奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

十六羅漢像
正面に釈迦、文殊、普賢の三尊と、その周囲に十六羅漢その他の仏像を配し、全部で二十二体あるというが、全部は確認できなかった

名勝・羅漢岩付近の様子
吹浦の溶岩台地の先端にある岩礁地帯。ここの自然の岩を利用して吹浦海禅寺の寛海和尚が十六羅漢像を刻んだ

十六羅漢岩

溶岩台地の先端は、ごつごつした奇岩が連なる岩礁地帯になっている。この自然の岩を利用して仏像や十六羅漢像が刻まれている。吹浦、海禅寺の寛海和尚が元治元年(1864)から明治元年(1868)にかけて石工とともに刻んだものである。海難事故で亡くなった漁師の冥福を祈り、海上の安全を祈願している。国道は高台を走っているが、像のある海辺まで降りてゆくことができる。陸側に顔を向けているので、思ったほど風化はしていないが、厳しい環境下にあるのはたしかだ。自然の中によく調和し、敬虔な気持ちになる。

三崎峠(羽州浜街道旧道)

海よりの遊歩道を途中まで歩いた後、出発点の駐車場に戻った。この遊歩道は、もちろん芭蕉の通った旧街道の峠道ではない。そこで、出発点に戻り、説明板や案内図をよく読んでから、峠の旧道を探索することにした。

三崎公園 (説明板より)
三崎公園は秋田・山形両県にまたがり、園内にはタブの木が群繁し古来は交通の難所として知られ、周辺には「地獄谷」「駒泣かせ」の地名が残っています。三崎の名は、観音崎、太子崎、不動崎の三つの崎を合わせたものです。ここは戊辰戦争(1866年)の戦場でもあったところで、芭蕉が歩いた当時の旧街道が保存され、旧道沿いに一里塚、太子堂、五輪塔などの史跡が点在しています。


駐車場から国道を少し歩くと、「奥の細道 三崎峠」の大きな標識が立っている。ここから旧街道が保存されている。落葉の積もった細い道を進んでゆくと、少し先で道が二手に分かれる。これを左に曲がると先ほど通った遊歩道方面に出る。旧街道はこれをまっすぐに進む。やがて、鬱蒼としたタブの林の中に古いお堂(大師堂)が見えてきた。説明板があり、今から1200年前に慈覚大師(円仁)が立てたものだという。付近にはたくさんの五輪塔も建っている。また、近くには戊辰の役三崎山古戦場戦没者供養塔と碑が建っていた。さらに少し進むと、山形県と秋田県の県境表示板があった。いよいよ秋田県象潟町だ。このあと、旧道は遊歩道的な道になり秋田県側の駐車場、売店などのある広場をとおり、再び保存された旧道に入る。しばらく細い道が続いた後、国道7号線に出て、旧道は終わる。旧道の残っている区間は1Kmくらいだろうか。十分に昔の道の面影をしのぶことができた。

関集落付近の様子
かつて「有耶無耶の関」があったと伝えられる集落。関の場所については三崎山にあったとする説もあり、はっきりしない

上浜海岸
遠浅の砂浜で、白い波が印象的だ
芭蕉はこのあたりで激しい雨にあったようだ

羽越本線

国道7号線

国道345号線

(羽州浜街道)

国道7号線

吹浦駅

吹浦

十六羅漢岩

熊野神社

塩越

能因島

蚶満寺

九十九島跡

象潟

象潟駅

日本海

国道7号線を経て三崎峠まで

羅漢岩を過ぎると国道345号線は坂を下って海岸沿いの道となり、トンネルを抜けてきた羽越線の線路と並行するようになる。その少し先に湯ノ田温泉がある。昔から湯治場として知られてきたところで、現在温泉宿が二軒あるという。私は吹浦で宿をとったが、ここまで足をのばせば、温泉につかりながら日本海に沈む夕日を眺められるという。海岸沿いの道をさらに進むと、女鹿(めが)の集落となる。ここで国道345号線は、山側を抜けてきた国道7号線(バイパス)と合流する。女鹿を過ぎると前方に海に張り出した岩礁と峠が見えてくる。かつての羽州浜街道の難所、三崎峠である。

芭蕉が宿泊した能登屋、向屋跡
右の白い立て札の立っているところが能登屋跡、左側斜め前方が向屋跡

象潟の国道7号線
この少し先で旧道が左に分かれてゆく
旧道は「きさかた さんぽみち」として説明板などが整備されている

6月16日(陽暦8月1日)、芭蕉は吹浦をたち、象潟(きさがた)に向かった。途中には三崎峠という難所があり、また、雨にも降られたので、あまり快適な行程ではなかったようだ。約六里の距離で、昼ごろには象潟に到着した。

小砂川海岸風景
このあたりは鳥海山の溶岩が海に落ち込み、断崖や奇岩怪石が続いており眺めがよい。遠くに三崎が見える

海沿いの小砂川集落
国道のすぐ脇は海岸である。国道が防潮堤のようになっているが、すぐそばに家屋が密集している。海岸沿いの集落でよく見られる光景だ

秋田県側に保存された旧道
秋田県側の駐車場、売店のある広場を過ぎると再び旧道が始まる。しばらく続いた後、国道7号線に出る

三崎の先端付近の様子
県境標識の先で旧道は明るい遊歩道になり、途中階段で三崎の岩礁付近まで下りることができる

吹浦から十六羅漢岩へ

私は、8時頃吹浦の宿・遊楽里を出発した。今日は、これから海岸沿いに象潟に向かい、象潟を見学した後、電車で酒田に戻り、酒田に宿泊する予定である。
吹浦の手前で国道7号線は山側を通る吹浦バイパスとなり、海岸沿いを通るのは国道345号線(旧7号線)である。遊楽里のすぐ近くをこの国道が通っており、これを10分ほど歩くとJRの吹浦駅に着く。吹浦駅を過ぎると、やがて国道は大きく左にカーブし、登り道になる。このあたりは鳥海山の溶岩流が形成した台地である。やがて眼下に注連縄を掛けた二つの岩と小さな鳥居が見えてきた。このあたりは吹浦漁港の北のはずれで、二見浦と呼ばれている。そういえばこの岩は伊勢二見浦の夫婦岩に似ている。少し先の見晴らしのよい場所に、『あつみ山や吹浦(ふくうら)かけて夕すずみ』 の芭蕉句碑が建っている。

