

わたしの仕事は老人ホームの介護職である。
老人ホームといってもマンションである。したがって健常者(ほんとに変な言い方だ)が多い。かれらは、人との接点を求めている。いや、渇望している。
うつぼとは、部屋の中でヘルパーの来訪や、隣近所の人間が通りかかるのを待ち構えているといったイメージなのだ。さてさて、それは真実かどうか――。
|日記1(勤務以前から丁稚あけまで 2003.March--June)|
|日記2(初夜勤・退職者続出の謎 2003.July--Sept)|
|日記4(最近の出来事 2004.Janu--)|
日記3
12月30日
1年の終わりに----そして来年は?
楽しかった。色いろとあったし、さまざまな人と出会うこともできた。確実に世界が広がった。反面、年甲斐もなく身体を苛めすぎたかな。膝は恒常的に痛い。頬も自分でもわかるほどこけた。止めていたタバコを吸い始めてしまったので、息が上がるのもそう遠くないだろう。
今日の夜勤が仕事納め。なにごともないことを道々の神仏に祈って行こう。
来年? そんな遠い未来のことなどわかるはずもないなどとうそぶいてもはじまらない。
確実なのは、今とは違った地平に立っているだろうということ。では、また。
12月26日
最悪のクリスマスイブ
イブは夜勤だった。担当は居室巡回だ。出だしからなんだかいつもと違っていた。最初の巡回19時のときもいつになく上下左右に走りまわっていて、なんでこんなに走っているの? という感じだった。
そして20時半過ぎにスタートの号砲(携帯)が鳴った。
夜勤の相方(介護室担当)が電話の向こうで叫んでいる。Hさんがベッドから脱出して転倒しているとのこと。駆けつけると、下半身はオムツだけの姿で、にたにた笑いを浮かべたHさんが床に伸している。足が痛いという。プックリと腫れてもいる。痛いという。
すぐに応援の人を呼んで、相方が運転する車で救急病院へ。骨折もなく幸いにして2時間ほどで帰って来た。
そして、日付けが変わった一時過ぎ、仮眠に入る前に事務所で記録をつけていると、外線が入った。警備宿直が取ると相方だ。
電話を代わる。
介護室のSさんが喘息が収まらないという。駆けつけると酸素マスクをつけているSさんがベッドに苦しそうに座っている。
ナースに電話してもつながらない。かかりつけの病院に電話を入れて医師の指示を仰ぐ。搬送しないさいというので、救急車要請。かくしてSさんは病院へ行った。幸い入院には至らないものの、今度は迎えに行かなくてはならない。またもや同僚に電話して(夜中の3時だ!!)出てきてもらえるか頼む。電話口に出た同僚に「飲んでない?」と聞く。
4時の巡回が終わった頃、同僚の運転する車でSさんは帰って来た。
次に救急搬送するとすれば、夜勤をやっている自分たちだ、などと思いつつ、あともう少しで夜勤が終わる8時過ぎ、食事中だったHさんが意識を失った。声かけにも反応があったりなかったり、ベッドに寝かしても常態は変わらず血圧も乱高下。かくして三度目の救急搬送だ!! もうどうにでもなれ!! という感じ。
日勤者への朝の申し送りが終わった頃、Hさんはチェシャ猫のようなニタニタ笑いを浮かべて無事生還され、人生最悪のクリスマスイブは終わったのだった。
12月13日
笑顔の上司
おかしいなぁー。妙に笑顔が優しいのだよ。前日に辞表を出した人がいるはずなのに----。
そりゃ、上司にとっては「好ましからざる反抗分子」だったかもしれないけど、ちっとも堪えてないのね。
バッシングも烈しく仕掛けていたようだから、それが効を奏して辞めてくれて「ラッキー!!」てなものかもしれない。
怖いなァー。“オンナ”の世界って。
12月12日
感性の違い
レク係の打ち合わせの中で出てきたプランに「貸し出しヘルパー」があった。
月に何回か日を決めて「貸しだしヘルパー」要員をつくる。入居者から申し込みを受けつけ、時間貸しでヘルパーを派遣する。介護保険外のサービスだけど、外出同行など自由に使ってもらう----というものだった。有料老人ホームなんだからそれぐらいのサービスがあっても----と思ってのことだったが、プランの段階で「絶対、むりだよなぁ」と言いあっていた。
それでも、「年に一回の誕生日プレゼントして実施するのはどうか?」という「妥協案」をひねり出して提案したが、施設側の返答は「NO」だった。
Noの理由は後日説明ということだったが、レクとして不適当という理由なのか、お金が入らないからと言う理由なのか、不明。
でも、レクを単に「お遊戯」ではなくて、生活を豊かにする行為----人間が人間である所以であるところの無駄を楽しむ行為----であるならば、OKのはずなんだけど。年1回、それも次はないかもしれないサービスくらいの余裕はあってもいいのではないかと思う。
12月11日
むむむ、むぅ。
夜勤あけの疲れた身体に追い討ちをかける退職の告白!! 座りこみそうになる。
入社以来、聞き飽きたことだし、予想はされていたことだけど、それでも----(*_*)
勤務表の下にあった自分の名前が、いつのまにか中ほどになっている。こんなことで、入居者の生活の安心は保証されるのだろうか?----な、わけないよな!!
