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Michael Pitつれづれ 前のページへ 次のページへ

(2001.春)
花澤さんは、誰よりも「せりふ覚え」が速い俳優でした。台本をしっかり読み込む「努力」をしていたからです。


俳優修行を始めたばかりの私は、飼い猫の世話係アルバイトが縁となって月に一度は花澤家に寄らせていただくようになっていました。

最初に注意されたのは「箸の持ち方」でした。「君は、箸の持ち方が下手だねぇ。こうやって持つんだよ。正しい持ち方が出来ないとご飯を食べる芝居ができないぞ!」。花澤さんの目の前で食事をするだびにいつも「箸の持ち方」を意識していたおかげで、今ではなんとか普通に箸を持てるようになったのです。

まだ若く幼かった私にとって、花澤家は「親戚のおじさん、おばさん」の家のようでした。俳優修行中、寂しくなったり、先が見えない世界にくじけそうになったり、ものすごい孤独を感じたりした時、ただ花澤さんの前に座るだけで、心が和み、元気になったものでした。

「君は、お茶漬けのコマーシャルに出たらいいかもね。お茶漬け!お茶漬け!ってな(笑)」
これはご自宅に通いだしたころ、朝食をご馳走になっていた時に花澤さんから不意に言われた言葉です。


今でも忘れられないのは、青年劇場入団後の初舞台になった「真夏の夜の夢」という芝居を、太田区の会館までわざわざ観に来てくださった事です。楽屋口から「観させてもらいますよ」と突然入ってきた花澤さんに他の劇団員はただただ驚くばかりでした。

よくよく聞いてみると、かつて花澤さんは土方与志の演出による「真夏の夜の夢」に出演され、劇中劇でライオンを演じる職人の役を演じられていたとの事でした。青年劇場が土方与志の教え子によって創られた劇団と言う事を考えると、花澤さんとのつながりを今更ながら感じます。

それからも私が出演した芝居には奥様と一緒によく観にきてくださいました。終演後は必ず楽屋に寄ってくださり、「なかなか君やってたじゃないか。やあおもしろい芝居だったよ」と一言二言感想を言われて帰っていかれました。今思い返しても、とてもありがたいことでした。


花澤さんは、どのような役でも決して類型的ではなく、嘘のない人間を演じてきた「本当の意味での俳優」でした。世の中の事を鋭く見つめる確かな「目」をいつも磨いていました。

画家でもあり、いつも自宅のアトリエには「誰かが何かをしている」絵が描き上げられるのを待っていました。

花澤さんから教えていだだいた一つ一つをこれからも大切に私の俳優生活に活かしていきます。花澤さん、本当にありがとうございました。

花沢先生 花澤徳衛 2001年3月7日永眠 享年89歳

花澤徳衛さん プロフィール
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