鳥越一里塚

新庄

鳥越八幡神社

国道13号線

国道47号線

国道47号線

奥羽本線
山形新幹線

陸羽東線

舟形

舟形駅

国道13号線
(バイパス)

国道13号線

風流宅跡

新庄駅

頂上近くにある一里塚
新庄の鳥越一里塚からちょうど一里の地点にある

猿羽根山地蔵
猿羽根峠の頂上に立っている。道中安全の地蔵として祀られ、広く信仰されてきた

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

鳥越の一里塚
南北で1対となっていたが、現在は北のものだけ残っている。植えられているのはブナ

鳥越八幡神社
旧道から参道が延びており、その奥に国の重要文化財の神社が建っている

舟形から新庄へ

猿羽根峠頂上からもと来た道を引き返し、国道に戻る。峠を越えると舟形町に入る。ここには、かつて新庄藩の口留番所があった。この番所は入るときには手形の検分は無用だったという。
この辺りの国道は、ほぼ昔の羽州街道と重なっている。国道沿いに町役場、郵便局などがあり、町の中心部という感じだ。現在、新しい国道バイパスが完成しているので、こちらの交通量はやや減っているようだ。

明治天皇行幸記念碑
明治10年に新道が開削され、難所が解消された。明治天皇は、この新道を通っている。昭和37年にはトンネルが開通し、その新道も廃道となった

「史跡 羽州街道猿羽根峠」標識
旧道は断片的に残されており、この区間もその一部。少し先で消滅してしまう

芭蕉は3日間大石田に滞在したが、その間に川を渡って対岸の向川寺(こうせんじ)に参詣している。これは少々距離がありそうなので省略し、芭蕉句碑がある西光寺に寄ってみた。それほど大きなお寺ではないが、山門にはちょっとユーモラスな仁王像が立っている。境内に明和年間(1770頃)に立てられた、『五月雨(さみだれ)をあつめて凉し最上川』 の句碑がある。この句は一栄宅で開催された連句の会の発句である。これはその後推敲され、最上川全体の情緒を述べた、『五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川』 として「おくのほそ道」に載せられた。

大橋付近の堤防は「大石田特殊堤防」といわれ、なかなか凝っている。大石田には、1792(寛政4)年から川舟を管理する幕府の役所が置かれた。そのイメージをベースにした石積土手、白壁風の堤防で、頭には瓦をのせている。もちろん通常の堤防としての機能を持っている。

山寺を見物した次の日、芭蕉は前日と同じ道を戻った。前日の疲れが残っていたのだろうか、天童まで馬に乗っている。羽州街道を北上し、土生田で左に折れ、午後3時頃大石田の高野一栄宅に着いた。ここに3日間滞在し、句会を開いたり、付近の散歩をしたりしている。大石田でゆっくりと体を休めたあと、6月1日(陽暦7月17日)、新庄に向けて旅立った。途中には猿羽根(さばね)峠という羽州街道の難所があった。

やがて、旧道は国道と分かれ右手に進む。この道沿いに鳥越八幡神社がある。参道を進むと奥に国の重要文化財に指定されている神社建物がある。さらに旧道を進み、国道47号線、13号線を渡って少し行ったところに鳥越の一里塚がある。この一里塚は昔の羽州街道に設けられたもので、昔の面影を残している。植えられているのはブナである。
旧道は、この少し先で奥羽本線の線路にぶつかり通行できない。踏切の跡は残っているのだが、閉鎖され、通行禁止となっている。新幹線の開業に伴い踏切の削減が行われたのだろう。仕方ないので、国道47号線に出て線路を越える。

新庄にて

新庄駅近くのビジネスホテルに戻ったのは、16時ころだった。ちょうどフロントに宿の女将さんがいて、話しかけてきた。私が奥の細道を歩いているというと、「いいですね。私も『えんぴつで奥の細道
(注)』を書きはじめたんですよ。まだはじめたばかりですけど」という。私もうれしくなって、奥の細道の話がはずんだ。陸奥、出羽路にはいり、奥の細道に関心を持っている人が非常に多くなってうれしい。
「私は、50を過ぎてから運転免許を取ったのですけれど、行動範囲が広くなり楽しい。最近、新庄ではお客が少なくなり、同業者には嘆いている人が多いけれど、時間ができたら自分のために使えばいいんですよ。今までさんざん働いてきたんだから。新庄にもブックオフができたので、よく行きますよ」という。大変前向きな人だ。ソファーに座り、おいしいコーヒーまでご馳走になってしまった。このような人との出会いも、旅の大きな楽しみの一つだ。

