★宝池寺の一里塚 / 宝池寺


旧道をしばらく歩くと、「千貫樋」がちらりと見える。現在はコンクリート製の樋であるが、昔は木製で伊豆から駿河にこれで水を送ったという。
さらに歩くと「史跡一里塚」が見える。隣に「宝池寺」があり、「宝池寺の一里塚」と言われているものである。これは芝できれいに覆われており、後で復元されたものだろう。

第8日目 (3月24日 土曜日) 三島宿〜沼津宿〜吉原宿




★柿田川 / 柿田川湧水

旧道はこの後すぐに国道1号線と交差するが、この国道を左に少し行ったところに「柿田川湧水」がある。付近一帯が公園になっていて展望台からは湧水の様子もよく見える。1日100万トンの湧水があるという。柿田川はここから狩野川に合流するまで約1.2kmの短い川であるが、貴重な動植物が生息していることでも有名である。交通量の多い国道1号線のすぐ脇にこのような場所があるとは信じられないほどの別世界だ。少し足をのばして立ち寄ってみる価値はある。




★松原越しに愛鷹山を望む / 吉原市内の旧道

松原の向こうに愛鷹山がかすんで見えた。富士山はまったく見えない。遠くに点のように見えていた煙突と煙がわずかずつではあるが近づいてくる。松原を抜け、旧東海道に戻る。先ほど点のように見えていた煙突が間近に見えてきた。もうすぐ製紙の町、吉原だ。今日の旅はここまで。JR吉原駅から東海道在来線に乗り、東京までの帰途につく。
なお、本日の区間は京都まで完歩した後、再度旧東海道コースを歩きなおした。このときは快晴で、全道中富士山がバッチリ見えた。これについては番外編1をご覧ください。


歩行距離  約23km   歩数 38,900歩

★楽寿園 / 三島広小路

今日は、今回の旅で初めて新幹線を利用した。東京発7時35分、三島着8時37分のこだま号である。朝の時間帯に早く着くのは助かる。やはり新幹線は早い。駅から少し歩いたところに「楽寿園」があり、立ち寄ることにした。元小松宮家の庭園だったところを公園として公開している(有料)。富士山が1000年前に噴火したときの溶岩が残り、庭園景観の一部となっている。園内には「小浜池」「楽寿館」などがあり、一見の価値はある。見学後、東海道に戻り先を続ける。伊豆箱根鉄道・三島広小路駅の脇の踏切を越える。このあたりは賑やかな商店街が続いている。


★長沢 / 黄瀬川

旧道に戻り、しばらく行くと夢舞台道標「長沢・松並木」があり、松並木が少し残っている。少し先で黄瀬川を渡るが、昔はこのあたりは立場であり休憩する旅人で結構賑わったという。また、奥州から駆けつけた義経が兄頼朝と始めて対面した場所としても有名だ。今は何の変哲もない場所である。

★狩野川 / 沼津市街

さらに行くと、道は狩野川沿いとなる。道からは堤防で川が見えないので、堤防の上を歩く。なかなか大きな川で、堤防上からは沼津市街のビル群も見える。「河口まで3km」の標識があった。堤防を下り沼津の市街地を歩く。沼津は戦前、兵学校があったため激しい戦災を受けており、古い建物等は何も残っていない。宿場町特有の直角的な曲がり道をたどった後、一直線の旧道に出る。旧道は、やがて千本街道との分岐に差し掛かる。ここから先、旧東海道千本街道がほぼ並行して走っている。ここからの旧東海道筋は天気がよければ富士山や愛鷹山がよく見え、すばらしい道中なのだが、あいにく今日は富士山は見えない。そこで、今日は千本街道方向に進むこととした。

★千本松原の道 / 防潮堤から田子の浦を望む

千本街道は、旧国道1号線で車の往来も結構多い。この道を歩いても面白くないので、道に沿って続いている千本松原を歩く。この松原は沼津から田子の浦にかけて続く広大なものである。ただ、松原と海の間には長大な防潮堤が築かれていて直接海は見えない。したがって、しばらく松原の道を歩いた後は、防潮堤の上を歩くことにした。左に広大な海を、右に延々と続く松原を見ながら快適に進む。