岩沼から名取川を越えて仙台へ

岩沼は竹駒神社の門前町であるとともに宿場町だった。岩沼駅の近くの県道を通るが、宿場町らしい雰囲気はまったくない。仙台圏に属する普通の地方都市だ。道はやがて国道4号線に合流する。しばらく広い国道を歩いた後、旧国道(奥州街道)が左に分かれてゆく。1車線の狭い道だが、結構交通量が多い。この道が仙台まで続く。
芭蕉は武隈の松を見た後、笠島にある藤原実方の塚をぜひ訪れてみたいと思っていた。しかし道に迷ってしまい、降り続く雨に道もぬかるんでいたので断念した。 『笠島はいずこさ月のぬかり道』。 芭蕉はこの後、疲れて岩沼の宿に泊まったと記しているが、曾良の旅日記によればこの日は岩沼には泊まらずそのまま歩き続け、夕方仙台に着いた。白石から仙台まで13里(52Km)を歩きとおしたことになる。
旧国道4号線は奥州街道であり、増田宿付近には明治天皇東北巡幸時の「御膳水」碑や古いつくりの家なども見られた。道はやがて仙台市に入り、名取川を越える。
名取川は昔の人にとって一種独特の響きがあった。平安の都人は「名取川」と聞いたら陸奥を思い、それにまつわるさまざまな歌枕を思い浮かべた。芭蕉もこのことを知っていて「名取川を渡って仙台に入る」とわざわざことわっている。

竹駒神社
小野篁(おののたかむら)が承和9年(842)に陸奥守として着任した時に奥州鎮護を祈願して創建した

武隈の松(二木の松)
この松は植え継がれ、現在のものは7代目にあたるという

対岸から蔵王連峰方面を望む

槻木大橋より阿武隈川下流を望む

槻木の旧道沿いの古い構えの店

阿武隈川と再会

国道に合流する手前の交差点を右に曲がってまっすぐ行くと阿武隈川にぶつかる。福島で別れて以来の再会である。ここには槻木大橋という立派な橋が架かっている。橋から見る阿武隈川は川幅も広く、さすがに堂々とした大河である。阿武隈川は、ここから1.5Kmくらい先で海に注ぎこむ。対岸に渡って山の方向を眺めると、今日は蔵王連峰がくっきりと見えた。橋の近くに「小山の渡し跡」の石碑が建っている。

奥の細道歩き旅 槻木〜仙台
奥の細道歩き旅 第2回

今日は槻木(つきのき)から仙台まで歩く予定である。前夜は仙台に泊まっているので仙台から電車に乗り、槻木には8:24に着いた。槻木駅は第3セクターの「阿武隈急行」線の始発駅で、ここから阿武隈川沿いに福島まで走っている。
槻木は宿場町だった。駅の付近には旧道が残っており、町並みには幾分か古い宿場の雰囲気が感じられる。旧道はやがて国道4号線と合流する。

名掛丁アーケード街
仙台にはこのようなアーケード街が縦横にたくさんある

夕暮れ迫る青葉通り
朦朧とした手ブレの青葉通り風景

16:20頃青葉通りに出た。夕暮れ迫る青葉通りを少しブラブラし、ホテルに着いたのは16:40頃だった。ホテルは仙台駅近くのビジネスホテル、グリーンパシフィック(朝食つき1泊7000円)。仙台には立派なアーケード街が多い。荷物をホテルに置いてから近くの名掛丁アーケードに出かけてビールと夕食を仕入れ、ホテルの部屋で一人で仙台到着を祝った。

国道4号線、東京から350Km標識
仙台市若林区土樋付近。私はここまで約530Km歩いてきた

広瀬橋から広瀬川上流方面を望む
「青葉城恋歌」に唄われる広瀬川は都心の川としてはよく自然が残されている

槻木から岩沼・竹駒神社、武隈の松へ

国道は阿武隈川に沿って走っているので、しばらくの間は川の土手の上を歩く。天気もよく、爽やかな川辺の散歩だ。のんびりと30分くらい歩くと国道の旧道らしき道が見えてくるので川辺を離れ、街道歩きに戻る。道はやがて常磐線の線路の下をくぐり、さらにまっすぐに進む。ほぼ道なりに進んでゆくと大きな竹駒神社の前に出る。このあたりはかつての岩沼宿である。
現在の岩沼市は道路は国道4号線と6号線が、鉄道は東北本線と常磐線が合流する交通の要衝となっている。岩沼には京都の伏見、常陸の笠間と並んで日本の三稲荷ともいわれた竹駒神社(竹駒稲荷)があり、門前町として栄えていた。
この神社の近くに「武隈の松」という有名な松があり、芭蕉はこれををぜひ見たいと思っていた。平安時代から歌枕として知られ、能因、西行らの歌人に詠まれた松を見て「見るほどに、目の覚めるようなすばらしさだ。幹が根元から二本に分かれ、昔の姿を保っていた」と記している。ここで芭蕉は、江戸を旅立つとき弟子から贈られた餞別の句 『武隈の松見せ申せ遅桜』 にこたえて、『桜より松は二木を三月越し』 と詠んだ。

竹駒神社は、境内の広い立派な神社で参詣の人も多かった。参拝した後、さて武隈の松はどこだろうと探し回った。周辺をウロウロし、人にも聞いてみたのだが分からず、大雑把な地図を頼りに何とか探し当てた。竹駒神社から岩沼駅の方に向かう県道沿いにあり、神社の鳥居前から5分くらい歩いたところにある。

名取川
今見ると何ということもない川だが、平安の都人にとっては憧れの響きを持つ川だった

奥州街道(旧国道4号線)の古い家
ここは増田宿の跡で、近くには「明治天皇御膳水」の碑があった

仙台市街

名取橋を過ぎて国道をしばらく進むとJRの長町駅が見えてくる。沿道はビルの建ち並ぶ市街地の様相だ。さらに進むと広瀬橋に出る。ここには、杜の都仙台を代表する広瀬川が流れている。都心部の川としては川辺の自然がよく残されているようだ。「広瀬川流れる岸辺 思い出はかえらず・・・・」、青葉城恋歌の一節が浮かんだ。
さらに国道4号線を進んでゆくと、東京から350Kmの標識があった。そうか4号線は仙台まで350Kmなんだ。ちなみにここまでの私の歩行距離を合計してみたところ約530Kmになった。あちこち寄り道しているためだ。

総行程  約27Km