおばさんが「学生の方ですか?」と私に明るく声をかけてくれたので、いきなり機嫌よくなる。客層はかなりばらけているとはいえ、やはり若者が多いので、ちゃんと学生証を所持している「本物のギャル」を沢山見ているはずの方から「学生さん」呼ばわりされると、いきなり白鳥麗子のような高笑いがしたくなった。おほほほー!
 結局、もうこれで最後だと思い、暗闇3回も見ちゃったよ。暗闇が好きらしい。
 オペラシティからまた、てくてく歩いて帰ってきたらもう7時だ。さすがに、ひざが痛くなった。



5月12日

 ハーブティ買うの忘れた。麦芽飲料は買ったけど。
 腰痛は快方に向かっているが、まだ予断を許さない状態である。
 それでも気分は多少晴れてきたので、このまま一気に浮上したいところだ。
 アメリー・ノートンの「午後四時の男」は一日で読んじゃったので、押えとして借りていたコーンウェルの「検死官」を読み始める。実はこのシリーズは途中から手を付けたので第一作目を読んでいなかった。いきなり一人称なので驚く。最新作より10数年溯っていることになるが、こういう読み方もおもしろいのかも。
 そういえば、朝日新聞のサイトにあるAICにメールしたら、また掲載されちゃったよ。前も書いたら載せてくれたので、今のところ100%だけど、投稿少ないのかなあ。なんか農大について書いてあったので、うれしくなってメールしたのだが、また農大行きたくなってきた。馬もかわいいが牛もけっこうカワイイし、敷地内には「家畜病院」という「動物のお医者さん」ファンにとってはたまらない看板もあるし、なんだかとてっても都会のオアシスなのだ。
 動物といえば、会社のとなりのビルになぜかゴールデン・リトリバーの小犬がいて(どうも一階に入っている不動産屋が飼育しているらしい)そのフェロモンばらまきぶりにかなりやられている。もう、抱えてダッシュして地の果てまで逃げていきたいくらいだ。彼(彼女?)を前にして「いやーん。かわいい!」以外の言葉が思い浮かばない。「食べたくなほどカワイイ」という言葉が単なる修辞ではないということが「ううう、あのいい感じに垂れたふわふわの耳にかじりつきたい」と心の底から湧きあがる真の欲望を意識してわかった。がんばって働いて、でかい犬の一匹も飼えるような生活をしたいものだ。 


 
5月11日

 ああ、腰が痛い。今日は出社したら、先に上司が出勤していて「大丈夫?」と聞かれたので、休んだ理由は腰痛だけではないのだが、分かりやすいので「いやあ、腰が痛くて・・・」と言ったら、「どうしたの?」って言われても、特にこれといった理由ないっすよ。持病なんです。もう2回もぎっくり腰経験してるんです。一生付き合う病気なんです。適度な運動しても直らないんです。
 それにしても毎回そうだが、腰はやはり「体の要」なので、腰痛に襲われると体の力も抜けるが、なんか活力がみなぎらないというか、普段も別にそんなに活気溢れるキャラではないのだが、やはりそれでも「抜けきった今の自分」よりかはかなりましなのだと実感するのだ。
 友達がひさしぶりにメールをくれて「金曜日夜遊びに行こう」と誘ってくれたが、当然お断りする。残念。
 スポーツクラブも自粛しているので、なんか暇。

 ベルリンといえば、ラヴ・パレードだろう、はあ今年もやるのかな、そろそろだなあ、私に金借りたまま返さない方もまた行くのかなあ、とか別のところに飛んでしまったので、もっと得意分野で気分をリフレッシュしようと思い、昼休みにサーフィンしていたら、わーい、いつのまにか「名香智子」も「佐藤史生」もあたるではないか!2年前はこんなんじゃなかったぞ。しばらく暇は潰せそうで嬉しい。やっぱ少女漫画だよね。三つ子の魂百までというが、未だに小学生のときに出会った少女漫画の世界からは抜けられない。
 カラオケにいくと毎回しみじみしてしまうのだが、高校生以前に聴いていた曲はけっこう唄えるのだ(ビリー・ジョエルとかアバとかホール&オーツとかだけどさ)やはり自分のものとなって定着するのは若いころ習得したものらしい。スマップの「LET IT BE」はやっと最近になって「唄えそう」になってきた。この年で楽曲をものにするのは時間がかかるという悲しさよ。早く唄いにいかないと次の曲が出てしまいそうだ。体調よくなったらまたMちゃん誘ってみよっと。(私らがDUMでAZTEC CAMERAを唄っておかないと削除されてしまうと心配して毎回挑戦しているのだが、それにしてもTHE SMITHSとかもっと入れてくれてもいいもんだ。本当はJAPANが唄いたい。)とか、なんでカラオケの話を書いているのだろうか、なんか集中力がないなやっぱりって、いつもそうか。
 そうそう、ベルリンといえばルー・リードだろうやっぱ。(しつこい)ルー・リードの曲では「ニューヨーク・テレフォン・カンバセーション」がお気に入りなんでカラオケに入れてくれないかなあ、元祖ラップだよ(と、昔だれかが音楽雑誌に書いていた)この携帯電話の電波が飛び交う現代においてはもっと評価されてもよい楽曲だと思うんですけど・・・

