★ 蒲原夜之雪記念碑 / 東海道五拾三次の内 蒲原 夜之雪(広重画)

旧道はこの先右に曲がるのだが、私は間違えてそのまままっすぐに行ってしまった。長い下り坂で、結局また先ほど別れた県道に出てしまった。また坂を登って旧道に戻るのもしんどいので、そのまま県道を歩くこととした。JR富士川駅前を通り、新蒲原駅のあたりで右に曲がり、旧道に復帰する。もう蒲原宿に入っている。蒲原宿は広重の描く「夜之雪」が有名である。「蒲原夜之雪記念碑」があった。広重はこの碑のあるあたりから見た風景を描いたのだという。

第9日目 (4月1日 日曜日) 吉原宿〜蒲原宿


★吉原市街からの富士山 / 吉原の左富士

今日はJR吉原駅から歩き始める。駅から少し歩くと、広い通りが富士山の方向にのびている。ここから見る富士山は真正面に非常に大きく見えた。やや雲がかかり始めていたがその迫力に驚嘆した。東海道はここ吉原あたりが富士山に一番近いのかもしれない。旧東海道をしばらく歩くと、有名な「名勝左富士の碑」と老松が一本立っている。広重の「東海道53次、吉原」には道の左側の松並木を透かして見える富士山が描かれている。現在は工場の建物などで見にくいが、約100mくらいの間、確かに富士山は左側に見える。







★蒲原宿本陣跡 / 旅籠(和泉屋)跡 / 蔀(しとみ)戸のある家












旧道の左側に黒塀の家がある。「史跡・本陣跡」の標識があり、解説板には西本陣(平岡本陣)跡と書いてある。この向かい側には昔旅籠(和泉屋)だった建物がある。現在は鈴木タバコ店として営業しているが、二階の手すりや看板などに当時の面影を残している。また、その少し先に、今では珍しい蔀(しとみ)戸のある家が残っている。なかなか風情のある旧道はしばらく行くとまた県道に合流する。県道沿いにJR蒲原駅がある。今日の旅はここまでにしよう。


歩行距離  約18km   歩数 30,900歩

★平家越え橋 / 「平家越」の碑

また、少し歩くと「平家越え橋」を渡る。橋の脇には「平家越の碑」が建てられている。昔、このあたりに陣取った平家の大軍が水鳥の一斉に飛び立つ羽音に驚いて、戦わずに敗走したと伝えられている。この辺まで富士川の支流がのび、付近には水草もたくさん生い茂っていたらしいが、現在の周囲の状況からは想像もできないような故事だ。

★吉原の商店街 / 吉原宿道標

橋を渡って道なりに行くと、岳南鉄道線の吉原本町駅に出る。この先から吉原のアーケード商店街が続いている。旧道はこの商店街をしばらく歩いて左に曲がるが、その曲がり角に「吉原宿」の標識と解説板があった。これによると、吉原宿は度重なる津波や高潮の被害を受け、三度の所替えを行い現在の地になった、とある。しかしその後何度も大火があり、古い建物など昔の雰囲気を伝えるものは現在残っていない。道を曲がると旧道は賑やかな商店街から離れ、裏通り的な道になる。

★富士川橋 / 富士川


旧道は潤井川にかかる富安橋を渡り、柚木(ゆのき)で県道(旧国道1号線)とぶつかる。身延線のガードを越えてさらに行くと富士川橋が見えてくる。富士川は昔から急流で知られ、渡るためには渡舟を利用した。渡舟場は3ヶ所あり、流れの状態に応じて使い分けたという。橋の手前には「水神社」があり、中には、「富士川渡船場跡」碑もある。橋の上、また橋を渡った向こう岸からは雄大な富士山が望める。残念ながら、今日は少し雲がかかっている。

★岩渕の一里塚 / 一里塚碑と道標

富士川橋を渡ると、旧道は急な坂道を登ってゆき、県道(旧国道1号線)と分かれる。富士川の氾濫を避けるため、一段高いところに道がつけられたようだ。この道は、現在では裏道的で静かな雰囲気があり、途中に歴史マップなども立てられている。やがて道は大きく右に曲がるが、ここに「岩渕の一里塚」がある。これは道の左右にほぼ完全に残っている貴重なものだ。塚に植えられている木は榎で、東側の木は昭和45年に植え替えられた2代目だそうだ。この場所には夢舞台道標「岩淵・一里塚跡」が立っている。