象潟(きさがた)

曾良旅日記によると、芭蕉はこの日、昼ごろ象潟に着いた。関村の手前で大雨にあい、ずぶぬれだった。まず、旅人宿の能登屋を訪ねて休み、着物を借りてぬれた衣服を干し、うどんの昼食を食べた。能登屋に泊まるつもりでわらじを脱いだのだが、熊野権現の祭りで女客があって、やむなく近くの向屋へ移って1泊した。翌日は能登屋に泊まった。
国道7号線は、象潟の市街地に入る手前で、旧道が国道と分かれる。この旧道を進んでゆくと、芭蕉が象潟で宿泊した旅人宿、能登屋と向屋の跡がある。私が、この能登屋跡に着いたのは14時頃だった。今日はまだ時間が早いので、これから象潟を見物し、その後電車で酒田まで戻り、酒田に宿泊する予定である。象潟見物の様子は、次回記すこととしよう。

小砂川を過ぎ、海岸沿いの国道をタンタンと進む。やがて広い砂浜が見えてきた。上浜海岸だ。芭蕉は、このあたりで激しい雨にあい、ずぶぬれになっているようだ。さらに国道を進むと、関という集落がある。曾良が、『関ト云村有。ウヤムヤノ関也ト云』 と記しているところである。「有耶無耶関(うやむやのせき)」は、出羽国と陸奥国の国境にあったという古関で、12世紀に入って和歌に詠まれ、あるかないかはっきりしない関という意味の名前が面白く、歌枕となった。江戸時代の主な道中記ではこの関村にあったとしているが、その位置については三崎山にあったとする説もあり、はっきりとは分からない。

三崎公園から象潟へ

三崎峠を越えると、国道とJR羽越線の線路が再び接近する。これから象潟まで、途中に小砂川(こさがわ)、上浜(かみはま)と二つの駅がある。国道をタンタンと進んでゆくと、小砂川の集落が見えてくる。JRの駅があるだけに海岸沿いの集落としては大きいが、海辺の狭い土地に家が密集している。半農半漁の古い村なのだろう。小砂川駅は国道を少し登った高台にある。駅の近くに小砂川海岸の松林が見えたので立ち寄った。このあたりは鳥海山の溶岩が海に落ち込み、浸食作用により形成された断崖や奇岩怪石が続いており、眺めのよいところである。時計を見ると11:45。ベンチも置いてあるので、ここで昼食にした。

二見浦の夫婦岩
伊勢二見浦の夫婦岩のように二つの岩に注連縄が掛けられ、鳥居が立っている。後方は吹浦漁港

遊楽里より吹浦漁港方面を望む
漁港の北側(写真右側)は鳥海山の溶岩でできた岩礁地帯となっている。今日は、はじめに、この岩礁地帯を歩く

三崎公園

現在の三崎峠一帯は、三崎公園として整備されている。国道の脇に駐車場が設けられ、ここに付近の案内図や説明板が立っている。ここから海の見える遊歩道が始まるので、まず、こちらの道を歩いてみた。断崖の上を巡る遊歩道で、日本海の眺めが大変よい。ひときわ眺めのよい場所に、
「夕日かがやく町で愛を! SUNSET POINT 遊佐町」という、なんともロマンチックな立札が立っていた。地図で見ると、この真正面が西にあたる。日本海側を歩いていると、海の見えろところはどこでも夕日の名所になりうると後で気がついたが、ここが絶好の「SUNSET POINT」であることは確かだ。

駐車場の奥から続く遊歩道
駐車場の奥から海の方向に延びる遊歩道がある。断崖上の道で眺めが大変よい

三崎公園駐車場付近
国道脇に設けられた駐車場。案内図、説明板などが立っている



上浜

三崎峠

小砂川

遊歩道の全景
途中に東屋、トイレなどもある。階段を下りて波しぶきのかかる岩礁付近まで行くこともできる

「夕日かがやく町で愛を!SUNSET POINT」
絶好の場所に立っている立て札。真正面に夕日が沈むはずだ

山形県秋田県の県境標識
旧道の途中に山形県遊佐町、秋田県象潟町の県境標識があった。いよいよ秋田県だ

旧道脇に建つ大師堂
自覚大師円仁が建てたと伝えられる。近くには多くの五輪塔があり、戊辰の役古戦場戦没者供養塔も建っている
周りにはタブの木が茂る

羽州浜街道旧道の様子
おそらく芭蕉が通った当時とほとんど変わらないのだろう

「奥の細道 三崎峠」標識
駐車場から少し先の国道7号線脇に立っている大きな標識。ここから保存された旧道が始まる

女鹿付近より三崎峠方面を望む
前方の小高い山が三崎峠で、かつてはこれを越えるのに難儀した。現在は車ならあっという間に通り過ぎてしまう道だ

国道345号線風景
国道345号線は海岸沿いを走る。かつては7号線だったが、山側にバイパスができてからは吹浦〜女鹿は345号線となった。前方の集落は湯ノ田