 もうやめておこう。悲しくなってきた。やはり腰痛のため掃除も洗濯も控えているので(気力が無いだけだが)、なんだか気持ちも荒むようだ。早く良くなって、こぎれいな部屋でハーブティでも飲みながら優雅に日記を書きたいものだ。
 そうだ、明日はハーブティを買いに行こう。

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5月10日

 体調不良で今日は欠勤。はあ、仕事溜まってるのになあ・・・
 午後になって少し良くなってきたので、とりあえずここ数日悩んでいた問題を文章化する。ついでにまた問題の写真も見てみたが、だんだん慣れてきたみたいだ。ちょっと気分良くなってきたかも。自分では重大だったが、文章にすると大したことでもないし、はあ、やっぱ書くとすっきりするので書いてよかった。
 昨日Kくんと話しながら、「何がそんなに嫌だったのか」を頭の中でまとめることができたみたいなので、Kくんには感謝しておこう。

 ついでに母上に電話してみたら、なんだかご機嫌よろしくて、新しい職場の話などを聞いた。某大手家電メーカーの研究所で掃除婦をやり始めたらしいのだが、警備が厳重なので「洗濯機の新製品を研究しているわけでもないみたいなんだけど、何やってんだかはよくわからない」という、お母さんに代わって私が潜入してみたいような所だが、母いわく「普通じゃないかんじの人」をよく見掛けるようで、たとえば食堂を午前中掃除していると、時々それをぼんやり眺めている男性とかがいるようで(広い構内に建物が点在している所なので、食堂も通りがかるような場所にはないので、わざわざやってきているとしか思えない)、だいたい朝も社員の人達が挨拶しているのなんて見たことないようだし、「皆、頭はいいんだろうけど、なんだかねえ」な感じのようなので、私の「婿探し」には適当な場所ではないみたいだから、そのせいだかなんだか知らんが「でも、結婚するだけが幸せじゃないしねえ」というモードであった。よしよし。
 びっくりしたのは、「あんたの会社はどう?」というので、まあいいように説明していたら「ところで、その会社は社員が何人いるの?」というので「60人くらい」と言ったら「え?そんな立派な会社なの?」あのー・・・さんざん説明したと思うのですが、親会社はもっと大きいのです。300人くらいいます。「私がどんなところに勤めてると思ってたの?」「3人くらいのところにいるのかと思ってた」
 どうりで、「そんなわけわかんないところで働いてないで、お父さんがまだ働いているうちに、コネでお父さんの会社に入れてもらいなさい」と会うたびに言われるのは、そういう誤解があったからなのか・・・
 たしかに、一時期友人の働いていたベンチャー企業(社員3名)を手伝ったこともあって、それがけっこう大変だったのでこぼしたりしたが、そこには3ヶ月くらいしかいなかったのだか、それと混同しているのかなあ?
 だいたい急に学生時代の友人の名前を言い出し「そういえばTさんは何しているの?」って、よくTさんちに泊まっていたのでそれで憶えているのかもしれないし、親が外泊をいやがるので私はたぶんTさんについても過剰に説明しただろうから印象に残っているのだろうけど、彼女は卒業後2年くらい東京で働いたあとに郷里に帰ってしまい、その後年賀状をやりとりするくらいの仲でしかないので、いきなり母の口からその名前がでてきてびっくり。
 昔のことはよく憶えていても、最近のことはちゃんと認識してくれないようだ。

