平成13年3月に沖縄に転居してから、同じ日本でありながら沖縄で感じる「カルチャーショック」。確固として「日本」という規格に収まらない独自の生活文化。この沖縄の不思議を調査すべく、調査隊を結成。・・・と言っても隊員は我家の5人! |
[首里城] |
首里城跡は、那覇市内で最も高い弁ヶ岳(167.5m)に連なる標高約120m〜約130mの琉球石灰岩からなる丘陵地に築かれています。 城は東西約400m、南北約200mで、城壁の石垣は厚さが約4m、高さが6〜11mに積み上げられ、場内には、歓会門、瑞泉門などの大小12の門、さらに城外には二つの坊門がありました。歓会門・瑞泉門などの門をくぐって中心部の広場(御庭:うなー)に入ると、広場を取り囲むように正殿・北殿・南殿などの建物が建っています。 この空間構成は、紫禁城に代表される中国の宮殿様式に酷似しているといわれ、中国との密接な関係がしのばれるものです。 |
[琉球王国の歴史] |
北は奄美諸島から南は八重山列島までの琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでいました。先史時代を経て、12世紀頃から一定の政治勢力が現れはじめます。各地で「按司(あじ)」と呼ばれる豪族が現れ、やがて尚巴志(しょうはし)が主要な按司を統括し初めて一権力を確立しました。これが尚王家を頂点とする琉球王国のはじまりでした。それ以降450年間、王国は存続しましたが、明治維新により成立した日本政府が軍隊を派遣、首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放しました。そして、沖縄県の設置が宣言され、琉球王国は滅亡したのです。 |
[島津侵入事件] |
豊臣秀吉が東アジア征服を夢見て朝鮮に出兵した時、琉球王国にも加担を要求してきました。琉球側は報復を恐れて要求の一部を呑んだものの、基本的には同意しませんでした。徳川家康は秀吉時代の朝鮮出兵によりこじれた対中国関係を修復すべくその斡旋役を琉球に期待しましたが琉球側は家康の意向を無視しました。 領土的野心をもつ薩摩の島津氏は、琉球の無礼を糺す名目で琉球征服を計画し、ついに具体的な軍事行動に出ました。鉄砲で武装された薩摩軍の圧倒的な軍事力の前に、琉球側はなす術もなく抵抗らしい抵抗もなく、琉球の地は薩摩軍の征服するところとなったのでした。 |
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[沖縄の旧暦] |
沖縄のカレンダーに必ず記載されているのが「旧暦」。日本で太陽暦が採用されたのは明治6年、しばらくは太陽暦と旧暦を併用していたが、明治43年以降は一切、旧暦を扱っていない。現在旧暦は「私歴」の扱いで、野放し状態で野生化しているらしい。 それならカレンダーに載っている旧暦って・・・・・? なんとカレンダー業者は書店にある「歴の本」を参考にしているらしい。しかも出版社によって時々ずれがあるらしいのだ、旧暦が正式な歴でない以上文句は言えないのが現状である。 |
[旧暦のしくみ] |
「旧暦」(太陰太陽歴・天保歴)は、太陰暦で生じてしまう季節の差を解消するため、以下の方法でひと月多い年を設け、太陽暦(新暦)と調和させる方法である。 ※今年の場合・日付は新暦 1月中気=雨水( 2/18) 旧 1月= 1/24〜 2/22 2月中気=春分( 3/20) 旧 2月= 2/23〜 3/24 3月中気=穀雨( 4/20) 旧 3月= 3/25〜 4/23 4月中気=小満( 5/21) 旧 4月= 4/24〜 5/22 旧 ?月= 5/23〜 6/20(閏4月) 5月中気=夏至( 6/21) 旧 5月= 6/21〜 7/20 6月中気=大暑( 7/23) 旧 6月= 7/21〜 8/18 7月中気=処暑( 8/23) 旧 7月= 8/19〜 9/16 8月中気=秋分( 9/23) 旧 8月= 9/17〜10/16 9月中気=霜降(10/23) 旧 9月=10/17〜11/14 10月中気=小雪(11/22) 旧 10月=11/15〜12/14 11月中気=冬至(12/22) 旧 11月=12/25〜 1/12 12月中気=大寒( 1/20) 旧 12月= 1/13〜 2/11 今年(平成13年)は旧4月と5月の間が、名前のない月になります。