奥の細道歩き旅 本宮〜福島
街道沿い左手に二本松神社がある。二本松総鎮守で、丹羽氏の守護神となっていた。街道の右手すぐのところにJR二本松駅がある。駅前に高村光太郎の詩碑があるというので寄ってみた。二本松は光太郎の妻智恵子の出身地として知られている。詩碑は駅前にあった。大きな御影石に詩の一節が書かれている。

安達ヶ橋から眺める阿武隈川
国道からの陸橋は阿武隈川に架かる安達ヶ橋に連絡しており、この橋で川を渡る

陸橋から眺めた東北本線(郡山方面)
国道4号線に並行して東北本線が走っている

右側、国道4号線。左側、阿武隈川

杉田宿の様子
杉田もかつては奥州街道の宿駅の一つだった。今日は歩き始めから雨模様だ

杉田駅付近のJR踏切
踏切から来し方、本宮方面を望む。本宮〜杉田は電車利用
とした

本日は、4日間で白河から福島まで歩く旅の最終日である。昨日は本宮まで歩き、郡山のホテルに戻って泊まった。本宮から福島までは約35Kmある。最終日の距離としては少々長い。それに今日、9月11日は衆議院議員選挙の日である。私はこの選挙はぜひ投票に行きたいと思っている。昨夜いろいろと考えた末、今日は本宮の一つ先の杉田駅から歩き始めることにした。これで約1時間半短縮することができる。長い道中、このようなこともあるさと自分自身を納得させて、7:20にはホテルを出発した。


杉田から二本松へ

郡山7:35発の東北本線電車に乗り、杉田駅に着いたのは7:55だった。地図で見ても分かるように、この辺りは奥州街道、東北本線、国道4号線などが並行して走っている。本宮から杉田までは電車を利用したが、街道とほぼ並行に電車が走っており、車窓から街道の様子を望見できた。奥州街道は杉田駅付近でJR線路と交差する。駅前の道を少し行けば、すぐに街道に出ることができる。今日は、あいにく朝から雨模様である。雨の街道をここから歩き始める。
杉田もかつては宿駅であった。宿場としては小さく、あまり雰囲気は残っていない。郡山から福島までは、11の宿駅があった。このうち本陣、脇本陣のあった宿場は本宮、二本松、八丁目の三つである。ところで、芭蕉は郡山の宿を日の出とともに出立して、この11の宿駅をすべて通過して福島宿まで歩ききっている。郡山から福島までは約12里(48Km)の道のりだったが、前日の郡山の宿の汚さに閉口して、宿場施設の整っている福島宿まで一気に歩くことにしたようだ。

『智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空がみたいといふ。
・・・・・・・・・
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
安多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。』

奥州街道(県道355号線)をしばらく歩くと国道4号線と交差するが、またすぐに離れてゆく。二本松市高越を過ぎると東北自動車道に近づく。遠くにうっすらと山並みが見えた。恐らく安達太良(あだたら)山だろう。私は、このコースでは安達太良山の上に出ている青い空をぜひ見たいと思っていたのだが、今日はあいにくの空模様で青い空どころか山すらはっきりと見えない。私は学生時代に安達太良山に登ったことはあるのだが、その時も天気がよくなかった記憶がある。もう一度青い空の安達太良山に登りたいと思っている。

東北自動車道越しに安達太良連峰を望む
あいにくの空模様で、安達太良山の上に出ている青い空を見ることはできなかった

奥州街道二本松市高越付近
二本松市街に近くなり、次第に交通量も増えてくる

橋を渡ってしばらく行くと、福島駅前に通じる広い道に出る。さすがに県庁所在地らしい街並みである。この頃にはようやく雨もあがった。JR福島駅に着いたのは15:30。15:37発の新幹線に乗ることができ、自宅に帰りついたのは18時頃だった。一休みしてから投票に出かけた。

奥州街道の様子(安達町付近)
現在は県道となっているが、かつては国道であり、その昔は奥州街道として交通の大動脈だった

国道4号線と県道114号線の分岐点
旧奥州街道(県道福島、安達線)はここから福島まで約11Km続く

笠石(鬼婆の棲んだ岩屋)
境内には奇岩怪石が並んでいる。これもその一つ。この場所に仮のいおりを造って旅人を待ち受けたという

観世寺境内の様子
鬼女伝説のある観世寺境内には、それらしいものにそれらしい説明が付されている

陸橋から眺めた国道4号線
この辺の国道4号線は、まさに大動脈といった感じだ

「智恵子のふる里安達町」の大きな看板
国道の脇に建っている大きな看板。高村光太郎の妻、智恵子はこの地で生まれた

奥州街道二本松付近の様子A
古いつくりの商店などもあり、昔の面影が幾分か残っている、

奥州街道二本松付近の様子@
街道沿いにNTT,警察署などが建ち並んでいる。かつての宿場町の中心部かもしれない

やがて道は二本松市街に入ってゆく。街道沿いにNTTの大きな建物、警察署などが並んでいる。この辺りが町の中心部だろうか。更に少し進むと古いつくりの商店も残っていて昔の面影が感じられる。二本松はかつての宿場町で、本陣、脇本陣などもあった。また、芭蕉が通った頃の二本松は、白河から入部した丹羽光重により十万石余の城下町として整備が進められていた。

