| HOME | READ ME | DIARY | 過去の日記 | COLUMN | LINKS |

  HOME > 過去の日記 > 2001年3月の日記

<<前月の日記 /  翌月の日記>>

このページのいちばん下へ

2001/03/31

 TVをつけたら「クレヨンしんちゃん」(映画)をやっていたので終わりの20分だけ見た。アフロヘアのなかをかくれんぼしながらしんちゃん曰く
 「ヨコイさーん。オノダさーん」
 ……親の世代でも分からんようなのを……

 『ウインクで乾杯』(東野圭吾 著/祥文社文庫)読了。
 主人公はパーティコンパニオンとして働きながら玉の輿を目指している。その日のパーティは有名な宝石店「華屋」主催のもの。主人公お目当ての若き実業家にさりげなく近づきながら仕事を終え、仕事仲間と別れてほんの数時間後、その仕事仲間が、ホテルの一室で死んでいた。しかもそこは全くの密室状態だった……。
 章ごとの題が片岡義男風。軽いミステリでさらりと読める。上に書いたあらすじ、この文体だと浮きまくってるなあ。


2001/03/30

 『虹を操る少年』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 今の自分の生活に疲れたり、絶望していた子供たちは、ある夜、不思議な光を見た。建物の上から発せられたそれは、まるでこちらを励ましているように見えた。彼らは光の元に集まり、そこで光の音楽―光楽を操る不思議な少年に出会う。彼の名前は光溜(みつる)と言った。やがて光楽はひとびとの知るところとなるが、その麻薬にも似た力を巡って何かの力が動きはじめる……
 天才=良き人という構図は安心して読める。家族関係をほとんど書かないのは、話の勢いを削がない為なのだろうか。いっきに読み終えた。にしても、家族内の不和や、天才的な我が子に違和感を感じる両親、などの描写が後半ほとんど出なくなるのは気になる。前半ではひととおり描かれていただけに、宙に放り出されたような感じがするなあ。
 ところで、解説(井上夢人氏)では主人公を光溜としているけれど、物語上での彼はどちらかと言えば狂言回しだろう。主人公は、彼に引き寄せられた少年少女たちだと思う。
 NHK少年SFドラマのような雰囲気の、どこか懐かしい物語。


2001/03/29

 『放課後』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 校舎横を歩いていると、上から植木鉢が落ちてきた。とっさによけたが、私が狙われるのはこれで3度目だ。誰かが私を殺そうとしている、しかし誰が?私はただの高校教師でしかなく、狙われる心当たりも無い。とりあえず身の安全を考えて、放課後はすぐに帰宅していた。ところが、担当しているアーチェリー部の部長にそれをとがめられる。指導をさぼらないようにと言われ、やむをえず部活に出たある日、部活が終わって教師用の更衣室に入ろうとするがドアが開かない。怪しんで窓から中をのぞくと、床に年配の教諭が倒れているのが見えた……
 乱歩賞受賞作。というのはさておいて、『学生街の殺人』があまり合わなかったので、「学生物は私にはもう無理なのか」と不安になりつつ読んだが、これは面白かった。……なんで合わなかったんだろう……体調だろうか。登場人物の描写が乾いていて、特に女性陣が殺伐としている(と感じられた)のが私的には好み。

 『How to Digital ART vol.1』(角川書店)購入。クリエーター対談をざっと読む。興味をひかれた箇所を以下に引用する。

小島 でもPS2の開発って本当にシンドイんです。スケジュールが読めないというか。ハードを使いはじめて間がないんで「できる、できない」ってことをちゃんと把握してない……。(クリエーター対談[押井守×小島秀夫]p.6)
押井 でもこういう仕事って前のお客さんのリクエストとか願望にどこまでお応えするかだと思うんだよね。僕はお客さんの願望には30%ぐらい応えればいいと思うんだ。あとは好きなことやっちゃう(笑)。それは理屈で割り出したわけじゃなくて経験則だけどね。(同p.9)
小島 まあ期待は裏切らないとダメですよね。悪い意味じゃなく。いまはネット社会なんでネットで個人向けの情報とか反応があふれてる。いままで市場って見えなかったんですけど、"顔"のある市場でネットで直にユーザーが欲しがっているものがわかるんですけど、欲しがってるものをまんまつくっても売れませんから、絶対。求めてる方向性は同じで違うものを出したら売れてくれるっていう。(同p.9)

 できることが把握できるようになってからが勝負、なんだろうな。「できる」とわかれば、その後の作業量の多さは、それほどは辛くない、と思う。できるかどうか判らないまま作業を進めるのは「もしかしたら無駄になるかも……」と思うぶん、辛い。客の要求にそのまま応えても……のくだりは成る程と思った。

 やっと『CODE and other laws of Cyberspace』(ローレンス・レッシグ 著/山形浩生・柏木亮二 訳/翔泳社)を購入出来た。


2001/03/28

 「ヘルメット+サングラス+顔の半分を覆うマスク」の人が棒を持って立っていた。
 ………。
 工事現場で交通整理をする、花粉症の人でした。この時期、外で仕事は辛いだろうなあ。