この日記も退職ネタばかりでつまらないから、閉鎖しようかな----と思うほどのがっくりである。
12月8日
レクレーション係なのである、わたしは。
単に子どもがいるという理由で決まったのだが、そもそも子どもと高齢者を同列に扱う発想もどうかと思うが、それは置いておこう。
ところが、レクレーション係だった職員がボロボロと辞職したため、私一人の係になっていたのだが、このたびメデタク、二人増員されて三人となった。その初会合が昨夜あった。
まずは、年末のクリスマス会の内容について協議する。そして、今後のレクレーションの在り方について協議する。あっというまの2時間。楽しい2時間。「仕事」でこんなに楽しかったのは「初めて」だった。
12月7日
甘い水(4)
何人かの人----自分が「下宿屋」を立ち上げる時には声をかけてみようかなと思っていた人たち----に話してみた。
介護職にある人たちは「なんでもやって良い。好きなようにやって良い」と言うところに一様に関心を持つ。
それ以外の職業の人は、「聞いている限りじゃ、うまい話だね」と言う。
こちらから条件提示や自衛策(?)を講じるのも手かと思う。
自分でも出資して株式会社にするとか、立ち上げた会社の買取とか----。会社名は良いとしても、立ち上げるデイサービスの名称を自分で商標登録して押さえておくとか、、、、。
甘い水をいまひとつ飲み干せない理由の一番は看護師さんだ。不幸なことに、わたしの友人・知人に看護師がいない。看護師不要の規模で開設すればよいのだが、スケールメリットにややかけることは否定できない。定員がたった五人の差に過ぎないのだが。
12月6日
12月の勤務シフトをみるとクリスマスイブは夜勤だ。相手は----(゚〇゚;)。
ま、イブだなんだかんだと「血」が騒ぐ歳でもないので、どーでもいいことだけど。年末年始は30日が夜勤だから、大晦日と1日は休みである。二日以降は希望休みを入れなければ勤務が付く。
ま、これも、どーでもよいことである。
12月5日
甘い水(3)
デイサービスをやらないかと声をかけてくれた、そのスポンサーに会ってきた。正確にはスポンサーその人ではなくて代理人である。
「うまい話」ではある。だが、うまい話にはなんとやらで----。
東京北部の医者が資産を売却して作った休眠有限会社がある。それを使っていいというのだ。条件といえるのは、もし利益が出たら、配当金を出すことぐらい。
資本が「わけあり」というわけでもない。とりたてて「色」がついているわけではない。気になるといえば、会社を設立する時に、介護界のカリスマといわれる人が所属する会社がからんでいることであり、その会社(ちなみにこの会社が企画したヘルパー講座を僕は受講したのだ)の社長が現在、役員になっていることである。
代理人は建設会社で資産運用の手助けをする部門の人なのである。
うーん。
役員は口を出さないという。リスクと言えるのは、立ち上げたあと万が一ポシャッたら、抱えた従業員の行く末の心配ぐらいである。
それでもなぁ。
他人のふんどしで相撲を取って、力を試すという手もある。ノウハウを蓄積するという手もある。
急ぐ話じゃないけど、、、、。
なにが「引っかかって」いるかと言うと、話をはじめて間もなく、介護者として大したキャリアのない私に向かって「将来的に、有料老人ホームの施設長なんかやってみてもいいんじゃない?」といった「調子の良さ(?)」である。
ようするに、代理人さんは一種の「立ち上げ屋」さんで、建設業界は、建設業の名刺をもっていっても地主は話を聞いてくれないので、福祉の話をもっていくということが背景にあるようだ。