これは月の運行(約29.5日)が中気と中気の間隔(約30.4日)より短いため生じるもので、これが閏月で、名前に閏を付けて「閏4月」とするのです。 沖縄では閏月や閏月の出現する年を「ユンジチ」といって、仏壇仏具を買い換える年などといわれています。この「ユンジチ」だいたい19年に7回起こりますが、次の閏は平成16年の旧2月だそうです。 ![]() |
[泡盛とは] |
泡盛の大きな特徴は、寝かせれば寝かせるほど味が熟成していくことで、年数を経るほどまろやかで味が濃く、深みのある味わいになります。しかしただ酒甕に入れて貯蔵するだけでは、美味しいクースはできず、年代の古い順に一番甕、二番甕、三番甕・・・と酒を貯蔵し、一番古い甕から泡盛を飲むと、必ず二番甕から一番甕に、三番甕から二番甕にと、それぞれの甕に必要な量だけ酒を注ぎ足す。これを仕次(しつぎ)と言います。 泡盛は常に地元の人々に愛飲されてきたわけではなく、米軍統治時代はビール、ウイスキー、ブランデーなどの安い酒が出回り、臭くて強いと若者達が泡盛を敬遠するようになったそうです。しかし20年程前に泡盛業界は安くて度数の低い新製品を投入し、これが若者達に受け、泡盛の人気は徐々に盛り返しました。その後、若者達は本物の味を求めるようになり、クースが人気を呼ぶようになったそうです。 |
[泡盛のできるまで] |
今なお沖縄で絶大な人気を誇る「泡盛」、その原料はタイ米で、日本米と違い細長いのが特徴です。まずタイ米の糠を取り除くために洗米し、その後十分に水切りを行ったあと蒸米機の中で約一時間蒸し上げます。そのあと製麹機の中でタイ米は黒麹菌と混ぜ合わされます。この黒麹菌が泡盛独特の味と香りを醸し出すのです。そして1日から2日寝かされた後タンクに移され、そこで酵母と水を加えて「もろみ」が出来上がるのです。その際もろみは盛んに発酵を繰り返し、炭酸ガスを発生させます。沢山の泡が立つことが「泡盛」の名前の由来とも言われています。約2週間以上かけて発酵させたもろみは、いよいよ蒸留機にかけられます。蒸留機直後の泡盛はアルコール度数が50度を超え、臭いもきつく、まだとても飲める状態ではありません。ですから約1年以上寝かされ味わいにまろみを持たせ製品として出荷されます。そこで3年以上熟成を重ねた泡盛だけが古酒(クース)の称号を与えられるのです。 |
[その他] |
1.昭和20年6月23日沖縄戦が終わり、昭和24年1月1日米軍政府から泡盛の製造免許が 交付され、戦後の泡盛の第一歩が始まった。 2.「黒麹菌」は酸が多いために雑菌が混ざりにくい特性をもつ、黒麹を使ったのは南国の知恵 である。 3.あの臭みが嫌な人は、「きゅうり」を輪切りにして二枚をコップに入れ4,5分たってから 飲むと臭みは消える。 4.泡盛を貯蔵する甕を南蛮甕(ナンバンガーミ)と言う。荒焼(あらやち)と呼ばれる上薬を 使用しない技法で作られ、酒の熟成には欠かせない陶製の甕。 |
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[沖縄の姓] |
喜屋武、瑞慶覧、小渡、渡慶次、屋宜、名嘉真・・・・。これは、どれも沖縄ではごく普通に存在する姓である。順に「きゃん」「ずけらん」「おど」「とけし」「やぎ」「なかま」と読む。ほとんどの姓が内地にない独特なものばかりで、読み方もかくのごとく難解。ちなみに沖縄に多い姓のベスト3は比嘉、金城、大城。これに宮城、新垣、玉城、島袋、上原、平良、山城が続く。逆に内地で一般的な鈴木や佐藤、田中などの姓は移住者を除けばきわめて珍しく、そのため沖縄では姓だけで内地出身者かどうか峻別できてしまう。 |
[3文字姓の多いワケ] |
