旧北国街道滑川旧市街風景B
千本格子のある家街道沿いに散見される

旧北国街道滑川旧市街風景A
蔵造りの古い家が見られる

旧北国街道滑川旧市街風景@
旧市街への入口付近の様子

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

神通川を渡る

国道415号線を進むと神通川にぶつかる。国道は萩浦橋で神通川を渡るが、芭蕉はもう少し下流を舟で渡った。橋から見る神通川は水量の多い悠々と流れる大河である。神通川というと全国的にイタイイタイ病で有名になってしまった。これは上流の岐阜県神岡鉱山から出された廃液中のカドミウムを原因とする公害病であった。

万葉線越ノ潟駅
ここから高岡駅前まで約40分で結んでいる路面電車。2002年に第三セクタ化されて現在の名前になった

富山県営渡船
人と自転車が乗船でき、無料である。日中は30分毎、朝夕のラッシュ時には15分毎に運行されている

七月十三日(陽暦八月二十七日)、市振を出発した芭蕉は魚津を通り過ぎ滑川(なめりかわ)まで歩いた。滑川に着いたのは午後4時頃だった。この日は残暑のきびしい中を約十里(約40Km)歩いている。次の日は滑川から高岡までやはり約十里を歩いた。この日も快晴で、暑さの甚だしい日だった。
私は芭蕉が2日で歩いた道を3回に分けて歩くことにした。市振〜魚津、魚津〜富山新港(越の潟)、富山新港〜高岡の3回である。今日(4月4日)は第2回目、魚津から富山新港(越ノ潟)までのコースを歩く。

浜黒崎の松並木、古志の松原

常願寺川を渡ると道の様子はそれまでとがらっと変わる。海側には林が広がり、松並木なども見えてくる。このあたりは浜黒崎と呼ばれている。道の両側に大きな黒松があり、「浜黒崎の松並木」の説明板がある。

「県指定天然記念物 浜黒崎の松並木」 説明板より
この松並木は慶長年間(1596〜1614)に、加賀藩前田利長が参府の折に、街路の美観と冬季積雪時の往来の便を考えて、北陸道に植樹したのが始まりと伝えられています。この松は多幹性の黒松で、かつては東岩瀬〜浜黒崎に至る約8Kmの道の両側に建ち並び、江戸時代の浜街道の景観を留めていました。昭和40年の指定当時には29本ありましたが、その後枯死等により現在9本となっています。


少し先に「浜黒崎キャンプ場」の大きな看板が立っている。時計を見ると12時近い。ちょうどよいので、ここで昼食をとることにした。海岸もすぐ近くで、眺めもよい場所である。食事の後もしばらくの間、松原の続く道を歩く。この松原は「古志の松原」と名づけられている。

私は結局道に迷ってしまったのだが、西に向かって歩いてゆくと白石川にぶつかり、橋を渡ってさらに西の方向に歩いてゆくと大きな常願寺川にぶつかる。川辺に出て河口方向を見ると、長い橋が架かっている。これが今川橋で私が渡るべき橋である。芭蕉の時代にはこの常願寺川と先ほどの白石川は河口付近で一緒になり、かなり広い川だったようで、芭蕉はこの川を渡し舟で渡っている。

水橋神社
この神社の拝殿には奉納された絵馬が多い。中でも湊義経の海士ヶ瀬の故事を描いたものが有名である。また、富山の薬売りに尊崇される海士ヶ瀬神社、芭蕉の句碑が境内にある

一里塚跡
塚の形としては残っていないが、一段高くなった場所に一里塚跡の碑が建てられている。奥には大岩浮動明王を祀った小堂が建っている

水橋の町に入って少し行った道の脇に一里塚の標識と説明板が見えてくる。この道が旧北国街道(北陸道)そのものであることの証明といえるだろう。

「一里塚」 説明板より
浜街道といわれたこの街道は、加賀藩主や大聖寺藩主の参勤交代の道と決められた重要な幹線道路で、北陸道と呼ばれた官道であった。この一里塚は、江戸時代初期に築造されたものであり、もとは街道の南北両側に小山のような塚があったと思われるが、現在は南側の塚がなくなって北側の塚のみが道路より一段高くなり残されている。・・・


