転機としての「危機」(3)
    ーー潤う『死の商人』と復興ビジネスー         ichi
                          (1991、5、27)
(内容)
プール・システムとブリーフィング  死の商人達  自衛隊の海外派兵
 
  −−この戦(いくさ)世界の同意で
    始まれりあなたもその一人それで
    いいのか   野田 宏子(朝日3月28日)
 
プール・システムとブリーフィング
 「湾岸戦争」がアメリカを中心とする「多国籍軍」の全面的な「勝利」で終わった。この戦争でのマスコミの規制について考えてみたい。
 
 CNNのアーネット記者はバクダットに最後まで残り、バクダットへの空爆を世界中に報道した。朝日新聞のインタビューに次のように答えている(5月20日)。
 「ーー報道についてはベトナム以来、何が変わったのか」
 「・・・いま、バクダットから生中継できる。また、政府もブリーフィング(背景説明)できることも大きな違いだ。これによって世論を操作できるようになった。それと、情報の規制もベトナムのときにはほとんどなかった」
 「サウジアラビヤでは米軍はプール・システム(代表取材)とブリーフィングですべての情報を規制した。たとえばクウェート領内で戦車戦があったが、米軍はこれを全く報道させなかった。プール取材では、戦争を目撃することにはならないのだ」
 下線を引いた箇所が、地上戦に該当するだろう。今回の湾岸戦争のイラク側の死者は、10万ちかいと見られているが、この地上戦で相当数の死者が発生している。
 イギリスのBBC記者は、戦闘の3日後にクウェート市の北方約30キロの幹線道路上の長さ約5キロに及ぶ「戦場」を訪れた。彼らによると、その戦場での死者は、戦車や装甲車での撤退ではなくあらゆる種類の車でパニック状態で北へ向かった「イラク兵士」に対しての無差別殺りくだったようだ(日経3月3日)。
 私は前回でこれに少し触れ、このクウェートで行われた大量の殺人を、報道規制が解かれた後、マスコミはきちんと報道するだろうか、と疑問をだした。残念ながら、この地上戦についてのきちんとした報道を、私は知らない。とうとう、「死者」の報道をきちんとしないまま、湾岸戦争はおわった。
 「クリーンな戦争」をもたらした報道の規制ーープール・システムについて、青木冨貴子というジャーナリストが「CNNは『米国の敵』か?」(文藝春秋4月号)で紹介している。
 「サウジアラビヤの基地には約1400人のジャーナリストがいるといわれている。が、そのうちプール取材で出かけられるのは、ほんの190人くらいのものである。その190人にしても全員が記者ではなく、なかにはカメラマンやカメラ・オペレータ、テレビの技術陣なども含まれる。・・・プール記者がインタビューできるのは、その部隊の指令官の推薦を受け、さらに取材に同行してきた情報将校の選んだ兵隊たちに限られている。さらに、原則としてプール記者によるすべての記事とビデオ・テープは現場で、部隊指令官との協議により情報将校が検閲することになっている。・・・ラジオやテレビにしても、苦痛を訴える声が禁じられたり、苦しむ市民の声がカットされたりするため、現場の反発は大きい」
 私達は、今回の湾岸戦争の報道で、イラクは厳しく報道規制をしていたことを知らされている。しかし、このプール・システムは世界の大多数の人々に、「検閲」を感じさせずに、うまく「報道規制」ができたようだ。
 現在の「情報化時代」では、情報が一定量提供されることが必要だ。その意味で、もしプール・システムだけなら、報道関係者に必ず不満が生じ、そしてプール・システムの「検閲」の問題が発生したことだろう。今、考えてみるとプール・システムを車の片輪とすれば、もう一つのものは、ブリーフィングと言える。
 湾岸戦争でのブリーフィングという名の「解説」は、確かに効果的だった。マスコミはブリーフィングによって、一定の情報の量を確保し、プール・システムからの情報を補うことができた。 
 私達は、うまい解説者によって、例えば野球中継を2倍にも3倍にも楽しむことが出来る。うまい解説者は、選手や監督の動きの背景を説明し、予想する。これらを通じて、視聴者にまるで自分が監督の上にたって、作戦を遂行しているような錯覚を、生じさせる。視聴者はこの錯覚を通じて、ゲームに引き込まれていく。湾岸戦争のブリーフィングは、作戦の解説という形をとりながら、実は世界の人々を戦争に心理的に「参加」させる働きをしたのではないか?
 