2001/03/27

 『学生街の殺人』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 ほとんど呼吸していない街―主人公はそこで暮らしている。大学の正門に面していた時はにぎやかだった街も、正門が逆方向に作られた後は、寂れる一方だった。主人公は、大学を出た後も、何をしたいというあてもなく、バイトで日々を食いつないでいた。ある日、同じくバイトの松木が数日店を休んでいたので、主人公が彼のアパートに様子を見にいくと、ドアに鍵はかかっておらず、彼は部屋のなかで倒れていた。その背中にはナイフが突き立っていた……
 話の転がり方がかなりゆったりとして、自分の今の調子に合わない。先を読みたいと強く思わないのは、本編が長いこの物語を読んでいる気分としては全然よろしくない。読むタイミングを間違えた、としか言いようが無い。残念。
 余談1。最後の2ページを読んで、「だから表紙がたむらしげる氏なのだろうか?」と思った。(フォロンとたむらしげる、両者の絵の印象は私にとっては似ているので)余談2。「首をふるピエロ」(喫茶店)がここにも出てくる。ということは……?余談3。いぬサフランて何よと調べたらコルチカムのことだった。球根を机の上に転がしておくと水も土もないのに花が咲く、というもの。けれどこれは花束には向かないので、別の花のことなのかなあ。

 第3回SFオンライン賞 受賞結果発表。
 SF中短編部門……好きな「無限の暗殺者」、得票数は2。……ううむ。ノンフィクション部門の投票数、少ないなあ。でも、いい本がきちんと入ってると思う。ゲーム部門は「高起動幻想ガンパレード・マーチ」(72票)。


2001/03/26

 朝方5時過ぎ、先日と同地方に余震あり。震度5弱。

 「優駿」2001年4月号購入。的場さんの関連記事目当て。
 関連記事の前に、古井由吉氏のエッセイを読む。的場さんになにかあると、何かしら書いてくれるひとなのである。

勝つと、なんだか、すまなそうにする。あの顔をもう見られない。いやいや、G1の、調教師の表彰台の上で、また見ることになるだろう。
「こんな日もある 178」より(「優駿」同号p.83)

 さて、関連記事は次のとおり。


2001/03/25

 先日地震があった地方等、西日本に降雨。崖崩れ等の被害有り。また水道管の破裂により断水している地域がある。

 『宿命』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 幼い頃、近所の病院の庭でよく遊んでいた。その病院に入院していた女性に会うのが楽しみだったのである。けれどある日、女性は病室の窓から落ちて死んだ。その事故の後、病院の庭からその窓を眺めていて、視線を感じ振り返った。そこに自分と同い年くらいの少年がいた。彼はこちらをじっと見ていた。やがて小学校に入学し、少年と再会するが、何故かお互いを強く意識するようになる。勉強や運動で張り合い、その感情は中学から高校になっても変わらなかった。大学進学を機にふたりはいったん別れるが、ある事件で再び巡り合うことになる。
 表の事件が解かれる過程で、裏にめぐらされたもうひとつの出来事が明らかになっていく。ところで、文庫版の場合、「あとがき」を読もうとすると、いきなり本文最後の一文が目に入ってしまうので、後書きは後で読んだほうがいい。先に読むなら右手で右ページを押さえて見えないようにしましょう。(私は見てしまった。まあ見ても、全文読んでたどり着いてはじめて良さが分かる文ではあるのだが)主人公が切ない。ヒロイン格の女性があまり魅力的でないが、これは個人的な好みかな。

 ようやくPS2をセットしたので、「ボクと魔王」(PS2/SCE/RPG)をやってみる。
 章立てになっているうち、最初の2章ほどを遊んでみた。会話が面白い。笑わせようとしているなーと分かるのだが、掛け合いの部分がそれでも笑える。会話を楽しむ人向きだろうか。人物のデザインも可愛らしく、印象は悪くない。ナレーションの力の抜き加減も、雰囲気にあっている。ちょっと石坂浩二風。読み込みが多いけれど、のんびりとした気分でやっていると、それも呼吸のようで楽な気持ちになれる。読み込んでいる間は皿を洗ったり、洗濯ものを干したり……家事のおともソフト?

 ついでにPS2のソフト(ためていたぶん)をざっとオープニングだけ見る。


2001/03/24

 15時過ぎ、本州西で広範囲、大規模な地震発生。震源:安芸灘(瀬戸内海)、震源の深さ:51km、規模:M6.4(推定)、最大震度:広島県の河内町などで震度6強。ただし、阪神大震災ほどの被害は出ていないと見られる。(以上、情報は毎日新聞より)最初に心配になったのが原子力発電所だったが、今のところ異常は無いようだ。

 『探偵倶楽部』(東野圭吾 著/祥文社文庫)読了。
 会員のみが依頼できる「探偵倶楽部」が解決した5つの事件の話。

 「罠の中」が面白かった。冒頭で3人が計画を練っている。どうやら誰かを殺すつもりらしい。そして、場面は一転して親戚一同の集まり。その中で殺人事件が起きる。3人の話していた計画通りに……。短編は推理小説の長さとしてはどうなのだろうか?トリックが際立つのは、私には面白いのだが。


2001/03/23

 仕事をしていて苛々がひどくなると、自分が過去に作ったソースコードをライブラリから呼び出してきて、読む。コメントがほとんど無く、他人に預けると大不評を買う奴だが、見ているとなんとなく落ち着く―下手な部分も含めて。