県道1号線(旧北陸街道)は一里塚の少し先で左に曲がり、さらにそれから少し行ったところで右に曲がる。この辺は道が入り組んでおり少々間違えやすい。周辺には神社やお寺が多い。そのうちの一つ水橋神社に立ち寄った。境内にある海士ヶ瀬神社は売薬行商に旅立つ人の安全祈願のやしろとして尊崇されているという。水橋は昔から薬売りの行商人が多い町である。なお、境内には芭蕉句碑が建っている。

越ノ潟から万葉線で高岡へ

富山新港の渡船は富山県営で無料である。人と自転車が乗船できる。日中は30分毎、朝夕のラッシュ時には15分毎に運行されている。堀岡発着所から渡船に乗り、5分くらいで対岸の越ノ潟発着所に着く。渡船発着所のすぐそばに万葉線の越ノ潟駅がある。今日の歩き旅はここまで。ここからこの電車に乗り、終点の高岡駅前まで行く。電車に40分くらい乗り、高岡駅前のホテル・アルファーワン高岡駅前に到着したのは18時頃だった。

富山新港の様子
堀岡から対岸の越の潟方面を望む。対岸へは渡船で渡ることができる

国道415号線海老江付近
海岸沿いに進んできた国道は富山新港を迂回するため左に曲がってゆく。歩行者はまっすぐ進んで渡船で対岸に渡ることができる

荻浦橋より神通川河口方向を望む
神通川は岐阜県上岳に源を発する全長120Kmの1級河川である

神通川にかかる荻浦橋
国道415号線の橋で、神通川にかかる最も海寄りの橋である

国道415号線風景
この国道は国道8号線から分岐して、富山湾沿いに能登半島方面に向かう

富山ライトレール東岩瀬停留所付近
県道1号線は左に曲がるが、この道沿いに路面電車の富山ライトレールが走っている。これに乗れば富山駅まで出ることができる

東岩瀬

県道1号線はしだいに市街地に入り、やがて左に曲がる。このあたりは東岩瀬である。この付近には富山ライトレールという路面電車の終点、岩瀬浜停留所がある。この電車に乗れば富山駅方面に出ることができる。芭蕉はここからまっすぐ高岡を目指しているので富山中心部には立寄っていないが、観光地としての富山市街を見物するならここからこの電車に乗って富山駅まで出るのが手っ取り早いだろう。次の日、またここからスタートすればよい。私は芭蕉と同じくそのまま高岡を目指すことにした。県道1号線をそのまま進むと広い国道415号線に出る。これからしばらくの間はこの国道415号線を歩くことになる。

常願寺川の今川橋より富山湾を望む
芭蕉の時代とは川の様子は相当変わっているようだが、芭蕉はここを渡し舟で渡った

常願寺川土手より今川橋を望む
途中で道を間違え、常願寺川にぶつかった。土手から渡るべき今川橋が見えた

魚津から滑川へ

魚津のホテルを7:20に出発した。今日は電車を使うことなくホテルから直接歩き始めることができる。市街地を通り過ぎ、海岸沿いの県道2号線に出る。これから先はこの県道をたどってゆけばよい。
やがて、県道は大きな川にぶつかる。早月(はやつき)川である。この川にかかる早月橋から上流方向の風景はすばらしい。今日は久しぶりに朝から天気がよく、剱岳、立山をはじめとする北アルプス北部の山々が一望できる。
早月川は剱岳に源を発し、流路延長は約45Km。3000mクラスの山から一気に富山湾に流れ落ちる全国屈指の急流河川で、海岸、河口近くでも巨石がごろごろしている。橋の中ほどに「早月橋から見た北アルプスの山々」という解説板があり、それぞれの山の名前がわかるのもうれしい。これだけの景色が眺められたことを感謝しよう。

