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「運命」は、余りにも有名な名曲中の名曲だ。シンフォニーの王者であり、多くの人がこの曲からクラシック音楽に親しみ始めたのではないだろうか。(わき道) 名曲「運命」は、金大フィル創設以来のメインレパートリーだった。1952年の第4回定期演奏会に初登場以来、50−60年代に合計4回演奏している。この時代は、ベートーヴェンのシンフォニーを順次演奏していったので、演奏頻度としてはさほどでもない。詳細は、表をご覧頂こう。演奏旅行などでも演奏しているだろうから、実際には、はるかに多く演奏機会があっただろう。録音などは、当然残っていないはずであるから、演奏はもう想像するだけである。でも、いつかどこかから出てこないかなと思っている。もしもオープンリールテープでもお持ちの方は、御一報いただきたい。 音の記録を辿ることが出来る「運命」は、79年の第4回サマーコンサートが最初のものである。前回より12年ぶりの久々の5度目の「運命」だった。金大フィルのサマーコンサートは、74年からスタートして、一時何らかの理由で中断されたものの、78年に再開した。以後、年2回の演奏会の内の一つという位置付けで、既に25回を数えている。5度目のこの「運命」は、OBである河原啓一氏の指揮で行われた。年2回の演奏会のシステムが確立してきた時期だ。この頃から、現在のトレーナー陣も顔をそろえて、組織、運営も安定化し、金大フィルは北陸の音楽界の顔として羽ばたいて行く。 次の6度目の「運命」は、85年の第10回のサマーコンサートだ。この6年間に、4人のプロ指揮が金大フィルを振った。団員数は150人を超えるまでに増加し、実力もアップしたはずだが演奏はどうだろうか?この演奏会の直後に、この「運命」を引き下げて、京大との2回目の合演に臨んでいる。指揮者は、森田正秀氏から、松浦正純氏に変わっている。両者の演奏は、微妙に異なっている。この年の定演が、チャイコフスキーの5番であった。 「運命」は、名曲だけにオーケストラの演奏が上手でなくても、音楽自体が持つ力で、聴衆に感動をもたらしてくれる。しかし、アマチュアの運命は一人よがりの熱演になってしまう危険もはらんでいる。曲は自ずと盛り上がるように上手く出来ているから、オーバーヒートしてしまって、音が汚れて、アンサンブルも興奮に流れてしまいがちだ。しかし、ここで、踏みとどまって精緻さと熱っぽさを兼ね備えた演奏をするのが、重要な課題である。自分も、これまで3つのアマオケで3つの異なった運命を演奏したのだが、どれも100%これで良いというのははない。 この曲は意外にTbが重要な役割を担っている。想い出深いのは、金沢にオットマール・スイトナー、ベルリン国立歌劇場管弦楽団と来て、「田園」と「運命」を演奏したときのこと。両方とも素晴らしい演奏で、感激したが、特に金管とティンパニーがどんな役割を担うべきなのかを強く印象付けられた。 ベートーヴェンの楽譜に多数書き込んであるsf、スフォルツアンドの演奏法である。そして、忘れられないのは、「運命」の第4楽章の再現部後のクライマックス。オケ全員が和音とトレモロだけになって、第1Tbがハ長調に解決してくれる部分(290-294小節)。第1Tb奏者の顔が2,3小節の間に、見る見る真っ赤になった。そして、和音が解決した後に、顔色は白く戻った。 「運命」の実演で、視覚的な変化を楽しめたのは後にも先にもこの時だけだ。しかし、音楽はこのTbで確実に火がついた。背筋に電気が走り、全身の毛が逆立った。音力で押しまくることなく、興奮させられた。プロのTb演奏者の違いを思い知った。 この体験以後、必ずこの部分を注目して聴く習性がつき、この部分の演奏如何で、演奏全体の印象が決定してしまう。(わき道) 次の7度目の「運命」は89年第14回サマーコンサートである。これは、牛島恒太郎氏が指揮をした。「運命」が演奏されるときは、多くの場合、いわゆる名曲が組み合わされるようである。この時は、「ウインザーの陽気な女房達」と、「シルヴィア」だった。この頃から、どういう理由からか、サマーコンサートは1ヶ月早まって、5月下旬に開始されるようになっている。何か止むを得ない理由があってのことだろうが、コンサートの出来映えだけを考えれば、完成度を上げる点で無理が生じたのではないだろうか。この年の定演は、マーラーの5番だった。 90年代に入ると、少し間を置いて、8度目の演奏は95年、第20回サマーコンサートとなる。同時演奏は、「ペールギュント」第1組曲と「ナブッコ」序曲。指揮は、藤田淳氏。 最新の9度目の「運命」は、99年、金沢市文化ホールにて第24回サマーコンサートだ。この時は、文化ホールでの演奏と言うことからもわかるが、団員数がかなり減少している状態だった。90年代後半になって、なぜこうなってきたのか、少し調べてみようと思う。実演を聴くことが出来たが、課題はあっても、よくまとまっていたと記憶している。 番外の「運命」は、2000年の京大の合演における演奏だ。とてもアマチュアとは思えない、精緻な演奏で、弦楽器の細かい音符が克明に弾き込まれて、運命が音の建造物であることを再認識、木管の澄んだハーモニーなど、特筆ものだった。
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