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2008年1月14日

明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。

初夢

薄暗い建物の中にいた。持ち物は西鉄バスカード(1000円分)のみ。

ドロシー・H・クロフォード/寺嶋英志 訳『見えざる敵ウイルス』(青土社)

ウイルスについて、その基本、宿主との関係、増殖の為の戦略、感染パターン、 過去現在未来の治療法の選択肢について、 一般の読者に向けて書かれた本(以上、著者まえがきより抜粋)である。 本書の原著は2000年、邦訳は2002年に第1版が出ている。

ウイルスについて知りたいと思ったので読んだ。読んだのは2007年の6月後半。 読みやすく、面白かった。

殺人ウイルスの流行は恐怖と恐慌を引き起こし、 それをメディアが大々的に報道する。 しかし、私たちが読むものはあまりに不正確なことが多く、ひどく誇張されている。 そのため「ウイルス」という言葉は最も不吉な意味をもつようになっている。 人々は自分の体に侵入する微生物について正確な情報をもつ権利がある。 私たちは咳やかぜや熱や疲れを説明するのに 「ただのウイルスさ」 という言い方であっさり片付けることが多いが、 ウイルスが原因であることを本当に知っているのか? それが正真正銘のウイルス感染であるときでさえ、 それがどのタイプのウイルスか、またどのように症状を引き起こすのかを私たちは知っているのか?

私がこの本を書いた目的は、こうした疑問や多くの関連ある疑問を探求することであり、 そしてウイルスの持つ魅力を一般読者に伝えることである。 ウイルスは、遺伝子物質の微小な一片とそれをくるむたんぱく質の殻からできているにすぎないのであるが、 大きな混乱を引き起こすことができる。 このようなちっぽけな生物が私たちを巧みにあやつって大いに成功しているのを見ると、 ひそかな賞賛を禁じえない。 必然的に、私はこの本の全体を通じて、ウイルスに人間的な特性をもたせている。 私はこのことを弁解する気はまったくない。 このように読者のために生きたウイルスをもってきて、 彼らの本性が何であるか──独創的であり、器用であり、そして究極的に有害であること── をあばき出す助けになるならば、それでその役目を果たしたことになるからである。

(pp.12-13)

感想を書く気になったのは、昨日(2008年1月13日) NHKスペシャル「 シリーズ 最強ウイルス 第2夜 調査報告 新型インフルエンザの恐怖 」 (2008年1月13日放送)を見たから。 (再放送は1/15(第1夜)、1/16(第2夜)いずれも0:10〜)

本書ではインフルエンザ汎流行についても触れられていて、 そこにH5N1の症例(1997年ホンコン)も出てくる。

また、インフルエンザウイルスの新しい株のほとんどが極東から発する理由として、 その地域では「水鳥(主に家鴨)、ブタ、人間たちが世界のどこよりも密に接近して住んでいる」(p.130) ことが上げられている(トリからヒトへの感染の中間宿主はブタ)。 今までのトリインフルエンザは水鳥には無害だったそうだ。

ただし、Googleで検索してみると、H5N1は水鳥にも害を及ぼしているという。 ( 日本における鳥インフルエンザ問題の現状と課題 (日本鳥学会)より。 感染しても症状が現われない鳥(本来の宿主)が見つかっていない可能性はあるけれど)

印象に残ったのは予防接種に関する以下の文章。

小児期感染症が西欧諸国で記憶のなかに退くとき、 ワクチンはそれ自身の成功の犠牲者になる。 ウイルスに感染するチャンスがますます減ると共に、 そのワクチンのまれな合併症のひとつが発生する小さなチャンスがますます許しがたいものになる。 こうして、一個人としては、論理的には、 免疫(予防接種)されないほうがより安全であるかもしれない。 確かに、天然痘の場合には、このウイルスの根絶が公式宣言された一九八〇年以前でさえそのとおりであった。 しかし、もし他のどれかのウイルスに対するワクチン接種率が西欧諸国で低下するならば、 大きな非免疫人口が出現し、流行病が戻ってくるであろう。 こうして、個人レベルでの防御と人口レベルでの防御との間に利害の対立があることになる。 各個人は、高い集団レベルの免疫性を維持するのに他人に依存している。 免疫されないことを選ぶ人たちは、ある意味では、他の人たちに依存する寄生者である。

(p.259)

来年は予防接種をしよう。