のるかそるか----というほど大袈裟ではないにしろ、しばらく頭を悩ませる話である。
12月1日
居酒屋で考えた
最近、立て続けに飲み会があった。その時利用したのがチェーン展開している居酒屋である。
店内が和風(あくまでも“風”がつく)で、木(表面は古い木を感じさせるステイン塗装してあるので、無垢の木ではないと思うが)をふんだんに使い、壁は漆喰風(ボードの上に漆喰風のものを塗ったやつ)である。フローリングの座敷には掘りごたつ風のテーブルがあるし----。
なにより、一人から大人数までに対応する小区画を持っていることに、いまさらながら気がついた。
デイサービスや特養の食堂やリビングもこうすれば、それぞれの人が好みの場所を見つけられるし、区画ごとに職員が食事介助に入ることができれば、面白いのになぁ、などと思いながらへべれけになっていったのであった。
で、私が思いつくことは誰でもが思いつくどころか、すでに実践しているわけで、数日後、手にした本、外山義監修『個室・ユニットケアで介護が変わる』(中央法規 2003)に、同じようなことが書かれていた。しかし、著者は、僕よりもハイソ? な人のようで、スタバの店内の多様性(窓際、テーブル席、ソファ席)を例に引いていた。ちなみに監修者は、ユニットケアの伝道者と言われた人らしい。
それから、別の本だが、本屋で立ち読みした銀色夏生著『家ができました』(角川文庫)に掲載されている家のような場を作れたらと思う。
古民家移築も面白いかなー。
ひとつ確信したのは、自分がそうした福祉サービスをやることこになったら“店内設計”は、「福祉系」じゃない人たちに依頼しようと思う。
11月25日
甘い水(2)
スポンサーとの初顔合わせが来月初頭に決まった。
どうなるでしょう?
楽しみです、自分でも。
11月23日
恫喝その後(2)
夜勤明けの今日、上司が出勤で、なんらかの「沙汰」がありやと思いきや、休み。肩透かし?
ところが、その夜、年若い上司から「飲み」の誘いのメール。
「ふーん、そうきたか」とおもいきや、これまた、ほかの男性職員もOKの飲み会の模様。
その次の日に会っても何もなし。
どこからくるんだ?
11月21日
夜勤痛
夜勤明けで昼寝をしていたら激痛で目が醒めた。
両大腿が「同時多発」痙攣を起こしている。俗に「つる」という現象だ。
痛い。
のけぞると背中の筋肉までつりそうになるので、悲鳴をかみ殺しながらベッドの上で耐える。
筋肉疲労とビタミンバランスの崩れからだろうか夜勤明けにこれまでもたびたび襲われる痛みだ。予防にミネラル、ビタミンのサプリメントを補給しているのだが----。
元来、つりやすい体質だとは思っていたが、さすがに歳を感じる。
夜勤明けの帰りに「あぁそういえば昨日はボジョレーヌーボの日だったな」とおもい、酒を売っているスーパーに入ったものの、2パック500円の肉や一束30円の小松菜を買いこんで店を出てきて、肝心のワインを忘れた自分に苦笑。
結局、夜になって実家の父母が飲み残したワインを分けてもらった。
毎年飲むわけじゃないから、「当たり年」と世評の高い今年のボジョレーヌーボがどれほどうまいのかどうかわからないが、なかなか香りと渋みの旨いワインだった。
11月20日
恫喝その後
恫喝そのものに怒っている場合ではなかった。
私を拒否することでほかの職員に迷惑が及ぶわけで、その対処をしなければならない。
上司に事故報告書を書いて提出。入浴介助に入らなくても良いようなパート職への転換も含めて、処遇を求める。
むかつく。自分の蒔いた種だけに余計にムカツク!!