死の商人達
 湾岸戦争に触れた文の中で一番面白かったのは「アメリカは戦争を望んでいた」(文藝春秋 4月号)だった。これはアメリカのスタンフォード大学の研究員の松原久子という人が書いた物だ。
 松原はまず、日米の戦争を巡る基本的な違いを指摘する。
 「日本には、戦争は悪だという観念が、一つの合意として存在する。・・・同じく敗戦を体験したドイツにも、この合意が存在する。・・・ところがアメリカには、戦争は場合によっては善であり、正義の遂行だという合意が存在する。・・・大統領の一存で、地球上どこへでも大軍を送ることが出来、・・・正義のために戦争を行うのは立派なことだという合意がある。軍需産業はメデイアの堂々たるスポンサーであり、政治献金の源である」。
 松原はこのアメリカの戦争に対する国民の姿勢を明らかにした後、こう問いかける。
 「この戦争は、それではなぜ起きたのだろうか。避けることは不可能だったか」
 松原は、もちろん、アメリカが避けようと思えば、避けられていた、と指摘している。
 私は、前々回で、8月1日のイラクのクウェート侵攻の2週間前に、すでに米国防省は、イラクの兵力終結をキャッチしていたことを指摘した。7月23日にイラクは3万の軍隊をクウェート国境に向けて移動した。
 7月25日にイラクのフセインは、イラク在住のアメリカ大使を公式に官邸に呼び寄せ、クウェートの紛争について訴え打診している。
 この内容は、「湾岸戦争ーー隠された真実」(ピエール・サリンジャー、エリック・ローラン/共同通信社)に詳しい。この本によると、このフセインとの会見で米大使は次のように述べている。
 「ブッシュ大統領は知的な人間である。イラクに対して経済戦争を宣言するようなことはない。あなたは正しい。・・・あなたが資金を必要としていることは知っている。あなたならイラクを再建できるし、またそうであるべきだと思っている。しかし、イラクとクウェートの国境紛争のようなアラブ内部の問題に次いて、われわれは口をはさまない。」
 この米大使は、基本的にイラクに「ゴーサイン」を出し、アメリカの「不干渉」を示唆している。それにたいして、フセインは、会談の最後にイラクの決意を漏らしている。
 「儀礼的な会合がサウジで開かれる。次いでバクダットに移り、クウェートとイラクの間で直接の突っ込んだ話合いをする。・・・会談すれば、希望の持てる限り、何も起こる心配はない。しかし、解決策が見いだせない場合は、・・・イラクが滅亡を受け入れないのは当然だろう。・・・タリク・アジズが叫ぶ。『スクープだ』」。
 CIAは、その後刻々と軍隊を増強するイラク軍をスパイ衛星でキャッチしていく。7月28日、イラクは国境の部隊に対して大規模な補給線を敷いた。CIAは、単なる威嚇作戦ではないと確信する。7月30日、CIAはクウェート近くに集結した大統領警護隊を含む10万のイラク軍の状況をまとめる。
 31日、下院の「中東小委員会」でジョン・ケリーは質問に答える。
 「理由はなんであれ、イラクがクウェート国境を超えた場合、米軍事力の行使に関するわれわれの立場はどうなのか」
 「・・・極めて深い関心を持つだろうといえば十分だろうが、仮定の領域に踏み込むことはできない」
 「しかし、このような場合、米軍事力の行使を義務づけるような条約、約束はないという言い方は正しいか」
 「その通り」
 この米下院での発言は、BBCラジオの「ワールド・サービス」で放送され、バクダッドでも聴かれた。
 7月25日の米大使の発言も31日のこの下院での発言も、イラクの立場ではクウェート侵攻に対してアメリカは「介入」しないだろうと判断されたことだろう。これがアメリカの「芝居」かどうかは、私には解らない。しかし、結果としてイラクは、まんまと「罠」にはまった。
 8月1日、イラクはクウェートに侵攻する。
 
