金光教教団史覚書

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神道事務局

(しんとうじむきよく)

 神道教導職の統括・連絡を行なう事務機関として、1875年(明治8)3月に設置された。そもそも明治新政府は、惟神ノ道〈天皇が、現人神として統治するという信仰〉を流布し国民を教化する目的で、1872年(明治5)11月に教導職制度を設け、「三条の教則」をかかげて神仏合同の布教を施行したが、信仰の自由を唱える佛教徒の主張もあって、1874年(明治7)3月に神道と仏教の各派とに管長を置いて分離することになった。神官並びに神道教導職は、その翌年に神道管長のもとで神道事務局を組織した。1876年(明治9)10月には神道黒住教と神道修成派が神道事務局から別立し、翌1877年(明治10)1月に宗教取締りの政府機関であった教部省が廃止され、教導職制度もなくなった。したがって神道事務局は、民間の神道教導職の事務的組織となった。

 1882年(明治15)1月に神官は国家の宗祀たる神社に奉仕する官吏であるとの理由で、教導職の兼職を禁止され、葬儀等に関することも出来ぬことになった。その結果、神社付属の講社・教導職は独立の教派を組織し、神道事務局の規模は著しく縮小したのである。1884年(明治17)8月11日、太政官布達第十九号に基づき、1886年(明治19)1月11日付けで神道事務局は「神道」という管長統理の独立の一教派となった。現在の「神道大教」の前身である。             


 参照事項 ⇒ 教団創設運動  神道金光教会  独立請願運動