 長野の老人ホームにいる祖母には、父が弟を連れて会いにいったようだ。じゃあ、私が妹を連れていってみるかと言うと「じゃあ、私も行こうかしら」と母が言い出す。どうも、前のパートを辞めてから暇のようで、「だったらおばあちゃんの世話をしてもいいかも」となんで今更そんなこと言い出すのか不明だがその件に関しては父がちゃんと「やめといたほうがいいよ」と言ったようで、父にしてみれば実母だが、また嫁姑の間に入るのも嫌だろうし、そもそも父にしても祖母をもてあましていたので、口数少ない父もそのへんはちゃんと言葉に出した様子のなので安心。
 そういうわけで、祖母帰京は流れたが、母は「恵まれない子を預かるボランティアやろうかな」とかも言っている。うーむ、たしかにやりがいはありそうだが、責任もあるし、それに情が移っちゃいそうだからなかなか辛いのではないかと思うのだが、「母をいい意味で煩わせる孫を産んであげられない不肖の娘」としては、そこに何か意見を挟むのもためらわれる。
 お母さん、犬飼おうよ、犬。かわいいよー。私も、犬がいたら、もっと実家に帰ると思うよ。だってときどき無性に犬の散歩がしたくなるんだもん。遊歩道を散歩する犬たちをものほしそうに眺めていたりするもん。犬にしようよ。犬!
 とか、私がアドバイスしたって絶対にきかないにきまってるので(過去何度も失敗している)、なんとか母が自力で犬にたどりついて欲しいところだ。



5月9日

 すっかり休みボケ。働きたくない。でもどうせ一日座ってモニター見てる仕事だから、一日寝転がってたまにパソコンに対峙していた休み中と何が違うんだろうかなんて、またドツボにはまるようなこと考える。
 そういえば、昨日スマスマ見てたら「おすぎとピーコ」がツーショットで出演していて驚いた。いつのまにか仲直りしていたのね。って仲悪かったのかどうかも知らないけど、しばらく並んでいるのを観たことなかったので・・・
 会社にも本当のオカマだと認定されている「オカマのおじさん」がいて、年末に「あたし、明日は散髪に行くの。ヘップバーンみたくなるからね」と言っていたのに、翌日見かけたら単なるベリーショートなので、「髪を切る」イコール「ローマの休日」の王女でヘップバーンと言ったのか、それとも「セシル・カット」のジーン・セバークと混同したのか謎だったが、ともかく私は「オカマのおじさん」は結構好きだ。

 Kくんから電話があって、「ゴダールの映画史」のお誘い。彼はゼミのレポートのために観なくてはならないようなのだが、私が観た方がいいかはちょっと疑問らしいが、見終わったあと「語る」ためにも是非お誘いしたいということらしいけど、いろいろ説明きいていたら、とても観る人を選ぶ作品のようで、果たして私は選ばれるのであろうか?蓮見先生の著作もたくさん読んだはずだが、ほとんど記憶の彼方だ。でも、脳細胞の老化防止のために観ておくべきではないかと思うのであった。最近観た映画が「マトリックス」「グリーン・マイル」「ファイト・クラブ」というライン・アップなのにはかなり不満ではあるので、やっぱ原点(?)に返らんとな。学生時代に母が作ってくれた弁当を持って、そのまま自由が丘の映画館で「ゴダール3本立て」を観ていた栄光の過去を思い出そう!ヴィスコンティの2本立てを観たあとに、涙が止まらなくなったこともあったなあ・・・いや、感動したんじゃなくて、長すぎて目が疲れただけですが。

 さて、ここんとこ友人にはぜんぜんメールも書いてなかったので、さっぱりメールも来なくなってしまったので、心を入れ替えてメールでも書くかなあ・・・その前に親に電話しなくちゃいけないのだが、どうしよう・・・・あんまり逃げてばかりいるのもねえ・・・ねえ・・・(自分に言い聞かせている)
 ・・・というわけで、電話した。2時間も話した。私ってなんて親孝行な娘。というわけで寝よっと。



5月7日

 おいおいB君また電話してきたよ。さすがに心配になったが(電話代が)なんだか知らんが大丈夫らしい。まあ、そういうことなら、私と話しているほうが、酒場のねーちゃんにふんだくられるよりも安価で安全なので、いいんだけどさ。どーせ暇だし、「起きてた?」って言われて「てゆーか、さっき起きた」ですからね。ただ後でまた過剰に感謝されるのは御免なのだよ。それだけは気を配ってくれたまえ。

