粟津温泉旅館街
県道沿いに大きな温泉旅館やホテルが建ち並んでいる
県道11号線、粟津温泉北信号付近
県道11号線は小松から粟津温泉、山代温泉、山中温泉を結ぶ幹線である
古道・長嶺(木場道)
瀬嶺から木場に通じる通称「長嶺」は全長約4Kmの古道である。木材、薪炭や海産物などを運搬する当時の産業道路だった。途中1Kmほどは雨が降ると大変な悪路になるので村の篤志家が私財を投じて切石を大量に敷いたという
地蔵堂と一口生水
古道の脇に新しい立派な覆いの付いた地蔵様と湧き水があった。人里離れた峠道を通る村人にとってこの湧き水はありがたく、「一口生水」として数々の伝説とともに語り継がれてきた(説明板より)
山代温泉から山中温泉へ
山代温泉街をざっと一巡してから県道11号線に戻り、先を続ける。しばらく歩くと道路案内標識があり、県道11号線は左に曲がり、まっすぐ行くと国道364号線に出る。山中温泉は国道364号線沿いにあるので、ここはまっすぐに進み、国道に出ることにした。県道を行ってもいずれは国道と合流するのだが、合流地点がわからないので、早めに国道に出てしまおうと思ったのである。国道を4Kmくらい歩いてようやく山中温泉郷に着いた。本日の宿泊場所山中グランドホテルの場所を尋ね、ホテルに到着したのは16時頃だった。ホテルの場所は温泉街から少し離れているので、温泉郷の散策は明日のこととしてホテルでゆっくりとくつろいだ。
山代(やましろ)温泉
山代温泉郷には14:30ころ着いた。県道11号線から少し入ったやましろ温泉通り沿いに温泉旅館や土産物屋が建ち並んでいる。山代温泉は山中温泉と同じく奈良時代に行基が発見したとされている。
山代温泉は北大路魯山人(きたおおじろさんじん)が滞在して、九谷焼などを学んだことで有名である。北大路魯山人は、美食を追及するとともに陶芸でも数々の名品を生み出した異能の芸術家である。魯山人がまだ三十代の頃、山代温泉に1年ほど滞在している。山代温泉の旦那衆に支えられながら、陶芸作家須田菁華(せいか)のもとに熱心に通って九谷焼を学び、後に陶芸家として名をなす基礎を作った。山代温泉には、このほかにも陶芸家バーナード・リーチ、放浪画家の山下清なども滞在しているという。温泉街の中に魯山人の寓居跡「いろは草庵」が残され公開されているようだが、残念ながら見逃した。
小松から山中温泉、大聖寺までの芭蕉と曾良の動向
(曾良旅日記より)
七月二十四日 (陽暦九月七日)
芭蕉、曾良、北枝、竹道の四人は午後四時頃小松に着いた。竹道が懇意にしている近江屋に泊まる。
七月二十五日
小松を立つつもりだったが、小松の俳人たちに請われ、とどまることにする。立松寺(現、建聖寺)に移る。多太(ただ)神社に詣で、斉藤実盛の兜を見る。
七月二十六日
招かれて句会を行う。
七月二十七日
小松を立ち、山中温泉に着く。泉屋方に宿す。
七月二十八日、二十九日、八月一日、二日、三日、四日
山中温泉滞在。
八月五日(芭蕉と曾良の別れ)
芭蕉は北枝と同道して那谷寺に向かう。これは明日小松で生駒万子に会うためである。この日、曾良は芭蕉と別れ、一人で大聖寺に向かい、全昌寺に泊まった。
八月六日
この日は朝から雨で、曾良は全昌寺に滞留した。芭蕉は小松に滞在。この日以降、曾良の旅日記では芭蕉の動向はわからなくなる。以後、芭蕉の動向は「奥の細道」本文によるか、言い伝え、推定などによることになる。
八月七日
曾良は全昌寺を出発し、吉崎を経て森田に着く。芭蕉は小松を立ち大聖寺に着き、曾良と同じ全昌寺に泊まる。一日違いで曾良と会うことはできなかった。
国道364号線
国道8号線
国道8号線
バイパス
大聖寺
全昌寺
大聖寺駅
山代温泉
山中温泉
那谷寺
粟津温泉
小松
小松駅
小松天満宮
粟津(あわづ)温泉
県道11号線を進んでゆくと、中年の男性に「どちらまで行くのですか」と声をかけられた。那谷寺を通って山中温泉まで行きます、と答えると那谷寺までの道順を丁寧に教えてくれた。県道をさらに歩いてゆくと粟津温泉街に出た。道沿いに大きな温泉旅館やホテルが建並んでいる。この県道沿いには、この先に山代温泉、そしてさらにその先に今日の宿泊予定地、山中温泉があり、大きな温泉郷が三つ連なっていることになる。しかし、この三つを比べると一般的にはこの粟津温泉の知名度は低いようだ。
山代温泉街への入口付近
小松方面から県道150号線がここまで延びている。この道は北国街道から分岐しているので芭蕉は初めこのルートを通ったのかもしれない
大きな道標
道の脇に大きな道標が建っていた。高さ3mくらいだろうか。「左 栄谷及那谷寺粟津温泉道 右 宇谷ヲ経テ瀧ヶ原道」とあった
山中温泉、山中グランドホテル
温泉街からは少し離れた高台にある。1泊2食付9800円
国道364号線
少し先で県道11号線と合流する
県道11号線、別所口信号付近
県道は左に曲がるが、まっすぐ行くと国道364号線に出る
芭蕉句碑
『石山の石より白し秋の風』
