「風流の初やおくの田植え歌」 句碑
十念寺境内にある芭蕉句碑。須賀川出身の江戸末期の女流俳人、市原多代女の建立

十念寺
曾良の旅日記にこのお寺に参詣したことが記されている
参道右側に大きな芭蕉句碑が建っている

十念寺を出た後、NTT須賀川局のアンテナ鉄塔を目安に町を歩く。このNTTの敷地に隣接して可伸庵跡が残っている。芭蕉が「おくのほそ道」本文の中で、「この宿の傍らに、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとう僧あり」と記している「遁世の俳人・可伸」の庵跡である。芭蕉は、須賀川に着いた次の日の晩にこの可伸庵を訪れている。
NTTのビルの近くには可伸庵への案内標識があり、場所はすぐに分かる。NTTビルのある一帯はかつて等躬の屋敷跡で、その一隅にこの可伸庵があったという。現在は道の脇に5,6m四方の盛土がなされ、ここに栗の木2本と松の木などが植えられて休憩できるようになっている。「世の人の見付けぬ花や軒の栗」の大きな句碑が中に建っている。

矢吹宿旧道の様子A
矢吹駅入口付近。この辺が一番にぎやかだ
古い看板を掲げた店もあった

矢吹宿旧道の様子@
宿場らしい雰囲気が幾分感じられる。芭蕉はここに1泊した

いかにも旧道らしい静かな道を歩き、矢吹宿に入る。旧道沿いには古い商店などもちらほら見え、昔の面影を幾分か残している。芭蕉はここに1泊している。
矢吹駅入口に着いたのが10:10.松並木までの往復に100分かかったことになる。あらためて今日の行程のスタートだ。

矢吹五本松の松並木A
植えられている松は赤松。このような並木道が約800m続いており、旧道は昔の面影がよく残されている

矢吹五本松の松並木@
奥州街道旧道沿いに松並木が残っている。松平定信の頃植えられたのが始まりで、現在のものは明治時代に補植された

入口標識のあるところを左に曲がる。この道は車もほとんど通らない静かな道である。少し行くと、阿武隈川にかかる細い橋がある。この橋の少し下流に滝が見える。滝の形が乙字形に曲がっているため乙字ヶ滝と名づけられているが、確かに滝の落ち口がそのように曲がっている。橋を渡り、右岸の川岸に下りてゆく。滝に近づくにつれゴーゴーという音が大きくなる。落差はあまり大きくないが川幅が広く、水量も多いので迫力満点である。
乙字ヶ滝の滝壺前に着いたのは13:15だった。近くにベンチが置いてあるので、ここで昼食をとることにした。

長松院
芭蕉と親交のあった相楽等躬の墓と句碑がある

ホテルサンルート須賀川
須賀川のメイン通りぞいにある。結局ここに2泊した

長松院
芭蕉と交流のあった相楽等躬の墓と句碑がある

神炊館神社参道
左側の狛犬はよく見ると子連れである
神炊館神社門前の様子
神社の門前に古いつくりの商店と蔵が建っていた

芭蕉記念館
須賀川市役所に隣接して木造二階建のこじんまりとした記念館が建っている

可伸庵付近の古い商店(市役所通り)
市役所通りには古いつくりの商店も見られる

可伸庵跡から市役所通りに出る。この辺には古いつくりの商店が多い。かつての宿場の中心だったのかもしれない。まっすぐに行くと市役所があり、その敷地内に芭蕉記念館が建っている。木造二階建の記念館の中はシンプルで、芭蕉ゆかりの文書などが展示されている。