 きょうみさんが、おととい撮影した写真をさっそく送ってくれた。顔写真を早速加工してみる。まず水平に反転。馴染みのある鏡に映った顔だ。こっちの方が見慣れてるからやっぱ好きかも。そして、真ん中で切り取って、右側の顔同士をくっつける。ふーん。今度は左側もやってみる。ふんふん。おおお!やっぱ違うなあ・・・・いやでも、この二つを並べると、どっちが本来の自分の顔ということではなく、どっちも似てるけどどっちも微妙に違っていて、いや待てよ、本来の顔は・・・・などと自分の顔写真5枚を交互に見比べていたら、だんだん怖くなってきた。
 どうしても、一度やってみたかった作業ではあるが、これちょっと精神衛生上良くないわ。気持ち悪いんだもん。
 でも結果としては撮影条件は完璧ではないにしろ、左顔の方が、優しいかんじになっていて好きかなあ。そんなことわかってどうするって感じだが。

 今日もまたごろごろしているうちに終わってしまった。人間失格なGWであった。こんなんで明日から職場復帰できるのか疑問だが、まあなんとかなるでしょう。GW中にこのサイトもいろいろ変えようかと画策していたのだが、なんもやらなかったな。本読んでばかりだった。



5月6日

 5日は9時くらいに起床する予定だったため、4日の12時ごろ「そろそろ寝るか」と思っていたら、またもやB君から電話。「なんか一回かけると、癖になるというか・・・」と人を中毒性のあるもののように呼ぶ。要するに、自宅を離れて仕事していて、それが上手くいっているのかどうか知らないけど、ちょっと寂しくなっているのであろう。今までの経験からしても、彼はあまり好調なときには電話してこない。よくよく聴くと今は四国にいるらしい。
 前回の電話でだいたい毒気は抜けたようなので、今回はわりと穏やかに話しが進んだけど、私もビールなぞを飲みながら、向こうも何か飲み物を漁る音がする。そんなんで、結局4時くらいまで話す。長距離長電話・・・・あたし知ーらない!でも、セラピーにかかるよりは安価よね。
 それはいいとしても、9時に目覚ましが鳴っても起き上がれず、結局10時ごろなんとか起き上がり、慌てて支度して成田に向かう。
 休日昼間のダイヤなので、東西線は各駅停車に久しぶりに乗るが、ぼんやりしていたら「みょうでん」という聞きなれない駅名が登場して、はっと我に返り「ここはどこ?」状態。どうも新しくできた駅らしいけど「妙典」というのも妙な駅名。しかも、自分の名前の一文字が「妙」と定義されていることに、二日酔いながらも不愉快。
 それにしても、育った地域とはいえ、最近は年に数えるほどしか訪れていないので、毎回「新しい駅」にはとまどう。船橋で京成に乗り換えたら「1番線に・・・空港行きが参ります」とアナウンスされたので、てっきり「成田空港行き」なのかと思ったら、反対側のホームに「羽田空港行き」が入ってきて「なんじゃ、紛らわしいぞ!」と、二日酔いなのでいらつく。
 きょうみさん宅に着いたのが1時半。
 屋上でバーベキュー。日差しが強く、風が気持ち良かった。

 暗くなってからKちゃんのダンナが車で迎えにきたので、人懐こい性格の彼をM子さんが「わたしらはねえ、付き合い長いから君の奥さんの過去もいろいろ知っているのよー」とからかう。私はKちゃんとは小学校4年生から高校まで一緒。M子さんは高校、大学が一緒。
 しかし、私は彼女が20歳過ぎてからはそれほど交流があったわけでもないので、ダンナに吹き込めるようなネタをあまり持っていないので、大昔の話を暴露する。
「Kちゃんちの物置の中に入ってよく二人で遊んだよね」
 それについては、Kちゃんも否定しなかったが、ではその中で何をしていたのか彼女は記憶していなかった。私にはインパクトがあったのだが、向こうはそれほどでもなかったのだろう・・・なんて、もったいぶったことを言うと、皆「いったい何やってたの?」と、想像を逞しくするが、答えのあまりのくだらなさを知っている私は、自分で吹き出してしまい、なかなか言うことができなかった。

