印旛村の聖天 


 

目次

はじめに12月6日12月17日

はじめに

先日訪ねた松虫寺のウェブページに書込んだ内容をみて、印旛村の方がメールをくれた。
いわく、印旛村にも聖天の祠がある、とのこと。さっそくその場所を確認しようと、暇を作って印旛村に出かけた。


12月6日最初の訪問

印旛沼の聖天は、岩戸という地区の、その名も聖天という小字にあるそうだ。ちょっと距離はあるが、自転車で出かけることにした。
家を出てから三十分ほど走って岩戸に着くと、バス停の前に小さな祠がある。銘は擦り切れていて読めず。岩戸は広いので、小字の場所を村役場でたずねた。大きな地図を出してもらって、場所を確認。ここで始めて「聖天」を「しょうでん」と読むことが分かった。
そのあたりをぐるぐる回った。かなり細い山道も調べたのだが見つからず。もう少し詳しい所在を聞いてから、再訪することにした。

それにしてもこのあたりには道祖神や古い石碑がいっぱいある。全部所縁を調べていったら、どのぐらい時間がかかるのだろう。

その日の夕方、情報をよせてくれた方(大野さん)に再度メールを送ると、行きかたは説明できないので、案内してくれるとのこと。あまりのご好意に感謝。17日に待ち合わせして、現地に向かうことになった。


12月17日再訪

先日通り過ぎたバス停の前で待ち合わせ、大野さんの案内で、いざ聖天へ。事前に聞いていたが、本当に林の中だった。最近はお参りするひとも少ないため、道がなくなっているという。鎌で大野さんが切り開いた道を進んで行った。
くぼんで木があまり生えていない場所があるが、そこはちょっと前まで池のように水が溜まっていた所だという。なるほど、歩くたびに足がずぶずぶと沈む。土が軟弱なのだった。底無し沼じゃなかろうな、とおっかなびっくりで歩いていく。
このあたりは、枯葉が一面に幾重にも折り重なって敷きつめられていて、土があまり見えない。後で妻が言った。
まるで「ブレア・ウイッチ」のようだった、と。
あの映画は見たことがないが、なるほど、こういう森だったのか、それじゃ怖いだろうな、と思った。ことに、夜は大変恐ろしい場所になりそうだ。とにかく、そういうめったに来たことのないような道なき道を進んでいった。なぜか、鳥や小動物の姿も見えず、ひっそりと静まり返っている。
大野さんたちが「このあたりだ」と見当をつけたあたりを探す。どこまでいっても同じような風景で、すでに私の方向感覚は狂っていたから、二人がなぜこのあたりだと分かるのか、感心した。が、それでも目当ての石碑は見つからない。大野さんと同行のご老人は、離れた場所を探している。ここでふたりとはぐれたら、絶対迷子になってしまうだろうと思った。
その元「水溜り」の場所であたりを見渡して考えた。ここが水溜りなら、ここに石碑があるわけはない。この上の山側か、下の方かということになる。下の方は、今大野さんが探しているのだから、自分としては上の山側の方を探してみようと思った。で、そのくぼ地から上に上り、あちこち見まわした。自然のもの以外、何も見つからない。倒れた木、湿った枯葉、木の株。地面に目をやっても、何も見つからない。
ふと、枯れて倒れた木の根元に何かがあるのに気づいた。長方形の石。これだろうかとみんなを呼んだ。
果たして、聖天だった。たぶん枯れ木がぶつかったのだろう、石碑は根元から折れていて、そのまま横倒しになっていたのだ。ただでさえ小さい祠だから、これでは見つからなかったのも無理はない。さっそくみんなで枯れ木を取り除き、石を立てて、汚れをとったり、あたりの落ち葉を取り除いて、少しきれいにした。
そうして、ようやく落ち着いてを眺めた。銘はかすれていて読みにくいが、四文字あって、その真中の二文字が「聖」「天」と読める。側部には作られた年号らしきものが彫られているが、こっちはまるで読めない。無理に読むと寛政二年、かな。自信がない。お賽銭がいくらかあって、もうさびていたが、10円玉には昭和51年とある。それ以来人が来ていないとすると、かなり長いこと放置されていたということになる。断定はできないが、道が完全になくなっているところからしても、そのぐらいの年月は気づかれないままだったとしてもありえない話ではない。現に大野さんもここに来るのは二十年ぶりぐらいだ、と言っていたし。
もう少し周りを整理して、かなりすっきりしたところで、手をあわせて、また写真を撮った。しばらくしてその場所を後にした。
周りの枯れ木は多少整理したから、もう倒木で祠が倒れたりすることはないだろうと思うが、本当はちゃんと道も整理して、きれいにした方がいいんだろうな。今度ここに誰かが来るのは、また二十年先のことになるのだろうか。まさかそんなことはないだろう、と思いたいものだ。