国道山辺里大橋南詰
門前川にかかる橋で、これを渡りきったところで右に曲がる。国道7号線とはお別れだ

水明橋より三面川下流方向を望む
実際にこの写真を撮ったのは早朝で、川岸には霜が降りており大変寒かった

出羽街道旧宿場町、猿沢集落
旧道沿いには立派な家が多い。家々の玄関周りのアルミサッシなどの囲いが冬の雪の深さを想像させる

出羽街道旧宿場町、塩野集落
集落は旧道に沿って長く続いている。建物は新しくなっているが、街道にはなんとなく雰囲気も感じられる

芭蕉公園にある「旧出羽街道ルート案内図」
この案内図は山北町域内のみなので、隣の朝日村の葡萄峠までは載っていないが大沢までの道筋はよくわかる

北中芭蕉公園への道
芭蕉公園の広場に通じる道は林の中の趣のある道で、旧出羽街道を髣髴とさせる。公園広場で途切れてしまうので、旧道そのものではないようだ

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

葡萄集落中心部葡萄バス停付近)
葡萄集落の中心部。近くにスキー場もあるのでシーズンにはにぎわうのかもしれない

葡萄入口バス停付近
葡萄峠への旧道はこの付近からはじまる

県道沿いにある山北南小学校
同じ敷地内に「八幡小学校」という看板のかかった古い校舎があった。小学校は山北町全体で2校に集約され、これがそのうちの一つ。古い校舎はいずれ取り壊されるのだろう

勝木駅前から延びる県道
勝木は山北町の中でも大きな集落だ。駅前からはじまる県道沿いに長く続いている

次の日の朝、私は大失敗をやってしまった。朝寝坊してしまい、予定していた電車に乗り損ねてしまったのだ。予定していた電車は、村上発5:59発の酒田行き。目が覚めたのは5:55頃、これではいくら旅館が駅のすぐ前でも無理だ。次の電車は7:30発と、1時間半もあいてしまう。予定の電車だと勝木着6:39。次の電車だと勝木着8:05。ここは考えどころだ。勝木から村上までは約40Kmある。約10時間かかるとして、8時過ぎに勝木から歩き始めると村上に着くのは18時過ぎになる。もう真っ暗になっているだろう。いろいろと考えた末、私は村上から勝木に向かって逆コースを歩くことにした。これなら電車の時間に左右されず、自分の都合で出発時間を決めることができる。身支度をして、旅館を出発したのは6:20。人気のない村上の市街地をとりあえず国道7号線を目指して進む。幸いに風はないが、空気は身を切るように冷たい。

コースガイドとしては、以下、勝木から村上に向かう記述とします。


勝木から北中(旧中村宿)へ

勝木から芭蕉の泊まった中村宿(現、北中)までは、当時は勝木川に沿った山間の道だった。現在はこのルート沿いに国道7号線が走っており、難なく歩くことができる。勝木駅前から県道がまっすぐに延びており、この道沿いが勝木集落の中心になっている。新潟県山北(さんぽく)町の中でも大きな集落だ。途中で大きな小学校が目についた。広い敷地の中に新旧二つの校舎があり、それぞれに看板がかかっている。不思議に思って後で聞いた話では、小学校の統合が進み、山北町全体で2校に集約され、これがその一つで名前も変更されたのだという。過疎、少子化が一つの形として現れたものだろう。

猿沢集落を過ぎてしばらくすると大きな川がある。三面(みおもて)川である。昔は「お宮の渡し」を舟で渡ったが、現在は国道の水明橋で渡る。私が実際にここを通ったのは早朝で、川面には朝霧が立ち上り、遠くの山々を墨絵のように望むことができ印象的だった。この後、さらに国道を進み、門前川を山辺里(さべり)大橋で渡る。この橋を渡ったところで国道を右に曲がり、県道3号線にはいる。あとはこの道を道なりに行けば村上駅方面に出ることができる。

国道をタンタンと進んでゆくと、やがて旧道が右に分かれてゆく。かつての宿場町、塩野集落だ。山間の小さな集落を見慣れた目には、集落の規模が大きく立派な家が多い。ところどころに庚申塔なども遺されており、旧街道の面影も残っている。この後も旧道が国道についたり離れたりしながら、松岡、早稲田、桧原などの集落を通って次の宿場、猿沢集落に着く。ここも旧道沿いに長く続く集落で、立派な家が多い。このあたりの家の玄関まわりは、アルミサッシなどで囲まれている構造が多い。冬の深い雪に対する備えなのだろう。

