奥の細道歩き旅 黒磯〜那須湯元・殺生石

やがて赤松林は途切れ遊歩道もなくなるので車道を歩く。この辺はまだ車の数は少ない。しばらく行くと東北自動車道那須インターからの道が合流し、車の量はだんだんと増えてくる。少し先で東北自動車道を陸橋で渡る。私はこれまで那須に車で4回ほど来ているが、すべてこの高速道路を利用しており、先ほど歩いた赤松林の那須街道は通らなかった。そういえば、かつての昭和天皇、皇后両陛下の那須御用邸へのコースは、原宿の皇室専用ホームから専用列車で黒磯駅にお着きになり、そこから車で赤松林の那須街道を通って御用邸に行かれた。平成の現在では電車の利用はなくなり、すべて高速道路を利用されている。この辺の事情も黒磯駅近辺の寂しさの一因かもしれない。時代の流れだろう。

殺生石近くに建つ芭蕉句碑
『石の香や夏草赤く露あつし』 の句碑。この句は、曾良の旅日記に記されている

殺生石前にて
現在でも硫化水素ガスが自噴しているので、付近は立ち入り禁止となっている

私が那須湯元バス停前に到着したのは14:30。バスの到着予定は15時なのでまだ時間がある。ボケーと待っていても仕方がないので、すぐ目の前の温泉(ゆぜん)神社を見学する。この神社の前は車で何回も通っているのだが、これまで参詣したことはなかった。
先に記したように、芭蕉は4月18日(陽暦6月5日)夕方4時頃那須湯元の温泉宿に到着した。翌日は快晴で、昼過ぎから宿の主人の案内で温泉神社に参詣した。この神社には那須与一が扇の的を射抜いたときに使い残した矢などが神社の宝物となっており、芭蕉はこれを拝観している。その後、殺生石や湯壷を見て回った。
湯元バス停のすぐ先に温泉神社の大きな鳥居が建ち、長い参道が続いている。この神社の歴史は古く、延喜式神名帳(630年作成)にもその名が記載されている。また、那須与一が扇の的を射るとき他の神社とともに「那須の温泉大明神」と名をあげて祈願したと伝えられている。その後、一門を挙げて厚く崇敬したという。本殿まで行ってこれから先の旅の安全などを祈願した後、とりあえずバス停まで戻った。メールにもあったとおり、バスは20分くらい遅れて到着した。

真夏の街道歩きはできれば避けたいので、月山登山の後しばらく遠出はしなかった。奥の細道の旅もちょうど那須湯元の行楽地にさしかかる。ちょうどよい機会なので妻に声をかけた。妻は後からバスで来て殺生石付近を見物した後、近くの温泉旅館でくつろぐという計画なので、即座にOKとなった。当初、8月26日(金)、27日(土)を予定したのだが、台風接近のため28日(日)、29日(月)の実行となった。

那珂川の晩翠橋を渡るとすぐに道は十字路になる。左に曲がると立派な赤松の林が道路沿いに続いている。この辺一帯は明治23年から昭和22年までは「高久第1御料地」と呼ばれ、旧宮内省所管の御料林だった。終戦直後の食料増産が必要な時期に多くの部分が開墾されたが、道路沿いなど一部は残された。この残された部分は昭和25年に日光国立公園に編入された。この那須街道は昭和時代、天皇皇后両陛下の那須御用邸への行き帰りに利用されており、昭和天皇も「那須の植物誌」の中でこの天然の赤松林について記しておられるという。

殺生石のあるガレ場を離れ、ロープウェイに向かう自動車道路を渡ると、鹿の湯への道が続いている。鹿の湯の駐車場にもなっているので車の通行が結構多い。その道の奥にひなびた木造の建物が建っている。これが鹿の湯で、那須湯元温泉の源泉に建つ共同浴場である。湯川を挟んで2棟の木造の建物が対峙する形となっている。湯治場の面影をとどめた浴場として若い人にも人気があるという。また、この浴場の前の通りは民宿が軒を連ねている。

那須湯元の見物を終え、今日の宿泊地新那須温泉郷に向かう。歩いて30分くらいなので、はじめは歩こうと思っていたのだが、特に見るべきものもないし妻も一緒なのでバスに乗ることにした。本日の宿「グランドホテル愛寿」はバス停・新那須から300mくらい奥に入ったところにある。宿に着いたのは16:50だった。部屋に案内してくれた宿の人が、「うちは建物は古いけれど眺めはとてもいいんですよ」というとおり、眼下に広がる那須野の眺めは大変よい。すぐ近くに那須御用邸がある。建物は木々に隠れてほとんど見えないが、広大な森に囲まれた様子がよく分かる。次の日の朝の風景はなおすばらしく、遠くの原野から霧がまるで煙のようにたちのぼるのが見えた。

妻も到着したので、今度は二人そろって神社に参拝する。今度はお賽銭も入れて家内安全と皆の健康を祈願した。神社の横を通って階段を下りてゆくと殺生石のある場所に出る。殺生石にはこれまでも何回か立ち寄っているが、今回のようにじっくりと見物するのははじめてのような気がする。
芭蕉は「おくのほそ道」本文で次のように記している。『殺生石は温泉(いでゆ)の出る山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず。蜂・蝶のたぐい、真砂(まさご)の色のみえぬほどかさなり死す。』
当時よりは毒気は薄らいでいるのか、虫などが『かさなり死す』という状況は見られないが、現在でも硫化水素ガスが自噴しているので、近づくことはできない。芭蕉がここで詠んだ句、「石の香や夏草赤く露あつし」 の句碑が少し離れたところに建てられている。この辺りには千体地蔵や湯の花採取場などもあり、木道が設けられて一巡できるようになっている。

