金光教教団史覚書

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神誡正伝

(しんかいせいでん)

 この書籍は、正式には『金光教祖神誡正伝』と称するが、金光教独立当初に制定された「金光教教規」の第三条に、本教の教義の所依として掲げられた名称には『神誡正伝』とあるので、一般に略してこのように云う。その初版は、1900年(明治33)10月1日印刷、同年10月10日発行で、著者兼発行人は金光大陣となっている。しかし巻頭の扉には金光教管長金光大陣と故教監金光貫行の共著と記され、巻末の付記にも両人の共著である旨が述べられている。書籍の装丁は、美濃版和綴で本文26丁(52ペ−ジ)である。

 『神誡正伝』は、教祖金光大神が金光萩雄(後の金光大陣)と佐藤範雄とに書き留めさせた遺訓のうち、金光教会創設の際に12ヵ条を選び、「神道金光教会規約」に第四章 「遺教」として、最初に公表された信条についての教派の公式な解釈を記述したもので、1941年(昭和16)3月31日に宗教団体法に依る「金光教教規」が新定されるまで、本教の教義の所依とされていたのである。因みに、その序言と例言を次にかかげる。

  神誡正伝序言(原文は変体仮名であるが、ひら仮名で記す)

 道に大小あり教に正邪あり道義漸く衰へ異端盛に赴きて世俗滔々として邪径

 に趨き復大道を行く者なし恐るへきかな悲しむへきか那こゝに我か教祖は信

 神の一念によりて天地の真理を感得し顕幽感通の道を得て神慮の随真道の心

 得拾又二条を伝へらる其中には個人の安心立命も国家の教義道徳もみなから

 に備はれは教祖はこれを準縄として三十余年終始一日の如く報國救世の大目

 的を以て人世大道の本源を説破せられたり実に仰くへく学むへし如何にせん

 神誡の文語簡にし事旨深し誰か能くその蘊奥を窺はん余等幸に膝下にありて

 親しく其教を聞きしを以て不才自ら揣らいこゝにその正伝を瓣し普く世人に

 向ひて恩賚の一斑を分たんとすこは早く明治十九年の夏起稿せしが当時教会

 の組織未だ全備せす教務蝟集して遂に完成に到らさりしをいつまてかくてあ

 るへきに非ずと身を清め心を静め今や漸く其稿を終へ名つくるに神誡正伝を

 以てす本書もはら正伝を明むるを主として力を字句の彫磨に致さす求むると

 ころは正大の真道を明にして聊か教祖の遺志を紹かんとおもふのみよし其用

 語は拙くとも見聞人其誠意を諒とせよと云爾

 因にいふ本書を著はす時終始参助の任にあたられしは教祖の教子佐藤範雄主

 なり

  明治二十二年四月

                   著者識す

 

    眞道乃心得(信條)

 一 神國の人に生れて神と皇上との大恩を知らぬ事

 一 天の恩を知りて地の恩を知らぬ事

 一 幼少の時を忘れて親に不孝の事

 一 眞の道に居なから眞の道を履ぬ事

 一 口に眞を語りつゝ心に眞の無き事

 一 我身の苦難を知なから人の身の苦難を知らぬ事

 一 腹立ば心の鏡のくもる事

 一 吾心の角て我身を討つ事

 一 人の不行状を見て我身の不行状になる事

 一 物毎に時節を待ず苦をする事

 一 壮健な時家業を疎にし物毎に驕る事

 一 信心する人の眞の信心なき事

 