葡萄集落から村上へ

葡萄集落のはずれに葡萄トンネルがある。このトンネルの上は長坂峠である。峠道の旧道は残されているが、葡萄峠、大沢峠ほどには整備されていないようだ。このトンネルを抜けるとこの先にはもうトンネルはない。国道は村上に向かって緩やかに下ってゆく。ここから先の国道は、旧出羽街道と重なる部分も多いようだ。昔からの集落が残っているところは、旧道が国道から分かれて集落の中を通っている。

比較的新しい朝日トンネル
長いトンネルで比較的新しいようだ。トンネルができるまでは旧国道は長い峠道を越えなければならなかった

「動物注意」の道路標識の立つ国道
国道7号線も山間の道の様相を濃くする。朝日村大毎トンネル先にて

北中(旧中村宿)

やがて国道は北中集落に着く。勝木からの道はここで旧出羽街道に出会う。旧出羽街道は、現在は県道249号線として北の方向へ延びている。北中は明治時代までは中村といい、宿場があった。芭蕉はここに1泊している。国道との分岐点付近に「北中芭蕉公園」の案内が出ていたので寄ってみた。これは、芭蕉の旅から300年を記念して整備されたもので、旧出羽街道の雰囲気が残されている。メインの広場には、『さはらねば汲まれぬ月の清水かな』
 の芭蕉句碑が建てられている。この辺は清水が豊富な土地だという。

やがて県道は国道と合流する。国道にはバスが走り、その停留所ごとに小さな集落がある。昔はこれらの集落にも学校があったのだろうが、学校は集約され子供たちの通学にはマイクロバスが運行されているという。過疎、少子化集落の現実の姿だ。
国道は勝木川に沿ったゆるい登り坂で、トンネルが多くなる。勝木から北中までの間に下大鳥、上大鳥、笠取と三つのトンネルがあり、そのほかに二つの洞門がある。これらのトンネルはいずれも比較的新しく作られたようで、トンネルを通らない旧国道もまだ残されている。
なお、芭蕉の時代、この道は勝木川の上流で何回か川を渡渉する必要があり、雨の後などは大変だったらしい。芭蕉が歩いた時には何日間か雨が降り続き、川が増水していただろう。芭蕉はこのことを途中で知り、これを避けるため、鼠ヶ関から出羽街道ルートに出て中村宿に向かった可能性もある。曾良は中村宿に至るルートまでは記していないので、今となっては真相はわからない。

余談ですが・・・

はじめにも記したように、私はこの日、実際には村上から勝木に向けて歩いた。勝木駅には15:40頃到着し、昨日よりひとつ前の15:59発の電車に乗ることができた。待合室で電車を待っているときに、年配の男性が私に話かけてきた。「失礼ですけど、先ほど国道を歩いていた方ではないですか」「はい、そうですが・・・」ということから話がはじまった。この方は、たまたま国道を車で走っているときに私を見かけたらしい。出羽街道の旧道の話になり、「出羽街道は、私の子供の頃(4,50年前だろう)には昔のままに残っていて、学校の遠足などでも歩いたものです。その後、林道などが整備され、地元の人が歩くことがなくなった。生活道として使われなくなれば、道は自然に消滅してしまいます・・・」。山北町の小学校が二つに統合されたという話もこのときに教えてくれた。
最後に、今朝の私の朝寝坊のいいわけをしておこう。私は一人旅をしているときには、いつも大体20時頃には寝てしまう。朝は必ずといってよいほど5時頃には目が覚め起き上がる。というわけで、今日も特に早起きの対策はとらなかった。しかし、前日の夜行列車の疲れとその後の1日中の歩行で、疲れがたまったようだ。6時近くまで目が覚めなかった。結果として旧道の峠越えを逃してしまったことは大いに悔やまれる。



   


