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9月例会 劇団民藝無名塾公演  

訳・演出 丹野郁弓さんを囲んで学習会
     7月2日(土) 2時 名演事務局 

 9月例会は、仲代達矢さんと奈良岡朋子さんの共演が実現し、今からとても楽しみです。作品は1987年度ピューリッツアー賞を受賞している『ドライビング・ミス・デイジー』。ニューヨークのオフ.ブロードウェイで初演、モーガン・フリーマンジェシカ・タンディ主演で映画化されました。この映画で、1989年作品賞ほかアカデミー賞3部門(脚色賞、主演女優賞、メイクアップ賞) を受賞。

丹野郁弓

中央が丹野郁弓さん 


 
 丹野郁弓さんプロフィール
 1982年劇団民藝入団。1988年『ナッツ』で初翻訳以来、数々の舞台の翻訳を手がけ、初演出は95年『青春の甘い小鳥』で、『アニマル・ファーム』『アンナ・カレーニナ』『払えないの?払わないのよ!』『海の夫人』『アルベルト・シュペーア』と続く。97年に湯浅芳子賞を受賞。2005年には『明石原人』『スポイルズ・オブ・ウォー』の演出で毎日芸術賞を受賞
 名演での演出作品は『アンネの日記』(2001年上演)

 丹野郁弓さんは、1988年『ナッツ』で初翻訳以来、数々の舞台の翻訳。初演出も『青春の甘い小鳥』(1995年)以降、民藝の作品の演出を手がけてきました。1997年には湯浅芳子賞を受賞。昨年初演され好評だった『明石原人』は初の創作劇演出で、2005年、マイケル・ウェラー作『スポイルズ・オブ・ウォー』の演出と合わせて毎日芸術賞千田是也賞を受賞。今回、奈良岡さんと仲代さんの夢の共演と合わせて、大きな期待が寄せられています。
 大きな声で冗談もいいながらとても気さく。まさに新進気鋭な演出家(翻訳家)です。会場となった事務局会議室は素敵なお話とみんなの笑いで溢れました。

 自己紹介から始まり、『ドライビング・ミス・デイジー』の公演にいたる経過や作者アルフレッド・ウーリーについて話していただきました。

 

奈良岡朋子さんと仲代達矢さんの夢の共演

まず、『ドライビング・ミス・デイジー』のきっかけなどについて

 仲代さんは無名塾の、奈良岡さんは民藝の代表、二人がいっしょに芝居をやるのは大変。舞台での共演はなく、テレビでは1度共演したとのこと。この二人を知っている人がいて二人を引き合わせ是非観たいということで共演が決まった。翻訳物ということで私に周ってきた。5本翻訳して提案したが、3本目がこの『ドライビング・ミス・デイジー』、私も仲代さんはこの芝居にOKを出すと思ったが、これに決定した。

あったという間に口コミで世界に広がった『ドライビング・ミス・デイジー』

 この作家アルフレッド・ウーリーは1933年にこの舞台にもなっているアトランタ生まれ。25年間脚本を書いていた。ミュージカルの脚本家だが、あたったことがなく、25年間、不遇な時代をすごした。  
 どちらかといえば、派手で明るい作品が受けるブロードウェイで地味な作品を書いていては売れない。もう書くのを辞めようと最後の作品としてミュージカルでないこの作品を書いた。
 当初、たった75人収容の舞台で3ケ月のみの上演。ところが噂が噂を呼んで口コミで瞬く間に広がり、さらに大きな小屋に移り、4年間のロングランとなった。無名が一夜で脚光を浴び、まさにアメリカンドリーム。

 劇作家で2度もピューリツアー賞を受賞した作家はほかにいないと思う。

 この作品の舞台は、1948年から25年間、南部のまだ人種差別の激しい南部アトランタ、この地は『風とともに去りぬ』の舞台になったところでコカコーラ発生の地でもある。第二次世界大戦終戦3年後から芝居ははじまる。アメリカで軍隊とスポーツの世界だけは平等な世界である。戦争中は黒人も積極的に仕事につけたが、戦争が終わって、白人の青年が帰ってきて黒人は仕事にあぶれていった。