答え・・・暗い物置の中で私たちは梅干しを食べていた

 しかもでかい梅干しですごく酸っぱかったんだよなあ。でも普通、物置の中に立て篭もってそんなもん食わないよなあ。Kちゃん曰く「うちってお菓子が置いてなかったから・・・」たしかにそれもあった。果物とかパンはあったけど、スナック菓子はなかったような。
 しかし、多分私たちは物置の中で梅干しを食べるという行為に何かしら背徳的なものを感じたのではないだろうか(笑)

 そんな話で盛り上がりつつ(ちゃんと教育問題や詐欺商法問題などについても話してましたが・・・)9時に退去して、また長い帰路につく。部屋に帰ったらもう12時だった。

 長い車内の間、「人が人を殺すとき」を夢中で読む。昨晩、B君と話しているときに、パトリシア・コーンウェルの小説を読んでいて思った「女性がさらに社会進出を進めて、それなりの権力に就く人数が増えたら、男性と同じような権力の腐敗(汚職とか癒着とか)を起こすのか」という疑問を投げたけど、B君からは一般的な答え(男性も女性も同じでしょう)しか出てこなかったが、この本の理屈を素直に受け入れると、性差というものは歴然とあり、それがゆえに男性は暴力的で女性を支配したがる。という、女性にとっては「やっぱりね」なことが並べられているが、これを男性ならどう受け止めるのであろうか?
 だからといって女性に自己顕示欲や支配欲が無いということもない。でも、それはまた男性とは違う理屈なのではないかと思わざるを得ない。長い間、女性の社会的地位というものは配偶者の地位そのものだったはず。少なくとも今はそうだ。奥様たちの集まりでは歴然としている。そこでは女性の能力は全く問われていない。そう考えるとブランド信仰なんかも説明がつく。高級車もブランド品も男性にとっては「俺はこんなにすごいんだぜ」だけども、女性にとっては「あたしのダンナはこんなにすごいの」なのではないか?
 難しいのは多分、買ってもらったブランド物に身を固めた女性と、自分で買って武装している女性のどっちが偉いのかが、まだ確立していないということだ。具体的には、自分のダンナの女性上司を奥様はどう位置づけていいのかわかっていないのではいか?社宅なんかでは、「働いている奥さん」に対する風当たりが強いといわれているが、たいていそれは「嫉妬心」が起因していると言われているようだけど、こういうふうに考えると、女性進出によって「男性社会のヒエラルキー」が混乱するのと同時に「女性社会」のそれも混乱してしまうのではないか。
 たとえば、優秀な女性社員がいたとしても、男性たちは「あの人は女にしておくのはもったいない」などと、彼女を男性と同じものだと考えればいいけれど、女性はそんな誤魔化しができるだろうか?そして女性同士が同じ土俵の中で自分の力で闘うという方法をこれから作っていかなくてはいけないのか?そうだとしらた、今後現れるであろう「女性の権力争い」というものは、どんなものになるのだろう。「西太后」みたく、手足斬りとって壷に入れる?
 でも、そういう「ケンカのやり方を知らない」女性同士がどのように暴走するのかをちゃんと描いたら、けっこう面白い作品ができそうなんだけどなあ。やり方によってはかなり怖いぞ。「ミザリー」あたりはいい線いっているのかもしれないけど。「黒い家」はちょっと怪物度が強すぎたが・・・。コーンウェルの「死体農場」(題名だけでも怖い!)にも、かなり歪んだ女性が登場していて、自分が注目を集めるためだけに自分の子供を殺していく。「哀れな母親」として、他人を支配する。
 それはかなりの狂気だけれども、実際そういうふうに行動する女性は多い。「不幸自慢」はそんなに珍しいことではない。