おなかもいっぱいになり、また元気に歩き始める。この道は車で何回も通ったけれど歩いて通ることになるとは思わなかったな、などと他愛もないことを考えながらタンタンと進む。更に1時間くらい歩き、ようやく那須町湯元の道路標識が現れた。この頃になると、とうとう細かい雨が降り出し、道の勾配も少しきつくなったこともあって汗びっしょりになってしまった。本日宿泊予定の新那須温泉郷を通り過ぎ、更に勾配のきつくなった街道を登ってゆくとようやく那須湯元温泉郷の町並みが見えてきた。近くに那須湯元のバス停があるので、ここで妻の到着を待つことにする。妻からは、那須塩原駅でバスに乗る前に「これからバスに乗る」という連絡があった。また、バスの中からメールで「道路が渋滞しているから少し遅れるかもしれない」という連絡もあった。完璧である。東海道のときと比べると大変な進歩だ。
黒磯から那須湯元へ

今日は比較的ゆったりとした行程である。黒磯からのまっすぐな一本道を4時間くらい歩けば那須湯元に着く。ここまで妻はバスで来るのでそこで落ち合い、温泉神社、殺生石などを見物した後、新那須温泉で1泊する予定である。

芭蕉は鍋掛宿を経て高久に至り、ここの高久角左衛門方に宿泊した。次の日は雨でもう1泊し、その次の日の12時頃殺生石に向けて出発した。午後4時頃には那須湯元の温泉宿に到着している。

私は、黒磯に10:23に着いた。台風は通り過ぎたはずなのだが、どんよりとした空である。風はほとんどないが、曇っている割にはむし暑い。でも、カンカン照りよりはよい。黒磯駅前の道を北に少し行くと県道にぶつかり、これを右に曲がってまっすぐ行く.。黒磯は那須温泉郷への玄関口だが、新幹線の駅は那須塩原にとられ、2005年1月には市町村合併により市の名前も那須塩原市になってしまった。県道両側に古くからの商店街が続いているが、あまり活気がない。しばらく歩くと那珂川を渡る。台風の影響による雨でかなり増水しているようだ。


(総行程 約 18Km)

晩翠橋から那珂川下流方面を望む
那珂川は台風の影響でかなり増水している。下流には新幹線、東北本線の鉄橋が見える

黒磯駅北側の商店街の様子
黒磯は那須への玄関口である。2005年1月に黒磯市は近隣の西那須野町、塩原町と合併して那須塩原市となった

自動車道路に並行した遊歩道
街道の西側には自然林が広く残され、遊歩道が設けられている。自動車で通り抜ける人には味わえない贅沢な空間が続いている

那須街道沿いの赤松林
道路の東側50m、西側の那珂川までの半分の部分が天然林として残された。現在、日光国立公園の一部となっている

那須街道陸橋より東北自動車道を望む
今や新幹線と並ぶ東北の交通大幹線である。この道路により那須のリゾート地化が急速に進んだ

高速那須インターからの合流点付近
この先にも合流点はあるが、最初のもの。この辺からだんだんと車の数が増えてゆく

高速道路を越えて少し行くと、斜めにやってきた県道が合流する。ここから先は高速インターを降りた車が更に加わり、道路は渋滞気味になってくる。また、これから先には沿道にファミリー向けのアミューズメント施設や若者向けの洒落た建物などが目につくようになる。やがて「道の駅 友愛の森」が見えてくる。ここには民芸品展示販売の「工芸館」をはじめ物産センター、無料休憩所などの広大な施設がある。時計を見ると12:30。ちょうどよい時間なので、ここのベンチで昼食の弁当を広げた。今日は8月最後の日曜日、道の駅は結構繁盛している。

那須町湯元の道路標識
ようやく目的地の標識が見えてきた。この頃には細かい雨が降り出し、長い登り傾斜が続くので汗びっしょりになった

那須湯元の町並み
町の薬屋さんの壁面に、「ようこそ御用邸のある街へ ここは那須温泉郷 標高801m」と書かれていた。

温泉神社本殿
延喜式内社として古い歴史を持つ。芭蕉も訪れ、那須与一奉納の鏑矢などの宝物を拝観したという

温泉(ゆぜん)神社表参道
バス停前の鳥居から長い表参道が続いている。本殿は長い石段を登った上にある

湯の花採取場(跡)
噴気の出るところに赤土をしめ固め、屋根を作り水がしみこまないようにして半年たつと明礬の結晶ができ、花が咲いたようになる

千体地蔵
殺生石の近くに建っている。目分量でざっと数えてみても本当に千体くらいはありそうだ

鹿の湯の浴室棟を望む
湯の川を挟んで右側に受付棟、左側に浴室棟がある。男女別の浴室内は木造の深い浴槽が41度から46度まで段階別に6つ並んでいる

共同浴場「鹿の湯」前にて
湯治場の面影をとどめた浴場として人気があるということで、若い人の姿も多く見られる

ホテルからの御用邸方面の眺望
次の日の朝、遠く、近くに立ちのぼる煙のような霧が幻想的だった

新那須温泉郷「グランドホテル愛寿」
新那須温泉郷は、大丸温泉から引き湯しているという。私は次の日の行程を少しでも縮めるためこの地をこの日の宿泊地とした

道の駅内の「工芸館」
この地方の民芸、工芸品の展示・販売を行っている。このほかに物産センター、無料休憩所などがある

道の駅 「友愛の森」
かなり広大な敷地に、森や広場があり、物産センターなどがゆったりと配置されている

沿道の「お菓子の城」
高速道路からの道が合流した後は、沿道にアミューズメント施設やレストランなどが増えてくる
奥の細道歩き旅 第2回