奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木
松島から石巻に至る石巻街道(金華山道)は、仙台〜塩釜〜松島〜石巻を経て金華山大金寺に至る参詣道だった。
現在、この芭蕉の歩いた石巻街道はほとんど国道45号線と重なっている。歩くにはあまり面白いとはいえない道だ。ここで右の地図をよく見ると、途中の小野までは海岸沿いに別のルートがあることがわかる。これは県道27号線(奥松島公園線)で海岸線を通って奥松島に向かう道である。この道は松島湾の海岸線を通るので景色もよさそうだ。そこで、私は「意識的に」路を踏みたがえて、この海岸沿いの県道を進むこととした。


新富山から松島湾を望む

松島に1泊した次の日、私は朝7時40分頃宿を出発した。まず、瑞巌寺の裏手にある「新富山展望台」から松島湾の全景を眺めたいと思った。
瑞巌寺の門前を行くと、新富山への案内表示が出ている。これにしたがって10分くらい坂を上ってゆくと頂上に展望台がある。町並みの向こうに海が広がっているが、今日はあいにく靄がかかって島影が朧だ。




松島に別れをつげ平泉を目指した芭蕉は、途中歌枕の地を求めて道に迷い、石巻という港にたどり着いてしまった、と書いている。芭蕉は樵や獣しか通らないような道を歩いて道に迷ってしまったと記しているのだが、これは旅の心細さをことさらに強調したレトリックであるとされている。

県道27号線を通り奥松島方面へ

新富山展望台から国道45号線に出、高城川を松島橋で渡る。少し先で芭蕉の通った石巻街道旧道とも別れ県道27号線に入る。これから先は芭蕉とは別のルートを歩くことになる。
県道をしばらく歩くと海岸に出る。この付近は磯崎漁港で、漁船がたくさん係留されている。沿道には水産物販売の店が並んでいる。そこから先は海岸線からは離れるが、車の少ない静かな道だ。約5Km進むと再び海岸線が現れる。この辺りは古浦漁港で、うらぶれた漁港という感じである。海岸のすぐ近くを仙石線が走っている。すぐ近くに細い柵がたくさん立っているのは牡蠣養殖の設備だろうか。松島湾は牡蠣の養殖が盛んである。
古浦漁港から少し行ったところに仙石線の陸前大塚駅がある。海岸のすぐ近くで、周りには何もない。ホームの上からは奥松島の眺めが大変よい。もちろん無人駅である。

陸前大塚駅を過ぎると地形は小さな半島のようになり、道はまた海岸線から遠ざかる。仙石線野蒜(のびる)駅付近で再び海に近づくので、県道を少し外れて海岸に出てみた。この辺りの風景はこれまでの松島湾の風景とは異なり、正面には点在する小さな島影はない。右手に長い半島のように見えるのは、松島でもっとも大きな島、宮戸島である。宮戸島へは県道27号線がのびている。この島には橋がかけられており、車で渡ることができるのだ。

JR仙石線陸前大塚駅
プラットホーム上からの奥松島方面の眺めが大変よい

古浦漁港からの奥松島方面の眺め
漁港という看板が立っているが、漁船はあまりいない。すぐ近くで牡蠣の養殖をしているようだ。後ろの大きな島は宮戸島

磯崎漁港風景
ここは松島の町から近いので、漁船の数も多く、沿道には水産物商店がならんでいる

鳴瀬大橋を渡り国道45号線を石巻へ

道はやがて鳴瀬川にぶつかる。上流に向かってしばらく歩き、国道45号線の鳴瀬大橋で川を渡る。この先、芭蕉の歩いた旧石巻街道は国道45号線とほとんど一致している。仙石線もこの道沿いに走っている。やがて、道の脇に無人の鹿妻(かづま)駅が見え、駅前広場に東屋風のベンチがあったので、ここでコンビニ弁当の昼食にした。12:30だった。おなかもいっぱいになり、また元気に街道をゆく。上空を白い煙を引きながら編隊を組んだ飛行機が通り過ぎてゆく。近くにアクロバット飛行で名高い航空自衛隊松島基地があるのだ。

芭蕉は、この先の矢本新田辺りでのどの渇きに苦しみ、近くの家に白湯を所望するのだが、みな断られてしまう。困っていると親切な侍が自分の知り合いの家まで連れてゆき、白湯をもらってくれた。この侍は石巻の宿も紹介してくれた。これは曾良の旅日記に記されているエピソードである。

石巻市街見物

やがて、道は石巻市に入り、国道45号線と国道398号線の分岐点がある。市街中心部は国道398号線沿いになるのでこちらの道をゆく。石巻はかつて葛西氏の城下町でもあり、多くの路地や横丁があり、道がわかりにくい。大雑把な地図と道路標識をたよりにJR石巻駅を目指して進む。予約したホテルが駅の近くなのだ。うろうろしながらようやく探し当て、ホテルに着いたのは16:30頃だった。荷物を置き、ホテルで市内中心部の散策マップをもらって、早速付近の見物に出かけた。ぐずぐずしていると日が暮れてしまう。
マップを頼りに歩いてゆくと30分くらいで日和山公園に着いた。ここは標高56m、石巻の港が見渡せる丘である。この場所に芭蕉と曾良の旅姿の像が建っている。芭蕉は、ここから眺めた石巻の様子を次のように記している。『・・数百の廻船、入江につどひ、人家、地をあらそいて、竈のけぶり立ちつづけたり。おもひがけずかかるところにも来たれる哉と・・・』。当時の石巻は、仙台、盛岡、一ノ関などの米を集めて江戸に送る東北屈指の港町であった。

日和山公園を下り、北上川方面に向かう。奥の細道の旅は、これから平泉までこの北上川に沿って進む。その北上川をまず見ておきたかったのだ。市の中心部は道が縦横に入り組んでいてわかりにくいので、ホテルでもらった散策マップが大変役に立った。町はもう薄暗くなっていたが、ようやく北上川にかかる内海橋に着いた。ここで河口方面を遠望し、写真を撮ってからホテルに戻った。ホテルに着いたのは19時頃だった。

日和山からの石巻港方面の眺め
石巻港は旧北上川の河口にあり、内陸の米が川運により石巻に集積された

日和山の芭蕉・曾良旅姿像
石巻港を見渡す場所に「奥の細道紀行300年記念」として平成元年(1989)に建てられた

新富山展望台より松島湾を望む
絶好の展望というほどではないが、町から徒歩で気軽に登れる場所にある

野蒜海岸右手の宮戸島
海岸の右手に見えるのは、松島湾でもっとも大きな宮戸島である。宮戸島には陸路で渡ることができる
半島のような感じの島だ

野蒜(のびる)海岸
松島湾とは異なり、点在する小さな島影はない。
地理的にはここは石巻湾の一部となる

北上川河口方面を望む
遠くに大きな日和橋が見えるが、あの辺りが北上川の河口になる
北上川は洪水防止のため明治末から昭和にかけて上流で新水路の開削が行われ、ここは旧北上川と呼ばれる

内海橋より中州方面を望む
北上川河口付近には大きな中州があり、公園などになっている。ここには漫画家石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」がある(左の丸い建物)
石ノ森章太郎は、登米市出身だが、石巻とは関係が深いようだ

国道45号線矢本付近
芭蕉はこの辺りでのどの渇きに苦しんだ?

自衛隊松島航空基地付近
上空を編隊飛行訓練中の飛行機が何度も通り過ぎる

鳴瀬川と鳴瀬大橋
国道45号線の橋。芭蕉はもう少し上流で川を渡ったようだ