 『同級生』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 同級生、宮前由紀子が事故で死んだ。俺は、彼女の身ごもっていたのが自分の子だとクラス全員の前で告げ、彼女が事故にあったのは、生活指導の行き過ぎたやりかたが原因だったのではないかと言った。彼女が死んだ今、自分に出来るのはこれくらいしかない、と思いながら。俺は彼女を愛していた、と言った。けれどほんとうは、そうではなかったのだ……
 学校は異様な空間だなあ、とあらためて思う(特に中学校〜高校)。外から見ただけでは内部はさっぱり分からない。内部からは、外が何を分かっていないのかが分からない。ほとんど密室だ。構成人員は秘密クラブの会員というところか。しかも傍目にはその全員が子供にしか見えない。一応教師は見た目大人だが、大学を出たばかりの人間が先生扱いされたまま年を取るというのは、まともに考えると気持ち悪い、確かに。
 学校が舞台の話だと読む速度が鈍る。自分としてはあまり愉快な学生時代ではなかったので、それがひびいているのだろう。
 ちょい余談。主人公が荒れた原因が、物語からは少し浮いているように感じられた。この部分の重みは、物語の背景にするにしては主張が強すぎる。


2001/03/22

 エクスプローラーを3つ開けて仕事をしていたらいきなり「不正な処理……」と出た。他には悪名高いOutlookとメモ帳2つと某ホスト用のエミュレーターを開いていたので、たぶん開きすぎだろう。にしても「不正」なんてごねずに「そんなに開いても僕には処理できません。所詮疑似マルチタスク」と正直になれないものだろうか――とOSに説教しつつ自己逃避。

 『卒業 雪月花殺人ゲーム』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 大学4年の秋、友人7人のひとりが下宿先で死んだ。状況からすると一見自殺のようだ。しかし、彼らのひとり、加賀は他殺ではないかと疑い始める。加賀、相原、金井らは素人なりに調査をはじめるのだが、そんな時、2つめの事件が起きる……
 あの(『どちらかが彼女を殺した』『わたしが彼を殺した』『悪意』『眠りの森』等)加賀の学生時代の話。卒業間近の7人が迎えるのは、もうひとつの卒業。ありきたりのきっかけに、ありきたりの方法、そして非日常としての事件。それはまるで、成長のための儀式のようにも思える。爽やかな読後感なのだが、出てくる死体の数はかなり多い。

 推理小説を立て続けに読んでの感想。女子を名前、男子を名字で書くのは何故なのか。


2001/03/21

 帰宅後、大掃除の続きをする。

 他人を騙った書き込みやメールというのは、反応する側にも責任があるのだろうか?つまり確認を怠ったということで。けれど、PCの使い方講座にこの手の知識が含まれているかというと、ほとんどの場合は無いからなあ。「疑うなんて失礼だ!」という人もいたりする。本人かどうか確認する、というのは、ドアのノックの音に「誰ですか?」と訊ねるようなものなのだが……。別に失礼でもなんでも無い。


2001/03/20

 思い立って大掃除をする。涙が出そうなほど本が増えていた。いちにちでは片付かず。とりあえず、寝る場所を確保して本の始末を考える。PS2をひろげられる日は遠い……のにまたソフトを買ってしまった。「ボクと魔王」(PS2/SCE/RPG)方向音痴にはつらいゲームらしい。

 夜、実家に電話する。食生活についていろいろと言われる。
 「野菜ちゃんと食べてる?家の食事では野菜足りてなかったみたいだから」
 「ふーん。わかった、気をつける」
 「ああ。それから、肉食べてる?家の食事、肉を全然とってなかったみたいなんで」
 「……じゃあ家では何を食べてたんだ?」
(魚と貝と海藻でしょうか?)

 『分身』(東野圭吾 著/集英社文庫)読了。
 私(鞠子)は、旭川に住んでいる。私は両親のどちらにも似ていない。最近母がよそよそしくなったのは、そのせいではないか。寄宿学校に入り、年のほとんどを両親と離れて暮らすようになって、それがますます気になっていた。そして中学2年の冬休み、私が帰省した時、その事件は起きた……
 あたし(双葉)は看護婦のママとふたりで石神井に住んでいる。ママはあたしに、TVに出ないという条件つきでバンド活動を許してくれた。けれどあたしのバンドはある日、TVに出ることになって……
 ネタを割るために読む本ではないです。(彼女の「謎」はすぐに分かる)倫理観云々もこの際余計だと思う。ふたつの糸がひとつになる話。すれ違いながら近づいていく様を楽しめれば良いのではないかと。「SF話ではないのにSF的な設定がからむと、どうも感想を書きづらい。クローニングが「神をも恐れぬ技術」というのはちょっと違うんじゃないのと思う。人間側に受け入れる体制が出来ていない、現状では一部を除いて必要とされていない、遺伝情報の多様性に逆行する、などが考えられるのではないかなあ。都合の良い時だけ神様というのは思考停止みたいで嫌だ。


2001/03/19

 『わたしが彼を殺した』(東野圭吾 著/講談社ノベルス)読了。
 結婚式場で、花婿が突然倒れ死亡した。中毒死であるという。原因は彼が式直前に飲んだ鼻炎薬にあるらしい。鼻炎薬が毒とすりかえられていたのである。
 『どちらかが彼女を殺した』(東野圭吾 著/講談社文庫)と同じ、物語中の手がかりで読み解ける形式の小説。ただし容疑者は3人。一読しただけでは誰が実行犯か分からなかった。のでヒントにしたがってもう一度読み直すつもり。本筋とは関係ないのだが、ヒロインの女性の態度に苛々した。まあこの話の場合、「彼女の心の中」は考えないほうが推理としてはすっきりするので、彼女の反応はありきたりがいいのだろう。とは言っても、なんだかなあ。