(注)「えんぴつで奥の細道」・・・「おくのほそ道」の全文を、書家の書いたとおりになぞってゆけば、きれいな字で書き写すことができるというもので、いま、静かな人気をよんでいる。実は、私も始めており、大体HP作成ベースにあわせて進んでいる。(現時点で「山寺」まで)


  

羽州街道 猿羽根峠(さばねとうげ)

鳥居をくぐって進むと、細い舗装道路が続いている。これは、旧道が険しいため、明治10年に新たに開削された道である。明治天皇の山形巡幸の際には、この道を通っている。頂上には猿羽根地蔵堂があり、その近くには一里塚跡がある。峠の旧羽州街道は、この頂上付近を中心にわずかな区間が確認されているのみである。残された旧道の近くに、「史跡羽州街道 猿羽根峠」の標識と説明板が立っている。

羽州街道猿羽根峠 (舟形町教育委員会の説明板より)
羽州街道は、奥州街道とともに東北の二大街道で、福島県桑折(こおり)より分かれ、奥羽山脈を越えて山形県にいたり、秋田県を経て青森県油川で再び奥州街道に合する。羽州街道は、津軽、秋田、山形の諸大名の参勤交代の道であった。
猿羽根峠は、最上地方と村山地方を分かつ峠で羽州街道の中でも名だたる難所として知られていた。街道跡は断片的ながら山中に残っており、舟形側の朝日沢にある急坂の一部が明治堪能行幸記念碑の真向かいの山腹に見られる。

大石田から名木沢へ

大石田は蕎麦が名物だという。西光寺の付近では、ちょうど白い蕎麦の花が満開だった。黄色い稲穂と白い蕎麦の花のコントラストがなかなかよい。私は蕎麦が好きなので、名物の蕎麦を味わってみたかったが、昼食にはまだまだ時間がある。大石田の駅の近くまで戻ったのは9時頃だった。これから先は、主に県道305号線(大石田線)を名木沢付近まで歩く。羽州街道の宿駅・名木沢まで続くこの道は、秋田藩の佐竹氏が利用したので佐竹道とも言われ、羽州街道の脇道だった。
道は鉄道線路に平行して進み、やがて丹生(にゅう)川を渡る。この川は、少し下流で最上川に注ぎ込んでいる。しばらく田園風景が続き、そのうち集落が見えてくるというパターンをくりかえしながらまっすぐな県道をタンタンと進む。やがて、芦沢集落に達し、ここで尾花沢方面からの県道と合流する。この地点から15分くらいのところに「明治天皇の行在所」の標識が立っていた。そこからさらに10分くらいで羽州街道(国道13号線)に合流する。この辺りは名木沢である。

西光寺境内の芭蕉句碑
『さみだれをあつめて凉し最上川』 の句碑。明和年間に地元の俳人土屋只狂により立てられた

西光寺山門、仁王像
この仁王像はなかなかユーモラスな姿、表情をしている

大石田・最上川舟運で栄えた町

大石田駅前から県道をまっすぐに進み、T字路を左に曲がり、さらに右に曲がると最上川にかかる大橋が見えてくる。私はここで、この道中はじめて最上川と出会った。芭蕉が大石田で宿泊した高野一栄宅はこの橋の少し下流にあった。一栄は舟問屋で船宿をやっており、芭蕉はここに3泊している。
大石田は最上川中流域に設けられた最大の河岸で、酒田までの下り荷を独占して栄えた。大石田より上流の最上川には、碁点(ごてん)、隼(はやぶさ)などという川幅の狭まった難所があり、船の通行に適さない。上流地域で収穫された紅花や米などは陸路大石田に運ばれ、ここから船に積み替えて酒田まで運ばれた。上方や酒田からの荷物の集散地としての役割を果たしていたのである。元禄16年の大石田船の総数は、192艘に達したという。この隆盛も明治時代、鉄道の開通とともに急速に衰えた。
川沿いに少し歩き、川原に降りてみる。この辺りの最上川は川幅も広く、悠々と流れている。遊覧船が2隻ほど停泊していた。現在もここから船が出ているようだ。

