〜信夫三山暁参り・大わらじ奉納〜

本日の主役、大わらじの晴れ姿
右側が本日の主役。左側は夏祭りのときのもので、あわせてちょうど1足分になる

羽黒神社本殿横の大わらじ架台
皆でロープを引っ張りこの架台に吊り上げる

大わらじが所定の位置に納まった
その瞬間、期せずして拍手が沸き起こった

少し先の市街地の展望のよいところで休憩となった。この場所には「信夫荘」という旅館があり、「百万ドルの夜景」を売り物にしている。確かにここからの夜景もすばらしいだろう。担ぎ手たちは、それぞれに飲み物を飲んだりしてくつろいでいる。
しっかりと休んだ後、いよいよ出発である。だんだんと道が狭くなり、両側の余裕がほとんどなくなる。谷側にはガードレールもないので、動きを修正しながら慎重に進む。後ろから付いて行っても緊張する場面があった。

昨年(2005年)10月に福島を訪れた時に信夫山・羽黒神社の大わらじを見物した。このときに、この大わらじは2月10、11日に行われる「信夫三山暁参り」の時に奉納されるということを知った。わらじを奉納するだけに、この神社は旅の安全、健脚などにご利益があるという。今年(2006年)2月10日は、天気もまずまずのようなので、大わらじの奉納見物とこれからの旅の安全、健脚を祈願するため福島まで出かけることにした。

黒沼神社前で休憩している間に、大わらじの前に長いロープが取り付けられた。何せ、重さ2tもあるものを担いで坂道を登るのだから、少しでも負担を和らげるため皆でロープを引っ張るのである。
神社前をスタートした大わらじは、やがて市街地が一望できる場所に到達する。ロープを引っ張る人、わらじを担ぐ人一体となってここまで登ってきた。今日は風もなく、2月としては暖かい。担いでいる人はもちろん汗びっしょりだが、一緒について歩いているだけの私も暑くなり、ジャンパーを脱いでしまった。

山路を行く大わらじ 

市街地を練り歩いた大わらじは、福島テレビの先から山路にさしかかる(右写真)。それまで列の後ろで「わっしょい、わっしょい」と掛け声をかけながらついてきた小学生たちがここで帰された。これからは結構急な坂道になってゆくのだ。
少し先の黒沼神社前で一休み。この神社の鳥居の両側にも大きなわらじがかけてある。神社の前で、カメラマンの求めに応じて神職さん以下4人が並んでくれた。和やかな雰囲気である。

東京から福島まで

今日(2月10日)の旅の目的は祭りの見物である。福島に13時頃までに着けばよいので、いつものように新幹線でビューと行く必要はない。そこで、今日は福島まですべて在来線で行くことを考えた。現在は福島まで直通の普通電車はないので、途中で何回か乗り継ぐ必要がある。
まず、7:24新宿発の湘南新宿ラインで宇都宮まで行き、宇都宮で乗り換え黒磯へ。さらに、黒磯〜郡山、郡山〜福島と乗り継ぎ、福島に着いたのは12:43だった。合計約5時間半の電車旅だったが、退屈することもなく快適な旅だった。適当に電車を乗り換える方が気分も変わり、身体のためにもよいのかもしれない。特に、東北本線はほぼ奥州街道沿いに走っており、これまで私が歩いてきた地域をなぞってきているので、一つ一つの駅名も懐かしかった。また、二本松付近では、歩いている時には見ることのできなかった安達太良山を車窓から望むことができた。(右写真)

大わらじ奉納・市街地練り歩き

大わらじ奉納の予定は、9時にわらじ製作作業所を出発し市街地を練り歩いた後、15時に羽黒神社に到着する。途中の稲荷神社で1時間くらい昼食休憩し、13時に出発することになっている。私がその場所に到着したのは、ちょうど休憩が終わり、そろそろ大わらじを担ぎ上げようかというときだった。
大わらじは、長さ12m、幅1.4m、重さは2tあるという。これを80人の担ぎ手で「わっしょい、わしょい」と掛け声をかけながら市内を練り歩く。先頭には神職、楽人(法螺貝吹き)、天狗(猿田彦)、太鼓などが進んでゆく。太鼓を打ち鳴らし、時折、法螺貝の「プオォ〜」という音が入り、なかなかにぎやかだ。