11月17日
脅しというか、ほぼ恫喝
僕のことをとても嫌いな入居者がいらっしゃる。最近は、お部屋にうかがっても滞在時間は2分弱----みたいな状況が続いていた。会話も成立しない。
しかし、きょうは朝から嫌な予感がしていた。もしかしたらそろそろ----と思っていたら、的中。当たって欲しくないのに。
散々、小言を言われて「夜勤をやったからといって1人前面するんじゃないよ」ときた。これで終わるわけはないので、40分の居室滞在は覚悟した。
「あなたには風呂にも入れてもらいたくないし、着替え介助もしてもらいたくない。その原因は自分でも分かっているだろうけど、施設長にはいわないよ。なんていったって、あんたには妻も子どももいるんだから。そういう人を首にするようなことを私は言わない。だけどね、他のヘルパーに言っている。あんたの代わりに助けてくれってね」
たしかに、僕の不勉強が元で、風呂の介助や着替えの介助の際に不自由なからだに痛い思いをさせたことは確かだし、その痛みは本人しかわからないことだ。申しわけないと思ってもいる。だから、ヘルパーの僕を拒否するのは本人の自由だ。
しかし、ぼくの尻拭いを「あんた」が他のヘルパーに頼むことないだろう。それって、ぼくをだしに、自分の気に入りのヘルパーに媚び売っているだけジャン。
ハイハイと聞いていたけれど、これって一種の恫喝だ。私はあなたのことを首にできるけどしないでおいてあげるよ、ってことでしょ。
そういえば、ぼくがおとなしくなるとか、反省するとか、なんだか、みくびられたもんだなぁ。
べつに言いつけ口してくれてもかまわない。上司に言いつけ口されるより、同僚にされるほうが辛いし、汚い行為だ、とぼくは思う。自分じゃすっかり慈悲溢れる正義漢面しているけどまったくもってフェアじゃない。
あんたの口から同僚の悪口を聞かされるほど反吐を吐きたくなることはない。
11月17日
朝6時半からの勤務のために家を出た。空は灰色がかった青で、東や南の天辺は墨の入った橙色で、西や北のそれは群青色だった。雲はどこにも見当たらない。大気は鼻の奥をツンとさせて痛い。これからの一日を思い吐くため息がわずかに白い。
もう一度空を見上げる。
ああ、宇宙に囲まれている。
自転車のペダルをグイと踏みこんだ。
11月16日
甘い水
ヘルパーの資格を取ったときの関係者から、デイサービスをやる気はないかと声をかけられた。スポンサーがいるのだという。開業は地元でかまわないのだと言う。
紹介者が信用できる人だからいいもの、はっきり言って、眉唾な話なのだ。
それでも、近々に先方と会って、どの程度の「紐付き」なのか確認し、条件さえ折り合えば、乗ってしまおう、と思っている。何かきっかけがないと辞められない。寿退社と言う歳? でもないし、妊娠しました(させました?)と言うがらでもないし。
11月14日
ごめんなさい
ウマの合わない人はいるもんだが、ぼくの学習機能が弱いのか、つい、まともにいってしまう人がいる。
Lさんはそのひとり。寝たふり聞こえないふり----、時折口を開けば、とんちんかんなことを言ってはぐらかす。
先日も聞こえない振り? をしていて、ベッドで寝るのか寝ないのか何回尋ねても無視して、はっきりしないので、パジャマへの着替えを半ば強引にはじめたら、目を明けて、睨みつけて、僕のメガネをむしり取って、放り投げてくれた。
殴ってやろうかとLさんが言うから「なぐって」といったら、また寝た振り。
ごめんねLさん。こういうのがあなた流のコミュニケーションの取りかただとわかっていて、いつも術数にはまってしまう僕を、きっと、あなたは心の中で笑っているんでしょうね。
次からは絶対に術にはまりません。薬拒否なら「辛くなるのはご自分ですよ」ということばを添えて、飲んでいただくのをやめましょう。寝たくないのなら、いつまでも車椅子の上にいていただきましょう。
ヘルパーの都合であなたをコントロールしようとするのは、止めます。
11月13日
繰り上げ?
うーん。1月に辞めるといっていた先輩が当初の予定通り? 12月に辞めるのだそうだ。あーあ。
その次は3月でその次は5月。これでは、いつまでたっても後輩の出る幕がない(苦笑)。
11月12日
意外と策士かも?
