氷見のうどん

 昨年も同じだった。私の行く手に台風が現れ五島列島(長崎県)ではえらい目にあった。今年は台風の発生の少ない年だが、今、東日本は台風4号の影響で大雨が降り大規模な災害まで起こっている。これも修行と思い水と非常食を用意し、着替えもいっぱい持って出かけた。(全然関係ない話しですが災害が発生したときにそれに関係する人が旅行等に行くのはその重要性の比較で行くべきかどうか決めるべきでしょうが、たとえ人が大勢亡くなっても、関係ない人は自粛する必要はありません、そんなことをしたら経済に悪影響を及ぼし、復旧が遅れるかもしれません)目指すは富山の氷見のうどんだ。

 氷見市は富山県の西北端の能登半島の東側基部、漁業が盛んで、富山湾ごしの立山連峰の眺めの美しい町だ。富山県は知る人ぞ知る(多分知らない人の方が圧倒的に多いと思うが)麺王国。蕎麦はもちろんラーメン大門(おおかど)素麺もある。そしてこの地には250年の伝統を誇る氷見の手延べうどんがある。作り方が素麺や五島うどんと同じ竹によりながらかける手縫いで、違いは油を塗らないことだけ、手延べうどんの代表稲庭うどんと全く同じである。13代続く高岡屋の初代が宝暦元年(1751)輪島から技法を取り入れて作り始めたとされる。氷見のうどんのルーツは輪島のそうめんだが、輪島への伝播は遣唐使から北前船経由で伝えられたという説と中国から禅僧によって伝えられた素麺(索麺)が曹洞宗の総持寺に伝えられ輪島へ広められたと いう説がある。輪島の加賀藩御用そうめんは白毛素麺(または白髪素麺)と呼ばれたそうだが今は廃れて技法は氷見のうどんと内陸の砺波の大門素麺(まるまげ状に丸めているのが特徴)に残っている。
 氷見のうどんとこのページでは言っているが高岡屋の手延べうどんは「糸うどん」と呼ばれている。また「の」除いた「氷見うどん」はある店の商標(地名が商標になりうるかどうか知らないが)になっているようである。よって氷見のうどんと呼ぶ。
 

 高岡で乗り換えて、氷見の駅に着いた。駅前を歩いていると高岡屋糸うどんと暖簾に書いた大衆食堂新村食堂があったので入った。「高岡屋のうどん食べられますか」と聞くと太いのはもう無い細い乾麺で冷たいのならできるというので待ったが10分少しで出てきた。食感は素麺そのものであった。
 高岡屋に行き昔からの麺どれかと尋ねたら250年続く麺は半生麺ということだった。今でも完全な手作りだそうだ。土産に送る段取りをして、食べられると紹介された割烹の「しげはま」へ向かった。素うどんを食べたがこれは地酒の冷酒と刺身に比べるとコシがまるでなくまずかった、時間がたった麺がとろけたようだった。
 ほろ酔いでお腹もおきかけていたがこのまま帰ると悪い印象が残る、ガイドか何かで見て記憶に残っていた、あけぼの庵へ行った、ここのマスターは地元の名物を食べさせるところが少ないのを憂えて店を始めたそうだ。居合わせた地元客に、香川からと言うといろいろ聞かれ、団子をごちそうになった。冷たいうどんと温かいうどんを食べた、だしの好みは合わなかったが、麺はしっかりしていた。マスターにはおみやげをもらった。

 幸いなことに台風の上陸は免れ私の修行の旅もほぼ順調だった、氷見では魚介類だけでなく和牛もおいしくて、高岡の夜は繁華街にタクシーならぬ代行の車がずらりとのび、富山のラーメン屋には昆布を巻いたおにぎりがあることも知った。
 ただ土産にたくさん送った氷見のうどん、友人には配ったが、実はまだ食べていない。食べてまずかったら困るのでホームページを書き終えて食べようと思う。(このホームページが抹消されずに残っているときはまあまあだったのだと思って下さい)
 氷見のうどん、かけでだいたい600円、内麦を使い手作りなのでやむを得ないのか、でも少し高いと思った。

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