 芝居のハートは二人の友情。人間はいかに高潔に生きられるのか。
 全世界の人々の胸をうった上品で情感たっぷりの芝居

 南部では女性は良妻賢母が求められていた。ミス・デイジーはユダヤ人で自分も少数民族だが当時は普通に黒人への差別意識を持っていた。60年代なって公民権運動が活発になりキング牧師が出てきて積極的にキング牧師を応援するようになり彼女はリベラルになっていくが、逆に印刷工場を経営する息子のプーリーは反対側の立場になっていく。

 この芝居はデイジーとホークの二人の友情がハートの部分。芝居は淡々と進む。上品で情感のある芝居。人間はいかに高潔に生きられるのかがテーマ。これが全世界の人々の胸をうっていくことになった。

 舞台は登場人物が3人。会話は1対1、あるいは1対2ですすんでいき、セリフが多い。翻訳劇であるのでカタカナが多く、舞台に出てこない名前や通りの名がでて覚えるのが大変。仲代さんの出る舞台での演出ははじめてだがさすが。やっぱり出来る役者は何でも出来る。奈良岡さんはもう「ミス・デイジー」の気分。本番を楽しみにして下さい。

  人が自分らしく生きること、老いてなお、それを貫くことの高潔さを描いたあたたかく美しい感動作にどうぞご期待下さい。

※参加した方からの感想です NEW!

今からわくわくして例会を楽しみにしている

 私と民藝との出会いは今から50年前(?)。『南の国の人気者』でした。当時高校生で、宝塚、松竹歌劇(SKD)を時々観に出かけ、文化との大半は、ロマン座、丸栄ピカデリーで映画をみることでした。そんな中で姉と観に出かけたのがきっかけで民藝のファンになりました。今回、特に無名塾との共演で、今年の運営当番はこれだと演目の発表時から(メンバーに相談せず)心に決めていました。  

演出の丹野さんの学習会はどんな話が聞けるのかわくわくして参加しました。演出にあたっての劇団のこと、出演者のこと、構成のこと等々、明るく、ユーモアいっぱいに語られ、もっと時間があればの思いの内容でした。
 脚本のお借りして読ませていただきました。年を重ねる毎に変化していく心理描写、舞台装置、音楽等、ベストメンバーの皆様が、どのように描き出して下さるのかわくわくさせて公演の日を楽しみにしています。          (C42-26 かわも)

期待がどんどんひろがっていく『ドライビング・ミス・デイジー』
 丹野さんは、会って直ぐに心がほどける人。何も飾らず、気取りもなく、快活で豪放な人。のびやかに生きて、のびやかに考えながら、自分の立つべき場所をまちがいなく立っている人。
 明るさと賢さがすてき。その丹野さんが、仲代達矢と奈良岡朋子のために翻訳した台本で、彼女自らが演出するという『ドライビング・ミス・デイジー』は、演じる人も演出する人も、そして観客も、納得のいく舞台になるに違いない。期待がどんどんふくらんでいく。(Y) 

早く舞台が観たいという期待をふくらませる学習会だった
 夏用の黒いパンツスーツに長身を包み込んで、飄々と現れた丹野さんの眼鏡越しに見る大きな目は、整った顔立ちの中で知的に輝いていた。
名古屋にくるのは数年ぶりと語り出した声は大きくて歯切れがよい。劇団民藝に入った動機や翻訳を始めたきっかけ、9月名演の舞台を2大俳優でやることになった経緯などを軽快に語ってくれた。アカデミー賞を取った映画の『ドライビング・ミス・デイジー』を、登場人物が3人という舞台で、25年間のときの流れや状況を皆さんも推理、または考えながら観て欲しいという丹野さん。
  
 叔母である奈良岡朋子さんのことを「この頃、ミス・デイジーに似てきて、結構うるさいんですよ」と笑いながら話す丹野さんを囲んでのこの日の学習会は、早く舞台が観たいと思う期待を膨らませてくれた1時間半でした。          (B25-17 K・I)

      

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最終更新日 2005/08/18