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 森ノ宮医療学園附属診療所 院長 田中邦雄
成人病(生活習慣病)について

 当診療所の近くに大阪府立成人病センターという名前の大きな病院があります。 ところで、この建物にも使われている「成人病」とはなんでしょうか。 

「成人病」という病名は正式な医学の病名ではありません。成人病を辞書で調べてみますと、成人病:「動脈硬化・高血圧・悪性腫瘍・糖尿病・肺気腫や骨の退行性変化など、壮年期以降に後発する病気の総称」{広辞苑(第4版)}とあります。

また、成人病は日本独特の用語で外国語はないのです。ですから日本語以外には訳せません。最近、厚生省は「成人病」という名前は不適当だから「生活習慣病」という名前に変えるという方針を打ち出しました。つまり日本の医学用語の中から「成人病」という言葉は無くなることになります。そうなると「成人病センター」は「生活習慣病センター」と名前を変えることになるのでしょうか??。 

用語の問題はともかく、今回は「成人病」という名称で話を続けます。

 人間も生き物ですから年をとります。成人病とは三十歳、四十歳、五十歳と年をとるにしたがって出てくる、生きている体の変化です。それは病気ではなく、老化という冷酷は事実にそって出現するあたり前の体の変化です。

成人病になるかならないかは、変化が早く来る人もあれば遅く来る人もあるということです。成人病とは成人・老人の生理的変化であって、年をとると顔のしわができる、白髪になる、老眼になっていく、足腰が弱ってくる、女性なら生理が止まるのと同じで、もとにもどることはありません。 

「成人病を予防する・治す」ということは、「老化を防ぐ・治す」ということになります。「成人病を予防する・治す」とおっしゃるお医者さんは成人病は防げる、治ると信じておられるようです。その一方で現在の医学では、老化の進み具合いは遺伝で決まっていると考えるのが定説です。

そうなりますと「成人病を予防する・治す」ということは、遺伝を人間の手で制御するということになります。そんなことができるのは神様だけで、医者ごときものにできるはずがありません。(もっとも最近遺伝子治療などをいう、神を恐れぬ、できもしない医療をしてみたいという医者が出てきましたが・・・)。 

昔、秦の始皇帝が不老不死の薬をもとめて日本にまで調査隊を送ったという言い伝えがあります。現在でも独裁政権の親玉は自分のための不老不死の研究をその国の学者に要求することがあるとよく報道されます。権力を持った人間にとって不老不死はあこがれのようです。

また一般に方も不老長寿の薬があるはずだと夢を持ち、そんな薬はどんなに高価でも手に入れたいと思うようです。それをいいことに、これこそ不老長寿の薬であるとの宣伝をしてアブク銭をかせいでいる人々が後を断ちません。

もっとも成人病すなわち老化を予防できると言っているのが厚生省であり、成人病専門などといっている医者・医学研究者ですから、これらの人々も同類なのかもしれません。

 絶対に治らない、予防出来ないのが「成人病・老人病」です。こういってしまえばみもふたも、夢も希望もありません。幸いなことに、これ以上悪くならないようにするとか、悪化する速度を遅めることはできます。

 病気には、体から追い出すことで治す病気と、追い出せないので一生仲良くつきあっていかなければならない病気があります。現代医学は病気を追い出すことに対しては威力を発揮しますが、追い出したあとの体力の低下の回復とか、一生仲良くつきあっていかなければならない成人病のような病気は苦手なようです。

これは、人間の都合のいいように改造し、支配することを目的としてきた西洋文明の自然観に現代医学がのっとっているからだという文化人類学からの指摘と無縁ではないでしょう。 

成人病は仲良くする病気です。成人病は生きている限り生涯抱えていかなければならない重荷ともいえるでしょう。しかし、放りだせないにしろ、重いより軽いほうがよいに決まっています。そこで、この重荷をできるだけ小さく、軽くしようとする行為が”治療”ということになります。しかし治療の前には養生というのが本音です。   

文責 大阪鍼灸学校附属診療所院長 田中邦雄






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