二本松神社
街道沿いにある。二本松の総鎮守であるとともに、丹羽氏の守護神でもあった

JR二本松駅
駅舎前面に高村光太郎詩碑が建っている。この駅は明治20年12月15日東北本線が開通した時に開業したという

安達ヶ原(黒塚)

街道に戻りしばらく歩くと、道は広い国道4号線に合流する。県道須賀川、二本松線(奥州街道)はここで終わりである。この辺りは安達町になる。道路わきに「智恵子のふる里安達町」という大きな看板が立っていた。近くに智恵子の生家への案内標識が出ており、少し行ってみたがかなり距離がありそうだし、天気も悪いのであきらめて引き返す。ここは、また別の機会に訪れよう。
国道4号線の少し先に長大な陸橋が架かっている。この橋は国道を越え、東北本線の線路を越え、更に阿武隈川を渡って対岸につながっている。この橋を渡って少し行ったところに鬼女伝説で有名な「黒塚」がある。、芭蕉も舟で対岸に渡り、ここを見物している。

橋を渡って少し行くと黒塚への案内標識が出ている。ここを左に曲がると真弓山観世寺がある。拝観料を払って中に入ると、鬼女伝説関連の遺物が残されており、それぞれに簡単な説明がついている。「安達が原は元は荒涼たる原野で、ここに鬼女が仮の住処を作って旅人を泊まらせては妊婦の通るのを待っていた・・・」。この伝説はやがて謡曲「安達ヶ原」となり、「黒塚」の名も世に知られるようになった。明治26年には正岡子規がここを訪れている。観世寺境内に子規の『涼しさや 聞けば昔は鬼の家』の句碑が建っている。芭蕉はこの地を一見し、すぐに去った。奥の細道本文には、『二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。』と記されているのみである。

正岡子規句碑
『涼しさや 聞けば昔は鬼の家』

正岡子規は明治26年にここを訪れている

鬼婆石像
観世寺境内に入ってすぐのところに鬼婆の石像が建っている

安達ヶ原から福島へ

再び安達ヶ橋を渡って国道4号線に戻る。国道を少し進むと県道114号線が左に分かれてゆく。これが奥州街道旧道である。これから福島市内で国道4号線に再び合流するまで約11Kmの間はこの県道(福島・安達線)を歩くことになる。これから福島までの間は特に見るべきものもないので、雨の街道をひたすら歩く。小雨ではあるが、雨はほとんど切れ目なく降り続いている。
ところで、今日は衆議院議員選挙の日である。私は歩きながら今回の選挙のことを考えた。今回の選挙の争点は明確である。郵政民営化の是非を国民に問うているのだ。私は郵政の民営化に賛成である。街道を歩いていると、地図に地名が載っているようなちょっとした集落には必ずといってよいほど街道沿いに郵便局がある。明治以来、営々として築いてきたネットワークといえるだろう。その時代時代で地域に果たしてきた役割は大きかっただろうと思う。しかし、現代は車とインターネットの時代である。過去の遺物とも見える郵便局ネットワークをそのままの形で維持する必要があるのだろうか。それぞれの拠点に局長がいて、その団体が政治に圧力をかけるという構図は、今の時代にマッチしない。民営化して民間業者と競わせるべきである。この改革を断行できるのは、このことに執念を燃やしている小泉さん以外にはいないと考え、今日の投票日には自民党に1票を投じたいと思っている。

雨の街道を選挙のことを考え、一人で熱くなりながら足早に歩く。安達町を過ぎると福島市に入る。やがてJRの線路を越え、再び国道4号線に合流する。雨が降り続いているので、途中の食堂で昼食をとった。国道を30分くらい歩くと、再び旧道が分かれてゆく。この道をまっすぐ行くと信夫橋がある。江戸時代にはここからが福島宿で、ここに江戸口の木戸があり、枡形になっていたという。

総行程  約28Km (杉田〜福島)


  



信夫橋 (荒川に架かる橋)
この橋を渡ったところに江戸口の木戸があり、枡形となっていた
という

福島市太平寺付近の奥州街道の様子
この頃には雨もやんできた。福島市街はもう近い

JR福島駅前
東北新幹線、山形新幹線、JR在来線のほか私鉄2社が発着する福島県の表玄関だ

福島中心部の街並み
市の人口では郡山市に抜かれてしまったが、さすが県庁所在地の貫禄が感じられる街並みだ

奥の細道歩き旅 第2回