 昨日、M子さんが「不幸自慢する男に2人会ったことがあるけど、あれはなんなのだろう?」と言っていたが、あまり詳しく聞けなかったし、私の知る範囲では該当するような事例は思いあたらなかったので、なんとも言えないけど、どうも彼らは「いかに自分が貧しい家庭で育ったか」を延々と語ったらしい。それって女性を獲得するのにはどう考えても有利ではない。
 ただ、よく成功者がオヤジ系雑誌で大いに語るように「恵まれない環境から這い上がった」というのを誇示するのは「おれってすごい」ということだから、わかるけど、今現在冴えないやつに「昔はどん底だった」って言われてもねえ。単に「アピールの仕方」を間違っているのだと思うけど、面白いのは女性でも男性でも「私は恵まれない環境で育った」という話は、どう考えてもたいしたことない場合が多い、ということだ。
 M子さんにしても、わざわざそう語るほどの「貧乏」を定義してみたそうで、例えば「小学校のころから家計を助けるために働いていた」とかである。でも、実際にそういう苦労をした人はそのことを隠したがるだろう。
 私の知るかぎり「家庭事情を悪く言う」人達の目的は「だから今でも自分が冴えないことのいい訳」であった。「ちゃんとした教育を受けられなかったから出世できない」みたいな話。実際に奨学金を受けて大学進学したり、新聞奨学生をやっていた人達はそういう苦労話を自慢したりしない。

 あーあ、なんかまたわけわかんなくなってきたようだ。
 今日は、昼には起きたのだが、また眠くなってしまい暗くなるまで寝ていた。さすがにお腹が空いたのでさっき起き出して、冷凍していた「羊肉スープ」を飲んだらやっと目が覚めてきたけど、はあ・・・夜の9時に目が覚めてもちょっとなあ。また明日調整するのが苦労だにゃ。

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5月4日

 昨晩夜中にテレビを付けて「バス・ジャック事件」を知る。またもや10代の犯行なのか・・・。3時くらいまで本を読みながら付き合っていたのだが、結局解決したのは明け方だったのね。フラッシュに光る長い刃物が不気味だった。
 今日は三茶で「僕たち手相を勉強しているんです」という真面目そうな男女二人組に声をかけられる。渋谷や新宿では珍しくもないが、こんなところにまで出張してきているのね。果たして同じ流派(?)なのか興味が湧いたのと、暇だったので相手する。
 「あなたは、ドラマや映画でよく泣いたりするロマンチストではないですか?」
 「普通の女性はたいていそうだと思いますが。そういうもでは絶対に泣かないという手相があるのなら教えてください」
などと、やんわりとからかう。
 「あなたは長女でしょう?」
少子化社会ではこれも大部分の人に当てはまる。それに、私と3分くらい話せば誰でも私が「妹タイプ」ではないということが解る。
 「人との出会いというものは、結婚前、結婚後、死ぬ前というふうにわけられると思いますが、あなたはどれが一番重要だと思いますか?」
意味不明。その分け方に何か意味があるのかもうちょっと突っ込んでみたかったが、あまりにも突飛なので、
 「おっしゃる意味がよくわかりませんが、ちゃんと説明していただけますか?」
と質問したけど、説明してくれなかった。結局、
 「あなたは家族や家系の中で重要な責任を負う運命の方ですね」
などと、「そうじゃない人っているんですか?」な「運命」を告げられた後にやっと本題の、
 「私たちを指導してくれた占い師が、私たちが見つけた強い運勢をもつ女性を無料でみてくれます」
などと宣伝される。何が「強い運勢」なのかは不明なので。
 「その言い方じゃあ、ちょっと説得されないですね。もっとがんばってくださいねー」
と、励まして立ち去った。

 それにしてもどうして「手相」なのかな。なんか他にも「あなたは結婚したらとても尽くすタイプです」というので「じゃあ結婚しなかったら?」「その場合は悪い相手にも尽くしてしまう可能性はありますが・・・」そんなこといわれても、心は動かんぞ。
 たしかに他の占いに比べると手相は「ビジュアルな証拠」が述べられるので、心に不安を持つ人につけ込むには有効な手段なのかなあ?
 そこをとっかかりにして「姓名判断」に持ち込みたいようで「名前というものには家系というものが現されています。家系というものには癖というか流れがありますよね。鳩山家のように東大に入るような人材をたくさん輩出するような家系とか」鳩山家・東大って、間違ってはいないのかもしれないが、普通、鳩山家・政治家でござんしょう。ツッコミ入れる気にもならず。
 ああ、たいした暇つぶしにもならなかった。