 疲れたので、今日はオフラインで日記を書いただけ。さっさと就寝する。


2001/03/18

 「エースコンバット4」の参考映像(ムービー)を見る。鳥の眼で見た戦争は奇麗だなと思う。

 『変身』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。成瀬純一はピストルで頭を撃たれたが、世界初の脳移植手術により、一命をとりとめる。しかし彼は、自分の言動が以前と少しずつ変化していくのに気付き、移植された脳が誰のものであるのかを調べはじめる。その間にも変化は急激に進行していき、やがて……。
 主人公(成瀬純一)の一人称と、時折挟まれる第三者の報告書とで構成されている。SF読みならば(そうでなくても?)この物語をひとことで言いあらわせる言葉を知っていると思う。「アルジャーノンに花束を」である。それがこの物語の持つ読ませる力を削ぐわけではない、のだが。先にどちらに出会うかだろうな、この場合。


2001/03/17

 『それいぬ 正しい乙女になるために』(嶽本野ばら 著/文春文庫+PLUS)を読む。
 「乙女の聖書」なのだそうだ。一人称「僕」のひとなのかな……おおっ。嶽本野ばらさんって男!?
 この本、一部の若い女子は思い切りはまるのではないかと思う。私には縁の無い世界であるので、ものめずらしく楽しく、けれど一度に3篇ほど読むのがやっとなのだった。

面倒臭い「努力」よりも、時空を歪ませワープするダイナミックな「根性」のほうが、ラクチンでドラマチックです。大島弓子の描く主人公なんて、皆そうやって幸せになりますもの。社会なんてスプーンより簡単に捻れちゃうものです。「いい張る」「思い込む」「反省しない」は生活の三原則。祈れば奇跡はおきなん、です。
 (同書 「努力と根性」p.75より)

 2001年3月16日、大川功氏、死去。セガ関係者にとっての恩人(なのだろうたぶん)、しかしソフトウェア開発系にとっては厄介な人間だった。まあ世間から見た、ビル・ゲイツ氏のようなものだ。評価が内外で全然違うタイプということ。


2001/03/16

 バスにて。がっちりとした体つきの20代後半(たぶん)男性。厳しい表情で肩を落とし、
 「あー座りてぇなあ。俺もう貧血で倒れそうだよ」
 確かに顔でなるならないというものでは無いしな、貧血。

 おなじく、バスにて。50代後半の男性。酔っているのか、とても楽しげ。
 「うちの社長はケチでさぁ〜〜バス代だしてくれないんだよな〜〜だけどさっ、自分でカード買っちゃったもんねえ〜〜ね〜〜ケチだと思わないっ?うちの社長。だってさ〜(以下繰り返すこと4回)」
相槌をうっている連れの方(60代前半男性)の自棄気味な笑顔が眩しかった。

 『眠りの森』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 ひとりのバレエダンサーが男を殺した。男が事務所に侵入したところに居合わせた彼女は、夢中で手近のものをふりまわし、気付くと男は倒れていた。つまり、男は強盗であり、彼女の行為は正当防衛である―当初の見解はこうだった。しかし警察の調査が進むにつれて、殺された男の周囲から、それを覆すような証言が出てくる……。
 この話、物語を引張る力は、トリックよりも背後の感情にある。トリックはそれほど込み入っていない。感情を読みこむ力が試される。ただし、ある女性の感情は、私には理解しづらかった。そういうものだろうか?「信じることと愛することとは別物だと思うのだが……信じられないけれど好きというのは無いんですかねえ?

何かを犠牲にするなんてことは、それほど大したことでもないのよ。切って、捨てて、それでおしまい。そうしてバレエに逃げ込める。
(本書p.42)

この言葉が好きだ。そのとおりだと思う。

 一昨年(1999年)の12月頃、県民性についての文庫本が出ていて、面白かった。立ち読みしただけで買わなかったのを後悔している。
 例文:「XX県の人は「底意地が悪くて、考えを率直にあらわさず、なかなか他人と馴染もうとしない上、誉め言葉の裏に30倍の陰口が潜んでいる」などと言われているが「そんなことは無い」とXX県出身のAは言う。「何だそれは。ゆるい頭から出てきた寝言か?」」
全篇にわたってこの調子。でも受けが悪かったのかなあ。いま本屋に並んでいる「県民性はこんな感じ」的本は皆
 「XX県の人は「底意地が悪くて(略)」である。だから誉められたら即殴(以下略)」
といったものばかり。こちらのほうが受けるんだろうなあ。似たような内容のものばかり並んでいるのには、うんざりする。こんな内容をうのみにする人は、たぶんいないと思うが、血液型性格判断程度には信じている人もいるのだろうな。う〜ん、だとしたらそういう人は、まさに歩くネタだ。森さん並です(誉めてるんです)。もし見つけたら是非とも観察したい
(あーと、例文(XX県)は適当に作ったので、もしも当てはまる人がいても、それは偶然です。出身県と底意地の悪さは、なんの関係も無いと思います)
 まあそれはともかく、県民性なんて信じてる奴を笑う本、今度見かけたら是非買おう……(と書いておく)。タイトル、出版社名ともに忘れているのが痛いけれど。