    例 言

 〇巻頭に信条の各条を掲げたるは開巻と共に読者をして正伝に入るの便あら

  しめんが為なり

 〇信条には巻頭にみゆるが如く条目の号はなかりしが正伝をものするにあた

  りて読者に便せんが為に著者が特に附したるなり

 〇信条は普通の文章としては其意大方は通じ難く(例ば皇上をカミと訓むが

  如し)且文の体をなさヾる處もありされど今事を私に改めむは却々にさか

  しらごとゝ思へば教祖より伝へ来りのまゝに仮名を付して神意を違へざら

  んことをつとめたり

 〇信条と正伝とを見別け易からん為に文字に大小を用いたり而して其細註を

  施しゝは尚正伝の神意を悟り易からしめんとなりされど其中にも正伝その

  まゝを記せれば読者そを心せよ

以上の記述があつて、第一条から第十二条までの各信条について、正伝本文が解説されている。次にその本文を掲げる。但しここでは、その本文中の注釈文は割愛する。  

         第壱条

  神國の人に生れて神と皇上との大恩を知らぬ事

 本条の正伝は我が国は神国にして我が国の人人は皆神孫なれば此く尊き皇国

 に生れ来れる人は一日も此の神国の有り難き御恩を知らずてはあるべからざ

 る者なりとなり(註釈略)皇上とは天皇陛下の御事なり(註釈略)凡そ我が

 皇国に生れ出でる人は皇恩を戴かずては一日一夜も此国に住居する事能はず

 殊に我が皇国の皇上様は吾々人民を眞の赤子の如く御思召されて厚く御仁愛

 なし給はることなれば其皇恩は我産血を分けたる親の恩と同様なることいふ

 も更なり(註釈略)然れば我神は國の祖所謂人類の祖先なり亦天皇陛下は皇

 国に生るゝ人の皆大父母様と仰ぎ奉るべきものなれば(註釈略)皇国の人と

 ある限りは神と皇上との大恩を片時も忘却ては相済まざる者と心得べし(註

 釈略)故に皇国の人として神と皇上との大恩を知らざらんは人にして人に非

 ざる所以を早く世上に知らしめん為に我が教祖は眞道の心得第一条に本条を

 載せて神誡せられしなり

         第弐条

  天の恩を知りて地の恩を知らぬ事

 本条の正伝は凡そ人として天恩を知らざる者はなかるべけれども吾人が住む

 處の大地の恩を知らざる者あり天の恩を知りて地の恩を知らざるは父あるを

 知りて母あるを知らざるが如し天地は元来父母の如く天は物を恵み地は物を

 生ず此の天地の大理によりて万物悉く生化づる者なり(註釈⇒別掲)吾人人

 類の此世に生存るゝや其の神身共に天地の大徳に因らざるはなし故に又教祖

 の教諭に生きても死にても天と地とは吾住家と思へよ天にまかせよ地にすが

 れよと諭されたり此意をよくよ了得べきなりかくも御恩深き大神の主宰ます

 大天地に住みながら此大恩をも知らずして世を過ごしぬるは恐れ多き殊ぞか

 し何国の人なりとも一度此世に生れ出でゝは生くるも死ぬるも共に天地を離

 れて何れにか往て住む處のあるべき此の故に人たる者は天恩地恩のあるを知

 らざれば斯身あるを知りて其本源を知らず又其終を知らざる者たるべしと本

 条は神誡せられしなり(註釈略)