昇格人事をよくきいてみると、もうひとり、昇格した人がいた。古参の男性だ。まだ若い。でも、未来のこと(俗な言い方をすれば、伝統の形成と継承するためには)を考えたら、そうして然るべき人事だと思っていた。
しかし、抱き合わせ人事とは、恐れ入谷の鬼子母神である。
11月10日
念願の万歩計
かねてから思っていた1日の仕事中の歩行距離を測ることができた。
歩数にして約1万2000歩、約8.2キロメートルだった。マンションの2階と3階の入居者に集中したシフトだったから、これが、6階までをカバーするシフトならば、軽く1万5000歩は超えるだろう。これだけ歩けば、膝も痛くなるハズである。
11月9日
名乗り
ぼくよりあとから入ってきた男性が退職者リストに名乗りをあげつつある。相当に腹に据えかねることがあったようだ。
人によって「発火点」は違うから、なんとも言えないが、「人を見て」叱責したり、みんなの前で面罵したりする行為が目に余るのは事実。また、極端な猫かわいがり人事があるのも、また事実。
やっぱりここは、組織じゃなくて、同好会みたいなもんだということだ。
11月7日
とばっちり? または、スイッチはどこ?
職場で使うメモ用紙的なものを、ほかの書類を作るついでにマイナーチェンジしてみた。朝、担当者に渡したら、その場にいた課長が担当者を「叱った」と、あとから聞いた。おまけに、何人もの人にそれを言われたから、相当に「叱った」らしい。
ようするに、自分の担当のことを他の人にやらせるのは怪しからんということらしいのだ。ぼくは、ついでに作っただけで、担当者にわたすときにもそのことを言ってあるのに。
あとで、叱責された先輩には「余計なことをしてしまって」と謝ったが、僕の行為は余計なことなのか、助け合いなのか? 先輩も「ここは文句を言うところじゃないだろうと思うんだけどねぇ」と苦笑するばかり。
一日中パソコンと格闘しているだけ? の課長だから、ぼくが、自宅のPCでホイホイと書類を作ったのが気に入らないのかもしれない。それにしても、スイッチのはいりかたのわからない上司だ。
まったく、変な職場である。
11月6日
あぁ
人事のウワサと言うのは、組織である限り「足の速い」ものである。
かねて(私が勤務し始めた頃)からウワサのあった人の「主任」への昇格人事が決まったようだ。
週明けの朝礼時に正式発表されるようだ。
昇格はよいが、そのせいで、また、辞める人が出そうだ。辞めるヘルパーが出れば、入居者は再び不穏になる。職場も荒れる。
最近は入居者の「良いヘルパーさんがみんな辞めていっちゃうよ」という嘆きに「ごめんね、滓ばかりのこって」と言い返すのも虚しい。
人事という繊細な部分へのナイーブさはない。人事は上司が自分のためにするものではなく、利用者のためにするものだと思う。
しかし、自己に対する評判をわかっていてのことだから、つわものと言えばつわものだ。その点だけは、リーダーの資質を認めてもよい。
孤独な指導者が右腕を欲しがるのもわかるが、嫌なら「辞めれば」的な人事はどんなもんだろう。
11月3日
ちょいとむかしの話になるが、10月半ばに東京ビッグサイトで開催された福祉機器展に行って来た。
一通りみて感じたのは、介護も電気を抜きにしては考えられないという、ごく当たり前のことだった。しかし、それは逆に、電気が止まったら何もできないということであり、怖さも感じた。
電気を使った介護の省力化は日常では大助かりだが、非常時には、とんでもないことになりそうな気もする。
笑えたのは、「癒しアザラシ」のロボット。本物のアザラシと戯れる写真がご愛嬌だった。
11月2日
看護師とヘルパー
最近になって新しい看護師さんが3人加わった。そのうちのひとりのちょいと年かさの看護師さんが[ ? ]である。
挨拶をしても返してこない。なんで? ヘルパーは、新人看護師さんよりも下なの?
ま、それはいい。きっとシャイなんだろう。
だけど、血圧が高くおまけに上下の差がないなんてのは、素人だっておかしいだろうとおもうのに、ノーチェックだ。
どうなのよ?
