注意! このページは既成の宗教・宗派の宣伝ページではありません。また、他のページの私の主義主張とも関係ありません。

はじめに

象頭の神さまというと、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか? おそらくヒンドゥーの神ガネーシャを思いつく方が多かろうと思いますが、このガネーシャをルーツにもった、非常にユニークな存在が秘仏として、この日本に受け継がれていることはご存知でしょうか?

この秘仏、名を歓喜聖天といいます。単に歓喜天、また聖天(せいてん、しょうてん、しょうでん)と呼ばれることもあります。めったにお目にかかれない理由は、その造形にあります。聖天さまは、双身、つまり二体でひとつの仏とされており、そのふたりが抱擁する姿として形取られているのです。しかも頭部は象です。

十年ぐらい前、今も続いている東京12チャンネルの「何でも鑑定団」というTV番組において、そうした秘仏の歓喜天が出品され、公開されました。講談社の月刊漫画雑誌「アフタヌーン」でもかつて連載されていた「ディスコミュニケーション」という漫画では、ストーリーにこの歓喜天が大きくかかわっています。ですから、どこかでこの秘仏をご覧になった方も、あるいはおられるかもしれませんね。

けれどそんな方たちの中にも、いったいこれが何なのか、さっぱり分からないという向きもあるんじゃないかと思います。そういったひとたちのために、歓喜天をやさしく紹介しよう、というのがこのページの主旨です。


歓喜天の由来

歓喜天は、ふたりでひとつの神様ですが、本当の神仏は一方、牙の折れた象頭の女神の方です。こちらは十一面観音の化身とされています。もう一方は神ではなく毘那夜迦王、むしろ魔物というべき存在でした。毘那夜迦王が疫病をはやらせ人々を苦しめているのをみて心を痛めた十一面観音が毘那夜迦王の前に現れた際、その毘那夜迦王と同じ姿に化けました。いっぺんでその女神を好きになってしまった毘那夜迦王。このふたつの生き物が抱擁する姿が、この仏法守護神たる歓喜天です。

この時十一面観音は、仏法の信仰と引き換えに、毘那夜迦王の欲望を鎮めましょう、と申し出たそうです。その申し出を受け入れた毘那夜迦王が十一面観音との抱擁の中で自らの欲望を堪能し、また仏法のすばらしさに感じ入る様子から、この仏像を歓喜天と称するようになったようです。

「欲望を鎮める」という表現には、はっきりいってかなり性的なニュアンスが含まれています。それを神聖なる仏の姿になぞらえるうえで、せいいっぱいソフィスティケイトしたのがこの「抱擁像」という造形だと思われます。

私がこの歓喜天に惹かれているのは、そうした性的なおおらかさのためでもあります。ガネーシャと同じ象頭ということも含めると、当然ここにはインドのタントリズムの影響も感じとれますし、陰陽の和合といった思想にも通底します。

が、それ以上に私は「より高みにあるものが、より低きもののために自らの姿を変える」という歓喜天の性格がとても好きなのです。もともと観音菩薩は、そういう仏様なのですが、それでもまだ、普通のひとたちにとってはちょっと敷居が高い存在です。悟るのを先に延ばして私たちを救ってくれるといったって、やはりその神々しいお姿を見ていると、「ああ、自分とは別世界の存在だ」と(当たり前ですが)感じられてしまいます。

けれどこの歓喜天は、象の頭の魔物と同じ姿に変わり、その魔物の欲望をかなえてくれようというのですから、これほど親しみを感じさせる神仏は、私にとっては他にいません。さらに言うなら、象の頭の姿を示すことで、歓喜天はこの世界に生きているのが私たち人間だけではない、ということを考えさせてくれます。十一面観音が毘那夜迦王のために同じ姿になるということは、たとえば私たち人間が、自分たちより弱い生き物に対してどういう配慮をすればいいのか、ということについても、何か示唆する部分があるような気がしてなりません。