         第参条

  幼少の時を忘れて親に不孝の事

 本条の正伝は凡そ人は母の体内にやどりたるより産れ出でて人と成る迄父母

 の養育の恩を受くることは山よりも高く海よりも深し其大恩に報ゆる人の少

 きは如何なる理由ぞと云ふに皆己れの幼少の時を忘るればなりさればよくこ

 ゝに心を附けて己れ独り生れながらにしては此の身の世にあられぬ事を思ふ

 べし又人に目口を附けるとも云ひて親に継ぎて我等を教へ導きたる師の大恩

 をも忘るべからず(註釈略)然るを人々此処に心を留めず成長するま随に幼

 少の生立を忘れて父の恩の高き山をもくずし母の恩の深き海をもうづめてひ

 たすら我儘なる挙動をなすものあり之れに連れて漸次々々物の道理を知れば

 師の大恩をもおもはず又斯道の信者は道を了解り次第に教へ導かれたる幼稚

 の時を忘れて教祖よりも先生よりも我尊し我かしこしと思ひさばかり広き道

 を踏み外して起き立たん術を知らざる者あり能々謹むべきことなり此のゆえ

 に教祖は人としては片時も忘るべからざる報本反始の道の大義を本条に於て

 神誡せられしなり

         第四条

  眞の道に居ながら眞の道を履ぬ事

 本条の正伝は我信者たる人の斯の眞道の行を過たず正しき道を履迷はざる様

 にとて誡められたるものなり(註釈略)扨眞の道を履めと云ふは大きにむづ

 かしき事の様に思ふ人もあらめと眞の道とて一種異様なる道あるにはあらず

 此の道の教を克く遵りて人の履むべき道を履み人の努むべき事を努め行へと

 いふばかりなり(註釈略)然れば眞正の信者たらん人は眞の道を履むと云ふ

 事を能く心得べし故に教祖は信心する人は何事にも信心になれよと教諭せら

 れたり其の何事にも信心になれよとは万事万行誠の心即ち正直を取外すなと

 の意味なり信者たる人は此の意を心として眞の道を履誤らず神の賜なる我が

 眞の権利を自ら失ふなかれと本条は神誡せられしなり

         第五条

  口に眞を語りつゝ心に眞のなき事

 本条の正伝は人やゝもすれば口には正しく立派に云飾りつゝ其の精神はもり

 穢れて口と心と違ひ人を偽り罪を犯し其の罪の積りて遂に災を招くものあり

 恐るべきは口と心となり故に教祖は心で憎で口で愛すなよとも諭されたり

 (註釈略)すべて人は眞と云ふ天下に敵無き本心の鏡に照し見て口と心とを

 違ふるが如き陰悪の所為をなすべからずと本条は神誡せられしなり

         第六条

  我身の苦難を知りながら人の身の苦難を知らぬ事

 本条の正伝は貴賤上下賢愚の別なく人の身の上には苦難と云ふ枉事あり(註

 釈略)我身に苦と思ふ事は人の身にも苦なり我身に難と思ふ事は誰が身にも

 難なれば我身の災害に遇ひたる時の苦難を忘れず人の身の苦難に遇ひたる時

 は我身にありし苦難を憶ひて思ひやりの心あるべし諺に今日は他人事明日は

 我事とぞ云ふ如何にも世の中の有様は此くの如し然るを世の人は今日の他人

 の苦難をば空吹く風に聞過して明日又我身に廻り来るものとは知らず我身其

 苦難に出逢はざる中は人の苦難も知らざるが如しすべて人を恵まざれば人に

 恵まるべき理なく人を助けざれば人に助けらるべき道理もなし今日悪の種子

 を蒔かば明日悪の芽の生え今日善の種子を蒔かば明日善の芽の生えんはこれ

 天然の道理なり故に人に善を恵まば善の蔭あり之れに引反へて悪を行はば悪

 の蔭あらんは之れ亦当然の理なり然れば我身我家の大切なる事を思はヾ又人

 の身人の家の大切なる事を思ひやるべし凡てこの社会は自身一己の為をのみ

 思ひて他人の為を思はざる時は一日も安寧に過ごす事能はず此の故に愛身愛

 家の心を以て他人に交際るべし若し此の道徳心を失ふ時は人にして人とはい

 ふべからずと本条は神誡せられしなり

         第七条

  腹立ば心の鏡のくもる事

 本条の正伝は心は常に大磐石の如く押鎮め事に触れ物にあたりて一旦の腹立

 に我本心を紊し悪しき心になることなかれとなり(註釈略)人には天地の神

 の分魂なる本心といふものあれば其の本心に於て必ず悪を嫌ひ善を好むは道

 理なり然るに腹を立つる時は覚えず悪事に移り易きは心の鏡忽ちくもりて本

 心が善悪の分別力を失ふが故なり(註釈略)かく一時の腹立より悪事を犯し

