古口最上川船下り乗船所
ここから清川まで、約1時間の船下りの旅が始まる。定期船は、9時から16時までほぼ1時間ごとに出発する

古口船番所跡
江戸時代、古口には新庄藩の船番所があった。いわば、川の関所で、通行には手形を必要とした。現在は、船番所を模した建物が建っている

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木
集落跡から少し行くと、右岸に石の鳥居と小さなお堂が建っている。仙人堂である。平泉に下る義経主従がここに立ち寄ったということで、堂内には義経ゆかりの古文書や最上川の古絵図などが展示されているという。私の乗った船はここには立ち寄らなかったが、ここに立ち寄るコースもあるようだ。そこからさらに少し下ると、白糸の滝がある。赤い鳥居が立っており、その上の木々の間から白い一筋の滝が見える。芭蕉は、この最上峡の様子を次のように記している。

『 白糸の滝は、青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂岸に臨みて立つ。水みなぎって、舟あやふし。
          五月雨をあつめて早し最上川  』    

船頭さんは、操船のほかに周囲のガイド、唄の披露など乗客を飽きさせない。かつてこの地域でNHKの「おしん」の撮影があったとき、このガイドさんもいろいろと協力したという。休憩地を出発してしばらくすると、右岸に家が10軒以上かたまって建っているのが見えてきた。船頭さんによると、近年まで住民が住んでいたのだが、すべて他所に移転してしまったという。どこへ出るにも船で対岸に渡らなければならない不便さに耐え切れなくなったのかもしれない。電気などのインフラは整っており、建物もまだ使えるので、希望者があれば格安で手に入れることができるという。船頭さんによると、最近、70代の男性が一人でここに住みはじめたという。「あ、船があるから、今日はおじいさん家にいますね」と船頭さんは笑いながら言った。

古口乗船所、かつての船番所跡

川沿いの国道を2時間近く歩き、ようやく古口の最上川舟下り乗船所に着いた。12:10頃だった。古口から清川までは両岸に山が迫り、右岸には道もない。左岸も現在では国道47号線とJR陸羽西線が通ってはいるが、それは後世に作られたもので、それまでは古口・清川間は舟運しか行き来の手段はなかった。古口には、江戸時代には新庄藩の船番所が置かれていた。いわば川の関所である。芭蕉たちはここで船を乗り換え、番所で手形の手続きをした。
かつての船番所を模した門を入ると、乗船券売り場や土産物屋などがある。船の出発時間を見ると、次の便は12:50発で、まだ40分くらい時間があるので、ここの食堂で昼食にした。

今日は、奥の細道の中でも私が最も期待していた場所のひとつ、最上川の舟下りをする予定である。舟下りは約10Km、1時間にも及ぶ本格的なものである。
芭蕉は、風流宅に2泊したあと、6月3日(陽暦7月19日)に新庄を出発した。本合海(もとあいかい)から舟に乗り、最上川を下り、清川に向かった。このときは、約24Kmもの船旅であった。

白糸の滝の少し先に、草薙の下船所がある。芭蕉はここからもう少し下った清川で下船しているが、現在の船下りコースはここまでである。下船してしばらくすると、雨が本格的に降りだした。船の中でポツポツときてはいたのだが、危うくセーフだった。今日は、この草薙下船所のすぐ近くの滝沢屋という旅館に宿泊予定である。旅館には14時頃着いた。この旅館は最上川左岸の川際に建っており、全室リバー・ビューだという。たしかに部屋からの川の眺めはすばらしい。温泉にゆっくりつかった後、私は心ゆくまで最上川の流れを眺めた。このような宿でのくつろぎも、旅の大きな楽しみの一つである。

本合海から古口へ

現在の舟下りの乗船地は、本合海から約9Km下流の古口にある。川の左岸に沿って国道47号線が走り、右岸には陸羽西線が走っている。左岸にはしだいに山がすぐ近くまで迫り、道は川のすぐ近くを通るようになる。右岸は、まだ平野が続き、遠くに鳥海山の秀麗な姿を望むことができた。やがて古口が近づくと、右岸を走ってきた陸羽西線は川を渡って左岸に移ってくる。ここから先の右岸は鉄道も道路も通すことができない山塊になるのだ。

最上峡

12:50、定刻に船下りの定期船は出発した。エンジンつきの船で、ガイドをかねた船頭さんが船を操る。乗客は14,5人だろうか、船に敷いたゴザの上に思い思いに座っている。
船が進むにつれ、両岸には山が迫ってくる。ここが名高い最上峡だ。左岸には国道が見え隠れするが、右岸は木々におおわれた山塊が見えるだけである。川幅は広く水量が多い。梅雨の時期ではないので、川の流れはそれほど早くは感じないが、ゆったりと流れている。やがて、右岸の川べりに小さな小屋が見えてきた。船はここで一休みする。ここには船客相手の土産物屋と軽食店があり、下船してトイレや喫煙することもできる。

新庄から本合海(もとあいかい)へ

私が新庄駅近くのビジネスホテルを出発したのは、7時20分頃だった。宿のご主人のアドバイスにより、まず新庄城跡(最上公園)に立ち寄った。
江戸時代、新庄は戸沢氏配下の城下町だった。新庄城は、明治の戊辰の役で廃城となり、現在は堀や石垣の一部が残っているのみである。戸沢神社、天満宮が祀られ、最上公園として市民の憩いの場となっている。





