ー身延山に運ばれた仁王像ー
今から700年ほど前、六浦に住み回船問屋を営んだ信仰心の篤い財力豊か
な商人の六浦(荒井)平次郎(法名妙法)の夢枕に仁王尊が現れ
“吾は称名寺の仁王だが改宗して身延山の守護神になりたい
おまえの力で何とか身延山に送り届けて欲しい”
とのお告げがありました。
平次郎はさっそく称名寺に“仁王像をゆずって欲しい”と頼みましたが
聞き入れて貰えません。そこで称名寺の住職が囲碁好きなことから仁王像
を賭けて勝負を挑み、みごと勝利をおさめ仁王像を担ぎ出し、それを三日
三晩歩きとおして身延山に納めました。
平次郎のこの力と信仰心に感心した身延山の住職は、彼にその健脚に相
応しい「日荷上人」の尊称を授けました。
仁王像を背負う平次郎(江戸名所図会)
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荒井の妙法
六浦平次郎は瀬戸・金龍院近くの荒井という地に邸があり、荒井
平次郎(法名妙法)ともいいました。今では国道16号線の下に埋ま
ってしまいましたが、荒井の地には戦前までここに井戸があり、
金沢七井の一つとして井戸底には「荒井妙法」の四字が刻んであり
、天気の良く澄んだ日には、かすかに見えたということです。
荒井妙法は六浦の上行寺や杉田の妙法寺を開き、日祐上人に深く
帰依して法華寺や身延山にも多額の寄付をするなど、非常に大き
な経済力を持ち、信仰の篤い人だったと伝えられています。 |
ー上行寺のカヤの木ー
日荷上人となった平次郎は金沢へ帰るとき身延山から杖がわりに持って
きたのが三本のカヤの木で一本は自宅の庭に、一本は杉田の妙法寺に、そ
してもう一本が上行寺に植えられたといいます。
上行寺のカヤの木は樹齢700年ともいわれ、横浜市の指定名木ともなって
おり、足に関係ある人々がここへワラジを奉納するようになったといわれ
ます。
カヤの木は碁盤の最高級材として知られることから称名寺の住職との賭
け碁伝説に結びつけられたのかも知れません。
このカヤの木の下には、六浦妙法の多宝塔式の墓が立っています。
上行寺のカヤの木
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