佐潟(さかた)・・・ラムサール条約登録湿地

佐潟は、新潟市の南西・赤塚地区にあり、潟を中心に一帯が公園となっている。県道2号線に接して大きな駐車場もあり、訪れる人も多いようだ。1996年3月にラムサール条約登録湿地となった。

佐潟の概要(パンフレットより)
佐潟は外部から流入する河川はなく、水源を周辺砂丘地からの湧水や雨水にたよっており、その水質は淡水で、窒素やリンなどの栄養塩類の多い富栄養湖に分類されます。佐潟は日本の湖沼の中でも数少ない砂丘湖であり、湿地特有の自然生態系を残す潟として、また、貴重な野生動物の生息地として重要な湿地です。


新潟市は、その名が示すとおり昔は多くの潟がありました。19世紀初頭から20世紀半ばにかけて、治水を目的とした河川改修や用排水路の整備などにより、湿田は乾田化され、多くの潟は消滅してしまいました。全国的にも、これまで、潟をはじめとした湿地は人間にとって役に立たない不毛の地として、次々と農地や宅地として開発が進められてきました。
佐潟を取り巻く環境も決して例外ではありませんでした。それにもかかわらず、佐潟がこうして残ったというのは、砂丘湖であるという湖沼の特徴のみならず、地域の人々と潟とのかかわりに大きな理由があります。

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

内野から県道2号線(新潟寺泊線)を通って佐潟へ

電車に20分くらい乗り、9:50ころ内野駅に着いた。この駅のすぐ前を県道2号線(新潟寺泊線)が通っており、今日はこれからこの道をまっすぐに行けばよい。県道は内野周辺を過ぎるとだんだんと車も少なくなり、のどかな道になる。道沿いには古い神社や庚申塔などの石造物も見られ、この道が古くからの道だということがわかる。ただ、旧北国街道の道筋ではないようだ。やがて、道沿いに大きな造り酒屋の蔵と工場が見えてきた。この少し先で佐潟の案内標識が見えてくる。

弥彦神社手前の北国街道旧道
このあたりの旧道には昔のままの杉並木が残されている

宝光院の芭蕉句碑
『荒海や佐渡によこたふ天河』が刻まれている。碑の説明として曾良の旅日記の一節を記している『三日快晴。新潟を立つ。・・申の下刻弥彦に着す。宿取て、明神へ参詣。』

岩室温泉から弥彦へ

県道2号線は弥彦に近づくと左に分かれてゆく。旧道は細い道となって弥彦神社、弥彦温泉方面に続いている。途中に宝光院というお寺があり、芭蕉句碑があるというので寄ってみた。このあたりの旧道は道の両側に杉並木が続き、昔の面影をよく保っている。この少し先に弥彦神社の大きな鳥居が建っており、門前付近は弥彦の宿場となっていた。芭蕉はこの日、午後6時頃弥彦に到着し、宿を取るとすぐに弥彦神社に参詣した。

岩室バス停付近
これより先、弥彦まで続く県道2号線は昔の北国街道の道筋にほぼ合致しているという

岩室温泉、高島屋旅館
江戸時代の庄屋屋敷の跡で、明治天皇の北陸巡幸の際にここで休息されたという。いかにも時代を感じさせる旅館だ

県道から眺める弥彦山
岩室集落に入る手前で、県道から弥彦山の姿を望むことができた。信仰の対象になるだけに姿のよい山だ

上堰潟の様子
佐潟と同じくこの地方に残された古い潟の一つである。潟の周囲には遊歩道がめぐらされており、途中のベンチで昼食にした

佐潟から上堰潟(うわせきかた)を経て岩室へ

佐潟の見物を終わり、再び県道2号線を進む。3Kmくらい歩くと右手に上堰潟の案内表示がある。ここを右に曲がって少し行くと公園入口があり、広い駐車場もある。ここにも古い潟の一つが残っており、一帯が公園になっている。佐潟より規模は小さいが、潟の周囲を巡る遊歩道もつけられ散策によい。今にも雨が降り出しそうな寒い日だったが、途中のベンチで昼食にした。湖面にはたくさんのカモの群れを望むことができた。
おなかもいっぱいになり、また元気に歩き始める。県道2号線を90分くらい進むと、間瀬、シーサイドライン方面に向かう県道55号線の分岐点に達する。この辺りからは弥彦山の姿がよく見える。ここを過ぎて少し先で県道2号線は二手に分かれる。道路標識は左の新しい道が2号線となっているが、岩室温泉への近道はここを斜め右に進む。

佐潟水鳥・湿地センター
水鳥の保護と湿地の保全を目的として1998年5月に開設された。中には各種展示とともに水鳥を観察する設備もある

佐潟の様子
佐潟は砂丘列間の窪地に水がたまったものとして、さらに都市近くに位置しているにもかかわらず残されてきたということからも非常に重要な湖沼のひとつである

船で新潟に着いた芭蕉は、大工源七の家に1泊した。翌日は快晴で、芭蕉は馬に乗りたかったようだが、源七に馬は高いと聞かされ、徒歩で次の弥彦まで行くことになった。
曾良は新潟から弥彦までの風物や出来事はまったく記していないので、私もこの間は自由なコースを行く。今日は弥彦神社まで行き、そこから電車で帰京する予定である。時間短縮のため白山駅〜内野駅間、約10Kmは電車を利用することにし、そこから弥彦までは県道2号線(新潟寺泊線)を歩くことにした。