沖縄の姓にはさらに大きな特徴があって、真栄田、真栄里、仲宗根のように3文字の姓が際立って多く、約1500ある沖縄の姓のうち、半数近くを占めるといわれている。なぜ? それは昔、薩摩藩の侵攻によりその属国となっていた時代。薩摩藩が「大和(日本)めきたる名字の禁止」という布令を出したからであり、これによって今に伝わる異国的な姓や3文字の姓が増えたという。 ところが、日本国に組み込まれると、その姓が奇異にうつるということから、今度は逆に内地姓への改姓が推奨され始める。しかし当時の戸籍法では姓を替えることが難しかったため、読み方だけを日本的なものにする人が増えたのだそうだ。たとえば金城は方言で「かなぐすく」と呼ぶが、これを「きんじょう」に読み替えたのである。 というように沖縄の姓は数奇な運命をたどりながら、現在に至っている。 ![]() |
[石敢當] |
沖縄には、路地の曲がり角や突き当たりに、見慣れぬ文字を刻んだ石碑が点在する。それには「石敢當」と刻まれていて、邪気が街や屋敷に入らない様に、魔除けの役割を持ち、T字路や三叉路、十字路の片隅など突き当たりの部分に立てられている。 その理由は、邪気が光と同じくまっすぐ進むから、その前方を「払う」ためだという。 |
[中国の石敢當と名前の由来] |
中国で最初の石敢當は770年に、福建省甫田(ほでん)県の知事が立てたものといわれている。その目的は、地域の防災、経済発展、人々の幸福や礼楽の振興などであった。今日言われているような魔除けの目的で立てられるようになったのは14世紀あたりからだといわれている。 石の正面には「石敢當」(いしがんとう、せきがんとう)と刻むのが普通であり。名前の由来に定説はない。最近まで石敢當を中国古代の英雄の名から付けられたと説明されているが、定かでない。正式には「泰山石敢當」と刻むのが正しいようだ。と言うのも泰山は山東省に存在する山で、中国国民の信仰の対象である五岳の中の第一の山である。昔から人々は泰山の石を魔除けにした習慣があった。石に泰山と刻んで魔除けの役割をもたせたという。 「敢當」というのは、勇気をもって悪魔と戦うの意味だから、素直に読めば、「泰山の石をもって魔除けの役割を持たせた」と理解できる。いつのまにか泰山がなくなったので、英雄の名前などと間違った解釈が流布したのだろう。 |
[沖縄の石敢當の始まり] |
沖縄で最も古い石敢當は、久米島、具志川村西銘の石敢當で1733年の建立である。土地の旧家である上江洲家の路地の突き当たりに立てられている。 離島では、塀の上にシャコ貝をのせ邪気払いとするが、その下に石敢當を立てることがある。 このように沖縄の古くから伝わる邪気払いの作法と中国から伝来した石敢當伝説がなんの疑いもなく受入れられて、街のアクセントとなっている。 ![]() |
[かりゆしウェア] |
沖縄式ビジネスシャツ兼省エネルックである。 1970年、沖縄県観光連盟が沖縄観光のイメージアップのために作ったのがはじまり。 1995年、「沖縄県観光立県宣言」で、かりゆしウェアの普及を目指したのを皮切りに、県職員や 観光・旅行業等の夏のユニフォームに採用。 2000年、サミット開催を受けて、かりゆしウェア熱はヒートアップした。郵便局、役場、銀行、泡盛醸造メーカー、土産物店、一般企業、はたまた県知事、市町村長、社長、受付嬢まで着るようになる。毎日かりゆしウェアとまではいかない企業でも毎週金曜に“カジュアルフライデー”ならぬ“トロピカルデー”を設け、かりゆしウェアを着用している。 出歩く仕事の営業さんもこの季節はスーツにネクタイなんて格好はナシ! かりゆしウェア着用は推奨、イヤ、義務と言っても過言ではない。しかし半袖シャツとは言っても、あくまでもかりゆしウェアは正装であることをお忘れなく。 |
[定義] |