歓喜天のご利益・信仰の仕方

歓喜天は、霊験あらたかで、一心に祈れば必ず何らかの形で、奇跡的な救いの手が差し伸べられる、と言われています。ただ同時に、ひどく畏れ多い存在でもあり、いいかげんに信仰すると、バチが当たる、とも言われています。

多くの方は奉納寺院に通う形で歓喜天を信仰されているようですが、中には自分で聖天像を作り、供養しているひともけっこういるようです。『使呪法経』という書物にも「この像を作る功徳はお金には代えられない」と書かれています。
ただ、その供養自体が毎日行わなければならない、大変難しい儀式を必要とするため、それが続かなくなって、お寺に奉納してしまう人も多いです。実際、歓喜天を奉納しているお寺に行くと、たいていそういった厨子が多数安置されているのを見ることができます。信仰の対象として自分で聖天像を作るのは、安易には勧められないみたいです。


歓喜天を祀っている寺

歓喜天で有名なお寺はいくつかありますが、関東圏内では埼玉・妻沼観音と、浅草・待乳山聖天があります。
毎年四月には妻沼観音の大祭があります。かねてから行きたいと思っているのですが、まだその機会にめぐまれていません。残念です。
また関西では、奈良・生駒の宝山寺が有名です。

私はいずれ、有名で行くことができる聖天様の寺にはすべて行ってみたいと考えていますが、

まだまだ関東を中心にして、わずかなお寺・神社にお参りしただけです。

先は長い・・・。多くは聖天日記で更新していますので、そちらでご確認いただけます。

 ・印旛村の聖天(00年12月訪問・顛末は別ページ(bup.html)にて)

訪問にあたっては、原則として、事前にお寺にお知らせすることはしていません。できるだけ普通のひとと同じようなスタンスで訪れたい、という思いがあるからです。そのためお寺が閉まっていたり、住職不在で話ができないこともあります。またその性質上、秘仏であることも多く、お姿を拝することもできない場合が多いです。

都内・できれば関東近県の聖天奉納寺院はすべて制覇したいと思ってますが、まだまだ、全然先は長いみたいです。


全国歓喜天所在リスト

現在までの情報をもとにして、全国の聖天奉納寺社の一覧を提供しています。まだ未熟な部分が多いですが、全国の方からいただいたデータをもとに、随時充実させています。
もし歓喜天とその信仰にご興味を持たれたのなら、是非参考になさってください。学究的な興味の展開にも、きっとお役に立てると思います。

リストは東日本編(ichiran_e.html)西日本編(ichiran_w.html)があります。


その他

リンク

  歓喜天にかんするリンクです。まだ工事中。


調査日記

  東日本編の寺を調査・訪問した時の覚え書きです。

掲示板

  掲示板作りました。


今後の予定

このページの原型は、1995年に開始しました。それ以来、色々な方からメールなどで情報を頂いています。上記のリストも、こうした方たちのおかげですし、そもそもそういうリアクションがなければ、こんなに長く続けられなかったと思います。
そんなわけで、こういった方々への感謝は常に頭に置いていますし、またページの随所に記しています(もしなかったら、ごめんなさい。遠慮なく教えてくださいね)。
また、歓喜天リストについても、情報の確認はもちろんですが、いずれはもっと有用な形へと改良していきたいと思ってます。
たとえば、理想としては訪問した寺や、情報ととともに画像を寄せていただいた寺にかんしては、このリストから閲覧できるようにしたいし、中にはウェブページをもっている寺もあるので、それらにリンクを貼ったりもしてみたい。そうやって、徐々に改良していきたいと考えています。

上にも書いた通り、この聖天リストはまだまだ作成の途中ですし、この聖天ページについても、色々と間違いとか、不備があるかもしれません。そういった正誤にかんする情報や、各地の聖天にかんする情報は、常にとてもありがたくいただいています(特に間違いについては、怠慢な私ではありますが、できるだけ速やかに訂正するよう心がけていますので、是非お知らせください)。何かご存知の方がいましたら、是非ご一報ください。もちろん、ページについてのご感想は大歓迎です。
メールアドレスはkwau@sakura.email.ne.jpです。

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