 パトリシア・コーンウェルの「警告」を読み切ってしまった。検死官シリーズではない、女性警察署長シリーズ「スズメバチの巣」「サザンクロス」では、主人公も女性でそれに敵対する存在も女性という、ある意味男性社会をパロった寓話が展開されていて、昨今のミステリの「女性もの」流行の中でもこの人一歩先を行っているなと思っていたが、「警告」でも「権力欲にとりつかれたいやな女」と「その手下の馬鹿な女」が描かれていて、こういうのって男性読者はどう捉えるんだろうなあ、と疑問が湧く。
 アメリカだと女性上司も多いだろうから、そういうステレオタイプな「悪女」に自分の周りにいる「食えない女」を重ねるという読み方もできそうだし、女性読者も「女性の足を引っ張るのは女性」という目に多々遭っているだろうから、ああいう設定がそれほど遠くはないだろうけど、日本の読者にとっては「スタートレック」よりも先の未来ってかんじがする。

 そもそも、将来女性が男性と同等な権力を手にいれると、やっぱり男性と同じようなことするのかなあ?権力抗争とか汚職とか・・・
 日本だと多くの女性はそういう男性の構造社会からは疎外されているので、今のところそういう現象はあまり表面化していないと思うけど、アメリカではどうなんだろう?それとも、そういう社会を描くことが男社会で苦労したのであろう著者の痛烈な皮肉なのだろうか?



5月3日

 目が覚めたらちょうど12時だった。表紙のタイトルを作成。なかなか上手くいかないもんだ。
 デザイナーさんたちにEXCELとかを急に使えといっても、こんなもんだろう。(随分ひねくれた納得の仕方だけど)

 図書館で「なぜ人は人を殺すのか」と「警告」(検死官シリーズ最新作)を借りる。これ同時に読むと混乱しそう。
 プールに行くが、皆他に行くところがないのか混んでいてまともに泳げず、かえってストレスたまる。早々にあきらめて、帰りに食材の買い出しに行くが、昨日Aさんと「今度、羊食べに行こうね」なんて話しをしたのが災いして、ラムブロックを購入してしまった。マレーシア土産の「肉骨茶」(バクテー)のスパイスで煮込む計画なのだ。ついでに、パスタ・ソースと以前イタリアン・レストランで出されて「わあ珍しい!」と同時に「うわあ、食べづらい」と思った「電話コード型パスタ」(本当にコイル状)も購入してしまった。それと、キャベツとトマトとコーヒー豆。
 久しぶりに「重い思い」をしながら家路につくと、なにやらパラパラと音がする。よくみると、地面になにか転がっている。氷だ。うわあ、なんだこりゃ、霙?霰?雹?(馴染みのない漢字ばかりだ。みぞれ・あられ・ひょう)とにかく足早になるが、なにせ買い物袋2つも抱えて中身はかなり重量級の上にカバンの中には水泳道具と3冊の本という身の上では、ダッシュできなくて、そうこうしているうちにどしゃ降りになり、ずぶ濡れになりながら近所の中古本屋に駆け込む。店のおばちゃんに頭と荷物を丹念に拭かれた。すいませんでした。

 しかし「警告」は毎回そうだけど、素敵な死体が登場するのだが、今回は腐乱死体かあ・・・ラム・ブロック買ったのはちょっと失敗だったかも。あのかたまりに包丁入れるのがちょっと、なんだか・・・

 こんな呑気なゴールデン・ウィークを過ごしているが、かつては違う過ごし方もしていた。手帳の記載を元に記憶を辿ったが、思ったよりもの凄いスケジュールだった。個人的な雑記のほうに、ひっそりとアップ、というか供養ってかんじ。



5月2日

 天王洲アートスフィアでシティ・ボーイズのライヴ「ウルトラシオシオハイミナール」を観に行く。
 浜松町からモノレールで行ったのだが、駅の雑踏ぶりに改めてGWを実感。航空会社のカウンターには列。モニターの発着案内にも「満席」が並ぶ。今日は、1時間早退したため、上司には「実家に帰るの?」なんて言われたが、あたしの実家は職場よりも近いのよーん。帰っても、また「結婚話」がエンドレス・ループするから帰らないんだよーん。

 ワタクシゴトはさて置き、天王洲には4年ぶりくらいで足を運んだが、「つくりものくささ」は健在。砂漠の中に忽然と現れる蜃気楼のようだ。
 早目に到着したら、まだ開場していなかったので、しばし運河などを眺めつつ、私が男に生まれていれば、芝居を餌に女の子を誘い、そのあとはイルミネーション輝くこの超非現実的な場所でくどくとかやってみたかったところだ、まったく残念。などと、またどうでもいいことを考える。