 侵攻を知ってから、いったいアメリカはどう方針を決定したのだろうか?先の「湾岸戦争」によれば、8月4日頃には、すでに「軍事作戦」が決定されていたようだ。
 カーター時代に「90−1002」という軍事計画が既に出来ていた。それはサウジの大規模防衛のために、湾岸に米軍が介入する計画だ。
 統合参謀本部議長のパウエルは述べる。
 「大統領。もし軍事作戦を決定するのなら、大量の兵力を状況に合ったやり方で使って欲しい。サダム・フセインが米国との対決を望んでいないことは明らかだ。・・・米国と大規模戦争になれば、敗れることは知っている。・・・90−1002計画は制空権、制海権と、相手を圧倒して戦うのに十分な数の地上軍の派遣を前提としている・・」
 このあと、ブッシュは、90−1002計画を実施に移すことが決定された。
 さらに、当初20万の部隊がサウジに派遣されていたが、10月下旬にブッシュは更に「最小限20万の部隊の増派」を発表した。これは、サウジの防衛と言う当初の「大義名分」から、イラクへの攻撃という立場への完全な転換にあたる。
 朝日新聞5月4日は「司令官たち」という本を紹介している。それによれば、この10月下旬の部隊倍増にたいして、パウエルは、経済制裁を主張し、「イラク封鎖には1、2年かかるかもしれないが、必ず目的を達する」と進言したという。それにたいしてブッシュは「政治的にみて、そういう戦略をとるだけの時間がない」と退けたと言う。経済制裁では、来年の自分の大統領選挙には間に合わないというわけだ。
 また、この朝日の記事によると、1月17日のイラク攻撃の予備命令に、イラク・アメリカ外相会談より前の、12月29日に既に大統領が署名していたそうだ。アメリカは、地上戦どころか、戦争そのものを「交渉で回避」すると言うことは、ほとんど考えていなかったと言える。
 「湾岸戦争」によれば、このイラク・アメリカ外相の会談に際して、ブッシュは「この会談は交渉も妥協もメンツを立てることも、侵略の報酬を与えることも、いっさい関係はない」と強調したという。この外相会談は、「平和解決」への世界の大きな期待がかかっていたにもかかわらず、初めから、アメリカにとっては戦争への1ステップとして位置づけられていたわけだ。
 アメリカは、では戦争をすることで何を得ようとしたのだろうか?
 松原は、スヌス主席補佐官の次の発言を紹介する。
 「戦勝はブッシュの政治生命を保障し、これで来年の再選は疑いない。黄金のチャンスだ。イラク経済封鎖の効果を来年まで待っているようでは、アメリカ経済はどん底に落ち込む」。
 さらに、経済的な側面について、彼女は著名な経済学者のポール・エアドマンの「戦後の見取図」についての全国放送を紹介する。
 「OPECが世界の石油価格を決定することは言うまでもない。このOPECは全く新しい一員を迎えることになるーーわれわれアメリカだ。・・・石油の値段を定める為に、OPEC諸国がテーブルにつけば、新しいメンバーである我々アメリカは最大の発言力をもつことになる。・・・おまけに・・イラクからアメリカに対する賠償金として1日百万バレルを数年間、あるいは数10年間いただくことにする。我々の赤字はみるまに消え、アメリカは再び猛烈な勢いで成長する。1日1800万バレルを消費するアメリカにとって、石油価格こそ鍵である」。
 戦勝国は、正直だ。
 私は、イラクのクウェート侵攻は、イラン・イラク戦争で経済が破産したイラクが、軍事力でクウェートの富を狙った「侵略」そのものだと考えている。その意味で、イラクを弁護することはできない。しかし、いま紹介したアメリカの経済学者の本音は、どうだろう。見方をかえれば、今回の湾岸戦争は、アメリカが「国連決議」を利用し、軍事力でイラクを侵略し、イラクを破壊し、その上敗戦国イラクに「賠償金」を要求する。イラクからクウェートへ支払われた賠償金のかなりの部分が、多国籍軍の中心のアメリカ企業へ「戦後の復興費用」として支払われるはずだ。
 世界5月号に、「湾岸戦争のマネー循環」(向壽一)というものがある。副題は「潤う『死の商人』と復興ビジネス」だ。それによると、クウェートの復興費用は約500億−1000億ドル、イラクは約2000億ドルだという。
 「クウェートは、復興ビジネスは湾岸戦争の戦闘の貢献度に応じて配分することを対外的に表明している。・・・戦時中および戦争直後を通じてクウェート政府はすでに171件の事業を発注した。・・・この受注先のうち約7割がアメリカ企業で・・・また出稼ぎ労働者の受け入れも、湾岸戦争貢献国を中心に受け入れると表明している」。
 イラク、クウェートという中近東の国土や人命が多く奪われたが、それは先進国の「死の商人」にとっては、新しい「需要」が生じたということになる。
 こうみてくると、イラクとアメリカは案外近い。イラクは、「一国」でクウェートの富を狙い、そして失敗した。アメリカは、「多国」で中近東の富を狙い、そして成功した。共に「軍事力」を持ち使っているからこそ他の国の富を狙おうと考えたわけだ。
 
