稲庭うどん 後編
 

 というわけ(まだ読んでない人は前編へ)で、何とか時間を作って秋田にやって来たのはうどんフェアから一年がたっていた。郷土料理はその土地の風土の中で味わうべきなら、乾麺である佐竹侯御用の稲庭うどんを味わう地は東京か秋田市になる、わざわざ稲庭に行く必要はない、それにしても秋田は遠い、高松と伊丹(大阪)を結ぶ飛行機が無くなったのも痛かった。大阪に行くの飛行機を使う必要は無いが、乗り継ぎを利用しにくくなったのには困った。誰かが言っていたように1県1空港は首長のわがままだ。少々遠くてもアクセスを整備し路線が多くて便数も多い方が結果として便利だ。
 
 で、秋田空港に着いたのは昼頃だった。(秋田県雄勝郡稲川町字)稲庭に行くのは翌日し秋田市内へ向かった。稲庭うどんと郷土料理の無限堂、デパートの中にある七代養助秋田店、居酒屋の秋田藩で稲庭うどんを冷たいざるで食べた。夜は東北一の飲屋街川反通りできりたんぽ鍋やハタハタ焼を堪能したが、不景気か官官接待自粛かは知らないが人通りが少ないのはびっくりした、「ある人の無駄な経費は、別の人の必要なお金」、無駄の追求も時を選ぶべきだった。

 翌日、湯沢からバスに乗り稲庭に向かったが途中、手前の三梨地区(元々小麦の生産が盛ん、今は牛肉が有名)のドライブインのような本舗稲庭堂で途中下車した。そしてやっと稲庭地区唯一の食堂、七代養助本店ににたどり着いた。思えば何年たったろうか、かなり田舎なのだが、車で混雑していた。五島うどんに比べて平べったく、富山の氷見のうどんのような感じで透明感が群馬の水沢うどんに似ている。いろいろ食べたが、私には各製造元の麺の違いを判別できなかった。
 今でも一子相伝で麺づくりを続ける稲庭本家を訪れ手に入れようとしたが家内生産なので今年は手に入らないそうである。2,3年待つ覚悟で注文したがいつになることやら。稲庭本家が佐藤養助に分家を許し、養助家は家内工業を工場化(工程は手作り)した。工場は見学できるが、稲庭うどんが索麺の系統であることを証明するようにそうめんづくりと全く同じであった。
   

 養助が技術を公開したことから、現在稲庭には製麺工場が林立している、うどんは村おこし産業であり観光である。しかし、手間暇がかかることを認めるにしても、土産用の乾麺が180グラム500円なんとかならないか。少なくとも同じような工程の小豆島の手延べそうめん300グラム300円と値段の差は説明できない思う。この値段だとやがて粗悪な品が一般には流通し、手作りの品を駆逐するようになる、と思う。
 食べる文化は稲庭では根付いていない、本場でうどんを食べさせようとした七代養助の努力は認めるが、いくら手作り品だ(手延べが手打ちより手間がかかるのを認めるとしても)観光客用の店だとしてもただのうどんが500円もするのも何か間違っていると思う。稲庭うどん(味として)悪くはないが、(生い立ちを考えるとやむを得ないかしれないが)庶民から遠く離れてしまったそばの路線を目指しているような気がした。


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