広い国道415号線は四方荒谷信号を右に曲がって海岸方面に向かう。さらに少し先の四方信号で左に曲がればあとは海岸沿いのまっすぐな道が6Kmくらい続いている。タンタンと歩いてゆくと、やがて国道は左に曲がってゆく。まっすぐに進んでゆくと道は富山新港にぶつかり行き止まりになってしまう。車は通れないので国道はこの新港を大きく迂回しているのだ。歩行者や自転車はこの港を県営の渡船で対岸まで渡ることができる。

古志の松原
岩瀬から常願寺川に至る約一里の間、松原が続く。この松は加賀二代藩主前田利長が浜街道に植樹したものと伝えられている

浜黒崎キャンプ場
松原の一角をキャンプ場にしたもので、道路沿いに大きな駐車場もある。海岸もすぐ近く手軽に自然に親しめる施設だ

浜黒崎の松並木
右の松は「親鸞聖人腰掛の松」といわれ、現在富山県指定天然記念物「浜黒崎の松並木」の指定樹木の一つになっている

早月橋から眺める北アルプスの山々
写真中央に剣岳、その右奥に立山や大日岳が見える。早月川は全長45Kmで、3000m級の山々から一気に富山湾に流れ下る、全国でも屈指の急流である

滑川(なめりかわ)

早月橋を渡ると滑川市になる。少し先の三ヶ信号から先は県道1号線になるが、そのまままっすぐに進めばよい。しばらくすると、県道1号線は右に曲がり、滑川漁港の脇を通る。漁港には小型の漁船がたくさん停泊していた。滑川から魚津の沖合いは世界的にも有名な「ほたるいか」の生息地で、その群游海面は特別天然記念物に指定されている。春が漁期なので、これらの漁船はイカ釣り漁船なのだろう。港の少し先に「ほたるいかミュージアム」というのがあった。ここは年間を通じて、ほたるいかの神秘を見てさわって参加できる体感型の展示施設だという。おもしろそうだが、時間も気になるので通過した。

ほたるいかミュージアム
漁港に隣接して建っている。四季を通じてほたるいかのすべてを体感型の展示で知ることができる

滑川漁港の様子
春はほたるいかの漁期であり、これらの船もこれからほたるいか漁にでるのだろう

県道1号線滑川駅付近の様子
県道1号線はこの先で右に曲がり滑川漁港の近くを通る

滑川旧市街の様子

漁港から先、県道1号線は海沿いにのびている。これから先、水橋までの道筋は千本格子を持つ家などが多く残っており、古い港町と宿場町の面影を色濃く残したすばらしい街道である。道幅といい、両側に建つ家並みといい昔の北国街道(北陸街道)がそのまま県道1号線として残されているように感じられる。

滑川から水橋へ

しばらくすると、道の脇に「大岩道」の古い道標が見えてくる。近くに説明板が立っている。

「史跡 立山、大岩道しるべ」 説明板より
山岳信仰は、奈良・平安時代から僧侶や修験者たちによって、そのもとがきずかれた。江戸時代には、一般庶民の信仰登山も認められ、立山、大岩の登拝者は、地元はもとより、陸奥、出羽、越後をはじめ全国より集まったが、この道しるべは、そのための道案内であった。もとは、この近くにあった旧北陸街道からの分岐点に立っていたものである。


街道沿いの滑川旧市街の町並みはさらに途切れることなく続く。やがて、小さな上市川を渡る。この川を渡って少し行くと富山市水橋に入る。水橋は、かつて北前船や千石船が発着した港町、宿場町である。大坂から薬種が持ち込まれ、それが富山に運ばれていわゆる富山の薬売りの原材料となるなど、交易拠点として栄えていた。

水橋の街道風景
水橋は昔からの港町、宿場町で、滑川と同じように古い町並みが残っている

「大岩道」の古い道標
北陸道と大岩道との分岐点に立てられていた道標。文化8年(1811)に立てられたもので、滑川市指定文化財となっている



金沢へ

浜黒崎

東岩瀬

富山地鉄

国道8号線
国道8号線

国道415号線

国道415号線

国道8号線

富山新港

県道1号線

北陸本線

北陸本線

瑞龍寺

放生津
八幡宮

越の潟

小矢部川

庄川

神通川

常願寺川

富山湾

高岡

富山

滑川

滑川から高岡

水橋