人を選ぶ目がないんじゃないの? ――あ、おれもその人たちに選ばれたんだっけ(^^ゞ
10月30日
ホームの食堂に入っていた業者が11月1日より変わる。
これまでの業者の「味」に問題があり、住民からクレームが多かったからだという。あんまり不味くて「絶食」状態にある入居者もいる(ちなみにこの人は、新しい業者がくるまでカロリーメイトで暮らしている)。
確かにときどき食べる昼食や夜勤や早番のときの朝夕食ともに、味は「値段なり」だった。
もっとはっきり言えば、俺のほうがもうちょっとマシに作れるぞ、というものだったことは否定しない。
新しい業者は、ホームの食堂運営では大手らしい。
しかし、食費にかけるお金が一緒である以上、劇的な変化が望めるとも思えないのだが、いかがであろうか?
10月28日
休みだというのに、今日は子らが通う小学校の開校30周年記念式典に呼び出しをかけられて、朝8時前に家を出た(仕事より早い!!)。
ざーざー降りの雨の中、駐車場案内係をやらされて体の心から冷えた。そのせいで指の感覚が麻痺していたのか、体育館に机をセットする、折りたたみ式の足に指を挟んで爪に穴をあけて血を吹き出して、何十年ぶりかで保健の先生に手当てしてもらった。
手当てをしている私がいるにもかかわらず、おまけに指から血が吹き出しているのにもかかわらず、数日前には治った指の皮むけの手当てをしろと迫るダンシや、おなかが空いたと見当違いの訴えをする(もっとも、空腹で死にそうだと言っていたが)ダンシ、用もないのに歓談しているジョシで保健室は相当にうるさい。
こいつらが高齢になったらどういう世界が広がるんだろう。想像だにしたくない。というか、こいつら小学生にしてすでに「痴呆」しているんじゃないのか?
あー、疲れた。
10月25日
老人ホームに一匹の犬がいる。ぼくはとくに犬好きでも犬嫌いでもないのだが、ときどき散歩当番が回ってくるので、相手をするくらいだ。
ところが、入居者の一部にとっては、文字通り体の一部みたいになっている。日中ほとんど犬の傍らで、それこそ番犬のごとくすごしている人がいる。犬に危害を加えるとその人とが思いこんでいる入居者がくると、「しっし」と邪険に追い払う。どっちが犬だか人だかわかりゃしないありさまだ。
犬も相当にストレスだと思う。きっと早死にする。かわいがられることを強いられるのも大変だと思う。
犬を救うには、そして、入居者間のいざこざを防ぐには、かわいそうだが犬には亡き者になってもらうのが良い。もちろん、うそでいいから、死んだと言うことでどこかに里子にだすのがいいと思うのだが、いかがなものだろう。
10月23日
いまの職場は新陳“退社”の早いところなのだ。(おやじギャグ)
10月22日
怪奇現象!?
「テレビのリモコンの調子がおかしい」という夜間のコールで居室にうかがう。 話を伺うが聞けば聞くほど僕の頭は?だらけになる。こうやって文字化するのも困難なほどの怪奇現象なのだ。
「わたしがリモコンでチャンネルを換えても見たい番組が出てこないの。こんなの初めてなのよ」とおっしゃるのだが----。
ぼくの見るところリモコンは正常に動いている。目の前で番組表と対照しながらチャンネルを順繰りに換えても異常はないが本人は納得しない。ご自分で換えてもらっても納得しない。
そのうち8時台に9時の番組がなぜ見られないといった話なる。あれ?
もしかして壊れているのはリモコンじゃなくて、あなた? 自分が壊れているのを指摘されたくないばかりに、テレビのせいにしているのかな?
ともあれ、貴重な20分は空虚に費やされたのだ。
10月21日
新しい人が2人きた。男と女である。2日目の今日、たまたま、おなじシフトだったので、先輩の発案で飲みに誘った。
男性はおとなしい人でこれまで、短期の仕事を繰り返しては「旅」を繰り返してきたという。インドをぐるっとしたというからツワモノだ。
女性は療養型の施設で働いた経験のあるひとで、私などよりもキャリアのある人。若いのに頼もしい限りだ。
先輩たちが酔って?集って言ったのは「仕事を一回りして先輩から離れるまでは辞めないでよ。一人だちすれば楽になるし面白いこともあるだろうから。それから辞めても遅くない」。
理想を説いても仕方ないので現実的な「語り」だったけど効果的だったかな?