城跡を見学後、アドバイスのとおり県道34号線を進み、本合海の手前で国道47号線に出るルートを行く。芭蕉の歩いた道筋とは違うが、新庄駅から本合海までの最短ルートである。市街地を過ぎると、田園の中の静かな道となる。左手には長い山すそをひいた月山が望め、右手には陸羽西線の列車がのんびりと走っている、気持ちのよい道をタンタンと歩く。枡形駅の少し先で左に曲がり、国道47号線に出る。ここから30分くらい国道を歩くと、本合海大橋に着く。

新庄城表御門跡
新庄城は新庄藩祖戸沢政盛により寛英年(1624)に完成。明所の戊辰の役後、廃城となった。現在は堀跡と石垣の一部を残すのみ

本合海(もとあいかい)

国道47号線の本合海大橋の近くに、「本合海芭蕉乗船の地」碑と、芭蕉、曾良の像が建っている。芭蕉はここから最上川下りの舟に乗り、清川に向かった。約24Kmほどの舟旅のスタート地点である。
南から流れてきた最上川は、本合海付近で一度西方向に大きく蛇行し、また、東に戻って八向楯(やむきたて)にぶつかり、そのまま西に流れてゆく。何度も大きく蛇行するため、川の曲がり角には中州ができ、この陰に船着場が作られた。芭蕉たちはここから船に乗ったわけである。

田園の中を行く陸羽西線
新庄から羽越本線の余目までを結ぶ。新庄、古口間が大正2年に開通し、翌3年に酒田まで開通したという
これにより最上川舟運は急速に衰えた

新庄市郊外より月山を望む
県道34号線から南西方向に月山が見える。月山は臥牛山ともいわれ、牛が寝そべっているように緩やかな山すそをひいている

最上川、本合海の乗船地点(左側)
最上川はこの辺りで大きく蛇行し、流れが緩やかになり乗船場が設けられていた。

「史跡芭蕉乗船の地」碑と芭蕉、曾良像
芭蕉と曾良は、この地から船に乗り、清川までの約23Kmの最上川舟下りを楽しんだ

乗船場所の少し先で、東に向かっていた川は矢向楯(やむきたて)という断崖にぶつかり、大きく西に向きを変える。この矢向楯には矢向(やむき)神社があり、古くから交通の守神であった。かつて、源義経も芭蕉とは逆コースで最上川を遡って、矢向神社を拝んで、平泉に向かったと伝えられている。対岸にはこの神社の鳥居が立っている。
私は、国道の本合海大橋を渡り、川原に降りて矢向神社の鳥居が立っている辺りまで歩いた。川が大きく蛇行しているため、この付近は細かい砂が堆積しており、歩きにくい。

白糸の滝
仙人堂から少し下った右岸にある。木々に隠れて滝の全貌はよく見えなかったが、かなりの落差のある滝である

仙人堂
最上川右岸に建つ小さなお堂。義経の奥州下りの際、常陸坊海尊はこの地で義経と別れ、終生この山にこもり、仙人になったと伝えられている

最上川右岸の様子、遥かに鳥海山を望む
古口付近までは右岸には平地が広がり、遠くには鳥海山の秀麗な姿が望める。陸羽西線が走っているが、やがて川を渡り左岸に移る。

最上川左岸の様子
古川に近づくにつれ、左岸には山が迫り、川沿いに国道47号線が通るのみとなる

(芭蕉上陸の地)

県道56号線

(芭蕉乗船の地)

最上川

清河八郎記念館

清川駅

陸羽西線

国道47号線

仙人堂

白糸の滝

清川

草薙温泉降船所

古口駅

古口乗船所

本合海

芭蕉の乗船区間

現在の乗船区間

最上川船下り

県道
34号線

最上峡

矢向神社

枡形駅

旅館の部屋から最上川を望む
滝沢屋旅館は、全室リバー・ビューである。古口に戻る定期船、対岸には白糸の滝の赤い鳥居が見える。部屋から川を眺め、至福の時を過ごした

鳥居付近から下流方向を望む
矢向楯で向きを変えた最上川はそのまま西に向かって下ってゆく

矢向楯と矢向神社鳥居
最上川は矢向楯にぶつかり、大きく向きを変える。ここには矢向神社が祀られ、古くから交通の守神であった。対岸に鳥居が立っている

最上峡の様子A
右岸には手付かずの森が広がる。植林されたものでない杉の原生林を見ることができる。前方に船客相手の小さな休憩小屋が見えてきた

最上峡の様子@
両岸には山塊が迫る。左岸には国道が見え隠れするが、右岸には道はない。川幅は広く、ゆったりとした流れである。

右岸に見られた集落跡
最近まで集落があったが、集団で他所に移転してしまったという。現在は70代の男性が一人で住んでいるということだ。どこへ出るにも船で対岸に渡らなければならない不便さがある

最上川船下り船内の様子
船頭さんは、操船しながら周囲のガイド、唄の披露など客を飽きさせない