沖縄らしい柄の布地を開襟シャツ等に仕立てたものならば、一応かりゆしウェアを名乗れるのだが、沖縄県ではアロハシャツや輸入シャツと区別するために、以下の定義を設けている。 (1)沖縄で縫製されたものであること。 (2)沖縄の観光をアピールするような柄であること。 この定義は2000年に改訂されたものなのだが、それ以前の定義では条件が多すぎて、すべての条件を満たすものと言うと、どうしても伝統工芸の紅型やミンサー織の柄に片寄ってしまったのだそうだ。それが定義を緩めることで色や柄がとても豊富になり、毎年斬新な新作が誕生するようになった。去年の柄はハイビスカスにヤシの木・ヤンバルクイナ・・・ちなみに一番人気はゴーヤ柄であった。今年はパイナップル柄に人気があるらしい。私のお気に入りは、美しい黄緑のサトウキビ染め、かりゆしウェアである。 ![]() |
[カチャーシー] |
沖縄に住む者なら、絶対一度は経験するカチャーシー。 語源は、「かき混ぜる」らしいです。宴の場面、三線が響き出せば当然出てくるのがカチャーシー。結婚式、宴会、カラオケ、お祭りにはなくてはならない、沖縄を代表する手踊りです。 カチャーシーは宴のしめに参加者全員で踊ることがほとんどで、早いリズムの沖縄民謡が奏でられ、それにあわせて皆が踊る。語源とおり、人々が入り乱れて踊る様は、まさにカチャーシー「ごちゃ混ぜ」なのです。 カチャーシーの踊りは年寄りにはかなわない! カチャーシーに上手い下手はない。しかし、カチャーシー上手といわれる人がいます。手の動き、腕の動き、リズムの刻み方、表情に、その人の「味」が出ていると“上手い!”と言われるわけです。若いころから踊り込んでいる、オバァの神々しいカチャーシーは真似できないし、かなうわけがありませんね〜。 私が気を付けて踊っている点は、次の3つです。 @ 肘を肩より下げない。 A 肘を張り、大きく踊る。 B 自分が一番上手いと思う。 C とにかく笑う! 何度も踊りなさい。上手な人の真似をしなさい! そうすることにより、いつの日か神々しい踊り方になるのです。きっと・・・ ![]() |
[ジョウトウ] |
ジョウトウは「上等」のことで、「すばらしい」、「すごくいい」という意味です。 普通は「物」に対して使われる言葉ですが、沖縄ではそれ以外にも使います。例えば・・・ 「あの子は性格ジョウトウよぉ〜」と言ったり 「今度、ビーチパーティーしようか」といえば「ジョウトウさぁね〜」と答える。 というように「いいんじゃない、いいよー」という意味でも使われます。対象は物だけではなく世代や男女にも関係なく沖縄では頻繁に使われ、よく耳にする言葉です。 またジョウトウには「気にしない」"Don't mind"という意味もあります。 友達が失敗したり、落ち込んでいるときに、「ジョウトウ、ジョウトウさぁー」と励ますことも あります。 心からジョウトウなこともあれば、軽く「いいんじゃない」の意味でも幅広く使うのがウチナーンチュです。このような言葉を「ウチナー口」と言います。柔らかくて美しい「ウチナー口」とは古語も異文化も入り混じった、魅力ある不思議な言葉なのです。 |
[だからよ〜] |
ランクAレベルの難解なウチナー口です。「そうだよね」という同意語にも使いますが、 沖縄では「ごもっとも」「そうらしいね」と開き直る場合に使うケースがよくあります。 「今日は良い天気だねぇー」「だからよ〜」 「なんでエラーするかー」「だからよ〜」 「ヤー、かわいいイナグ連れて何処に行くわけ?」「だからよ〜」 「お前だからよ〜だからよ〜ってうるさい!」「だからよ〜」 「だからよ〜」って言われたら、それ以上は追求しない。こんな約束があるの?と思えるくらい便利な言葉です。 |
[ビーチパーティー] |
海だー!じゃー泳ぐ?NO−!ウチナーンチュは「ビーチパーティー」するのが定番! 沖縄の最もポピュラーな夏の遊び「ビーチパーティー」。県外でビーチパーティーと言ってもピンとこないでしょうが、海でBBQをして皆で酒を飲みながら思う存分楽しむパーティーです。年配者はビーチパーリーと英語のように発音します。 ビーチパーティーは友人同士、親戚、職場仲間などいろいろな形態で行われます。だからビーチをぐるり見回すとファミリー単位というよりも、大所帯なのが特徴です。 |