自衛隊の海外派兵
 大変巧妙に自衛隊の掃海艇が派遣された。統一地方戦で、自民党が圧勝したことを受けての決定だ。
 大義名分は「国際貢献」と「石油連盟からの安全航海」の要請だ。後者に次いて4月25日の朝日新聞は疑問を投げかけている。
 石油連盟は掃海艇の派遣を政府に要請したが、その裏には「自民党から圧力があった」(石油業界幹部)という。実際は次の様らしい。
 「ペルシャ湾内にあるサウジのラスタヌラ、イランのカーグ島などに石油積み出しに行っているが、機雷が湾内に浮かんでいたという情報は入っていない。あれば、日本の船は行きませんよ」(日本石油、出光興産)。
 とにかく自民党は、自衛隊の海外派兵と言う念願をかなえた。この掃海艇は、自衛隊法99条が根拠らしい。今回の掃海艇派遣は、自衛隊の活動範囲(自衛隊の定義)を根本から変えるものだ。
 これについて朝日の四月25日の社説は、当然の指摘をしている。
 「自衛隊法99条は掃海可能海域を限定していないのだから、今回の掃海艇派遣は合法だという立場を政府はとった。同法には、82条(海上における警備行動)、83条(災害派遣)など、自衛隊の活動域を特に限定していない条項が他にもある。同法の趣旨からいって、その対象区域はこれまで当然わが国の領域内、と受けとられてきた。従って、99条の対象区域が1万3千キロ先にまで及ぶとなると、法的に明確な『歯止め』をつけない限り、82、83条の対象も遠く海外にまで拡大される可能性がある。」
 まったくその通りだと思う。「国際貢献」というキレイゴトで海外に出て行った自衛隊が、海外で紛争に巻き込まれた自国の国民を救出するために、出動しないはずがない。世界第3位の自衛隊が、とうとう世界を活動場所とする突破口を開いてしまった。
 この掃海艇派遣について、韓国やドイツの新聞も次のように指摘する(5月19日、朝日)。
 韓国の東亜日報は25日、「軍事大国に向かう日本の疾走に対する制御装置は、ほとんど解かれてしまった」と伝えた。ドイツ紙、フランクフルター・アルゲマイネは「日本は将来、自分の利益を守るために、至る所に自衛隊を派遣するようになるのだろうか」と報じた」。
 こうも簡単に掃海艇が出て行く背景には、今回の湾岸戦争で、戦争のテレビ観戦を通じて、戦争に見事に心理的に参加してしまった人々が多いからではないだろうか。
 また、「国際貢献」と言う言葉が浸透して行く背景には、日本が「大国」だという潜在意識があるのではないか。「経済で世界に威張ることができた、次は政治や軍事でもアメリカと肩を並べたい」という意識があるのではないか。
 これらの問題に対して、実際に日本が起こした戦争への「戦争責任」を巡る運動に注目したい。最近では、元軍属の在日韓国人が「戦傷者援護」適用を求めて裁判を起こしている。
 また、日本の「経済大国」の実態はどうか、と言う問題は折に触れて、ともに考えて行きたい。
                         (’91年 5月27日)
            
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