「顔の右側だけで構成した顔と左側だけで構成した顔を比べてみる」
と、文章で書くとわかりづらいのですが、「人の顔というものは左右対称ではない」ということことで、左右で分けると顔の印象そのものが違ってくるし、写真を合成して右側だけの顔を作ると左側の顔との印象の違いが明白になる、ということを実証してみたいと思ったのです。
たまにいますが、右目が二重で左目が一重の人なんかは、手で片方の顔を隠すだけでその印象の違いが明らかです。たいてい、一重まぶたの顔の方が「悪いかんじ」になったりします。そこで、「悪人顔」の方だけくっつけて合成したら、相当悪い顔付きになりそうなので、面白そうだなあ、なんて思っていましたが、やっとそういう加工ができる環境が整い、自分の単純な好奇心が満たされるときが来たのだと多いに期待していました。
先週の休日にデジカメを所有している友人宅に遊びに行った際に「自分の顔を加工して遊ぶから写真撮ってね」と、友人に説明して、なるべく正面から均等になるように撮影してもらいました。友人はさっそく画像をメールで送ってくれたので、いよいよ実験開始です。なにやら夏休の自由研究をやっている小学生のようにわくわくしてきました。
「あ!これが私の顔だ」
そうです。いつも鏡で見ているのはこちらの顔なんです。写真に写った顔というのは、「写真でしか見られない」のです。いつも写真を見るたびに「写真写り悪いなあ」と思いますが、当たり前です。自分では馴染みのない顔なのですから。同じような現象に「録音された自分の声に納得がいかない」というものがあります。
そういう仕方の無いことに対しては今まであまり深く考えたことがなかったのですが、改めて「他人が見ている私」と「自分が見ている私」とを並べてみると、だんだんと悲しくなってきました。
「他人が見ている私」については、私自身も写真などで確認することができます。私がもしも人気女優だったら、常にその自分を目にすることになるでしょう。しかし、もう片方の「自分が見ている私」というのは、まず他人の目に触れることはありません。私以外の人が見たことのないものを私は「自分の顔」だと信じて、毎日それを元に化粧したりしているわけです。そして、自分が納得した「画像」の常に「裏焼き」なものを他人に見せているのです。
そう考えると「自分が鏡で見ている自分の顔」というものの存在がとても不憫に思えてしかたがありません。
自分ではそれこそが「自分の顔」なのに、自分でしかそれは見ることができない。なんと儚い存在なのでしょう。
そして、自分ではなかなか見ることができない、馴染みのないほうの「自分の顔」で、毎日勝負(?)しなくてはならないというジレンマを感じます。
そんな今更な「自分とは何か?」な思考の深みに期せずしてはまってしまいましたが、この実験の目的はそんなしょうもないこと考えることではないのだと気を取り直して、先に進むことにしました。
そして、完成した2つを並べてみました。
どちらも元は自分の顔です。でもその2つは全然似ていないのです。似てはいないけれど、自分としては両方とも遠いものではなくて、なんとなく親しみはあるのですが、でも違う顔なのです。
左顔の方が、やや女性的で従順そうで優しい感じ。右顔は、やや男顔になり、多少意志の強さが出ている感じです。
どちらが好きかというとけっこう悩みそうです。微妙です。
なるほど。こういうふうになるのか。と、ぼんやり2つの写真を見比べていたら、だんだんと気分が悪くなってきました。手ブレした映像を見ているときの不快感に似ています。多分、三半規管に似たような働きをするものが働いているのだと思います。「自分だけど、ちょっと違うもの」を頭の中でそのブレを必死に修正しているようなのです。
その心の仕組みには同情しますが(すいません、持ち主が変なことやるから・・・)、それでも、自分の顔写真を眺めて「生理的不快感」をもよおしているという事実に対して不快になりました。
もっと、それが「うわあ!ぶっさいく!」とか健康的に笑い飛ばせるようなものであればよかったんですけど、そこまでのものでもなくて、なんか微妙なのがなんともいえないわけです。
そして、さらに元の写真と反転した写真と右顔と左顔の4枚を並べたら・・・・
どれが本当の自分の顔なのか分からなくなってきそうで怖い!
そして、また最初感じた恐怖に戻ります
そもそも、「本当の自分の顔」って何?
私って、自分で思っていたよりも繊細だったのね・・・
ということにしておこうと思います。
ちょっと違うかもしれませんが、そういうことにしておけば、なんとなく落ち着きますので、私がこれ以上このことを考えて「病気」になるのを防ぐためにも、これを読んだ方も「そうか、ミヤノさんは意外と繊細だったんだ」と無理矢理納得しておいて下さい。
自分の顔を科学的(?)な目的のために使ってはいけません。
今後は芸術への貢献のために使用する道を模索したいと決意しました。美しく加工して自己満足に浸ろうと思います。私の腕前が上達したら、他人の写真も加工させてもらえることでしょう。がんばります。