「明治天皇の行在所」標識
白い表示杭だけが立っている。どのようなルートでここまで達したのだろうか

丹生川
少し下流で最上川に注ぎ込む。芭蕉もこの川を渡っている

大石田の蕎麦畑
大石田は蕎麦が名物である。蕎麦畑も多く、ちょうど白い花が満開だった

名木沢から猿羽根峠(さばねとうげ)へ

名木沢は、尾花沢陣屋支配の幕府直轄地で、新庄の戸沢藩との境であったため口留番所があった。芭蕉は、ここで手形を納めて通っている。旧道は名木沢の少し先から急な峠道になり、猿羽根峠を越えたが、現在ではその道筋は分からなくなっている。
国道をさらに進むと、最上川の眺めが大変よい場所に出る。ここには広い駐車場があり、乗用車や大型トラックなどが何台も駐車していた。長距離ドライブでちょっと一休みするにはよい場所だ。最上川は、この辺りで大きく蛇行している。
やがて国道は、猿羽根峠を越えて舟形に向かう道と、直接新庄までバイパスする新しい道路との分岐に出る。新しい道路は自動車専用道路で歩行者は通れない。右に行き従来の国道を行くとだんだんと登り坂になり、登りきった辺りにドライブインがあった。時計を見ると12:15。ちょうどよい時間なので、ここで昼食にした。
おなかもいっぱいになり、また元気に歩きはじめる。すぐ先に猿羽根トンネルがある。トンネルに入らないで峠を越える道がないか少し探してみたが、見当たらないのでトンネルの中を進む。トンネルを抜けると、猿羽根神社の石の鳥居が立っている。こちら側からは、峠の頂上にある猿羽根神社に行けるのだ。

天童・山寺へ

国道13号線

新庄へ

奥羽本線
山形新幹線

丹生川

西光寺

向川寺

舟形

猿羽根峠

国道13号線
(羽州街道)

最上川

尾花沢

大石田駅

名木沢

国道13号線、舟形郵便局付近
この辺りの国道は、旧羽州街道とほぼ重なっている

青春18切符の旅 PART2

2006年9月4日、私は山形シリーズ第2弾の旅に出発した。今回も青春18切符を利用した旅なので、9月10日までに帰京しなければならないという制約がある。
今日は、各駅停車を乗り継いで、新庄まで到達すればよい。前回の旅と同じく、新宿発7:24の電車で、福島に着いたのが12:43。ここから奥羽本線に乗り換え、米沢、山形でさらに乗り継ぎ新庄に着いたのは16:02、駅の近くのビジネスホテルに着いたのは16:15ころ。ここに2連泊の予定である。


大石田へ

次の日、新庄から電車で大石田に向かう。20分くらい電車に乗り、大石田に着いたのは7:47。今日はこの区間を1日かけて歩く予定だ。
大石田の駅に着いたとき、ちょうど対向の山形新幹線が入ってきた。新幹線はこの駅に停車する。何人かの人が降り、同じホームで通学の高校生たちと一緒になる。新幹線もここではローカル特急と同じだ、

大石田駅ホームと新幹線

猿羽根神社の石の鳥居
トンネルを出てすぐのところに建っている。こちら側からは、峠の頂上にある神社に行ける

国道13号線、猿羽根トンネル
結構坂を登った先にあるトンネルなので、それほど長くはない。歩道もしっかりついており、安心して歩ける

最上川、大石田河岸跡
かつてこの辺りに大石田河岸があり、たくさんの舟が出入りしていた。その面影はまったくないが、現在も舟の姿を見ることはできる

最上川にかかる大橋
最上川は、ここから上流では川幅が狭まり、舟の航行には適さないが、この辺りでは穏やかな流れになっている

大石田特殊堤防(川原側から)
舟番所のイメージで堤防が続いている。1969年、東北地方建設局の設計。全長約120m

大石田特殊堤防(道路側から)
堤防の上部に瓦をのせ、かつてここにあった幕府の舟番所をイメージしている。

国道13号線からの最上川の眺め
国道の脇に大きな駐車場があり、ここからの最上川の眺めが大変よい。この辺りで最上川は大きく蛇行している

国道13号線、名木沢橋付近
この辺りから名木沢集落に入ってゆく
名木沢にはかつて幕府の口留番所があった