 『プレイフル・ワールド―ハイテクおもちゃと遊ぼう』(マーク・ペシ 著/金子浩 訳/早川書房)購入。


2001/03/15

 数日前、近所の本屋で何冊か買った。「いつもありがとう」ひぇ〜。顔、覚えられてしまったのだろうか?
 今日、また何冊か買った。「いつもどうもありがとう」……覚えられてるんだろうな。
 店屋の人の記憶力の良さは、時々恐い。今私が死んだら「ああ、あの人はいつもゲーム攻略本と競馬雑誌を買ってましたねえ」と言われるのだろう。む。

 『鳥人計画』読了。
 天才ジャンパー楡井は、練習台からジャンプした直後に苦しみだし、着地を失敗して坂を転げ落ちていく……。遺体からは猛毒のアコニチンが検出される。彼は殺されたのだ。しかし、いったい誰が、そして何故彼を殺したのだろう。
 「そんなことで人を殺すのか?」という言葉を、たまに聞く。事柄それ自体は他愛の無いことだとしても、それが積み重なっていって我慢の限界を超えた時、きっかけとなった事柄の後ろにあるたくさんの小さな出来事に、人はどうやって片をつけるのだろう。
 ニッカネンの名前はなんとも懐かしかった。今の飛行姿勢が一般的になる前の時代の話である。

 福田官房長官の声は、冷淡でなかなかよろしい。声だけで好感度3割増し(当社比)。


2001/03/14

 飲み会だった。ビールしか飲まないようにしたのに少々酔った。

 酒を入れると、本が読めなくなりますなあ。『鳥人計画』(東野圭吾 著/新潮文庫)はいまだ途中。


2001/03/13

 邪神占いをやってみた。これによると、実家にはクトゥルフが2人居る。(私じゃありません)あとはヨグ・ソトースとツァトゥグァ。(どちらかが私です)このサイトで説明だけ読むと、平和な構成員に見えるなあ。

 『天空の蜂』読了。
 高速増殖炉と上空のヘリをめぐる6時間余の物語。
 犯人の動機は何か。脅迫状には「日本にある全ての原子力発電所をすぐに破壊せよ」とあるが、このような要求を日本政府がのむことは有り得ない。受け入れられないことを前提とした脅迫ではないのか。そもそも、数ある原子力発電所のなかから何故、高速増殖炉を選んだのか。犯人は、本気なのだろうか。
 ふたつの組織に共通する、社会との歪み。一時的にではあるが、一方の組織に関係があった人間としては、どうしても考えないではいられない―善良な一般市民であっても、社会から隔てられる可能性は常にある、ということをである。私は子供が絡むと弱いので、この話は読んでいて辛かった。自分より長生きすると思っていた何かが死ぬかもしれない場面は、いつもひとつのことがらを思い出させる。
 余談だが、最後の3ページを読んでいて、ある事故を思い出した。あれが起きたのは、この本が刊行された5年後のことだ。


2001/03/12

 「K-PLEASURE・KENJI KAWAI BEST OF MOVIES」を聴く。

 『天空の蜂』(東野圭吾 著/講談社文庫)(622ページ)をいっきには読みきれなかった。
 原子力発電所の上空に滞空する大型ヘリコプター。時間内に要求をのまなければヘリコプターを落とす、という脅迫状が送られてくる。その要求とは、日本全国にある原子力発電所を発電不能にせよというものであった。時は真夏、最も大量に電力を消費する時期である。そして、期限までは、残り4時間しか無かった……

 何事にせよ、知らないけどなんとなく恐いから反対という態度は、どうも嫌だ。(自戒も込めて)―調べよう。


2001/03/11

 積み上げられた本の山を見ながら「次はどれを読もうかな」と考える。そのうち眠たくなって寝た。起きたら外は真っ暗だった。

 『11文字の殺人』(東野圭吾 著/光文社文庫)読了。
 「誰かに狙われているような気がする」―そう言っていた恋人が殺された。彼の部屋へ荷物の整理に行き、そこで会ったカメラマンもまた、殺される。彼が殺された理由とその犯人の影を追って、私は友人とともに、調査をはじめる。
 犯人はすぐに分かる。となると、読み手の興味は、動機となったその当時の状況に移るわけなのだが、う〜む。それなりに面白い。が、興味の移りかたで、物語の流れが途切れてしまっているように思う。


2001/03/10

 『むかし僕が死んだ家』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 かつての恋人から電話で呼び出された「私」は、彼女から彼女の亡くなった父の話を聞く。彼は休みの日に、時折、彼女の知らないどこかに行っていたらしい。訊いても話してはくれなかったのだという。父の死後、遺品を整理していて鍵と地図を見つけた彼女は、父がそこを訪れていたのではないかと考える。そして自分も訪ねてみたいのだという。自分には幼い頃の記憶が無く、もしかしてその家に何かそれについての手がかりがあるのではないか、それを捜したい、そして「私」に一緒に来てほしいのだ、と。数日後、「私」と彼女が訪れたその家は、人里離れた奇妙な洋館だった。
 最初から最後まで2人(私と彼女)しか出てこない。「はやくこの家を出て、外で推理してくれないか」と思わせる怖さがあった。
 それから、ある点が気になった。「「私」の名前がいちども出てこない。」それも、奇妙な違和感を増幅させていたと思う。2人なのに、ひとりしかいないように感じられた。