国道脇の古い石塔
山道をトンネルで抜けてきた国道は、これから先は旧出羽街道とほぼ重なるようだ。国道脇に南無阿弥陀仏と刻まれたふるい石塔が建っていた

国道の葡萄トンネル
このトンネルの上は長坂峠になっており、旧道はこの峠を越える。この旧道も残されているが、整備はされていないようだ
いずれは消滅する運命か

葡萄(ぶどう)集落

葡萄集落はかつては宿場だった。葡萄峠を控えた宿場としてそれなりににぎわったようだ。現在は集落の真中を国道が走り、国道に沿って民家が建ち並んいる。近くに葡萄スキー場があり、民宿などもあるようだ。スキー場の一部が国道から見えるが、それほど大きな規模ではない。

国道をしばらく進むと、大毎トンネルに着く。トンネルを抜けると、国道も山間の道の様相を濃くする。道の脇に「動物注意」の道路標識が立っていた。この辺で山北町から朝日村になっている。さらに国道をタンタンと歩いてゆくと朝日トンネルに到達する。このトンネルは比較的新しく、結構長い。このトンネルができるまでは峠を越える旧国道が通っていたようだ。国道にもいろいろな歴史があるのだ。

国道から大毎集落への入口
道の脇に「吉祥と清水の里大毎」という看板が立っていた。勝木からのバスはこの集落が終点である

国道から北中小公園を望む
公園は大きな看板が立っており、国道からもよく見える。出羽街道はもう少し低い田畑の間を通っていたようだ

北中から国道を通って葡萄峠へ

北中芭蕉公園で一休みした後、私は国道7号線に戻り国道の旅を続けた。北中の分岐点の少し先で丘の上に「北中芭蕉公園」という大きな看板が見える。あの場所に公園があり、芭蕉句碑が建っている。さらに少し先で、大毎(おおごと)集落への道が分かれてゆく。山間の集落としてはかなり大きいようで、勝木からのバスはこの集落が終点である。国道から集落への入口に「吉祥と清水の里大毎」という看板が立っていた。私はここから集落の様子を眺めただけで通過した。

旧出羽街道

旧出羽街道は、村上城下を基点にして北上し、庄内鶴岡へ通じる街道である。参勤交代で使用されたわけではないので、あまりメジャーな道ではなく、越後から出羽三山詣での旅人がよく利用したようだ。芭蕉は中村宿に1泊した後、この道を通って村上に出ている。村上までの間に葡萄峠という難所があった。現在の国道7号線は、葡萄峠をはじめとする峠道をいくつかのトンネルで越えており、旧道とはかけ離れたルートを通っている。私はこの日、朝寝坊のため結果としてこの旧道の峠道ルートは省略し、すべて国道7号線を歩いてしまった。機会があったら旧道に再挑戦したいものだ。
北中公園に「旧出羽街道ルート案内図」があったので、これを参考に旧道ルートをたどってみよう。私はこの区間を実際には歩いていないので、参考書「おくのほそ道の旅」(萩原恭男、杉田美登著、岩波ジュニア新書)の記述を引用させていただく。

『現在山北町では旧出羽街道の保存に力を入れていて、要所要所に道標を立ててあるので、旧道をたどるのは楽です。大毎(おおごと)までは田畑の中を進みますが、次の宿大沢の葡萄(ぶどう)峠入口からは山道になります。ここから安産の神として信仰されている漆山(うるしやま)神社までの旧道はよく保存されています。舗装されていない山道(約4Km)がそのまま残されているのは、「おくのほそ道」の中でも唯一のもので、石畳も5ヶ所にわたって残されています。漆山神社の先で舗装道路となり、標高262.6mの地点が葡萄峠です。坂を下り何度か曲がると葡萄の集落が下に見え、舗装道から分かれて葡萄の北の端に出て、国道7号線と合流します。』

なお、「旧街道の旅・出羽街道」という出羽街道ルート案内のサイトもあるので、参考にしてください。

北中芭蕉公園
国道から旧道沿いに少し上ったところにある。公園の広場に 『さはらねば汲まれぬ月の清水かな』 の芭蕉句碑が建っている

国道7号線と県道249号線合流付近
勝木からの国道7号線(左)は、旧出羽街道の県道249号線(右)とここで合流する

田中前バス停付近
勝木からの国道7号線は山間を走る道だがバスも走り、道沿いの集落の数も多い

国道に並行して流れる勝木川
勝木川は上流になるにつれて国道に近づき、右に左に現れる昔は渡渉の必要もあった

国道の上大鳥トンネル
勝木から北中までの間に三つのトンネルと二つの洞門がある