奥の細道歩き旅 大田原〜黒羽
浄法寺桃雪邸跡の先にも芭蕉の道は続く。芭蕉もこのような道を散策したかもしれないなと思わせる静かな落ち着いた道である。その先に芭蕉の広場がある。
昨日はさすがに疲れ、風呂に入り夕食を食べてから20:30頃には寝てしまった。このビジネスホテルには大浴場もあり、TVも自由に見ることができる。一人旅の旅行者にとっては、このくらいの設備があれば十分である。朝食つきで1泊6300円というのもうれしい。
今日は黒羽の観光が主だが、黒羽のホテルも事前の調べでは適当なものが見つからなかった。黒羽に行ってから探してもよいのだが面倒なので、また大田原に戻ってこのホテルに泊まることにする。
浄法寺桃雪邸跡
現在は、その跡であることを示す標識が立つばかりだが、静かな雰囲気である

桃雪邸跡の芭蕉句碑
桃雪邸で芭蕉は次のような挨拶の句を詠んだ
山も庭にうごきいるるや夏ざしき

大田原から那須神社へ

今日もここに泊まることをフロントに告げて、8:30頃ホテルを出発する。不要な荷物はホテルに残し、カメラ、地図、傘などを入れたショルダーバッグだけの身軽ないでたちである。
歩き始めてしばらくすると、距離表示のある道路標識板があった。これによると、黒羽までは10kmとある。さらに少し行くと川を渡る。蛇尾川(さびがわ)といい、この川を渡ってまっすぐ行くのが黒羽街道(国道461号線)、左に曲がるのが旧奥州街道(県道72号線)である。

蛇尾川(さびがわ)
この川を渡ってまっすぐ行くのが黒羽街道。左に曲がるのが奥州街道

国道461号線の道路標示版
黒羽まで10Kmとある。今日は、これを往復するのだ

ビジネスホテル「みつや」
金灯篭の信号の次の通りを左に曲がったところにある。1泊朝食付、6300円。TEL(0287)24-1130

その後は、特に変哲のない道をタンタンと歩く。今日は朝から結構日差しが強く、日陰のないところはかなり暑い。いよいよ夏本番といった感じである。途中に国際医療福祉大学というのがあり、へぇーこんなところに大学がと思った。やがて、道の駅「那須与一の郷」という案内が見えてきた。この施設のすぐ隣に那須神社がある。

那須神社は、道の駅と隣接した場所にある。その歴史は古く、文治3年(1187)那須与一が屋島合戦の戦功を感謝して、社殿を寄進したという。一時は衰えたが、天正5年(1577)黒羽城主大関氏がその氏神として今の本殿、・楼門を再興し、寛永18年(1641)に修理されて今に至っている。両建物とも昭和32年8月に栃木県有形文化財に指定されている。
社宝の太刀二口のうち平安末期のものは、那須与一が屋島で扇の的を射たとき腰にしていたものという。

那須神社楼門
本殿と同じ時期にi大修理され、現在に至る。屋根の状況も同じである

那須神社本殿
1641年に大修理がなされ、現在に至っている。屋根はもと茅葺であったが、現在は銅板瓦棒葺である

黒羽町中心部へ

那須神社を出た後も道はタンタンと続き、やがて黒羽町に入る。さらに進むと大豆田T字路となり、国道294号線と合流する。この道は、取手から真岡、益子を経て白河方面に向かう国道である。黒羽街道(国道461号線)は少し先で右に曲がり、那珂川を越えて黒羽町の中心部へ入ってゆく。那珂川は、今や鮎釣りの最盛期である。川の中にはたくさんの釣り人の姿が見られた。

芭蕉は、黒羽には4月3日から16日まで14日間滞在している。旅の全行程中、黒羽以上に長逗留した場所はない。ここには顔見知りの桃雪、翠桃(いずれも俳号)という兄弟が住んでおり、歓待されたのである。この間に雲巌寺をはじめ付近の観光をし、句会を開催している。

私の予定としては、まず雲巌寺へ行ってみようと思っていた。ただし、雲巌寺までは片道13Kmあるので、往復歩きではそれだけで1日が終わってしまう。バスの便があるはずなので、まずバス停を探した。街道沿いに黒羽町役場がありその前にバス停があった。確かに雲巌寺行きがある。現在の時間が11時頃なので12:04発のバスがちょうどいいなと思いながら一番下を見ると、なんと日曜祝日運休とあるではないか。後でよく見ると、どうも最後の16:54の便が運休のようなのだが、そのときには全部の便が運休と解釈してしまった。これはいかんということで、急遽雲巌寺行きは中止し、近辺の観光を主とすることにする。