 おとなしく本を読むだけの一日でした。


2001/03/09

 郵便局へ振替用紙を貰いにいった。
「あの〜振替用紙ください」
「振替先の番号は0と1のどちらから、はじまりますか?それで用紙が違うので」
「えええ?(覚えてない)えーと、赤い用紙だと思うんですが」
「どっちも青いんですよ」
えーっ5年前は赤かった(ような気がする)のにと焦っていると、窓口の人は親切にも両方出してくれた。要領を得ない客ですみません。ありがたくいただく。(ちなみに、今回は0ではじまるほうだった)
 恥ずかしさのあまり、何の脈絡も無くサンリオ絵葉書セットを買ってしまった。今年も年賀状を出さなかったので、これで返事を書こうかなと思う。

 『回廊亭殺人事件』(東野圭吾 著/光文社文庫)読了。
 一月前に死んだ会社社長の遺言状が公開されるので、関係する人々が回廊亭という料亭に集まる。親戚にまじって、ひとりの老婦人が招かれていた。さて回廊亭では、数ヶ月前に心中事件が起きており、その当事者のかたほうは会社社長の秘書だった。集まった人々がこのことを話題にすると、老婦人は、死んだ秘書から遺書を預かっていると告げる……
 具体的には書けないが、これは小説ならでは、だろう。描写が二重の意味を持つのを、ぼんやりと読んだだけでは気付けなかった。(分かってから読み直しても、全く不自然ではない。)ただ、物語のほうは、最後を力でねじ伏せたような感じがして、どうもしっくりこなかった。


2001/03/08

 禁コーヒーをしてみたが、3時間で我慢できなくなった。仕事をしなくていいのなら、なんとかなりそうなのだが、そういうわけにもいかないし。

 『パラレルワールド・ラブストーリー』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 彼は、親友に紹介された彼女と恋人になった。しかし一方の記憶では、彼女は親友の恋人だった。彼は真相を知るため、親友に連絡を取ろうとするが、何故かうまくいかない。混乱するなかで、一方の過去だけが現実味をましていく……
 SF的な設定を使っているが、SFではない。そう感じるのは、物語のなかでの言葉の使い方に、読み手の現実との違和感がないからだと思う。日常で使われる言葉が、読み手の世界の解釈と同じかどうかと不安にさせる要素はこの小説には無い。共通する土台の上に成り立った謎は、SFではなく、推理小説のものだろう。

 ゲームソフト「ギャロップレーサー」「ギャロップレーサー2」(PS/TECMO)について:パブリシティー権をG1優勝馬に限り認める 名古屋高裁(関連:2001/02/09の日記
 以前の条件ではG1出走馬だったのが、今回はG1優勝馬になっている。


2001/03/07

 PS2で動作するLinuxを公開してもらおうという動きがあるそうです。SCEI側も、需要があれば考えないでもない、らしい。(Show's Hot Corner「乳の詫び状」2001/03/06から)需要は、あるんじゃないかな。「PS2で」ではなく、PS2本体を使って遊びたい人はそれなりにいるだろうし、それに、開発環境にかかる費用がある程度安く押さえられるのは、開発会社にとって魅力的な話だと思う。

 森川幸人氏(「がんばれ森川くん2号」「アストロノーカ」)の「マッチ箱の脳」Web版、ほぼ日刊イトイ新聞にて連載中。AI(Artificial Intelligence)の話。

 『閉ざされた雪の山荘で』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 劇団の主催者から、オーディションに合格した7名に手紙が送られてきた。手紙には最終試験への指示が書いてあった。「ある山荘で3日間を過ごすこと。その山荘は雪に閉ざされており、外部との連絡はとれない設定である。電話等、外部との接触をとった時点で、該当者を試験失格とする。」古典的な推理小説そのままの設定に苦笑しながらも、7人は山荘に集まる。そして第一日目の夜、事件が起こった。それは設定のひとつであると、現場に残された手紙には書いてあるのだが―
 何を書いてもヒントになるような気がして書けない。大変面白く、条件無しで後味も良かった。登場人物のひとりである雨宮の印象が少し薄く、私にはあまり魅力的ではないのだが、これは個人的な好みかも。「本多が、あるひとの身だしなみを整えている場面の描写は、とても良かった。


2001/03/06

 「なになに」「XXXXが来てるってよ」「わ〜あれがXXXXって、見えた」「良く見えないんですけど、どれが?」「ベンチに座ってるのは違う?茶色の上着てて」「じゃなくて、ほらあの茶の皮ジャン着て……今ベンチに座ったあれ」「もうひとりのあれ、あの人誰なのかなあ?」「ベンチに座ってる?さあ」「じゃああれ―立ってるコートはXXXX?」「昨日と同じ服着てるねー」「サインもらいに行こうか」「迷惑になるから、あんまりブラインドあげないように」「みんな立ち止まって見てるよ」「なんだかミーハーな感じ」「はじめて見た〜」
 以上、窓際に殺到して某TVドラマの撮影を見て喜ぶ、仕事場の様子でした。(窓際は本来、部長の席なのですが、この騒ぎで席から押し出されてしまいました。すみません)
 こんな時間に撮影なんですねえ。(ただいま、午前10時すぎ)たぶん人通りの少ない時間を狙ったのだろうけど。