 もともと、この芝居はAさんの知人がチケットをダブらせたためまわってきたものなので、特にシティ・ボーイズのファンなわけでもなく、わりと大竹まことは好きだという程度。野宮真貴がゲスト出演するのか、ふーん。という予備知識しかなかった。
 席は3階席の1番前。もろ「天井桟敷」だったので、舞台を見下ろすかんじ。2階席桟敷には萩原健太ご夫妻が見えたが、だからなんだ。
 テレビ以外で(それも主にバラバラに)彼らを観たことがなかったので、最初はなかなかテレビのイメージから抜けられなかったが、だんだんと進行していくにつれ、そういう障害もなくなってきた。
 全体として、役者のキャラとかパワーはそこそこ(というか、長年のファンには別の楽しみ方もあるのだろうけど、そういう演劇にありがちなお約束的な部分に関してはこちらはピュアだったので)だと思ったが、演出の工夫(プロジェクターの効果的な使い方や、大道具の活躍など)も手伝って見飽きない構成。それを体力がないのか、気力もそこそこなのか、もともとそういうシュールなものなのか知らないけど、いい意味で気の抜けた演技やネタが、断片的でもなんとなく全体として筋が通っているのかもしれない構成と妙なバランスを保っていて、そこに「日本が世界に誇る無機質な歌姫」野宮真貴がからむというのもなるほど「かつての前衛(?)のなれの果て」としては面白いとこ突いてるなと思ったけど、本人達の弁によると「最終的に大衆演劇にいきつくとは・・・」
 寺山修司のパロディとか、ラストはほとんど往時の遊眠社みたいだったことが「大衆」なのかな?

 私が一番面白かったネタは変なお経。
 木魚のビートに合わせて「働きたくない。働きたくない。」とか「葉っぱが食えたらいいのになー」とか「家賃収入で生活したい」「真面目な人だと思われたーい」とか、あーもっと面白いこと言ってたのだが憶えきれなかったのが残念。
 なんだかんだいっても、けっこう楽しかったし、やっている人達が楽しそうなのがまずよかったし、2時間もやって凄いと思ったし、最後に35分の映画付きでお得な公演だったが、終わったらもう10時近かった。

 Aさんがそのあと石川町のBAY HALL(ハルシノゲンがやるらしい)に行くと言うので、品川で食事することにしたが、10時過ぎるとどこも閉店間際で結局ロイヤルホストにたどりつくが、GWのせいか、異常に混んでいてげんなり。
 帰りに渋谷の駅で、吹き矢を吹いていた(あぶねーだろが!)怪しげな外人を目撃。布かばんからは、大道芸人がよくつかうボーリングのピンみたいなやつが2本顔を覗かせていた。やつもBAY HALL組だなきっと。ゴアでトランスなものは健在らしい。



5月1日

 月が変わったので、なにか変えようと思い、てきとうに題名とかつける。もうちょっと文章が増えたら、分類とかしてみたいもんだ。
 それにしても、どうしてこんなに支離滅裂なのだろうか。七瀬シリーズに出てきた「カオス姫」を思い出す。あれを読んでいたときにも「えー、だって普通みんなこんなふうに色々いっぺんに考えてんじゃないの?」なんて思ったものだが・・・関係ないけど、20代のころときどき「お嬢」って呼ばれたけど、「姫」と呼ばれたことはないな。ふてぶてしかったからかなあ?

 山形浩生が少し前にNGOについて書いていて、友人のNGO活動に疑問を持っていた私としては「ちょっと使わせてもらっちゃおうかな」なんて思ったが、またうかつにそんなことすると大変なこと(っていっても絶交するくらいか?)になりそうなんで、保留にしておいたんだけど、やっぱり反論もあったようだが、あまり私と友人の予想される議論のシミュレーションにはなっていなかったので、もっとこじれないのかなと期待していたのだが、なんだか違う意味でよじれてんな
 でも、モンゴルかあ、なぜか羊肉が好きな私としては、ちょっとトライしてみたい気もする。友達と食事に行ってもなかなか羊はオーダーできないのだが、明日会うAさんは数少ない同好の士で、「仲間を集めて羊会(羊飼い)を結成しよう」と盛り上がったが、なかなか第3のメンバーが出現せず、尻つぼみになっていたが、こうなったらweb上で募集するかな。


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