黒羽町観光

何せ芭蕉は黒羽に14日も滞在しているので、その跡を半日くらいで見て回ろうというのはどだい無理な話である。しかもその後、私は大田原まで10Kmの道を戻らなければならない。というわけで、少々駆け足になったが、見学した順に紹介してみよう。
黒羽町役場の先を少し行き、左に曲がって行くと観光中心の静かな通りとなる。この道沿いに大雄寺がある。

那須与一像
那須与一が屋島で扇の的を見事に射たときの姿を再現している。

道の駅「那須与一の郷」
平成15年8月にできたばかりでまだ新しい。隣接して「那須与一伝承館」というのが建設予定となっている

黒羽街道(国道461号線
何の変哲もない道をタンタンと歩く。日差しが強く、木陰を選びながら歩く

ホテル花月
那珂橋際にあり、立地がよい。1泊2食付12000円より。

那珂川の様子
鮎釣りの最盛期で、たくさんの釣り人の姿が見られた

那珂橋
黒羽街道(国道461号線)はこの橋で那珂川を渡る

黒羽市街を通る国道461号線
この道は、大子を経由して日立市まで通じている。雲巌寺はこれを13Kmほど行ったところにある

雲巌寺行きバス時刻表
一番下に書いてある「日曜祝日運休」というのが全部にかかるものと解釈してしまった

黒羽町役場
建物の壁に大きく「芭蕉の里くろばね」とある。黒羽町にとって芭蕉は大きな看板なのだ

大雄寺楼門と回廊
楼門、回廊さらには鐘楼にいたるまで屋根はすべて茅葺である。これらの維持保全は大変なことだろう

大雄寺本堂と禅堂
黒羽藩主大関家の菩提寺として古い歴史を持つ。建物は総茅葺で、本堂、禅堂、庫裏、回廊など室町時代の様式を残す

大雄寺の石段の参道
通りから長い石段の参道が続いている。途中にたくさんの羅漢が並ぶラカンの丘がある

大雄寺の少し先に、「芭蕉の道」というのがある。この細い道を歩いてゆくと、浄法寺桃雪邸跡がある。桃雪は黒羽藩の館代(城代家老)で、その弟翠桃とともに俳諧を嗜み、芭蕉を一族をあげて歓待した。わけてもこの桃雪邸には8泊もした。現在では広い敷地に当時のものは残っていないが、木立の中に芭蕉句碑がいくつか建っている。

芭蕉の広場
芭蕉の里の中央公園の位置づけとなっている。広場には東屋などがあり一休みできる

芭蕉の道
芭蕉を思いながら文学散歩ができる遊歩道。桃雪邸跡を経て芭蕉の広場まで約800m続いている

いったん広い通りに出た後、少し先に芭蕉の館への案内がある。比較的新しい建物だが、芭蕉ゆかりの物や黒羽藩主大関家文書などが展示されている。

芭蕉の館
平成元年(1989)に建てられた。芭蕉や黒羽藩主大関家文書などの資料が展示されている。入館料 300円。月曜日休館

那須野ヶ原を行く芭蕉と曾良
芭蕉の館前に建てられたブロンズ像

芭蕉の館からは、黒羽城址公園への遊歩道が続いている。黒羽城は、戦国の世に対処すべく天正4年(1576)に大関高増によりこの地に築かれた。以後、近世大名大関氏代々の居館として、明治4年(1871)廃藩となるまで続いた。残存する土塁、空壕は、戦国末期の山城の機構を今によく伝えている。城址公園一帯はアジサイの名所で、土塁沿いや空壕の周辺などにたくさん植えられている。残念ながら、このときは時期が過ぎていた。

