信州うどん

 信州うどん?そばじゃないの、田中康夫知事の誕生で何かと注目を集める長野県だが、話は1年前、ちょうど久米宏が10年働いたので休養やらなにやら騒いでいた頃の話である。メモをほとんど取らないか、取っても後で読めないメモの私、記憶をたどりつつ記したが間違いがあればご容赦を。
 15年働いて4日間の休みがとれた、季節は秋、長野県に行くことにした。信州そばは有名だが長野県はとにかく粉食文化の盛んなところ、そば、ローメン、元祖ファストフードのおやき、そして隠れたうどんどころでもある。もっとも隠れているわけでなく商業ベースにのったそばが有名になっただけのこと。もともとその土地の産物を食べる、考えてみれば当たり前のことであった。そばができる村はそばを食べ、小麦ができる村はうどんを食べた、ただそれだけのことだったはずだ。いつの頃からかそれが当たり前でなくなってきた。
 
 長野県を大きく分けると4つになる。北信、東信、南信、中信である。香川から長野は直行の飛行機がなくなり、新幹線と特急で6時間くらいかかる。でも半分の時間は名古屋長野間の時間だ。長野で四国から来たというと、「よく遠いところを」と何度か言われた。中信に木曽福島町、開田村、南信に伊那市、駒ヶ根市。北信に長野市、中条村、戸隠村がある。

 3泊4日の全行程である。30日は朝早く家を発ち木曽福島へ、バスに乗りトンネルを抜けると紅葉が目に飛び込む、ここ御岳の裾野の開田高原は木曽馬と霧下そばで有名だ。まつばで今年始めての新そばを食べる。まあ、こんなものか。木曽福島へ戻り次の目的地伊那を目指すことにする。木曽川の流域の木曽福島から天竜川の伊那は直線では20キロほどだが間は中央アルプス、峠道もあるようだが、無難にJRで塩尻を通っていくことに決めた。次の電車まで少し時間があるので観光がてら駅の案内所で聞いたおいしいそば屋2軒のうち駅に近い方のくるまやで木曽谷のそばを味わう。享保元(1716)年尾張藩御用水車屋として始まったそうだ。まだ3時頃だが日暮れが早いようだ。某アナウンサーの『いちにちじゅうやまみち(旧中山道)』は藤村の『木曽路はすべて山の中である』に劣らぬ傑作だと思えてきた。
 伊那で名物のローメンを食べた。ローメンはもともと昭和30年頃、綿羊の肉の処理困ったことから工夫された炒肉麺(チャーローメン)である。うしおの焼きそばのようなのとラーメンのようなのの2種類に大きく分けられる。
 31日桜で有名な高遠城に行ったあと駒ヶ根で伊那谷を代表する福寿美のそばを食べた、ぷーんと香りがして、ぷつんと切れた。そば粉の割合が高いということかな。もう一つの駒ヶ根名物はレストランにも中華料理やそしてそば屋にもあるソースカツ丼である。
  夜は篠ノ井のうどんととんかつの石川亭ツヤツヤの麺、縮れていたので手打ちかと店主に聞くと切った後、手でこねて縮れさせるのだそうだ。(特注の讃岐流)釜上げも食べたがなかなかのものだった(香川県以外では一度水にさらして湯に入れたのを釜上げという、別に手を抜いているのではない、できたての麺であればぬめりがないだけこちらの方がおいしいのかもしれない)。
 翌、11月1日あいにくの雨模様。長野市からバスで30程の中条村の茅葺き屋根のやきもち屋でおぶっことおつめり(すいとん)を食べた。おぶっことはぶち込みうどん、つまりみそ煮込みうどんのことだが、信玄公が長野から持ち帰った山梨県ではこれをほうとうと言うそうだ。いろり端でおやき作りを見ながら、支配人さんの話を聞いていると自然に感謝し、自然の恵みを受ける豊かな山の暮らしが頭の中に広がってきた。目の前には空き家がたくさんある山の現実がある。山の暮らしが貧しいとは、寒さが厳しい、現金収入が少ない、そんなことなのだろうか? 
 夜は戸倉上山田の温泉街の古波久で300年の伝統を持つおしぼりうどんを食べた。おしぼりとは鼠大根の絞り汁にうどんやそばをつけて食べるのだが辛いの辛くないって「身にしみて 大根からし 秋の風」(俳聖)、「鼻水と涙と食べる大根うどん」(麺聖)、ほんと辛くて涙と鼻水で食べられなくなるくらい辛い。

 最終日は戸隠だ。戸隠は2度目なので勝手知っている、平安時代から信仰の地として知られ中社、奥社、宝光社からなる戸隠神社の周りには宿坊も含め数十軒のそば屋がある。ここのそばは「ボッチ」に盛るのが特徴だ。まず入り口の文化2年創業の大久保の茶屋で食べ、中社に行きもともと徳善院だった極意で食べ、まだ時間があったので中社から宝光社まで紅葉の中、神道を歩いて下り、よつかどというさりげなく建っている普通の店で食べた、歩いたからかもしれないがおいしかった、そばを食べているという感じがした、ご主人はテレビのそば対うどんの対決で、出演してたそうだったがうどんよりそば好きだという人の気持ちが少し分かりかけた気がした。このそばだったら、いい加減なさぬきうどんよりずっとおいしい。2回合わせと戸隠では大久保の茶屋、大久保の西の茶屋、うずら屋、極意、岩戸屋、よつかどの都合6軒を制覇?したことになる。

 3泊4日でそば7つ(枚ではない)、うどん5つ(玉))、ろーめん2つ、ソースカツ丼ひとつ、あとおやき9個。以上が今回の成果だが、特に印象に残ったのはうしおのローメン、やきもち家のおやき、よつかどのざるそばである。
 それとやきもち家のいろり端で感じた、自然に感謝しつつ自然からめぐみ受ける生活、忘れかけていたものを思い出すのには10年に一度くらいは思いっきり仕事を離れるのもいいことだ。久米さんには普通のサラリーマンがもっともっと長期休暇が取れるようぜひ応援して欲しいものである。
 
 余談だが今回の長野県の騒動ぜひ久米さんに教えてもらいたいことがある。投票総数の半分もとれなかった田中氏が何故県民の意志を代表していると決めつけられるのか私には分からない。民主主義が多数のあきらめによって成り立つ制度であるとしたら、あきらめきれない人の方が多いはずだから。また県民の投票で選ばれた議員の人たちの行動を何故県民の意志に反すると決めつけられるのか。返事は期待しないで信州うどん編終わりにするが、長野県の豊かな自然、生活の場として残したいものである。

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