★片浜〜原 間の踏切より富士山を望む

前にこの区間を歩いたときにはあいにく富士山が見えず、千本街道・千本松原・海岸線を歩いた。いつか天気のよい日にもう一度東海道を歩きなおそうと思っていたのだが、とうとうその日がきた。2001年11月23日、天気予報では全国的に快晴である。念のためインターネットで富士山の朝の映像を見たが雲ひとつない。7時37分発のこだま号に乗る。沼津市街を再び歩く気はしないので、ひとつ先の片浜駅から歩くこととした。片浜駅に着くと、目の前はもう旧東海道である。街道を歩き始めたが道の両側には民家が延々と続いており、残念ながら富士山は家の隙間からちらりと見えるくらいだ。しばらく歩くと東海道線の踏切がありここからは富士山がバッチリと見えた。

番外編1(11月23日) 沼津〜富士川(富士山を眺めながら東海道を歩く


★松蔭寺 / 白隠禅師の墓

踏切を越えるとまた民家が延々と続き、時々家の隙間から富士山が見えるという状態が続く。道の左側に前回見ることのできなかった松蔭寺があり立ち寄る。500年に一人の名僧とうたわれた白隠禅師の墓がある。お寺の少し先には「白隠禅師誕生の地」の大きな石碑も立っている。原宿は昔の宿場だが、現在その跡はほとんど残っていない。道も両側に民家や商店が続き変化がないので、原駅前で旧道を右に曲がり少し富士山に近づくことにした。


★昭和放水路からの富士山 / 昭和放水路

しばらく行くと「昭和放水路」が見えてくる。浮島が原からの水害から守るために作られた放水路で、近くにはこれを作るために尽力した増田平四郎の像も建っている。ここからの富士山もなかなか見事だった。


★吉原駅付近から富士山を望む / 吉原の左富士

吉原駅を過ぎて少し行ったところで、富士山に向かって広い通りが一直線に延びている。これは東海道ではないが、ここから見る富士山は真正面で非常に大きく見える。ここ吉原あたりが東海道では富士山に最も近いのかもしれない。さて、旧東海道をさらに進むと有名な「吉原の左富士」が見える。「(左富士が)一町(約100m)ばかりの間松の並木を透かしてみゆまことに絶妙なり」と広重が旅日記に記しているとおり、ほんのちょっとの間だが富士山が街道の左手に見える。今日はバッチリである。


★原駅付近から富士山を望む / 同 愛鷹山と富士山

右に曲がってまっすぐ行くと、国道1号線の広い通りにぶつかる。しかしこの道は少し高いところを通っていて渡れない。しばらく道沿いに歩くと、道路をくぐる道があった。そこを通って道の反対側に出るとそこにはすばらしい景色が待っていた。さえぎるもののないない畑の向こうに大きな富士山が。愛鷹の山並みに半分隠されてはいるが、でんと聳え立っている。この景色を見られたただけでも今日はきた甲斐があった。しばし立ち止まり、写真を何枚も撮った後、この場を立ち去り旧道にもどった。


★立円寺からの富士山 / 同所の「望嶽の碑」

旧道はまだ同じような道が続いている。昔はこの道もさっきのような景色がずっと続いていたのだなあと想像しながら歩き続ける。東海道線の踏切を再び渡り、しばらく行くと前回歩いた千本街道と合流する。見ていると、千本街道の方が交通量はずっと多いようだ。東田子の浦駅前を通り過ぎてしばらくのところに立円寺がある。ここから見る富士山に感激した旅人(江戸時代の医者)が書き記したという「望嶽の碑」がある。


★富士川橋 / 富士川と夕富士


この先吉原宿は前にも通っているので足早に通り過ぎる。さて、今日のフィナーレは富士川からの富士山である。富士川橋に着いたのは15時30分頃。晩秋の日は短く、そろそろ夕日がさしてきた。富士山はまだ雲ひとつない。ここで最後の写真を心ゆくまで撮った。こういう時は一眼レフを持ってくればよかったなと思う。でも、歩くときは重いんだよなあ。富士川駅に着いたときはもう薄暗くなっていた。今日は富士山尽くしの楽しい旅でした。