空壕の下の遊歩道
両側にはアジサイがまだ咲き残っていた。最盛期にはきっとすばらしいことだろう

土塁上の遊歩道
土塁上は遊歩道となっており、木々の間からは那珂川や田園風景を望むことができる

黒羽城址公園
広い公園の周囲には土塁が残り、そこに望楼風の建物が建っている

時計を見ると、13時を過ぎている。黒羽の観光簗まで歩こうかとも思ったが、ちょっと距離がありそうなので、芭蕉の館近くの食堂に戻り蕎麦の昼食にする。昼食の間に次にどこへ行こうか考えた。これからまた2時間くらいかけて大田原まで戻らなければならないので、あまり足をのばすわけにもいかない。そろそろ帰路に入りながら途中の芭蕉ゆかりの地を見てゆこうと決めた。
芭蕉の館から大雄寺まで戻り、さらにまっすぐ行くと黒羽小学校前に出る。ここに古めかしい門が残されている。これは古い侍門で、明治時代になって黒羽藩が廃止になった後、記念としてここに移築されたという。そこから右に曲がって川の方向に下りてゆくと、新しい那珂川歩道橋がある。黒羽町のもう一つの目玉、「鮎おどる那珂川」の釣り人のためにも観光客のためにも大変便利な橋である。これまで付近には国道の那珂橋しかなかった。

歩道橋を通って対岸に渡る。そのまままっすぐに行くと国道294号線にぶつかるので、左に曲がり那珂橋方面に戻る。途中に常念寺というお寺があり、ここに芭蕉句碑が建っている。この句碑は浄法寺桃雪建立と伝えられるが、年代、筆者は不詳だという。
芭蕉は14日間黒羽に滞在した後、那須の殺生石に向かった。「おくのほそ道」には、「是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。この口付のおのこ『短冊得させよ』と乞う。やさしき事を望み侍るものかなと  野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす 」  とある。

歩道橋から下流方面を望む
この橋ができるまでは少し下流の那珂橋しかなく、観光客、釣り人には不便だった

新しい那珂川歩道橋
竣工月日が分からないが、できたばかりのような感じだ

古い侍門(黒羽小学校脇)
明治時代になって、黒羽藩が廃止になった後、藩主大関氏の重臣大沼氏の侍門がここに移築された

常念寺山門
この山門の脇に芭蕉句碑が建っている

芭蕉句碑
浄法寺桃雪建立と伝えられる。
野を横に馬牽むけよほととぎす

常念寺を後に、もと来た道を引返す。途中、西那須野行きのバス停があり時刻表を見たが、1日5本程度で次の便までは1時間くらいある。それに大田原市街のどの辺を通るのか分からない。途中で抜かれるかもしれないが、ここはやはり全部歩こう。
那須神社の手前の右に曲がる道路が全面通行止めになっている。往きにも見たのだが、今、通り過ぎてから「ン!もしかしたら」と思って地図を取り出した。やはり、これは芭蕉が通った道のようだ。よく見ると「この先橋梁工事のためH16.11.1〜H17.8.10まで全面通行止め。国道294号線に迂回してください」とある。橋の架けかえでは歩行者も通れないかもしれない。実は、明日この道を通る予定なのだが変更しよう。橋まで行って通れないじゃあ悲劇だものね。大田原からは旧奥州街道も通っている。
1時間くらい歩いていると、また遠くでゴロゴロ始まりそのうちとうとう降り出した。昨日と同じパターンである。ホント栃木は雷が多いねぇ。雨宿りしていると件のバスが通り過ぎた。
大田原のホテルには17:20に着いた。すこし周辺を散策し、ゆっくりと風呂に入り、缶ビールを飲んでいたらすっかりよい気分になってしまった。あらためて外に食事に行くのも面倒になり、TVを見ながらそのまま寝てしまった。

黒羽では、雲巌寺に行けなかったのだけが心残りである。このお寺は、深川で芭蕉の座禅の師であった仏頂和尚が山ごもりした「草の庵」の跡が残されており、芭蕉も真っ先に訪れている。
この先、長い道中のうちにはこのような見残しも出てくるだろう。そのような場所を集めて再度ツアーを組んでもよいかもしれない。



  


黒羽での芭蕉の足跡

元禄2年(1689)4月3日(陽暦5月21日)黒羽入り。余瀬の翠桃宅へ
4月4日 浄法寺桃雪宅へ
4月5日 雲巌寺へ
4月6日より9日まで 雨
4月9日 修験光明寺へ
4月10日 桃雪宅で休養
4月11日 翠桃宅へ
4月12日 犬追物跡、玉藻稲荷神社など見物
4月13日 那須神社へ
4月14日 歌仙興行(句会)
4月15日 桃雪宅へ
4月16日 黒羽出発。殺生石へ向かう。

奥の細道歩き旅 第2回