 と、メモしていて気づいたが、上のこの会話って主語はないし、あっても述語との対応が取れてないし、そのまま文章に書き起こして読むと、ちょっと……いやかなり変。文書として変じゃなくても、たとえば「昨日と同じ服」は、「昨日(見たドラマで、この役者が着ていたの)と同じ服」のように()部分が無いと、その場にいない人には分からない。(その場にいても、そのドラマを知らない人には分からないだろうし)

 会話をほぼそのままの印象で文章にする表記は、家庭用ゲームでたまに見かけるが、それを頭のなかで音にして読むのと、文章として読むのとでは、感じ方に差があるんだろうなと思う。文章としては奇妙に思えても、音にするとそれほどでもない文というのはある。

 『名探偵の呪縛』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 作家である私は、次の作品を書く資料を捜しに市の図書館を訪れた。本棚の間を歩いているうちに何故か迷子になってしまい、やっと出られたと思ったら、そこに立っていた少女にこう呼びかけられる―「探偵の天下一さんでしょ」。私は、図書館の外に広がる見も知らぬ市の市長からある事件の依頼を受ける……。
 最後の一文がいいなと思った。笑いながら読んでいたのに、しみじみしてしまった。


2001/03/05

 ライスシャワーの12歳の誕生日。

 今日から新しい仕事場に出勤。去年の仕事場からバス停で2つ離れただけだった。荷物を片づけて、机の下に潜りこみ、端末のつなぎなおしをやっていたら腰にきた。
 今度の仕事場は女性が少なくて、ちょっと寂しい。今まで女性がたくさんいる所が多かったからなあ。
 で、専用の内線が貰えないので、PHSを貸してもらうことになった。使ったことが無いのでとりあえず取扱説明書を読む。最初の何ページか読んで、充電するところまでたどりついた。今日はここまで。

 『仮面山荘殺人事件』(東野圭吾 著/講談社文庫)読了。
 主人公は、婚約者だった女性の両親に招待されて、別荘を訪れる。婚約者は数ヶ月前に交通事故で死んだが、彼女の両親はそれ以降も、彼を息子のように扱ってくれる。さて、別荘には彼を含めて8人が招待されていた。そこに、銀行強盗が押し入ってきた。彼らは、仲間との待ち合わせ場所に別荘を選び、合流したらここから出て行くという。しかし身の安全が保証されているわけではない。8人は別荘から脱出しようと試みるが、それはすべて失敗する。というのも、銀行強盗以外の誰かが妨害しているようなのである。お互いがお互いを疑い始めるなか、ひとりが殺される……
 さて、銀行強盗は出ていってくれるだろうか?それともその前に脱出に成功するだろうか、と思っていたら、あるひとが殺される。一見、話の中心がするすると変化しているように見える。読み終わって、にやりとしました。そういう意味では後味が良い、と言えるかも。


2001/03/04

 昨日、日記を書いた後に「サイエンス・アイ」(NHK教育)のロボット特集を見た。
 ホンダのASIMOやP2がスタジオに置いてあったので、動くのかなと期待していたが、置いてあるだけだった。む。その代わりと言っては何だが、AIBO(犬型)がピコピコと音をたてて動いていた。NHKらしく、紹介された名前はペット型ロボットになっていたが。
 AIBOの開発時にいろいろと想定された、安全面での問題は興味深かった。それ以上に面白かったのが、専用ユーザーサポートにかかってくる電話の大半が「うちのAIBOはいい子に育ったでしょうか?」であるという事。AIBOは、ユーザーがリセットすることは出来ないので、ナマモノのペットとの差は、電源をオフに出来るという事くらいだろう。だから、うまく学習させられたかどうか、気になるというわけだ。なんだか、ほのぼのとした電話相談だなあ。
 AIBOをいい子に育てる攻略ページ、とかあるんだろうか。

 同番組に出ていた黒崎政男氏が
「生き物と生き物のコミュニケーションにおいては、相手を自分の意のままに出来ないことを知るのが、その第一歩である」
「けれど、相手がコンピュータ制御されているものだと、もしかして自分の思うままに出来るのかもしれないと思わせてしまう」
と言っていた。たとえばAIBOはリセット出来ないが、電源を切ることは出来る。

 でも、だとしたら、生き物どうしのコミュニケーションなんて本当に存在しているんだろうか?たとえば、人間の親は子供を自分の思うとおりにしたがるし、出来て当然だと思っている(人が多い)。あれは子供を自分と違うものだと思っていないから、ではないだろうか。
 まだロボットのほうが、人間に近い他者であり、しかも人間がかなわない所があるぶん、自分でない誰かとしてつきあえるような気がする。

 ということはともかく。AIBOは可愛かった。

 『白馬山荘殺人事件』(東野圭吾 著/光文社文庫)読了。
 兄が死んだ一年後、死の真相をつきとめようとした原は、友人の沢村を誘って、兄が死んだ山荘へと向う。山荘「まざあ・ぐうす」は、その時期、常連しか宿泊していないのだという。死ぬ前の兄の様子を訊いているうちに、原は、兄が何かを調べようとしていたのではないかと気付く。それは、山荘の各部屋にある、壁掛けに刻まれた童謡のなかに隠されているらしい。
 暗号をどうやって解くか?に集中して読んだ。主人公コンビは、あまりべたべたしていないのが良い感じ。
 普通の推理小説。いや、いちいち『名探偵の掟』を期待するのも莫迦なんだけど。あの作品が、作者の転換点だったのだろうか。
 余談だが、あるひとがあるひとに呼びかけた、その呼び方に面食らった。まさかこれって……「上条氏がくるみを、ミス・ナッツと呼んでいる(p.61)