「世の人の見付けぬ花や軒の栗」 句碑
可伸庵跡に建つ大きな句碑。狭い敷地内には休憩所もあり投句箱が置いてあった

可伸庵跡
NTT須賀川ビル敷地に隣接して可伸庵跡が残されている。芭蕉は須賀川に着いた次の日の晩にここを訪れている

須賀川市内見物

乙字ヶ滝からはもと来た道を戻り、国道118号線をまっすぐに進んで須賀川市街に入る。しばらくすると、右側に須賀川牡丹園が見えてくる。東洋一といわれるこの牡丹園は、明和年間にはすでに開かれていたという。私の訪れた時は花の時期ではないので、園内は無料で開放されていた。入口付近に「牡丹姫」の像が建っている。
さらに市街地の国道を進み、税務署の案内標識のあるあたりで右に曲がると「馬町通り商店街」という古びた商店街がある。道の舗装がなければ馬でも通りそうな商店街だ。この先に十念寺がある。

芭蕉は須賀川に7日間滞在し、最後の日にこの滝を訪れている。折からの五月雨で阿武隈川は増水していたようだ。ここで次の句を詠んでいる。  「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」
滝の様子がよく見えるところに芭蕉と曾良の石像が建っている。今から300年以上前にこの場所から同じ風景を眺めたのだなあ、と少々感傷的な気分になった。近くには瀧見不動堂が建っている。

乙字ヶ滝の様子
落差は3〜4mとあまりないが、川幅いっぱいに広がり水量が多いので、近くで見るとすごい迫力である

阿武隈川、乙字ヶ滝を上流側から望む
上流にかかっている橋から滝を望む。ここからは滝が乙字形に曲がっているのがわかる。

奥の細道歩き旅 矢吹〜須賀川

本日は、矢吹から須賀川までのコースである。前夜は須賀川に宿泊したので、電車で矢吹まで戻りここから須賀川まで歩く。須賀川では、まず阿武隈川の名勝・乙字ヶ滝を訪れ、その後市内の芭蕉縁の地を見物する予定である。
芭蕉は須賀川で7泊している。ここには相楽等躬(さがら とうきゅう)という俳人がいた。須賀川宿の駅長を務め俳諧にも造詣が深く、芭蕉とは江戸で旧知の仲だった。芭蕉より6歳年上で面倒見のよいこの人のもとにいることは、よほど居心地がよかったのだろう。


矢吹五本松から矢吹宿へ

須賀川のホテルを7:30に出発した。昨夜は暗くなったのでホテルまでタクシーで来てしまったが、ホテルのある町の中心部から駅までは歩いて15分くらいである。
矢吹駅に着いたのが8:30。今日はここからスタートである。ここから須賀川に向かえばよいのだが、実は、昨日は先を急ぐあまりわき目もふらずに国道を歩いてしまい、旧道に残る松並木を見逃してしまった。今日は時間的には余裕があるので、旧道を白河方面に戻り、五本松の並木を見物することにした。
駅のすぐ近くを旧道が通っている。この道を白河方面に戻ること約40分、ようやく旧道に残る松並木に到着した。旧道は国道とほぼ並行して走っているので、昨日こちらの旧道を歩いていればここまで戻る必要もなかったのだが。でも、昨日はこのあたりでもうすでに薄暗くなっていたのだから、この松並木道を歩いていたらますます心細くなっていただろう。
松並木の続く旧道は昔の面影がよく残されている。この松並木は、時の白河藩主・松平定信が領内の街道に松苗2300本を植えたのが始まりだとされている。現在五本松にある松並木は明治18年(1885)頃補植したものである。現在、松並木道は約800mくらい続いている。

馬町通り商店街を進んでゆくと、突き当たりに十念寺がある。曾良の旅日記にもこのお寺を訪れたことが記されている。このお寺の境内には、芭蕉が須賀川で詠んだ、「風流の初(はじめ)やおくの田植え歌」の歌碑が建っている。
はじめにも記したように、芭蕉は須賀川でこの地の俳人・相楽等躬(さがら とうきゅう)を訪ねた。二人は江戸で旧知の仲である。久しぶりに芭蕉と再会した等躬は、「白河の関ではどのような句を詠みましたか」と芭蕉に尋ねた。芭蕉は、「疲れていたし、いろいろな故事が頭に浮かんで句を作ることができませんでした」と言い訳し、「でも、それではあんまりなので」と頭書の句を披露している。須賀川に到着したその夜に、この句を発句に芭蕉、等躬、曾良の三人で連歌の会を開いている。

