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Michael Pitつれづれ 前のページへ 次のページへ

わたしはこの文章に感銘を受けました。
日本語訳が転載可とのことでしたので、掲示いたしました。(大嶋)
(2003.春)

アメリカ人がイラクに爆弾を落とすことを考えるとき、頭の中で想像するのは軍服を着たサダム・フセインとか、銃をもった黒い口ひげの兵隊とか、バグダッドのアルラシード・ホテルの玄関フロアに「罪人」と説明つきで描かれた父ブッシュ大統領のモザイク画とかでしょう。

でも、知っていますか? イラクに住む2400万人の人たちのうち半分以上は15歳以下の子どもなんです。1200万人の子どもですよ。私と同じような子どもたちです。私はもうすぐ13歳ですけど、もっと大きい子たちや、もっとずっと小さい子たちがいて、女の子ではなくて男の子もいるし、髪の毛は赤毛じゃなくて茶色だったりするでしょう。でも、みんな私とちっとも変わらない子どもたちです。

ですからみなさん、私をよ〜く見てください。イラク爆撃のことを考えるときは、頭の中で私のことを思い描いてほしいからです。みなさんが戦争で殺すのは私なんです。

もし運がよければ、私は一瞬で死ぬでしょう。1991年2月16日にバグダッドの防空壕で、アメリカの「スマート」爆弾によって虐殺された300人の子どもたちのように。防空壕は猛烈な火の海になって、その子どもたちやお母さんたちの影が壁に焼きつきました。いまでも石壁から黒い皮膚を剥ぎ取って、お土産にできるそうです。

けれども、私は運悪くもっとゆっくり死ぬかもしれません。たったいまバグダッドの子ども病院の「死の病棟」にいる、14歳のアリ・ファイサルのように。湾岸戦争のミサイルに使われた【劣化ウラン】のせいで、彼は不治の白血病にかかっています。

さもなければ、生後18か月のムスタファのように、内臓をサシチョウバエの寄生虫に食い荒らされて、苦しい不必要な死を迎えるかもしれません。信じられないかもしれませんが、ムスタファはたった25ドル分の薬があれば完治するのです。でも、みなさんが押しつけている経済制裁のためにその薬がありません。

さもなければ、私は死なずに何年も生きるかもしれません。サルマン・モハメドのように、外からではわからない心理学的打撃を抱えて……。彼はいまでも、アメリカが1991年にバグダッドを爆撃したとき、幼い妹たちと経験した恐怖が忘れられないのです。サルマンのお父さんは、生きのびるにしても死ぬにしても同じ運命をと、家族全員を一つの部屋に寝かせました。サルマンはいまでも、空襲のサイレンの悪夢にうなされます。

さもなければ、3歳のとき湾岸戦争でお父さんをアメリカに殺されたアリのように、私は孤児(みなしご)になるかもしれません。アリは3年のあいだ毎日、お父さんのお墓の土を手でかき分けては、こう呼びかけていたそうです。「だいじょうぶだよ、パパ。もうパパをここに入れたやつらはいなくなったから」と。でもそれはちがったみたいね、アリ。そいつらはまた攻めていくらしいもの。

さもなければ、私はルエイ・マジェッドのように無事でいられるかもしれません。彼にとっては、学校へ行かなくてよくなり、夜いつまでも起きていられるのが湾岸戦争でした。でも、教育を受けそこなったルエイは、いま路上で新聞を売るその日暮らしの身の上です。

みなさんの子どもや姪や甥が、こんな目にあうのを想像してみてください。体が痛くて泣き叫ぶ息子に、何も楽になることをしてやれない自分を想像してみてください。崩れた建物の瓦礫の下から娘が助けを求めて叫ぶのに、手がとどかない自分を想像してみてください。子どもたちの目の前で死んでしまい、そのあと彼らがお腹をすかせ、独りぼっちで路上をさまようのを、あの世から見守るしかない自分を想像してみてください。

これは冒険映画や空想物語やビデオゲームじゃありません。イラクの子どもたちの現実です。最近、国際的な研究グループがイラクへ出かけ、近づく戦争の可能性によってイラクの子どもたちがどんな影響を受けているかを調べました。話を聞いた子どもたちの半分は、もうこれ以上生きている意味がないと答えました。

ほんとに小さな子たちでも戦争のことを知っていて、不安がっているそうです。5歳のアセムは戦争について、「鉄砲と爆弾で空が冷たくなったり熱くなったりして、ぼくたちものすごく焼け焦げちゃうんだ」と語りました。10歳のアエサルは、ブッシュ大統領にこう伝えてほしいと言いました。「イラクの子どもが大勢死にます。あなたはそれをテレビで見て後悔するでしょう。」

小学校のとき、友だちとの問題は叩いたり悪口を言い合ったりするのではなく、相手の身になって話し合うことで解決しましょうと教わりました。相手の行動によって自分がどう感じるかをその子に理解してもらうことで、その行動をやめさせるというやり方です。

ここで、みなさんにも同じことをお願いします。ただし、この場合の“相手”とは、いま何かひどいことが起ころうとしているのを待つしかないイラクの子どもたち全部です。ものごとを決められないのに、結果はすべてかぶらなければならない世界中の子どもたちです。声が小さすぎたり遠すぎたりして、耳をかしてもらえない人たちのことです。

そういう“相手”の身になれば、もう一日生きられるかどうかわからないのは恐ろしいことです。

ほかの人たちが自分を殺したり、傷つけたり、自分の未来を奪ったりしたがったら、腹が立つものです。

ママとパパが明日もいてくれることだけが望みだなんて、悲しいです。

そして最後に、自分がどんな悪いことをしたのかも知らないので、何がなんだかわかりません。

(翻訳:星川 淳)
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記事原文→ http://www.wiretapmag.org/story.html?StoryID=15291
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