2001/03/03

 中途半端に終わった昨日の続き……のような話。
 仕事でのことだが、私が仮定で話を進めようとすると、上司は、仮定は無意味だ、確定していない事柄を土台にするのは時間の無駄だ、と言った。まあそのとおり。それを適用すると、人の態度を見て、XXだと思っているからあんな態度をとるのだろうと言うのは、そう言っている自分を納得させる以外の何の役にも立ってない。たぶん、対象者の心中を言い当ててさえいないだろう。
 ということで、この話は終了。

 AIの御三家は、遺伝的アルゴリズム・ニューラルネットワーク・エキスパートシステム。

 ニューラルネットワーク(NN)についての話が黒木のなんでも掲示板2のここに出てくる。
 NNつながり。2/27の読売新聞夕刊のコラム「支える技術 7 意のままに義手を操る」によると、個体ごとの筋電(筋肉を動かした時に皮膚表面に流れる微弱な電流)の差を学習することで、義手側が使い手の人間に適応するシステムが開発されているとのこと。この学習に使われているのがNNだそうだ。

 『カエアンの聖衣』(バリントン・J・ベイリー 著/冬川亘 訳/ハヤカワ文庫SF)、『捜査』(スタニスワフ・レム 著/深見弾 訳/ハヤカワ文庫SF)購入。


2001/03/02

 今日は仕事場引越しの日。しみじみと片づける。

 などと言ってはいるが、いまだコンパイルが通らないので、ほんとうはしみじみしている暇など無いのだった。
 ……やっと通りました。さー今から荷造り。
 机の下にもぐって端末2台の配線を抜いている最中に、隣席PCの電源もいっしょに抜くというお約束をやってしまいました。……お仕事中すみません、隣の人。

 さて、ぽつぽつと読んでいる『書いては書き直し―ニール・サイモン自伝』(酒井洋子 訳/早川書房)から目にとまった箇所を引用。

人は変わらない。では何が起きたかというと、ほかの人たちの目が変わるのだ。内心感じている幸せの感覚は、世間がこちらに起きているはずだと決めてかかるものすごい高揚感とは違う。しかし、世間の思い込みに合わせたやりかたで振る舞ってやらないと、相手をがっかりさせるのではないかと思う。
(「3.バックスカウンティ」p.96より。強調は引用者による)

 レース後のインタビューで、勝利騎手が、周囲の思い込みに合わせて喋っているように感じられる時がある。年若い騎手ほど、聞き手の願望に沿おうとしてか、上っ調子な話しかたをしている。一旦そう見えると、その後を見るのが辛くなってくる。
 いっぽうで、その様子や振る舞いをただ有頂天になっているととれば、それは非難や嘲笑の対象になりうる。(こちらも、別の意味で見ているのが辛いのだが)

 まあ、本当のところ、本人の心のなかがどうなっているかは、周囲が決められることではない。そして、ほとんどの場合本人にも分かっていないと思う、たぶん。どちらかではなく、ふたつが複雑にいりまじっているのかもしれない。または、全く別の何かがあるのかもしれない。
 とはいえ。
 周囲からの無言の圧力は、それが例え好意であっても、向けられたがわには負担になる。相手をがっかりさせたくないと思うような、サービス精神あふれる人は、特にそう感じているのではないだろうか。そして、一方に置いて期待通りに振る舞えば、一方で反発をくらう。悪循環。

 あ、でもこれって騎手―競馬だけじゃないなあ。


2001/03/01

 「サラブレ」の特集、的場騎手公認サイトの掲示板での評判は良いようですね。確かにデビューの頃の写真はあまり見られないから。

 『ガラスの麒麟』(加納朋子 著/講談社文庫)読了。
 男は、娘の同級生の葬式に出かけた。その同級生が通り魔に殺された日から、娘の様子がおかしくなったのだ。男は、葬式の手伝いに来ていた学校の養護教諭に、そのことをうちあける。実は……
 学校とその周辺をめぐる5つの連作短編集。2月からはじまって、ひと月に一話という割当になっているのが面白い。三話まで読んでようやく気づいた。
 殺人事件からはじまった物語が、さまざまな出来事を絡ませながら、はじまりの場所へかえっていく。いい感じ。少女の頬に当たる枝(第一話「ガラスの麒麟」)、猫が傷口を舐めたあとの顔(第三話「ダックスフントの憂鬱」)などの描写に、惹かれた。これらは物語とは直接関係ないのだけれど。

 眠かったのでトイレで少し眠ろうとしたら、非常ベルが鳴った。
  ―数分経過―
 誤報だった。誰も騒いでいなかったが、いいのかこんなで。警報が本当でもこんな感じだったら、冷静過ぎて逃げ遅れそうだな、仕事場の人。

 TVCMを見て、「Shadow of Memories」(PS2/KONAMI/ADV)が欲しくなった。影響されやすいなあ。

 クラッカーの前にはsonyもnintendoも平等なのであった(EVERYDAY PEOPLEの2001年3月1日)。まあつまり、穴だらけ、と。

このページのいちばん上へ

<<前月の日記 /  翌月の日記>>

| HOME | READ ME | DIARY | 過去の日記 | COLUMN | LINKS |