(那谷寺の石は、近江の石山よりもさらに白く、折から白風と呼ばれる秋の風が吹き渡ってあたりを一層清澄な気分にさせる)
粟津温泉街を過ぎ、しばらくしてから歩いている私の横にワゴン車が止まり、中から先ほどの男性が「那谷寺まで乗っていきませんか」といってくれた。車の中で話したところでは粟津温泉関係の人らしく、粟津温泉の知名度が低いことについて、「うちの温泉は宣伝が下手だったんですかね」といっていた。たしかに山中温泉は芭蕉が、山代温泉は北大路魯山人などが滞在し全国的にも名が知られた。それに比べて粟津温泉には・・・、といいたかったのだろう。
那谷寺(なたでら)
芭蕉は「おくのほそ道」本文では山中温泉への途中に那谷寺に立ち寄ったように記しているが、実際には山中温泉で六日間保養した後、小松に戻る途中に那谷寺を訪れた。
「おくのほそ道」本文より
『山中の温泉(いでゆ)に行くほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。花山(くわざん)の法皇、三十三ヶ所の巡礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷(なた)と名づけ給ふと也。那智・谷汲(たにぐみ)の二字をわかち侍りしとぞ。奇石さまざまに、古松(こしょう)植えならべて、茅ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。
石山の石より白し秋の風 』
那谷寺は白山を霊山として開いた泰澄法師が養老元年(717)に創建した古刹である。南北朝時代の戦乱により焼失したが、加賀藩三代藩主の前田利常が再興した。
私は那谷寺に12:20頃到着した。拝観料を払い山門をくぐると参道が続いている。少し先に大きな池があり、池の向こう側には巨大な岩壁が見られる。「奇岩遊仙境」と名づけられている。芭蕉もこの風景を見てあの有名な句を作ったのだ。池を巡ってゆくと本殿への石段がある。拝殿は下から見上げるとミニ清水寺といった感じだ。拝殿からは「奇岩遊仙境」の全貌がよく見える。拝殿を一旦出て奥のほうに進むと、岩窟への入口があり、岩窟の中に小さな本殿がある。本殿を見物した後、他の施設を一通り巡ったが三重塔は現在修復工事中とのことでその完全な姿を見ることはできなかった。
私は境内のベンチで休憩・昼食とし、那谷寺を後にしたのは13:20頃だった。
国道8号線
北国街道
動橋
那谷道
那谷寺から山中温泉へ
那谷寺を出た後は、また県道11号線を進む。この県道はこの先、山代温泉を経て山中温泉まで続いている。やがて道は小松市から加賀市に入る。そこからしばらく行くと道の脇に大きな道標が建っていた。いつごろ建てられたものかわからないが、こんなに大きな石の道標ははじめて見た。この道は昔から多くの人に利用されたのだろう。那谷寺から1時間半くらい歩いて山代温泉の入口に着いた。
護摩堂
寛永19年(1642)建立。堂内中央に護摩壇が設けられ、平安時代の作と伝えられる不動明王が安置されている。重要文化財
那谷寺本堂(大悲閣)
拝殿は岩山の中腹に建てられ、京都清水寺を思わせる。拝殿奥の岩窟内に本殿があり、本殿の厨子には本尊の十一面千手観音が安置されている。拝殿、唐門、本殿は重要文化財
金堂華王殿
那谷寺の金堂は約650年前に焼失したが、山岳自然信仰の復興を願って平成2年に再建された。那谷寺の法会はすべてこの華王殿で行われる
国道8号線小松バイパス
山野を切開いて造られている。道路の脇を人も歩けるが、人の歩く道ではない
国道8号線今江北信号付近
この地点に「那谷寺11Km、粟津温泉7Km」の案内標識が出ていた。ここで左に曲がった
小松駅前の様子
駅舎は新しく、大きな駅である。近くには小松空港もあり、特急列車も止まる。駅の反対側には小松製作所の大きな工場が広がっている
小松から那谷寺(なたでら)へ
芭蕉は小松を立った後、北国街道を経て山中温泉に直接向かった。山中温泉で六日間保養した後、曾良と別れて北枝とともに那谷寺に向かう。芭蕉は小松に戻る用事があり、その途中で那谷寺に立ち寄るという形になったのだ。私にはその必要はないので、芭蕉とは逆に小松から那谷寺を経て山中温泉に向かうことにした。
私は小松駅前のホテルを8時頃出発した。今回の旅は出発までにあまり時間がなかったので、コースの詳細地図を用意しないで出発してしまった。小松から先の道も大雑把な地図しか持っていないので駅前の道をそのまま進み、道なりに歩いてゆくと国道8号線に出てしまった。国道をしばらく歩くと那谷寺、粟津温泉への道路標識が出ていたのでここを左に曲がった。後は道路標識をたよりに進み、とにかく那谷寺に着けばよいという気持ちである。この道をまっすぐに進んでゆくと、やがて国道8号線の小松バイパスにぶつかった。この道を20分くらい歩くと、左に曲がる道があったのでこちらに進む。小松カントリークラブの中を突っ切っているような道だ。