県道沿いの造り酒屋
「越後が誇る自慢の名酒 越路吹雪」とあった
越後は名酒の宝庫だ

県道2号線(新潟寺泊線)の様子
内野を過ぎるとだんだんと車も少なく、のんびりした雰囲気になる

弥彦神社

私は15:50頃弥彦神社に着いた。今日は神社を参拝した後、JR弥彦駅まで行き、そこから電車で帰京する予定である。弥彦駅発16:10発の電車に乗る予定なので、時間を気にしながら、本殿への参拝を済ませた。本殿は鬱蒼とした森につつまれた参道を進むと、一番奥にあった。社殿は明治45年に焼失し、大正5年に再建されたということで、建物は古くはないが、弥彦の山を背景に荘厳な感じがする。

旧北国街道の道筋
県道2号線は右から来て、ここで旧北国街道にぶつかる。ここから先、弥彦までは旧街道の道筋と重なる。この辺は散策マップでも持ってじっくり歩いてみたいところだ

旅館の脇に立つ新しい標柱
「ほてる大橋」の脇に「北国街道岩室宿 是より新潟へ十里」の新しい標柱が立っている。この少し先で旧北国街道と合流する

岩室温泉・・・北国街道の面影が残る道筋

近道をまっすぐに行くと、再び県道2号線に合流する。道路沿いの旅館の脇に「北国街道岩室宿 是より新潟へ十里」の新しい標柱が立てられていた。このあたりの道は昔の北国街道の道筋がほぼそのまま残されているようだ。散策マップでも持ってゆっくり散策すれば面白いのだろうが、今日はあまり時間がないので、県道2号線の道路標識に従い温泉街の道を進む。県道は少し先で左に曲がり、あとは弥彦までほぼまっすぐな道筋になる。

白山神社から白山駅へ

古町通りをまっすぐに進めば、白山神社に出る。付近一帯は白山公園として整備されている。この神社は平安時代の開基と伝えられ、現在の社殿は江戸時代のものだという。神社に参拝した後、越後線の白山駅に向かう。新潟市役所の庁舎を過ぎて少し行けば駅に着く。今日はこの駅から内野駅まで約10Kmの区間は電車で行く予定である。まあ、気持ちの上では馬にでも乗ったことにしよう。

旧北国街道沿いには、老舗の温泉旅館が建ち並んでいる。建物はいずれも新しくなっているが、なんとなく昔の宿場の雰囲気も感じられる。少し先の高島屋旅館は江戸時代の庄屋屋敷で、明治はじめの明治天皇北陸巡幸の際にはここで休息されたという。

新津屋小路
古町の辺りには、古町通り、新津屋小路など昔の呼び方が残された道が多い。芭蕉の時代にもこの辺りが新潟の町の中心だったのだろう

萬代(ばんだい)橋
全長307m、幅22m、六つのアーチを連ねる鉄筋コンクリート橋。現在の橋は3代目で、1929年に完成。新潟地震の激震にも耐えた堅牢な名橋として知られる。2004年、国の重要文化財に指定された

新潟駅前から萬代橋、古町を経て白山神社へ

新潟駅前のビジネスホテルを出発したのは7:40頃だった。新潟市は2007年4月に日本海側ではじめての政令指定都市になる。さすがにこれまで見てきた日本海側の都市に比べると規模に格段の差がある。駅前通りをまっすぐに歩いてゆくと、信濃川にかかる萬代橋に出る。橋を渡って少し行くと、古町通り、新津屋小路など古い通りの名前が残っている一角に出る。この辺が新潟の中でも古くからある町なのだろう。芭蕉の泊まった大工源七の家もこの辺りにあったのではないかなどと考えながら、のんびりと歩く。

神社から駅までは結構距離があったが、何とか時間に間に合った。ここから弥彦線で燕三条に出、そこから上越新幹線で東京まで行き、自宅に帰りついたのは20時前だった。やはり新幹線は早い。

越後線白山駅
越後線で新潟の次の駅。住宅地の中にある駅だが、新潟に近いだけに乗降客も多いようだ

白山神社社殿
加賀の白山神社の祭神菊理姫大神を祀る。開基は平安時代と伝えられ、現在の社殿は江戸時代のもの



弥彦神社本殿
創建時代は不詳だが、万葉集にも歌われているという古社である。本殿は明治45年に焼失し、大正5年に再建された

弥彦神社大鳥居
鳥居から先は鬱蒼とした森につつまれた参道が続く。神社は弥彦山のふもとにあり、弥彦山全体を神域とする

新潟駅前の大通り(萬代橋通り)
仙台駅前の青葉通りに似た雰囲気である。まっすぐに行くと萬代橋に出る

新潟駅の外観
新潟駅は上越新幹線をはじめ信越線、越後線、白新線などの電車が発着している
新潟県の表玄関だ