 て己れも苦しみ又他人をもくるしむる境界に立至るは恐るべきことなれば生

 死我行眞の道を失はざらん為にとてこゝに人たる者の最も大切なる鎮魂の大

 事を本条に於て神誡せられしなり

         第八条

  吾心の角で我身を討つ事

 本条の正伝は心は常に玉の如く圓く温和なる気分を持ちて我慢我欲と云ふ角

 を立つる事なかれとなり(註釈略)すべて人は我心に強情強欲と云ふ不埒者

 の芽を出ださぬ様心がくべし教祖の教諭に要心せよ我心の鬼が我身を責める

 ぞと諭されたるが如く如何にも要心すべきは我心なり己れは正実心なるに人

 もし角を立て其の角にて我身のきずを負ふことあらんも其のきずは痛むに足

 らず己れの内に疚しき事なくて人の心の角によりてのきずなれば其の傷は真

 理によりて癒ゆべければなり然れども若し我心に角ありて其の角にてきずを

 負ひたる時は其の傷は癒ゆること能はざるべし(註釈略)然れば人たる者は

 己が心の角にて己が身を亡ぼすことなかれと本条は神誡せられしなり

         第九条

  人の不行状を見て我身の不行状になる事

 本条の正伝は人としては行状程重要なる者はなし行状の如何によりて身を立

 るもあり身を落すもあり然るに我身の行状は我身に最よく知らるべくして却

 に知れ難き者なれば日常他人の行状を見て我身の行状を改むるに注意するが

 肝要なり(註釈略)扨誰人も皆神明の賜たる本心を有てれば人の行を見て彼

 の所行は善きか悪しきか我本心と相談をし自らの判断にて是は悪しき所行と

 考へ付きたる時は決して身に行はず速に之れを避くべし若し善き行為なりと

 考へたる時は直に進んで之れを行ふべし我本心には悪しき事と知りながら行

 ひ止まざる時は所謂神明も嫌ひ給ふ所の罪と云ひ穢と云ふ事になるぞかし 

 (註釈略)又教祖の教諭に若者は本心の柱に虫を入らせなよと諭されたり此

 の意を深く了得べし誠に不行状は本心の柱に虫の入りたるが如し此等の意味

 合を能く考へよ如何に信心と思ひて神明を祈念とも又拝礼とも行状の善悪に

 よりては御神意に応ふもあり応はざるもあらん心の柱の確かならぬにより不

 行状と云ふ見苦しきあだものの身に纏ひて人の人たる面目を失ふに至る事恐

 るべし慎むべし猶本条の深意を一言に約め示さんに行状の正しきは一身一家

 の宝物なり(註釈略)此宝物を不行状と云ふ者に奪はれて身を誤る事勿れ必

 ず本心に謹慎と云ふ錨を取外すべからずと本条は神誡せられしなり

         第拾条

  物毎に時節を待ず苦をする事

 本条の正伝は世の中の事は万事万端天地の道理の支配するものなれば時節々

 々に身を任せて時の到らぬに心を苦しむることなかれとなり(註釈略)譬へ

 ば如何に冬の寒さを厭ひて人力によりて春暖の日に遭遇んと思ふとも其は思

 ひて応はず為さんとして為すこと能はざる事なり此は時節を待たざる苦なれ

 ばなり然るに世の人往々事に順序あり物に自然の道理あることを思はずして

 冬なるに直ぐに張るの花を見んとし夏成るに直ぐに秋の月を拝せんとするが

 如きものあり此は時節知らずといふのほかなし(註釈略)此くと悟らば眞の

 神の道を知る者は天を怨まず地に不足を思はず一向天地任せに世を渡る心を

 もちて叶はぬ苦をせず役立たぬ心配をなさず吉きも悪しきも恵深き天地の神

 の神慮の随々広き眞の道を渡り往けよとて本条をば神誡せられしなり

         第拾壱条

  壮健な時家業を疎にし物毎に驕る事

 本条の正伝は人の身の上には疾病など云ふ不意の枉事ありて自分の家業のみ

 ならず他人の家業の妨をもなす事あるものなれば日常に是等に準備の心懸け

 をなすべしとなり之れ他の事にあらず壮健なる時によく家業を励みて物事に

 慢心を持たず身分相応をむねとして始末倹約するに在り(註釈略)教祖の教

 諭に信心してまめで家業を務めよ國の為なり君の為なりと諭しおかれたり我

 信者たる人は常に之を脳裏に留め平常物毎に過のなからんことを願ひ大難を

 小難に逃れ小難を無難に免かれ家業を励精き財産を求め一家独立の権力を伸

 張して余るを以て足らざるを補ひ互に助け行くべし是即ち國の為め天皇陛下