練り歩きの先頭集団
先頭に神職、法螺貝吹き、天狗、太鼓などが進んでゆく

稲荷神社をスタートする大わらじ
13時ちょうどに稲荷神社をスタートした。私はここからの参加である

休憩中の大わらじ
長さ12m、幅1.4m、重さ2tの大わらじ。担ぎやすいように丸太を組んだ上に乗せている

市街地を行く大わらじ
日陰に多少雪が残るが、道路にはなく安全に練り歩ける

カメラマンへのサービス
カメラマンの求めの応じて並んでくれた。和やか雰囲気だ

黒岩神社の前で一休み
この神社の鳥居にも大きなわらじが掛けられている

大わらじを担ぐ人たち
結構きつい坂道の連続で、皆汗びっしょりだ。「わっしょい、わっしょい」と元気な掛け声で登ってくる

大わらじの前でロープを引っ張る人たち
ロープを引っ張るのは飛び入り参加OKのようで、見物の人も入っている

狭くきびしい登り道
山側は崖、谷側は1mくらいの段差がある狭い登り道だ。ぶれないように脇についた人が修正する

市街地を一望できる場所で休憩
この近くに「信夫荘」という旅館があり、「百万ドルの夜景」を売り物にしている

ようやく羽黒神社下の小さなお堂の前に着いた。ここから神社本殿までは約100mほどの急な登り坂になる。ごつごつした岩がむき出しの狭い道である。大わらじは、ここで担ぎ台になっていた丸太が取り払われる。狭い道なので、できるだけ幅を狭くする必要があることと、できるだけ重量を軽くするためだろう。

クライマックス

いよいよ大わらじ奉納のクライマックスである。丸太を取り払われ、身軽になった大わらじが若者たちに担がれ雪の残る坂道を登る。ロープを引っ張る人、わらじを担ぐ人一体となって最後の登りをがんばっている。見ている我々にも熱気が伝わってくる。

最後の急坂を行く大わらじA
ここでの担ぎ手は、さすがに屈強な若者が中心だ

最後の急坂を行く大わらじ@
ロープを引っ張る人、担ぐ人一体となって急な坂を登る

最後に短い階段を登ると本殿の前に出る。大わらじが到着したのは予定通りの午後3時だった。本殿の横には大わらじ専用の架台が築かれている。ここまで担ぎ上げられた大わらじは、ロープで吊り上げられ架台に固定される。皆でロープを引っ張り、大わらじが所定の位置に納まった時には期せずして拍手が沸き起こった。朝9時から午後3時まで、大わらじを担いでここまで登ってきた皆さん、本当にご苦労様でした。
私はこの後、本殿にお参りし、これからの旅の安全、健脚そして娘の良縁を祈願して山を下りた。

冬の「暁参り」および夏の「わらじ祭り」について

詳しくは関連のホームページを参照していただくとして、「暁参り」と「わらじ祭り」について簡単に紹介しておこう。
「暁参り」は例年2月10、11日に行われ、江戸時代から300余年にわたり続いているという。わらじは、伊勢参拝などの長旅に出かける際の安全を祈願して奉納され、次第に数多く奉納されるようになった。大正末期あたりから次第に大きさを競うようになり、一時期中断したこともあったが、現在に引き継がれている。
暁参りというからには、暁にお参りするのが本来の姿なのだろうが、真冬のこの時期、その時間帯にここまで登るのは大変なことだ。そういえば、神社本殿までの100mくらいは特に滑りやすく危険なので、大わらじが通った後、手摺用のロープを張る工事をやっていた。
8月には「福島わらじ祭り」が行われ、このときにも大わらじが奉納されるようになった。これは、2月の「暁参り」に奉納された大わらじと合わせて奉納されるわらじを一足として、よりいっそうの健脚を祈願する行事として昭和45年にはじめられた。福島の夏祭りのトップを飾る祭りとして、毎年盛大に開催されているという。





最後の急坂に備え丸太の台を取り払う

羽黒神社下の小さなお堂前で休憩

奥の細道歩き旅 第2回