矢吹から須賀川一里塚へ

矢吹の旧道は、やがて国道4号線に合流する。国道は鏡石町に入り、少し先でまた旧道が国道と分かれてゆく。旧道は国道と並行して長く続く。やがて鏡石駅付近を通る。旧道沿いといってもこの辺は新しい普通の町並みだ。須賀川市のベッドタウンといった感じだろうか。

鏡石駅付近の旧道の様子
旧道沿いでも新しい町並といった感じで矢吹とは対照的だ

国道4号線風景
矢吹町と鏡石町の境界付近。この少し先から旧道と国道がほぼ並行して走るようになる

旧道は、やがて国道に接触する形で近づき、またすぐに分かれてゆく。その少し先の旧道脇に須賀川一里塚がある。やや下り坂になるところで、道の両側に塚の形がはっきりと残っている。旧陸羽街道に残る数少ないもので、昭和11年に国の史跡に指定されている。この一里塚は江戸から59番目のものとされている。

東側の塚の様子
こちら側の塚の様子は、はっきりと分かる。塚の大きさは15m×12m

須賀川一里塚全景(須賀川方面から)
道の両側に塚の形がはっきりと残っている。昭和11年に国の史跡に指定された

須賀川一里塚から乙字ヶ滝へ

芭蕉は一里塚を経て須賀川中心部にある相楽等躬邸に向かっているが、私はまずはじめに町外れにある乙字ヶ滝を訪れることにした。
一里塚のある旧道を下ってゆくと広い国道118号線にぶつかる。これをしばらく進むと国道は右に曲がってゆく。この国道をさらに進むと乙字ヶ滝への案内標識が見えてくる。一里塚から滝までは約5Kmくらいである。

乙字ヶ滝への入口標識
国道118号線は右に曲がり、乙字ヶ滝方面に向かう。しばらくすると滝への案内標識が見えてくる

国道118号線
この道は東北自動車道と福島空港を一直線に結んでいるため広い立派な道である

馬町通り商店街
道路の舗装がなければ馬が通っても様になるような古びた商店街だ

須賀川牡丹園、牡丹姫像
この牡丹園には現在290種、約7000株の牡丹が植えられているという。4/1〜6/30までが花の季節で有料入園となる

もと来た道を戻って長松院に立ち寄る。ここには相楽等躬(さがら とうきゅう)の墓がある。等躬は白河藩郷士で、須賀川の駅長をつとめたという。若くして江戸に出て俳諧を学び、延宝の頃には芭蕉とも交流があった。芭蕉が須賀川に1週間も滞在したのは等躬との交流のためであった。境内には等躬の、「あの辺はつく羽山哉炭けふり」 の句碑がある。
私の宿泊している「ホテルサンルート須賀川」はこの近くにある。市内観光もほぼ終了したのでホテルに戻ることにした。ホテルに着いたのは16時頃だった。今日はゆっくりとホテルでくつろぐことができる。

瀧見不動堂
滝の近くに建っている不動堂。古い由緒があり、代々の白河藩主が探勝、参詣したという

芭蕉と曾良の石像
滝のよく見えるところに建っている。平成17年2月完成と新しいものだ

総行程  約30Km





奥の細道歩き旅 第2回

記念館から神炊館(じんすいかん)神社方面に向かう。この神社は、新米を炊いて神に感謝したという事蹟から「おたきや神社」とも言われている。神炊館神社は曾良旅日記に「諏訪神社」として記されており、須賀川出立の日に十念寺とともにこの神社を訪れている。本殿入口の狛犬(左側)はいかめしいが、よく見ると子連れである。