卵めん

 卵(らん)めんは元々、蘭麺と書いたそうである。長崎から落ちのびたキリシタンが、オランダ人に習った麺だからだそうだ。250年の伝統を持ちJALの機内食にも採用されているそうだが、材料を見ると薄力粉に卵、なにやらスポンジケーキのようである。この卵めんのふるさと岩手県江刺市へ向かうことにした。
 
 岩手県は大きく分けて伊達領と南部領になる、江刺は伊達領である(多分)。卵めんは知る人ぞ知る(つまり一般にはほとんど知られていない)マイナーな麺だが、南部領の盛岡にはわんこそばを初め冷麺、じゃじゃ麺、南部はっと鍋、ひっつみ、有名な麺がある。盛岡駅には、赤や黄色の派手な装飾の持ち帰り用手提げひもの付いた土産物用の麺類が所狭しと並んでいる。最近ではひっつみを除く麺を盛岡四大麺として大々的に売り出している。
 そばが好きな人はうどんを馬鹿にする、ラーメン党はラーメン屋の数が多すぎて他の麺まで手が回らない、麺聖の麺はうどんだけですかという声に答えるためにも、まずこれらを征服してから江刺に行こう。
 
 盛岡の麺の代表はわんこそば、わんことは、浅い平椀(方言でわんこ)のこと。椀が空になるとお姉さんが鮮やかな手つきでそばを投げ入れてくれる、15杯でかけそば1杯ぐらい、空いた椀はどんどん積み重ねられてゆく。お腹がおきても許してはくれない。腹一杯食べさせることは最大のもてなしだそうだ。この苦しみから逃れるには食べ終わったら素早くふたをすることだが、相手はプロそんなすきは決して与えない、永遠に食べ続けることとなる。2000円以上する気軽に食べられる値段でないのは残念だ。
 
 冷麺は朝鮮半島のネンミョンを盛岡風に改良したもの、本場はそば粉、でんぷん、小麦粉で作るが、盛岡ではでんぷんと小麦粉で作る。冷やし中華のことではない、昭和29年に平壌冷麺として誕生、ちなみに盛岡は平壌と同じ北緯40度にある。本来は焼き肉屋のメニューだが居酒屋ラーメン屋どこでも食べられ店の数は100軒以上あると言われる。盛岡の焼き肉屋では冷麺だけ注文してもいやな顔はされないし、ロースターのないカウンター席まである。透き通った輪ゴムを食べているような麺にスープに入れたキムチの辛みがいい、800〜900円程度、値段は高すぎる。
 
 じゃじゃ麺(じゃーじゃー麺、じゃあじゃあ麺とも表記する)も戦後の生まれで中国大陸がふるさと、炸醤麺と書く。これもうどんをゆでて肉味噌と混ぜる盛岡風にアレンジされる。酢とかラー油、ショウガ、ニンニクをお好みで入れ豪快にかき混ぜる、見てくれは悪いがおいしい、県外で熱い麺がこんなにおいしいと思ったことはめったにない、何より安くて庶民的である。一口食べ残し卵を割ってかき混ぜチータンタン(鶏卵湯)で締めくくる。残念ながら専門店は数軒しかなので町を歩いていて偶然見つかる確率は少ないが、中華料理店でも食べられる。チータンタンともでだいたい500円以内。
 
 南部はっと鍋は昭和62年に考案された新郷土料理でこれに対して昔からの郷土料理、一言で言えばすいとんがひっつみ。「はっと」方言で麺のこと。三陸の魚介類に内陸の山菜類が入った豪華鍋、当然最初からうどんをいれる、値段も豪華。質素なひっつみを売り出さずに客単価の高いはっと鍋を考案するのも企業努力の一つか。なお私が食べたはっと鍋はランチ用の廉価品1300円。ひっつみは1000円しなかった。
 

 盛岡では一日一回は麺類を食べないと気が済まない人が少なくないそうである。何故こんなに麺食が発達したのか、もともと良質の小麦の産地だった、多分これが答えと思う。讃岐のうどんが気候と風土によって育まれたのと同じである。え、江刺の卵めんにふれてないって、ページもつきたので次回を楽しみに、後編へつづく

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