 の御為になる者なり(註釈略)勉強べきは家業なり心得べきは倹約なり教祖

 は本条を以て富国強兵の基本を神誡せられしなり

         第拾弐条

  信心する人の眞の信心なき事

 本条の正伝は世の信心する者を見るに手を拍ち頭を俯して拝み祈りすれば之

 れ則信心なりと心得或は願意の達せん時は三年の間日参すべし信者になるべ

 しなどいひて恰も雇人の年切約束の様なる所行をなすものあり又願立とて己

 が好きなる物を断ちて念ずる人もあり病苦災難にして人力の及ばぬ事等につ

 きて御霊験を戴けば此上なき広大千万の御神徳なりと云ひ此の世は神の世な

 れば生存中は神信心せねばならぬといひて信心する者もあり(註釈略)嗚呼

 大恩知り難く小恩は知り易しと云はんか此等の信心も信心の一つにはあれど

 も皆眞正の信心の広き道に入るべき門口なり此の信心より今一層進みて奥深

 き眞正の信心する處を討ぬるに{既に第弐条に現れたるがごとし}元来人の

 此の世に生るゝは皆天地の神明の御恩徳にて食物着物住家等の万物は悉く天

 の恵み地の生じ与へ給はりて寝ぬるも起くるも呼吸の息の活用まで天地の神

 理神徳によらざるはなしかくて其肉体や霊魂の帰所の末の世までも天地の神

 明の恩頼の外に出でゝは死にたる後霊魂の帰着もあらざるべしされば此の深

 理を取極めて小く浅き惑ひを去り疑ひの横雲を払ひて広き眞の大なる道の深

 理を覚るべし世の人此の広大無辺の深き神理を思ひ知らずして眼前に霊験の

 なき時は最早御神徳はなきぞとおもひ甚しきは神と云ふ者はありやなしやと

 かしこき神明に疑を起し迷ふ者もありこれ信心する人の眞の信心なきが故な

 り爰に又教祖の教諭に信心する人の眞正の神徳を知らぬ事と諭しおかれたり

 如何にも信心する人の眞の神徳を知らざるよりして眞正の信心に至らず又其

 の眞正の眞正の信心なきよりして眞正の神徳を得知らざるものなり信心する

 人々よくよく本条の意義を了解べし(註釈略)然れば信者たる人信心をなし

 つゝ安心立命の道を誤る事なかるべしと本条は神誡せられたる者ぞ信者たる

 者よ此の眞の道の心得の神誡拾弐箇条をかりそめに思ひて見過すなかれ

以上が正伝本文であるが、次に別枠の後書きが記されている。

                             

 第一条より第十二条に到るまで教祖正伝の意義を辯へたれども猶一言信心す

 る人の為に敬・拝・信の三義を辯へ述ぶべし凡そ信心する人の心得には敬神

 も神拝も信心も同一の義の様に思ふならん然れども其の敬と云ひ拝と云ひ信

 と云ふものを一々分くれば夫々其の旨意の別なるものあり

 抑敬とはゐやまひつゝしむの意義なり拝とは拝礼拝詞とて言に綾を尽し其の

 礼儀を正くし換言ば祭式作法の威儀を紊さず神事を執行するを云ふ也信とは

 信頼信心とて禮式作法等に心をよせず唯信じて疑はず他念なく一心を凝らし

 眞と云ふ一つを精神の眞底に留め此の顕世より幽世に一途に達せんとする一

 念之れ信なり然れば此敬・拝・信の三つが具はりたる上は此れに勝えたる事

 なし然れども此の三つの具はるはやすからぬものぞ希くは世の信者たる人此

 れ等の三義を誤らざらんことを  

                         男  萩雄

 明治廾二年四月          著者

                         男  貫行

なお巻末に「附記」があって、この書籍の出版刊行の時期の遅れた理由が記述されている。つまり明かに別派独立請願の為に、その参考資料として上梓されたことが知り得る。以下にかかげる。  

         附  記

 本伝はおのれ萩雄といひし頃今は此世になき人なる弟貫行と共にいたづきも

 のしけるなり其大旨は序言にもいへるが如し明治二十二年にははやう梓に上

 すべかりしをなほ障ることありて果さヾりきか丶りし程にひそかにうつし伝

 へしもやうやう出で来ぬと聞くに大方の誤謬を伝へむも本意なければ今はと

 て刷巻にものしつ若他に伝写のものあらばそは決なく彼の私に記せるものと

 思ひ定めてよ

 明治三十三年一月               著者金光大陣識す


 参照事項 ⇒ 神道金光教会規約 独立関係文書(金光教会質問要領) 教規・教則