10月19日
出勤するといつもだったらいるはずの同僚Aさんの姿がない。
勤務シフト表に「Aさん体調不良のためウヌンカンヌン」とある。
一瞬「まさか----」と、不安の影が差す。
他の同僚に聞くと前日の夕方(ぼくは早上がりだった)顔を腫らして欠勤を告げにきたという。どうやらしばらく休みになりそうだ。
「このまま辞めなきゃいいけど----」が、男子控え室の心配事である。
辞めてくれるな(俺より先に)!! とメールを送ろう。
10月18日
IVH(中心静脈栄養)を外して帰って来たDさんは1週間足らずで他の病院へ転院? となった。水分も食事もままならないためだった。
ほんとうは、退院してきた病院へ帰るのが筋なんだろうが「IVHを外させて」帰って来た手前、もどすのは「恥ずかしい」との判断で、別の病院へということになった。
看護師や施設の「プライド」でタライ回しされる先の病院は「老人病院」で、あまり評判はよろしくない。
Dさんが「無事生還」できるかどうか、心配である。
10月15日
退職者リストにあらたに2名の名前が挙がったらしい。ようするに介護課のボスと同僚だった人はほとんど辞めて行くということだ。
わかるよ、その気持ち。
10月14日
腹が立つ!!
ここしばらくリフォーム作業中だった介護室の一郭が完成したので一時避難? していた人が戻ってくることになった。
壁の一面に天井までの高さでパイプの棚ができている。そこに持ち物を移動せよと言うことだったのでやり始めたが、なんの仕切りもない棚に衣服を置くなんて、ブティックの店員ではないのだから、できるわけもないし、散らかるのは目に見えている。
棚の発注者である介護課長に尋ねると「まだ決めていない」ときた。
アホか?
棚を作ってそこに衣服を収納するのであれば、ケースなり籠なりが必要で、一緒に設置するのが当然ではないのか?
その程度の先も読めないのだろうか?
おまけにおまえのせいで余計な仕事が増えたとばかりに、人を無視するように某ヘルパーと収納容器について相談しているので、腕組みをして聞いていたら、課長がいなくなってから某ヘルパーが「さっき腕組みしていたでしょう」としたり顔で指摘しようとするので、聞こえないフリして無視!! こいつも頭に来る!! 上司の前で腕組みするのが「失礼」なことぐらいおまえに指摘されなくても分かる!! おまえにはそれが「抵抗」の表明なのが分からないのか?
10月13日
でっ、でたぁ〜?
ドアをノックされたが誰もいない。物が落ちる。変な声がするetc。
今年になってあまたの入居者の「昇天」に立ち会った先輩(自称・当たり年のヘルパー、別名「当たり屋」「逝(い)かせ上手」)が夜勤中の出来事だ。
怖くて従来は一人でやる夜間の巡回を二人でやったという。
10月12日
課長は、怪婆の葬式に焼香だけで参列しなかったという。それを入居者に指摘、非難されている。本人は体調が悪かったし、運が悪かったと言っているが、健常者の多い有料老人ホームで「義理」を欠くことは致命的だ。
10月10日
怪婆逝く!!
誇り高き「怪婆」としか言いようのない「人物」が急逝した。
夜勤入りのタイムカードを押している時に耳打ちされた。ビックリした。話では、いつも大音量でテレビを見ている部屋の座椅子で正露丸を握り締めて亡くなっていたとか。文字通り「ぽっくり」。
ホームの人物のなかでも、ぴかいちのキャラクターだったので、寂しい。
合掌。
追記 1週間ほどの間に二つも訃報を書くとは----、人間も季節の変わり目に影響されるイキモノなんだということを実感する。
10月3日
延命処置を断っていた人が、最後は挿管されたと聞いた。家族には家族の考えがあるのだろうが、「尊厳死」の難しさを垣間見た。
10月1日
内臓の不良で検査入院して、あげくに病院で骨折してしまった人が一泊の予定で帰って来た。入院する前は「今度入院したら帰ってこないかもしれない」と言っていただけに、ホットしたけど、きけば、病院でもてあまし気味のため、病棟看護婦慰労のための外泊許可らしい。本人は帰って来たことを心底嬉しく思っているようなのが、不憫だ。
骨折はともかく、中心静脈栄養(IVH)の管を入れたままのこの人が帰ってくるなんてことがあるのだろうか? もし帰って来たとしたら、それは、介護じゃなくて、看護だとおもうのだが。それでなくても、ヘルパーが医療すれすれのことをやっているような現場で、これ以上の負担は正直怖い。
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