ー六右衛門の改心ー(光傳寺)


 六浦の浄土宗・光傳寺には享保15年(1730)に光傳寺12世の慧通住職が「光傳寺縁起」として
書き残した次のような話があります。
六右衛門の改心
 昔、六浦の地に長野六右衛門という恐れを知らぬ剛勇
の人がいて、各地を横行し、乗っている馬が疲れると、
他人の馬を奪っては次々に乗り捨てるという傍若無人
の男でした。
 ある朝、安房の国の白浜の海岸を騎馬で通り過ぎよう
とすると、乗っていた馬が急に身震いをして進まず、暗
がりの中に怪しく光るものが近寄ってきました。 六右
衛門は馬から飛び降りるや、その光るものを一太刀で
刺し、そのまま、その場を立ち去りました。
 翌朝、その場所に行ってみると前夜、暗闇で突き刺し
たのは阿弥陀さまの御首だったのです。六右衛門は恐
ろしさに身を震わせ前非を悔いて、御首を大切に抱え
て六浦に帰り、草庵を建て御首を安置し霊傳和尚を招
いて光傳寺を開きました。
 その後間もなく、夢のお告げにより、鎌倉の二階堂に
三尺二寸の仏体があることを知り、それを貰い受けて
御首を載せ、御本尊を整えたといいます。
 この御首は春日の作、御胴体は運慶の作だと伝えら
れています。



 
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本尊の阿弥陀如来(光傳寺本堂)
ーたけくらべの地蔵ー
「光傳寺縁起」の付録には当寺に安置する地蔵菩薩に
ついて次のように書かれています。
“地蔵の身の丈は六尺あり、むかし竹田という宮大工
が鎌倉から金沢称名寺へ仕事に通っていた。ここを通
るときは、いつもこの地蔵と自分の身長を比べたこと
から「たけくらべの地蔵」と呼ばれ親しまれていた”
 この地蔵菩薩像は、もと境内の地蔵堂に祀られてい
たもので、檜財の寄木造で高さは164pの等身大、頭部
の内部に書かれた墨書銘によると永仁2年(1294)に仏
師増慶らによって作られたもので、神奈川県の重要文
化財となっています。
 また本堂前には横浜市の指定名木「柏槇」の古木が枝
を広げています。

光傳寺(金沢区六浦)〔2013年10月・修理中〕